第12話 殻の波動
「――はい。承知しました」
葛木はそう言うと、片腕に抱えていたノートパソコンを静かに開いた。
指先が迷いなくキーボードを叩く。
その瞬間――
丸卓中央に置かれた日本列島のミニチュアから、灰、黒、赤、黄、緑、橙、紫の7色の光が一斉に放たれた。
それぞれの光は細い線となって空気を走り、各色に対応する椅子の背もたれへ吸い込まれていく。
そこから淡い粒子が溢れ出し、やがて人の輪郭を形作り始めた。
灰色の席には、がっしりとした体格の男性。
黒の席には、細身で長い髪を揺らす女。
赤の席には、鋭い目つきの男。
黄の席には、穏やかな雰囲気の女性。
緑の席には、冷ややかな印象の女性。
橙と紫の席には、無言のまま座る男たち。
淡い半透明の像。
映像なのか、投影なのか、それとも別の何かなのか、一見しては判別しにくい。
だが、少なくとも“参加者”であることだけは明らかだった。
9席のうち、ケテルが座る白の席を含めて8席が埋まる。
唯一、青く点滅する席だけが空いたままだった。
誰もその不在を口にしない。
だが、だからこそ、その空席だけがかえって意味ありげに見えた。
青い光は、埋まっている席より静かに、しかし執拗に脈打っている。
ケテルはゆっくりと全席を見渡した。
その視線が、青の席の上でほんのわずかに長く止まる。
「それでは、今月の定例会を開催します」
白い左目が、わずかに細められる。
「1年近くの時間を費やしましたが、ようやく“殻”の波動を鮮明に感じ取れる段階に入りました。場所は――九州、福岡市周辺です」
その一言で、場の空気が変わった。
黄色の席の女性が、すぐに反応する。
「なるほど。だから“ケセド”が不在なのですね?」
「その通りです」
ケテルは静かに頷いた。
「ケセドには、あらかじめ“コクマ”を通じて本日の趣旨を伝達済みです。場所が場所だけに、ここでの完全シンクロは危険です。“殻”に感知される可能性がありますから」
言いながら、ケテルは胸の奥に微かなざらつきを意識していた。
耳で聞く音でもない。
肌で触れる振動でもない。
だが確かに、遠く離れた何かがこちらへ波立ってくる感覚がある。
1年近く追ってきたものが、ようやく形を持ち始めた。
その事実だけが、彼の白い左目の奥に冷たい高揚を灯していた。
灰色の席の男が低い声で言う。
「伝達は問題ありません。ケセドならば、適切な距離を保ちつつ動けるでしょう」
そこで、黒の席の女が口を開いた。
「福岡で動いているものは、自覚している存在ですか?」
「いいえ」
ケテルは即答した。
「まだ“未成熟”。だが、確実に目覚めへ向かっている」
会議室に、短い沈黙が落ちる。
今のやり取りだけで、少なくともひとつのことははっきりしていた。
ここで語られている“何か”は、福岡の事件と無関係ではない。
灰色の席の男が、わずかに前傾した。
「……つまり、現在福岡市内で起きている女子高生連続殺人と関係があるのですね? これは大昔に起きた“カスミソウ事件”と同じ兆候では?」
その問いが発せられた瞬間、地下の空気が一段重くなる。
葛木の指先が、ノートパソコンの上で一瞬だけ止まった。
黄の席の女性も、さっきまでの穏やかな表情をわずかに消す。
“カスミソウ事件”という名は、ここでは単なる過去の固有名ではない。
すでに一度、何かが臨界に達した記録として扱われている。
そんな気配があった。
ケテルは一瞬だけ無言のまま全員を見渡した。
白い左目が、静かに光を受ける。
「……ほぼ間違いありません」
淡々とした声だった。
だが、その低さの奥には、単なる推測ではなく、確信に近い感触が滲んでいた。
「焦る必要はありません。重要なのは、ケセドが関与する“タイミング”です」
紫の席の男が、わずかに笑う。
「なるほど。では、福岡で起きている事件は、まだ前段階だと」
「ええ」
ケテルは短く答えた。
「次の“波”が立った時、関与の必要が生じます」
その一言で、福岡の女子高生連続殺人は、ただの地方事件ではなくなった。
東京の地下深くで、色に名を与えられた者たちが、その進行を見ている。
それは実に異様な光景だった。
葛木が無言のまま、ノートパソコンの画面へ視線を落としている。
丸卓中央の日本列島が、微かに脈動するように光を明滅させた。
福岡。
九州。
女子高生連続殺人。
それらが、ここでは別々の単語ではなく、ひとつの流れとして扱われている。
ケテルは目を閉じ、短く息を吸った。
まるで、遠く離れた場所の振動を感じ取ろうとするかのように。
福岡の地で起きているものは、まだ自分たちを知らない。
だが、知らないまま、確実にこちらの領域へ近づいている。
ゆっくりと目を開く。
白い左目が、青い空席をかすめた。
「……始まっています」
その一言が、会議室に静かに落ちた。
福岡の夜。
東京の地下。
まだ交わらないはずの2つの場所で、同じ何かが動き始めている。
そして、その場にいないはずの青だけが、誰よりも強く、この会議の先を予告しているようだった。




