第22話 藤原圭吾
合同捜査本部はいくつかの班に分かれていた。
真田瑞希が指揮するのは、そのうちの1つ――通称“5班”。
真田と小早川陽介を含め、計6名。
現場臨場、関係者聴取、初動対応、足取りの洗い出し。
泥臭く動いて情報を拾う、もっとも前線に近い班だ。
午後6時過ぎ。
20畳足らずの執務室には、疲労と焦燥が混じった熱気がこもっていた。
外は冷え込んでいるはずなのに、室内ではシャツの袖をまくった刑事が多い。
コピー機の駆動音。
紙をめくる音。
電話口の低い声。
誰も余計な話はしない。
簡素な間仕切りの向こう側には別班の執務スペースがあるが、情報が混線しないよう、明確な用件がない限り互いの領域には立ち入らない取り決めになっていた。
真田も机の上の資料を追っていた。
だが集中しようとするたび、昨夜の佐野里穂の遺体が脳裏に浮かぶ。
その時、右斜め前の席で報告書を読んでいた小早川へ視線を向けた。
「……藤原の事情聴取は、どうなっていますか?」
「うまくいくでしょう。担当は“ヤスさん”ですから」
小早川が答える。
今回の捜査で、佐野里穂殺害の重要参考人として浮上したのが、藤原圭吾という男だった。
市内の大手進学塾の講師。
スマホの位置情報と複数の目撃証言から、被害者が殺害されたと推定される時間帯に同行していた事実が見えている。
ただし、そこから先が問題だった。
会っていた。
だが、殺したのか。
見送っただけなのか。
あるいは、もっと別の位置にいるのか。
だから、聞くしかない。
*
藤原の住まいは、井尻にある1LDKのアパートの一室だった。
男の1人暮らしにしては、驚くほど整っている。
床には埃ひとつなく、キッチンも乾いていた。
片づけが行き届きすぎていて、逆に生活の匂いが薄い。
部屋の中央、小さなテーブルを挟んで、刑事2人と藤原が向かい合う。
藤原圭吾。
襟足まで伸ばした髪。
整った顔立ち。
塾講師というより、どこか水商売の男みたいな美しさがあった。
彼は冷蔵庫から取り出したペットボトルのお茶を差し出した。
「どうぞ」
「お気遣いなく」
年配の刑事・安山潤一郎が穏やかに断る。
その声は柔らかい。
だが、柔らかいだけに、余計な逃げ道を与えない。
安山の隣に座る若い刑事は、手帳を開いたまま黒いボールペンを指先で持ち替えた。
視線は藤原からほとんど外れない。
一言も無駄にしない顔だった。
安山が本棚を一瞥しながら口を開く。
「ほう……参考書や専門書がずいぶん多い。先生というのも大変ですな」
「ええ。勉強は仕事ですから」
藤原は控えめに笑った。
だが、その笑みは少し硬い。
安山は頷く。
「でしょうな。――さて、本題に入りましょうか」
空気が変わった。
「ご承知の通り、あなたの元教え子である佐野里穂さんが昨夜、何者かに殺害されました。知ったのはいつです?」
「……昼のニュースで」
「そうですか」
安山はその答えを受け止めると、間を置かずに次へ進んだ。
「事件当日、あなたと彼女が一緒にいたという証言が複数あります。どのような経緯で同行されたのか、説明していただけますか?」
藤原は一瞬だけ視線を落とす。
だがすぐに、あらかじめ準備していたような口調で答えた。
「以前、僕が勤めていた塾の教え子なんです。勤務先を出て帰宅しようとしたところで偶然会いまして……。彼女の学校では立て続けに事件が起きていたでしょう? 水曜日が続いていたこともあって、不安だから家の近くまで送ってほしいと頼まれました。僕の帰り道でもありましたし……断れませんでした」
言い淀みはない。
整っている。
整いすぎている、と安山は思った。
「最後まで送った?」
「……いえ。途中で学生時代の友人と偶然会いまして。彼女が“もうすぐ家ですから大丈夫です”と言うので……。こんなことになるなら、最後まで送るべきでした」
そう言って、藤原は目頭を押さえた。
悲しんでいるようにも見える。
だが、その仕草が少しだけ遅い。
感情より先に、仕草が選ばれたようにも見えた。
安山はそこを見逃さず、声色を変えずに尋ねる。
「友人とは、どこで?」
「彼女の家の近くの住宅街で、車から声をかけられました」
「名前は?」
「坂口です。大学時代の友人で……」
「その後は?」
「天神まで戻って、居酒屋で飲みました」
「何時まで?」
「日付が変わる少し前までです」
「なるほど」
安山は頷く。
横で若い刑事が、一定の速さでメモを取り続けていた。
だが「坂口」と聞いた瞬間だけ、ペン先が一度止まった。
そこで安山は、少しだけ角度を変えた。
「佐野さんは、あなたに好意を寄せていた?」
藤原の目が、ほんのわずかに揺れた。
「……どうでしょう。昔、告白されたことはあります。でも中学生でしたし、きっぱり断っています」
「今回の再会では?」
沈黙。
その沈黙が、短いようで長かった。
藤原は答える前に、一度だけ唇を湿らせた。
喉の奥で何かを押し戻すような、小さな間だった。
「……彼女がどう思っていたかまでは、わかりません」
「あなたは?」
若い刑事の声が、今度は鋭く入る。
藤原は少しだけ表情を強張らせた。
視線が一瞬だけ泳ぎ、それからすぐ戻る。
「元教え子です」
その答えは、まっすぐすぎた。
だからこそ、安山には逆に引っかかった。
正しい言葉を、正しい順番で選びすぎている。
言葉の正しさで、感情の温度を隠している。
そんな喋り方だった。
「そうですか」
安山はそれ以上責めない。
追い詰めるのは簡単だ。
だが、この男は追い詰められると、もっと本音を引っ込める。
今は、押すより見ておく方がいい。
「では、形式的な確認ですが。昨日のその後の行動を詳しく」
藤原は今度は淀みなく答えた。
友人と飲んだ。
久しぶりの再会だった。
酒は弱い。
二日酔いになり、今日は代休を取った。
答えはきれいだった。
きれいすぎて、逆に、安山の中の“勘”が動く。
犯人の喋り方ではない。
だが、何も持っていない男の喋り方でもない。
「本日はありがとうございました」
安山が立ち上がる。
若い刑事も続く。
手帳を閉じる動作だけが、妙に静かだった。
すると藤原が、未開封のペットボトルへ目をやった。
「あの……よろしければ」
差し出そうとする。
ほんのわずか、ためらいが混じっていた。
礼儀なのか。
引き止めたいのか。
それとも、この場に何かを残したいのか。
そこまでは読めない。
安山は穏やかに首を振った。
「お気遣いなく。喉は乾いておりませんので」
2人は一礼し、部屋を後にした。
ドアが閉まる。
その瞬間、室内の空気がわずかに緩む気配がした。
藤原は無表情のまま、しばらく動かなかった。
やがて、テーブルの上のペットボトルへ視線を落とす。
部屋は静かだった。
静かすぎるほどに。
その沈黙を見て、安山はドアの向こうで思った。
――こいつは、完全なシロではない。
――だが、クロとも言い切れん。
いちばん厄介な色をしている。




