第27話 不穏な予測
香里奈の指先が、赤ペンを握る。
「ここが、私たちの通う晴明女子高――」
地図上の博多区ほぼ中央。
香里奈はその1点を、丁寧に丸で囲んだ。
赤い円が、じわりと広がる。
他のメンバーの視線が、その小さな円に集まる。
部室の空気が、また少しだけ張り詰めた。
「ここを基準にして、これまでの遺体発見現場を見ていくと……」
香里奈は、箱崎埠頭、別府周辺、大橋の公園――3か所を順に指先でなぞった。
「だいたい同じ距離なんです」
「同じくらいの距離……?」
沙知絵が呟く。
「完全とは言えません。でも、中心からの半径は、おおよそ一定の範囲に収まっています。だから――犯人は“学校を基準”にしている可能性があると思います」
部室の中で、誰かが息を呑む音がした。
「学校を、基準に……?」
奈緒の声が、先ほどより明らかに低くなる。
梓沙は、地図の上の赤い円を見つめたまま動けなかった。
囲まれているのは、ただの1点じゃない。
そこには、自分たちが毎日通っている校舎がある。
朝、玄関で靴を履き替え、教室で授業を受け、放課後に笑ったり、帰りを急いだりする、その学校だ。
香里奈は静かに続ける。
「そう考えると……万にひとつでも、もし次に遺体が発見される可能性があるとしたら――」
右手の人差し指が、地図の上をゆっくりと右へ滑っていく。
部室の全員の視線が、その動きを追う。
その時間が、ひどく長く感じられた。
指先が、ある地点で止まる。
「ここです」
「えっ?」
梓沙は思わず声を上げた。
「福岡空港の近く……?」
地図上で示されたのは、空港滑走路にほど近いエリアだった。
「そうなんです」
香里奈は落ち着いた声で言う。
「この場所が加わることで……晴明女子を中心に、ほぼ四角形が完成します。今の3点に、ここを足すと――学校をぐるりと囲む形になる」
赤ペンで、香里奈は四辺をなぞった。
箱崎。
別府。
大橋。
そして福岡空港周辺。
歪んではいる。
だが、たしかに“囲んでいる”ように見えた。
「でも、それって……学校を中心に置いたから、そう見えるだけじゃない?」
奈緒が眉をひそめる。
「四角形って言っても、かなり歪んでるし。地図の上で無理やり線を引いてるだけかもしれないじゃん」
「もちろん、それはあります」
香里奈はすぐに頷いた。
「だから断定はできません。ただ、完全に偶然として見るには、配置が出来すぎている気がするんです。3件とも、学校からの距離感が極端に外れていないし、そこへもう1つ点を置くなら、この辺りがいちばん収まりがいい」
梢が、わずかに震える声で言う。
「それって……犯人が、次にどこへ置くかまで決めてるってこと?」
「可能性はあります」
香里奈は答えた。
「偶然が3回続くより、意図があると考える方が自然かもしれません」
部室の空気が、また一段冷えた。
次。
その言葉が、さっきまでよりずっと重いものとして沈んでいく。
「次も形に従うかもしれない」と聞いた時点でも、梓沙は十分嫌な予感を覚えていた。
けれど今は違う。
今は、その“次”が地図の上に落ちている。
福岡空港近く。
そこはもう抽象ではなかった。
まだ起きていない死を、赤い線の先に置いてしまう。
それは推理というより、予告に近かった。
梓沙の胸の奥が、冷たく締めつけられる。
もし香里奈の推理が当たってしまったら。
それは“正解”じゃない。
“次の犠牲”を、先に見つけてしまったことになる。
「……仮説、だよね」
奈緒が、掠れた声で確認する。
「はい」
香里奈は小さく頷いた。
「仮説です。でも……考えておく価値はあると思います」
その言葉は、決して強くはなかった。
むしろ慎重だった。
だからこそ、余計に怖かった。
梓沙は、地図を見つめ続けていた。
晴明女子高の赤い円。
それを囲むように打たれた3つの点。
そこへ加わる4つ目の候補地。
囲まれているのは、学校だけじゃない。
そこに通う自分たちごと、図形の内側へ閉じ込められている気がした。
「……ありがとう、香里奈」
ようやく梓沙はそう言った。
声は落ち着いていた。
だが、胸の奥では確実に不安が広がっていた。
香里奈は一瞬だけ目を伏せ、それから顔を上げる。
「まだ、ただの可能性です」
「うん。わかってる」
梓沙は頷いた。
わかっている。
これはまだ仮説だ。
当たっている保証なんてない。
でも、外れていてほしいと思った時点で、もう普通の推理ではなかった。
部室の中で、誰も次の言葉をすぐには口にできなかった。
四角形の内側にある、晴明女子高。
そこに通う自分たち。
推理が、現実を追い越し始めている――
そんな感覚だけが、静かに広がっていった。
梓沙は無意識に、自分のスカートの上へ手を置いた。
福岡空港近く。
次の場所。
その言葉が頭の中で何度も反響する。
もし次があるなら。
もしその“次”が、もう決まっているのだとしたら。
それはもう、遠い誰かの死では済まないかもしれない。
窓の外では、夕暮れが完全に夜へと変わっていた。
北校舎の古い蛍光灯が、微かに唸りを上げる。
花瓶に生けられた花の香りが、やけに強く感じられた。
部室を満たしていたのは、
“解けた”手応えではなかった。
解けてほしいのに、当たってほしくはない。
そんなねじれた祈りと、見えてしまった未来への嫌な予感だけだった。




