第24話 ミス部
10月22日、木曜日。
放課後――
「それにしても……何で、うちの学校の生徒ばっかり狙われるんだろ?」
教室のあちこちで椅子を引く音やロッカーを閉める音が響く中、帰り支度をしながら城戸谷留美が中林梓沙に問いかけた。
窓の外はすでに薄曇りで、夕暮れの光が鈍く差し込んでいる。
教室の空気はざわついているのに、妙に沈んでいた。
誰もが普通に帰るふりをしている。
けれど、その“ふり”がもう雑になっていた。
昨日も、同じ学校の生徒が死んだ。
その事実だけが、教室のどこかにずっと居座っている。
「今度も3年生でしょ? しかも空手の有段者だったらしいのに、それでも殺されるなんて……怖いよね」
梓沙は口を尖らせながら、留美の方へ顔を向けた。
いつもより声のトーンが低い。
多くの生徒が、昼のニュースやネット速報に目を奪われたに違いない。
佐野里穂という3年生が殺害されたと報じられたのだ。
昼休みにスマホを囲んでいた留美たちも例外ではなかった。
「ねえ、梓沙はどう思う? やっぱり変質者の犯行なのかな? 今回もスカートだけ持ち去ってるっていうのが、どう考えても猟奇的だし……」
留美はそこで言葉を切った。
“猟奇的”と口にした瞬間、自分で少し嫌そうな顔をした。
「でも、そう言い切っちゃうと、何か……簡単すぎる気もするんだよね。ネットのコメントとか見てても、みんな好き勝手に言ってるし。今朝のニュースもまた『捜査関係者によると』って……あれ、ほんとに何でもかんでも漏れすぎじゃない?」
不安と苛立ちと、少しの好奇心。
留美の声には、その3つが混じっていた。
梓沙はしばらく答えなかった。
視線だけを少し落とし、頭の中で何かを並べている顔だった。
「うーん……。でも、まだ警察も正確な犯人像には迫り切れてないんじゃないかな。マスコミにリークされる情報なんて、たぶんほんの氷山の一角だよ」
根っからのミステリー好きらしい、静かな口調だった。
だが、その瞳の奥にはいつもと違う熱があった。
梓沙は無意識のうちに、今回の連続殺人について考え続けていた。
殺されたのは、全員この学校の生徒。
最初の犠牲者は、同じ2年生の斉藤恵梨香。
2人目は、3年生の三田村安奈。
そして今回、3人目の犠牲者となったのが、3年生の佐野里穂。
なぜ彼女たちなのか。
通り魔的な無差別犯行か。
それとも、明確な意図を持った計画的犯行か。
授業中も休み時間も、梓沙の頭の中から事件は離れなかった。
ただ今回は、前までのように“謎として気になる”というだけではない。
同じ学校の廊下を歩いていた子たちが、順番にいなくなっていく。
その現実の気味悪さが、思考の底にずっと沈んでいた。
「……ねえ、留美」
「ん?」
「やっぱり、変だよ。3人とも同じ学校って、それだけでももう十分変なのに」
梓沙は声を潜めた。
「しかも、名前を聞いたら“ああ、あの子か”って顔が浮かぶ子ばっかりなんだよね。全然同じタイプじゃないのに、学校の中でちゃんと目立つ側の子たちっていうか……」
留美が眉を寄せる。
「目立つ側?」
「うまく言えないけど……ほんとに行きずりで、たまたま目についた子を狙ったなら、ここまで“晴明女子の中で誰でも知ってる側”に寄るかなって」
自分でもまだ説明しきれない。
けれど、その引っかかりだけは、梓沙の中ではもう無視できないところまで来ていた。
「……何か、嫌だね」
留美が小さく言う。
梓沙は答えなかった。
嫌だ、では足りないものが、もう始まっている気がしていたからだ。
*
やがて留美と別れた梓沙は、足早に校内を横切り、自らが設立した「ミス部」の部室へ向かった。
部室は学校敷地の北側にある通称「北校舎」の3階だ。
築50年以上が経過している古い建物で、外壁の塗装はところどころ剥がれ、廊下の床板も軋む音を立てる。
ここには文化系サークルだけが集められており、普段の授業が行われる本校舎とは少し隔てられた空間になっていた。
まるで、日常から切り離された秘密基地。
けれど今日は、その古びた空間さえ、少し違って見えた。
思考のための場所というより、何かを決めるための場所に。
「遅いよ、梓沙」
部屋へ入るなり、貝原奈緒が顔を上げた。
「みんなもう来てるよ」
10畳ほどの部室の中央には、丸テーブル。
その周囲に古い椅子が5脚。
壁際にはミステリー小説や事件史の本が詰まった本棚。
窓際には電気ポットと紅茶の缶が置かれた小さな棚。
いつもなら少しわくわくするその光景が、今日は違った。
全員の顔つきが、最初から真面目だった。
「……集まってくれてありがとう」
梓沙はそう言って、席に着いた。
先ほど声を上げた奈緒は梓沙と同じ2年生で、共同設立者でもある。
声を荒げるタイプではないが、議論の際に話の軸を作るのがうまい。
1年生は3人。
篠田沙知絵は、小柄だが彫りの深い顔立ちで、どこかエキゾチックな雰囲気を漂わせる少女だ。
積極的な性格で、議論の進行役を担うことが多い。
金原梢はそばかすのある童顔で、おしゃべり好き。
噂や情報収集に関しては部内随一の能力を誇る。
宮地香里奈は分厚い黒縁眼鏡をかけた地味な印象の少女だが、学年トップクラスの成績を誇り、分析力では誰も一目置いている。
「じゃあ、まずはどこから考えます?」
最初に口を開いたのは沙知絵だった。
いつもの軽い勢いではなく、今日は最初から慎重な声だった。
「被害者3人に、共通点はないのかな?」
奈緒が身を乗り出す。
「私もそこからだと思う」
梓沙が頷いた。
「最初に殺された斉藤恵梨香さん――私はあまり知らないんだよね。奈緒、同じクラスだったよね?」
「同じクラスといっても、そこまで親しくはなかったけど……水泳部に所属してた、活発で明るい子だったよ。友達も多かったと思う」
「三田村安奈さんはチア部、佐野里穂さんは空手やってたっていうし……3人とも運動系で、いわばスポーツウーマンばかりですよね?」
梢が口を挟む。
「それに、3人ともかわいかったって評判ですよね。スタイルも良かったって……。やっぱり行きずりの衝動的犯行って線も、無視できないんじゃないですか?」
香里奈が、眼鏡の位置を指先で整えながら静かに続けた。
「でも、“晴明女子の生徒を狙った”というだけで、行きずりにしては絞り込みすぎている気もします」
その言葉に、部室の空気が少し変わる。
「私もそこ、引っかかってる」
梓沙が顎に指を当てた。
「もし本当に行きずりなら、共通点を探しても意味は薄い。逆に、選ばれているなら接点があるはずなんだよね」
「同じ塾とか?」
沙知絵が言う。
「アルバイト先とか、SNS上の繋がりとか」
梢が付け加える。
「学校内部での接点もあるかもしれませんよね」
奈緒が言った。
「部活同士の繋がりとか、生徒会とか、行事とか……外から見たらバラバラでも、学校の中だとどこかで線が引けることってあるし」
梓沙はその言葉に小さく頷いた。
そこだった。
警察が外から追う“被害者情報”とは別に、学校の中にいるからこそ見える距離感がある。
誰と誰が廊下で話していたか。
誰が目立っていたか。
誰の名前を聞けば、すぐに顔が浮かぶか。
それは、名簿や記録では出てこない。
学校の中で息をしている人間にしかわからない感覚だ。
議論は自然と熱を帯びていく。
けれど、今日はいつもの“推理遊び”の昂揚とは少し違っていた。
被害者の名前を口にするたび、テーブルの上に小さな重みが積もる。
現実の人間を材料にしている。
その意識が、どこかで全員を引き締めていた。
梓沙は、その感覚をはっきりと自覚した。
これまでは、正解に辿り着くことそのものが楽しかった。
推理して、仮説を立てて、誰より早く当てる。
それが面白かった。
でも今日は違う。
正解に近づくことが、誰かの死に近づくことでもある。
だからこそ、先に言わなければならないことがあると思った。
梓沙は紅茶の湯気を見つめながら、ゆっくり口を開いた。
「……あのね。ひとつだけ、絶対に忘れないでほしいことがある」
部員たちの視線が集まる。
「被害者は、本当に死んでる。私たち、ミステリー好きだけど……今回は“面白そうだから”でやるんじゃない。そこだけは、絶対に忘れないで」
しん、と静まり返る。
沙知絵が最初に頷いた。
いつもの軽い勢いではなく、真面目な顔で。
奈緒が、セルフサービスで淹れた紅茶のカップをテーブル中央へ置く。
「……わかった。やろう。梓沙がそこまで言うなら、私も本気でやる」
梢も香里奈も、無言で席を整えた。
その瞬間、梓沙ははっきり理解した。
ミス部は今、初めて“現実の事件に本気で踏み込もうとしている”。
そしてそのことが、少し怖かった。
だからこそ、次の言葉は慎重に出てきた。
「……私ね」
梓沙は一度だけ息を整えた。
「これ、ただの猟奇事件じゃない気がするんだ」
その言葉に、部員たちの視線が一斉に彼女へ向いた。
梓沙自身、まだ全部を説明できるわけではない。
ただ、同じ学校ばかり狙われていること。
しかも、その中でも“誰でも知っている側”の子たちが狙われていること。
それを“たまたま目についたから”だけで片づけるには、何かが噛み合わなすぎる。
何が引っかかっているのか、まだ名前はつけられない。
でも、その違和感だけは、もう見なかったことにできなかった。
そしてその瞬間、梓沙は理解した。
ミス部はもう、ただの秘密基地ではない。
答えに近づくことが、そのまま現実へ触れることになる場所へ変わったのだと。




