第17話 マルウェア
10月19日、月曜日――
福岡県警別棟2階の科学捜査班に、小早川陽介が入った。
ノックもせずにドアを開けると、最初に目に入った若い技官に声をかける。
「曽我、いるか?」
「ああ……3階です。曽我さん、研究室にこもりっぱなしで、もう何日も顔を見てませんね」
その答えを聞いた小早川は、ニヤリと笑った。
「おっ、ってことは、ちゃんとスイッチ入ってるみたいだな。ありがとよ」
小早川が訪ねたのは、情報解析担当の技官・曽我稔彦だった。
腕は確かだが、何かに取りつかれると寝食を忘れる癖がある。
3階へ上がり、「曽我稔彦」のネームプレートがかかった研究室のドアを勢いよく開ける。
「おーい、曽我! 生きてるか? 解析、終わったか?」
すると奥の間仕切りから、細長い顔がひょろりと覗いた。
曽我稔彦だ。
目の下には濃いクマ。
無精髭。
部屋の隅の小さなゴミ箱は、コンビニ弁当の容器で溢れている。
机の上には空のエナジードリンク缶が何本も転がり、モニターの白い光だけが妙に鋭かった。
「ええ……寝不足で死にかけですけど」
半開きの目で答える。
声は掠れているのに、目の奥だけはまだ妙に冴えていた。
「よし。本題だ」
小早川が身を乗り出す。
曽我は椅子に座り直し、キーボードへ指を置いた。
「小早川さんの読み通りでした。被害者のスマホにはマルウェアが仕込まれていました」
「やっぱりか」
「かなり巧妙です。しかも、見たことのないコード構成でした」
キーボードを打つ。
画面に、位置情報のログが次々と表示される。
「スマホが発信機になって、居場所を外部へ送っていた。つまり犯人は、被害者の位置をリアルタイムで把握していた可能性が高いです」
小早川の表情が険しくなる。
「侵入経路は?」
画面が切り替わった。
そこに現れたのは、濃い青に染められた風景画像だった。
立体駐車場。
古い家。
ありふれた景色のはずなのに、見た瞬間、胸の奥が薄く冷えるような色をしている。
ただの画像なのに、目を留めさせる何かがある。
しかもそれは、思わず目を逸らしたくなるのに、なぜか見切れない。
そんな嫌な引力だった。
「削除されていたデータを復元しました。ショートメールに添付されていた画像です。ここが入口だった可能性が高い」
小早川は眉を寄せた。
「……ただの風景なのに、嫌な感じがするな」
「僕も最初に見た時、少しゾッとしました」
曽我は疲れた目を擦りながら続ける。
「正直、コードとしてはよくできてるんです。無駄がなくて、痕跡も薄い。技術だけ見れば、感心してもおかしくないくらいです。でも、やってることは最悪だ」
その言い方に、技官としての本音が滲んでいた。
「しかも、添えられていた文面がこれです」
画面の下に、短い文字列が表示される。
『はじめましてエアリアルと申します』
「エアリアル……?」
「送信元は携帯番号形式でしたが、折り返しても電源が入っていないか、電波が届かない場所にあるというアナウンスです。たぶん“飛ばし”です」
小早川は短く舌打ちした。
「厄介だな」
「ただ、画像とメッセージが2件とも共通していたのは大きいです。偶然じゃない。犯人側の“やり方”として固まっている」
小早川は腕を組み、数秒だけ黙った。
女子高生が殺される。
その前に、青い画像が届く。
その画像を開いたスマホが、逆に犯人の目になる。
不気味さと合理性が、奇妙な形で噛み合っていた。
「位置情報の送信ログ、どこまで追えた?」
「細かい移動履歴まではかなり残っています。ただ、外部の受信先は何重にも噛ませていて、すぐには辿れません。相手も、解析される前提で作ってる感じですね」
「……だろうな」
小早川は低く答えた。
「でも、これで前の2件は繋がった。少なくとも、犯人は被害者を勘で探してたわけじゃない。見てたんだな」
「ええ。追っていたというより、監視していたに近いです」
その言葉を聞いた瞬間、小早川の中で何かが冷えた。
監視。
つまり、犯人はただ待ち伏せるのではない。
相手の日常に先回りし、居場所を知り、確実に1人になる瞬間を拾っていたのだ。
だとすれば――
まだ被害者になっていない誰かのスマホにも、今この瞬間、同じ入口が開いているのかもしれない。
月曜日。
次の水曜日まで、もう時間は多くない。
小早川は表情を変えないまま、画面の青い風景をもう一度見た。
どこかにある、ただの景色。
なのに、それが人を殺す側の“入口”になっている。
「……わかった。十分だ」
小早川は曽我の肩を軽く叩く。
「今日の成果だけで上等だ。後は俺たちの仕事だ。お前は少し寝ろ」
曽我は力なく笑った。
「そうしたいのは山々なんですがね……。もう1台、比較対象にしてる端末があるんで、そこまで見たら倒れます」
「倒れる前に寝ろ」
小早川は短く言って、踵を返した。
ドアを出る直前、壁の時計が目に入る。
時刻は夕方に差しかかっていた。
まだ2日ある。
だが、2日しかないとも言えた。
小早川はドアノブに手をかけたまま、低く呟く。
「……やっぱり、ただの変質者じゃないな」
そして、そのまま足早に廊下へ出た。
解析結果は揃った。
後は、それが次の水曜日に間に合うかどうかだけだった。




