+。:.゜ஐ また一緒に ・:*ೄ⋆*
時は流れて、
ふたりが結ばれたあの時より、四半世紀の時が過ぎた頃のお話です。
「今年は冬が例年より早く終わったな」
目じりの皴をくしゃっと寄せたアンヴァルが、空を見上げて呟いた。
邸宅の庭に植わったブナの木のもとで、アリアンロッドが彼にもたれてうたたねしている。
アンヴァルは、長年連れ添ってきた妻の命の灯火が、日々かすんでゆくのを、まざまざと感じていた。先月アリアンロッドは自力歩行ができなくなった。今は水を飲むこと、言葉を発することすら難しくなっていた。
ここまで彼女は、毎日アンヴァルに抱き抱えられて庭に出ていた。使用人たちが敷き詰めたクッションに座り、そしてアンヴァルにしなだれて、残りの時を悠然と過ごしていたのだった。
アンヴァルは今この時も、鳥が春の訪れを軽やかにことほぐのを目に留めて、彼女が起きているかのように自然に、会話を交わしていた。
「またしばらく、ここで春の風にあたりながら夕食までの……」
アリアンロッドがふと目を開けた。
それに気づいてアンヴァルは頭をのぞかせると――、
アリアンロッドが薄目で何かを訴えている。
彼には分かる。
彼女は、私を抱いて、と言っているのだと。
アンヴァルは彼女が辛くないように、ゆっくり、少しずつ上半身をずらし、自分の腕に抱いた。
すっぽり彼に包まれるように抱きかかえられたアリアンロッドは、顔が近くて、少女のように照れた。次に、何かを伝えようとして、口を小さく動かしている。
「ん?」
彼はその声を少しも聞き洩らさないように、ごく近くに耳を寄せ、全神経を集中させて一瞬一瞬を待った。
すると彼女は、限りなく小さな声で、きっと彼女の全霊を掛けて、こう言葉を紡ぐのだ。
「つ……ぎ……の……よ…………も……」
その先は声にならず、口だけは、ゆっくりでも懸命に動かしている。
彼女は間違いなく、必死に伝えようとしている。だから彼には確かに聞こえたのだ。
“次の世も、また一緒に暮らしましょう”
彼の目から、大粒の涙がこぼれた。
「ああ……。ああ」
アンヴァルは大きく頷いて、とめどなく涙を流した。何度も何度も頷きながら、その頬に頬ずりした。
彼女は疲れてまた眠ってしまったので、頬が彼の涙で濡れても気にはしない。
ずいぶん幸せそうな寝顔だった。
後日、アリアンロッドは夫と子ども、孫たちに囲まれ、眠ったまま旅立っていったのだった。
アリアンロッドの葬儀が終わってからも、アンヴァルは変わらず領地の街興しに精を出す日々だ。
娘たちは心配していた。妻を亡くした夫というものは、あっけなく後を追って逝ってしまうものだから。
ちょくちょく父の様子を見ていた。それでも彼は意外なほど変わらず、食事も孫の面倒も楽しんでいた。
ただたまに、祖父は遠くを見ている、そんなふうに小さな孫たちの瞳には映っていたよう。
そういう時のアンヴァルは実際、アリアンロッドの最後の言葉を思い出して、ほんのり幸せに浸っていたりする。
アリアンロッドは昔、プロポーズのあの庭で、来世の約束はできないと申し訳なさそうに言ったし、自分はそれでいいと言った。
「……本当にそれでもよかったんだ」
しかし彼女は言ってくれた。その最後の言葉は確かに、ずっと共に生きてきた彼女の、なにも繕うことのない本心だったと分かるから。
寂しくても、早く会いたくても、まだ。できるだけこの生を生きていたい。一刻でも長くこの世に留まり、彼女と生きた思い出を、ひとかけらもこぼさず抱きしめていたいから。
そうしてアンヴァルはそれから三年の時を生きた。
彼は床に就くでもなく、一族でいつものように食事会をしていた時のこと。ぶらっと散歩に行ってくると出ていった。しばらく帰って来なかったので、息子たちが探しにいったら、彼は街外れの原っぱの、簡素なベンチで眠りこけていて、それ以降、目を覚まさなかったようだ。
葬儀の締めに、六人の子どもたちで父の亡骸を埋葬することになった。
きょうだいの家の使用人たちを集めれば、迅速に済ませられるだろうが──
母の埋葬時も実は、この子どもたちだけで行っていた。あのとき父には、家でゆっくりしているように言った。それは、父がこの上なく憔悴していたから、もあるが。
彼らには、父に言えない計画があった。
母の埋葬には、大型の棺を用意した。それは大人がふたり眠れるほどの大きさのものであったのだ。
彼らはまず、その母の棺を墓穴から掘り出した。それを息子たちが「せーの」で開ける。
「もうお骨になってる?」
長女が後ろから乗り出した。
「ああ、もう三年半たったからな」
長男は棺の中の土を掴んで答えた。
「母さま、掘り起こしたりしてごめんなさい。でも、寝床に父さまを入れてあげて」
娘たちは棺の中の土を取り除き始める。六人で協力し棺の中が大まかに空いた頃、父の亡骸を母の骨の隣に寝かせた。そして、たくさんの花を敷き詰めた。
「さようなら、父さま。あの世でもお幸せに」
「父さま、お疲れさまでした。母さまによろしくね」
思い思いの別れの言葉を手向けたら、元の墓穴へと棺を戻すのは主に息子たちの仕事だ。
ここでも娘たちは息子たちよりよほど饒舌で、感情も表に出やすかった。
「きっと母さまが迎えに来てるわよね。その辺にいるのかな?」
「迎えに来てる母さまはやっぱり、元気に動き回ってた、若い頃の姿なのかなぁ……」
「そりゃ、父さまもいちばん力があり余ってた頃の父さまになって、ふたりで走って行くのよ」
上の三人の娘は時に涙をこぼしながらも思い出話に花を咲かすが、末娘は歯を食いしばっていて、口を開きそうにない。
「父さまも逝っちゃって私たちは寂しいけど、やっぱり父さまは母さまの隣がいいのだと思う」
「よくも飽きずにべったりだったもんね。子どもの頃、私が“父さまと結婚する!”って言ったら、“悪い。父さまは、母さま以外の女性はありえねえんだ”って笑って言ったのよ! 小さな娘にそんな正直に言わなくっても!って感じよね」
そんな次女の愚痴にみなが笑った。
「確かに、領地の整備で忙しい中、時間を見つけては母さまにくっついていたっけ」
「ただでさえ母親なんてきょうだいで取り合うものなのに、いちばんの強敵は父親だったなんて」
「確かに」
次男も覚えがあり苦笑いしている。
「さぁ、墓標も戻した。そろそろ帰ろう」
長男の号令で、それぞれ最後に祈りを捧げ、道具を運び出した時だった。
「みんな、俺、もう少しここにいるから、先に帰ってくれ」
末娘が後ろからみなに声をかけた。
「ルゥ、どうしたの?」
帰りかけた姉に聞かれ、彼女はこう答えた。
「俺、ここで少し歌ってから帰る」
姉は、末の妹・フトゥルがいつの間にか覚えた歌を手向けたいと、そういう思いには共感するが、少々心配になる。
「ひとりで帰るの? もう日が落ちるから……危ないわよ。また昼間に来て、やれば?」
「今、歌いたいんだ。蝋燭を余分に用意してきたし、ここの道は慣れてるから平気だ」
兄は自分が待っていようかと提案したが、彼女はひとりにしてくれと言った。
「じゃあすぐ帰ってくるんだぞ」
「ああ」
フトゥルは墓標に向き、持ってきたヴェールをまとった。
「さぁ、父さま。故郷の歌だよ。たぶん父さまが昔いた国の歌。何年か前にさ、母さまそっくりの、ふしぎな女性が教えてくれたんだ……。これを聴いた母さまが、なんか子どもみたいな顔になって、俺思ったんだ。この歌、母さまの故郷の歌なんだって。父さまと出会ったとこなんだろ。これを聴いて、故郷に立ち寄ってくれよな」
曲紹介もそこそこに、大きく息を吸って、高らかに歌い始めた。
彼女はまだ齢十三。両親が恋しくて、甘えたくて仕方ない。兄や姉のように割り切った会話ができず、ずっと涙を堪えていた。しかし歌い始めると、こんな声が聴こえてくるような――
――“あなたがきょうだいの誰よりもいちばんの希望だよ、母君にとって”
兄姉へのちょっとした優越感で、己の不遇も納得いくような気がした。
その時、彼女はふと歌い止んだ。そしてすぐそこの空を見つめる。
「父さま、母さま」
ひと時、目を見開いた。そしてふぅと息を吐いて。
「いるんだろ、そこに。俺、なんとなく分かるんだ。ほんとにもう一緒にいるんだな」
フトゥルの目には、若く元気なふたりが幸せそうに笑っている。だからか、涙がわっと溢れだした。
「これは寂しいからじゃないよ。嬉しいから泣けてくるんだ」
親を亡くして嬉しいと言うのもおかしな話だが、どういう言葉で言い表せばいいのか分からなかった。
「たとえふたりともいなくなっても、でも、いるからさ……俺の中に」
彼女は空に向かって届くように、笑顔で言葉を投げかける。
「父さまと母さまの命を繋ぐ、自分が嬉しいんだ。俺自身が同じ命だから、寂しくないよ」
本当はやっぱり寂しいけれど――――。
彼女が強くあろうと奮い立つ心で見ているためか、父と母の顔は安心した様子だ。彼らは一度見合って、ふたりで高い夜空へと駆けていった。
ふたりとも楽しそうで嬉しそうで、何よりも自由で、そんな魂が永遠に宙を漂い続けるのだと、フトゥルは思いを馳せた。その餞に、心ゆくまで、心地よく歌った。
そして彼女にはまた明日がやってくる。明後日も明々後日も、日々の暮らしを繰り返し繰り返し、命を未来へと繋げていくのだった。
─完─




