第20話 合同捜査会議
10月22日、木曜日。
午後1時――
福岡県警大会議室の入口には、「晴明女子高等学校連続殺人事件」と書かれた大きな縦幕が掲げられていた。
白地に黒々とした文字。
空調の風で布がわずかに揺れるたび、その文字だけが生き物みたいに目に刺さる。
間もなく、昨夜遺体で発見された佐野里穂の司法解剖および鑑識結果を踏まえた合同捜査会議が始まる。
捜査員たちが足早に会議室へ入っていく。
その数は50人近い。
刑事。
鑑識。
生活安全部門の応援。
情報分析担当。
県警の各所から人が寄せ集められていた。
誰も口数は多くない。
資料を抱えたまま、黙って自席へ向かう。
靴音だけが無機質に響いていた。
その中に、真田瑞希と小早川陽介の姿もある。
真田の表情は硬い。
顎を引き、視線は正面に固定されていた。
一方、小早川は肩の力を抜いているように見える。
だがその目だけは妙に醒めていた。
どこかで“何を言われるか”を先回りしている顔だ。
2人は中央よりやや後方の席に並んで腰を下ろした。
真田は資料の束を整え、小早川は椅子の背にもたれながら会議室全体を見回す。
ほどなくして、捜査本部の責任者である宇都宮浩太郎警視正が現れた。
数人の部下を従え、わざとらしいほど整った足取りで入室する。
靴音がやけに大きい。
それだけで、場を支配する意図が明白だった。
会議室のざわめきが、自然と止む。
宇都宮は、捜査員全員を正面から見渡せる長テーブル中央の席に腰を下ろした。
背筋は真っ直ぐ。
両肘を軽く机につき、指を組む。
挨拶はない。
「さっそくだが――」
低く、よく通る声が会議室の隅々まで届いた。
「これまでの被害者で、同じ高校に通っている以外の共通点は、どこまで洗い出せている? それから、前回との明確な差分は何だ。次の一手を含めて答えろ」
指名された捜査員が立ち上がる。
手元の資料が、わずかに震えていた。
「はい……。最初の被害者、斉藤恵梨香さん。2人目の被害者、三田村安奈さんは同じ中学校出身であることが判明しました。ただし、今回の被害者である佐野里穂さんは別の中学校出身です。その他の共通点についても現在――」
「当然だ!」
宇都宮の声が、被せるように飛んだ。
机を指先で軽く叩く。
乾いた音が、会議室の静寂に妙に大きく響いた。
「この状況で“現在捜査中です”などと悠長なことを言っていられるのか? 最初の事件から、すでに2週間だ。3人目が出た。これは捜査の遅れ以外の何物でもない」
空気が一段冷える。
「我が福岡県警の威信にかけても、これ以上の犠牲者は出せん。わかっているのか?」
抑えた声量なのに、怒気だけは剥き出しだった。
捜査員は「申し訳ありません」と頭を下げる。
だが宇都宮は、それを受け流すでもなく、さらに見下ろすように視線を細めた。
「謝罪は結果にならん。必要なのは成果だ。仮説だけを並べて会議を終えるな」
その一言だけは、正論でもあった。
だからこそ、場は余計に息苦しくなる。
後方で、小早川が小さく舌打ちした。
「……よく言いますよ」
真田の左拳が、すぐに小早川の膝を軽く叩いた。
制止だ。
「資料も潰さず、現場にも立たず、上から責めるだけなら誰でもできる」
小早川は口元だけ動かし、吐き捨てるように言った。
真田は正面を向いたまま、小さく息を吸ってから吐いた。
宇都宮と同じキャリア組。
しかも、真田にとっては形式上“先輩”にあたる人物だ。
だからこそ、腹が立つ。
現場がどれだけ追い詰められているか。
どれだけ寝る時間を削り、少しの違和感でも拾おうとしているか。
それを知っていながら、知っていない顔で叱責する。
真田は無言のまま資料へ視線を落とした。
だが右手の指先には、力が入っている。
紙の端が少しだけ歪んだ。
会議は続く。
被害者の交友関係。
通学経路。
行動履歴。
SNS。
過去の学校内トラブル。
既出の情報の確認が、何度も繰り返される。
「それはもう聞いた」
「抽象的だ」
「仮説では意味がない」
宇都宮は、そのたびに切り捨てる。
まるで、現場の焦りそのものを責め立てるように。
前方の数人は、もうほとんど目を合わせない。
発言するたびに責められるなら、黙る方が楽だ――
そんな空気が室内に広がっていく。
真田は、それがいちばん腹立たしかった。
誰も本気で怠けているわけではない。
それなのに、萎縮した会議は、捜査を進めるどころか止めていく。
しかも今回は、ただ3人目が出たのではない。
前2件であった午後10時の予告電話が、昨夜はなかった。
あれだけが唯一、待ち構えるための足場だったのに、その足場ごと外されたのだ。
そのことが、会議の中心にいなければならない。
真田はそう思っていた。
その時だった。
「だったら、現場を知ってる犯人像にもっと重心を置くべきでしょう」
後方から、低い声が割り込んだ。
室内の視線が、一斉にそちらへ向く。
小早川だった。
真田が横目で見る。
やめろ、と目で制する。
だが小早川は、構わず続けた。
「通報は番地指定まで含めて正確すぎた。これまでは、ですが。遺棄現場を知ってる人間の犯行と考える方が自然です。交友関係の総当たりだけじゃなく、現場周辺の地理や生活圏ももっと優先すべきじゃないですか?」
宇都宮が眼鏡の奥で目を細めた。
「君は――たしか小早川警部補だったか」
「はい」
「質問に答えろと言った覚えはない。私は“共通点はどこまで洗えているか”と聞いたんだ」
静かな声。
だが、その静けさ自体が威圧だった。
小早川は肩を竦める。
「失礼しました。ただ、共通点を探すのも大事ですが、犯人の“やり方”を読む方が早い局面もあります」
「君は、指示系統というものを理解しているのか?」
空気が張る。
「理解してますよ。だからこうして会議にも出てます」
小早川の返しに、数人が息を呑んだ。
前方の1人が一瞬だけ顔を上げたが、すぐに資料へ目を落とす。
賛同したいのに、口にすれば自分が切られる。
そんな気配が、会議室のあちこちに滲んでいた。
真田はそこで初めて口を開いた。
「……小早川さん」
低い声だった。
だが、制止ではない。
感情を抑えるために、自分にも言い聞かせているような響きがあった。
宇都宮の視線が、今度は真田へ向く。
「真田警視。君はどう考える?」
問われた瞬間、会議室の空気がさらに張り詰めた。
真田はゆっくり立ち上がる。
返答の前に、ほんの一拍だけ呼吸を整えた。
「小早川警部補の言うとおり、犯人は現場を把握している可能性が高いと考えます。ただし、それだけでは足りません」
「ほう?」
「被害者の共通点の洗い出しも必要です。ですが、同時に“なぜ毎週水曜日なのか”と“なぜ通報してきたのか”――その犯行の反復性も重視すべきです」
真田の声は静かだった。
だが、小早川のような反発の熱ではなく、抑え込んだ怒りが底にあった。
「そして、昨夜はそこから外れました。予告電話がなかった。これは単なる例外ではなく、こちらが持っていた時間的な読みがひとつ無効化されたということです」
その一言に、数人の視線がようやく真田へ集まる。
「今は、被害者情報の横断と、犯行様式の分析を並行させるべき局面だと思います。少なくとも、水曜日と予告の反復を正式な論点から外すべきではありません」
宇都宮はしばらく黙っていた。
会議室全体が、その沈黙に耐える。
やがて彼は、資料を閉じた。
「……なるほど。君たちは、現場感覚というものをずいぶん重んじるらしい」
褒めてはいない。
言外に、はっきりそう滲んでいた。
「だが、捜査は感覚でやるものではない。証拠と整理だ。そこを履き違えるな」
真田は何も言わなかった。
小早川も、今度は黙った。
だが、宇都宮はそこで話を打ち切らなかった。
「ただし」
その一言で、室内の空気がわずかに動く。
「水曜日と予告電話の反復性については、論点として残す。被害者横断と生活圏分析も並行して進めろ。感覚ではなく、結果として示せ」
命令口調のまま。
譲歩ではなく、管理としての承認。
それでも、この会議で初めて“何を並行して追うか”が言葉として定まった瞬間だった。
真田は小さく目を伏せた。
小早川は黙ったまま、鼻で短く息を抜く。
その後も会議は続いたが、空気は戻らなかった。
むしろ、誰もが“何を言えば切られるか”を気にするようになり、言葉はさらに痩せていった。
やがて宇都宮が短く言い放つ。
「以上だ。各班、引き続き徹底捜査に当たれ」
会議は、わずか30分余りで打ち切られた。
だが、軽くなった者は誰もいない。
むしろ重さだけが残った。
真田は立ち上がり、机の資料を揃える。
小早川は椅子を押し戻しながら、吐き捨てるように笑った。
2人は言葉もなく会議室を出る。
背後では、縦幕の黒い文字が静かに揺れていた。
事件だけではない。
ここでも、何かが明らかに噛み合っていなかった。




