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第19話 予告なき水曜日

午後11時を回る頃――


福岡市南区大橋の小さな公園の隅。


若い2人の男女が肩を寄せ合い、ベンチに腰掛けていた。


2人ともスーツ姿で、襟元には同じ社章。

どこかの会社の同僚なのだろう。


飲み会帰りなのか、ほろ酔いで体をぴったりと寄せ合っている。


時折、強い風が吹き抜けた。

公園中央の古い回転遊具が、風に煽られてぎしりと鳴る。


「今夜は風が強いな。寒い……。だからさ、もうちょっとこっちに来なよ」


男が笑いながら腕を回した。


「え、ええっ? うん……」


女は照れながら顔を寄せた。


目が合う。


次の瞬間、男が抱き寄せ、唇が重なった。


「あれっ?」


男が急に声を上げた。


じゃれ合う拍子に、ジャケットのポケットからスマホが滑り落ちた感触があった。


「おっと……落としたみたいだ」


女から渋々と体を離し、ベンチの裏の暗がりを覗き込む。


だが公園は薄暗い。

街灯も乏しく、アルコールのせいで視界も少しぼやけていた。


「私のスマホ貸すよ。ライトつけて探してみれば?」


女はバッグからスマホを取り出し、差し出した。


「悪いね――」


男は受け取ったライトを地面へ向ける。


「おっ、あった! ……ん?」


落としたスマホは見つかった。


だが、そのすぐ下に――

肌色の“何か”。


「な、何だ? 変なものが落ちてるぞ……」


「変なもの?」


光をゆっくり動かした。


太腿。

ショーツ。

ブレザー。

そして――見開いた目。


歯を食いしばった、少女の顔。


「うわあああ!」


「ひいいい!」


2人はのけぞり、絶叫した。


その一瞬で、酔いは完全に醒めた。



午後11時30分過ぎ――


自宅で熟睡していた真田瑞希は、けたたましい着信音で叩き起こされた。


嫌な予感が、胸をよぎる。


そしてそれは、的中した。


「はい、真田です」


「5班の須賀です。通報がありました。また女子高生の遺体が発見されたとのことです。場所は――」


これまでの2件は、水曜日の夜、午後10時きっかりの予告電話が先にあった。


しかし今回は、それがない。


真田は受話器を握ったまま、ほんの一瞬だけ黙った。


予告が遅れたのではない。


そもそも、最初から入れるつもりがなかったのだとしたら。


法則が消えたのではない。


犯人の側が、こちらに見せていた法則を外した。


その方が、ずっと不気味だった。


「わかりました。直接向かいます」


顔を洗い、簡単に化粧を済ませ、スーツに着替えた。


協力関係にあるタクシー会社へ連絡。

5分で到着した車に乗り込む。


博多区の自宅から現場までは、通常ならおよそ15分。


だが今夜は、そうならなかった。


「おや? 少し混んでますね。この時間にしては珍しい」


運転手の声。


前方、二車線道路の一部が規制されている。


減速しながら進むと、事故現場が見えた。


黒いワンボックスカーが無理な右折をし、対向の大型トラックと衝突したらしい。

前方は大破し、赤色灯が湿った路面に滲んでいる。


「ひどい事故ですね……」


運転手が呟く。


真田は時計を見た。


遅い。


規制を抜けると、タクシーは再び加速した。


だが結局、自宅を出てから30分以上が経過していた。


事故自体は偶然なのかもしれない。


そう思いながらも、胸の奥に残るざらつきが消えない。


今夜に限って――

そんな感覚が、どうしても拭えなかった。



現場には、すでに数名の警察関係者が集まっていた。


第一発見者の若いカップルへの聴取も進んでいる。


「到着が遅れて申し訳ありません」


真田はブルーシートの内側へ足を踏み入れた。


「真田さんにしては珍しいですね。遅れるなんて」


小早川が目を丸くする。


「途中で事故に引っかかりました。それより――今回は予告電話がなかったはず」


「ええ。そこが、いちばんまずい」


小早川の声は低かった。


「前回までは、水曜10時を起点に少なくとも“待つ”ことはできた。だが今回は、それすらさせてもらえなかった」


真田は黙って頷く。


“水曜日の法則”は、警察にとって数少ない足場だった。


その足場が、今夜は何の前触れもなく外された。


待ち構えることもできない。

読むこともできない。


次に崩れるのが、時間なのか、場所なのか、手口なのかさえわからない。


視線の先。


ベンチの後方に隠れるように、仰向けの遺体。


スカートだけがない。

首筋には細い索状痕が一本、水平に走っている。

紫に変色。

絞殺。


「……3件目ですね。今回も同じ学校の制服です。身元は?」


若い鑑識員が答えた。


「所持品の生徒手帳から、晴明女子高3年生、佐野里穂さん。争った跡はありません。遺棄の可能性が高いです」


真田の呼吸が、止まった。


「……佐野、里穂?」


その名が、夜気の中に硬く響く。


所持品はそのまま。

暴行の形跡もない。

すぐ近くにはバッグ。

足元には、片方だけ少し向きのずれたローファー。


それだけだった。


だが、そのわずかなずれが、かえって残酷だった。


「いったい誰が、何の目的で……」


小早川の声が遠く聞こえる。


真田は答えなかった。


だがその時、遺体そのものとは別に、真田の胸を刺したものがあった。


少し前まで、この少女にも“続き”があったはずなのだ。


誰かと並んで歩き、次に何を言おうか考え、家に帰ればまだ夜は続いていく。


そんな当たり前の時間が。


それが、ここで突然途切れている。


言いかけた言葉の先だけが、宙に残されたように。


「先生、私――」


もしそんな声があったとしたら、その続きは、もうどこにも届かない。


強い風が吹き、ブルーシートを揺らす。


遺体の周囲には、ついさっきまであったはずの体温だけが不自然に失われていた。


真田は外へ出て、天を仰いだ。


星はひとつもない。

灰色の雲が、速い速度で流れていた。


恋の高揚のまま、切断された時間。


それがベンチの陰に、無惨な形で置き去りにされている。


この夜は、また1人の少女の未来を奪った。


しかも今度は、予告もなく。


予告がなくなった以上、次はどこから崩れるのかもわからない。


そのことが、真田の首筋に薄い寒気を這わせた。


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