第26話 二等辺三角形
重い沈黙が、しばらく部室を満たしていた。
誰も、すぐには次の言葉を出せない。
被害者3人の共通点を探ろうとして、いくつも線を引いた。
だが、そのどれもが途中で切れた。
梓沙は、そんな沈黙の中でふと気づいた。
テーブルの向こう側で、香里奈が何か言いたげな表情をしている。
黒縁の眼鏡の奥の瞳が、わずかに泳いでいた。
視線は、地図の上の3つの赤い印と、梓沙の顔を行き来している。
気になった梓沙は、ゆっくりと声をかけた。
「香里奈……もしかして、何か考えが浮かんだ?」
香里奈の肩が、びくりと小さく震える。
「遠慮しなくていいから、言ってみなよ。うちの部は、発言してなんぼなんだから」
梓沙は、あえて少しだけ明るい調子で言った。
場の空気が沈み切ってしまう前に、引き上げたかった。
ミス部では、思いつきも仮説も、すべてが材料になる。
どんなに突飛でも、そこから真実に近づく糸口が見つかることがある。
それが全員の暗黙のルールだった。
香里奈は最初、両手を膝の上でぎゅっと握りしめ、落ち着かない様子で体をわずかに揺らしていた。
唇が微かに動くが、声にならない。
他のメンバーも、自然と彼女に視線を向ける。
やがて、意を決したように小さく息を吸い込んだ。
「……これ」
言葉が途切れる。
梓沙は黙って頷いた。
続きを促す。
「これ……形になってるかもしれません」
「形?」
奈緒が聞き返す。
香里奈は、眼鏡のブリッジを指で押し上げ、地図の3点を順に指した。
「箱崎埠頭、別府周辺、大橋の公園。これを結ぶと……二等辺三角形に近いんです」
その一言で、部室の空気が変わった。
さっきまで“共通点が足りない”話をしていたのに、今度は逆だ。
被害者の側からではなく、
遺体の置かれた位置そのものに規則が見え始める。
「二等辺三角形……」
梓沙が地図を覗き込む。
沙知絵も身を乗り出した。
梢も椅子ごと少し前へ寄る。
香里奈は赤ペンを取り、3点を結ぶ線をなぞった。
「完全に同じ長さではありません。でも、感覚的な“何となく”じゃなくて、かなり近い形です。だから、もし犯人が意図して配置しているなら……これは偶然じゃないかもしれない」
「でも、それって地図の上で無理やり線を引いてるだけってことはない?」
梢が、珍しくすぐには飛びつかずに言った。
その一言で、逆に香里奈の声が少しだけはっきりする。
「その可能性もあると思います。だから断定はできません。でも、3点とも“たまたまそこにあった場所”として見るよりは、形として見た方が不自然さが少ないんです」
奈緒の声が少し低くなる。
「つまり、犯人が場所を“並べてる”ってこと?」
「はい」
香里奈の返答は静かだった。
だが、その静けさがかえって強かった。
「衝動的にその場へ捨てたというより、“どこに置くか”まで考えている可能性があります」
部室にいた全員が、一瞬言葉を失った。
さっきまでの停滞が、急に別の熱へ変わる。
「待って待って、それってかなり大きくない?」
梢が声を上げる。
「今までは“誰を狙ったか”ばっかり見てたけど、“どこへ置いたか”に意味があるなら、犯人像が変わるじゃん」
「そう。通り魔とか、その場の欲望だけじゃなくなる」
梓沙がゆっくり言う。
香里奈は頷いた。
「場所に意味を持たせる犯人なら、被害者だけじゃなく、遺棄地点も犯行の一部です」
その言葉は、部室の温度を確実に変えた。
これまでの議論は、犯人を理解するための“質問”だった。
だが今、初めて犯人の側の“設計”が見えた気がした。
「でも、それって……」
沙知絵が言葉を探す。
「もし本当にそうなら、次も形に従うかもしれないってこと?」
香里奈は一度目を伏せ、それからゆっくり顔を上げた。
「可能性としては、あります」
梓沙の胸がどくんと鳴った。
次。
その言葉が、ぐっと現実味を帯びる。
それまでの議論は、どこか過去を追いかける感覚だった。
けれど今は違う。
図形に規則があるなら、それは未来へ伸びている。
次の被害。
まだ起きていない死。
それを、地図の上から先回りして覗き込んでしまうような感覚に、梓沙は息を詰めた。
それはもう、面白いかもしれない推理なんかじゃない。
当たってほしくない予測だった。
「……」
誰も、すぐには次の言葉を口にできなかった。
窓の外では、夕暮れの光が完全に消えかけていた。
北校舎の廊下の蛍光灯が、微かに散って見える。
梓沙は、ゆっくりと息を吐いた。
そして、はっきりと感じていた。
空気が変わった。
今までの“推理っぽい話し合い”とは、明らかに違う場所へ来てしまった。
地図を出された時から、人物ではなく場所の方に何かがある気はしていた。
でも、それがこんな形で返ってくるとは思っていなかった。
「香里奈」
「はい」
「それ、もっと具体的に見られる?」
香里奈は一瞬だけ目を伏せ、それから顔を上げた。
「……やってみます」
その声は小さい。
けれど、さっきまでのためらいは消えていた。
梓沙は、その変化に小さく驚いた。
この子はずっと、黙って考えていたのだ。
自分たちが共通点で行き詰まっていた間も、別の方向からずっと見ていた。
共通点が見つからず停滞していた部室に、初めて“形”という新しい軸が入った。
それだけで、ミス部の推理は別の段階へ進み始めていた。
そしてその先にあるのが答えではなく、まだ起きていない何かかもしれないことを、梓沙だけはもう薄々わかっていた。




