⑰ 遠い日の思いを辿って 【最終回】
激しく燃える恋心を交わしたばかりのふたりには、慌ただしい引っ越しとなる。
アンヴァルは兄王に、このたびの婚姻について報告した。アリアンロッドの今後について事前相談はしており、ふたりの間でうまく事が運ぶのを期待していた兄王は、心から祝福した。
昼過ぎになんとか荷物をまとめたふたりは、馬車で1時間ほど駆けたところの新居に入った。こちらの邸宅も門前は森林に守られ、裏庭の先には海が広がっている。
使用人たちは屋敷を整えて主人の訪れを待ちわびていたようだ。彼らに挨拶を済ませたら、アリアンロッドはアンヴァルと共に、夫婦の団欒のための部屋に落ち着いた。
「ヴァル、早速だけどバルコニーに出たいわ。海がよく見えるのよね!?」
「ああ」
浮かれ気味のアリアンロッドに、アンヴァルも自然と顔がゆるんでいる。
ふたりで扉を開けると、目の前には長い水平線。波間が日の光を弾いて輝き、思わぬ眩しさにアリアンロッドは一瞬、目を細めた。
すかさずバルコニーの手すりに寄っていくと、遠目に離島の緑が見えてくる。
「あそこが、俺たちが過ごした島だ」
「そうなの!? じゃあいつでも遊びに行けるわね。エルヴィラやみんなとピクニックとかしたいな」
「そうだな。まぁ早くこの地に馴染むために、しばらく忙しいけどな。お前も」
「うん」
アリアンロッドは家庭教師として依頼人の邸宅を訪問する話を3件ほど取り付けていた。今後更に伝手が得られそうで、こまめに王都に通うことになっている。
「職務をこなして、そのうち家族が増えて……、そうしたらまた好きな土地に家を建てよう。この国の七つの島のうち、どこに住むのも自由だから」
「家族っ……」
夫婦のところには子が舞い降りるという事実を、一時忘れていたアリアンロッドの頭上に、家族団らんのイメージがぽんっと膨らんだ。
そろそろ陽は水平線を橙色に染め、森を抜けてきたそよ風がふたりを優しく包む。
「ああ、幸せだわ……」
アリアンロッドはアンヴァルの肩にちょこんと頭を寄せた。アンヴァルは彼女の肩を抱こうと腕を回した、その時。
「でもね」
彼女は寄せた頭を元の位置に戻して言葉を吐いた。
「多くの人を犠牲にした私が幸せに……なんて、虫が良すぎるわよね」
「お前まだそんなこと言って……」
祖国での、最後の月日。その記憶は、いまだ彼女の胸にほの暗い陰を落としていた。
「でも、神が人間をこう造ったの……。ただ生きていて、愛する人と結ばれて、生を紡いでいくことが幸せだと感じるように、私は造られてある。だから私は今どうしても幸せだし、贖罪のつもりでこの幸せを投げ捨てることが、正しいとも思えなくて……」
「なら、とにかくがむしゃらに生きていこう」
アンヴァルはアリアンロッドの前で力強く言い放った。
「王であっても貴族であっても、保証された明日なんてない。すべての生き物にとって、生きることは不安定な綱渡りだ。今は健康で安定を確信していても、本当は明日も知れない存在なんだよ俺たち」
「ヴァルでも怖いの? 明日が確かなものではないかもしれないって現実は」
「当たり前だろ、俺を何だと思ってるんだ。しかも今、それがかつてないほどに怖いよ」
いつになく素直な彼の横顔を見つめ、アリアンロッドはふと身体が火照るのを感じた。
「それに生きていたら大切に思う人との別れもある。自身の病、死の次に苦しいことだ」
「…………」
アリアンロッドは言葉なく頷いた。やはり、いつまでもディオニソスがこの胸にいると実感する。
「苦しい道のりだからこそ、幸せを感じる瞬間も用意されている。そう信じて、生きてる限り生き続けるんだよ、胸を張って」
「うん…!」
贖罪など考えても仕方ない、後悔しても始まらないと、彼の言葉はアリアンロッドに強く響いたのだった。
「ヴァル、ありがとう」
「ん?」
アリアンロッドは彼に再度、ぴたりと寄り添った。
「私を妻にしてくれて」
「…………」
その言葉を受け取って、アンヴァルはゆっくり彼女を胸に抱きこんだ。
「アリア、ありがとう。俺と出会ってくれて」
ふたりは至近距離で目を合わせて、はにかんだ。そのままアリアンロッドは、邸宅を望むように顔を向けた。
「こんなに“家”が嬉しいの、初めて。この家が雷からも嵐からも、私たちを守ってくれるのね。そしてここからまた、新しい命が生まれる……」
ふたり揃って高く眺め、そしてまた微笑みあう。
西日に照らされた笑顔の彼女が、アンヴァルには可愛く見えてどうしようもない。
「よし、早速休もう」
「きゃっ」
彼は即行、彼女を担ぎ上げ、すぐそこの寝室に駆け出した。休むにしてはどうも、軽やかに跳ねるような足取りだ。
「うん!? なんかヴァル、元気じゃない?? って、ソファじゃなくてベッド? ……っ!!」
◇◆◇
あれから季節がいくつも巡り、ふたりは6人の子宝に恵まれた。
一家はアリアンロッドがかつて辿り着いた、国の第二の島に居を移し、以降、領主として島全体の統治を行っている。統治者といえば尊大なイメージを持たれがちであるが、アンヴァル、アリアンロッド夫妻は島民の間で、聡明かつ友好的な主導者だと信頼を寄せられていた。ふたりは子どもたちと一緒に、島民の先頭に立って地域の隆盛に尽力したのだった。
アンヴァルは人々の安全な暮らしのため、まず井戸と水路を整えた。更には港を広げて、島々の民の気安い往来を活気づかせた。
アリアンロッドは若年の者らに分け隔てなく学びの場を開き、文字と数を授け、世界の広さを教えた。
すべてがうまくいくわけではないが、家族、地域の民、みなで知恵を寄せ合い試行錯誤し、地域の発展に心血を注いだ。
そうして、賑やかで和やかで、実り豊かな毎日を、繰り返し繰り返し過ごしていた。
更に月日を刻んでいくと、昼下がりの屋敷の庭では毎日、ぼんやり椅子に座って景色を静かに眺める、壮年のアリアンロッドが見受けられる。
いつも溌溂としていた彼女も、年相応に落ち着いた様子。その瞳は慈愛をたたえ、頬にはここまでの歩みで得た経験ゆえの、人としての深みをしみ込ませた小じわがある。
彼女は自身に残された時間を思い、この世の自然を、目に強く焼き付けている節もあった。
「母さま」
近所で暮らす長男が庭先から顔を出した。彼はアリアンロッドと同じ銀の髪に、紫の大きな瞳をしていて、まさに瓜二つな親子だ。
今夜は一族で食事をする日。彼は妻とふたりの子を連れてやってきた。
「子どもたちがフトゥルと遊びたがってるんだけど、いないんだ」
「ルゥは朝、ヨモギを取りに行くって出かけたわ。最近はおじいさんの様子見も兼ねてね。優しい子よね」
「ってことは結構遠くに行ってるな。会えるか分からないけど迎えに行くか。あいつはお転婆だから、いろいろ心配だよ」
「17歳下の妹なんて、我が子みたいなものよね」
アリアンロッドがふふっと笑い、長男もつられて笑った。
玄関に向かう長男の背中を眺めながら、アリアンロッドはふっと遠い昔の、ふしぎな体験を思い起こす。
(私、自分より年上の息子と顔を合わせていたなんてねぇ……)
ひとりの男性と結ばれたあの頃から、ただの一度でも、彼女がここではないどこかへ飛んでいく、ということはなかった。
あの日々の思いは、今でも彼女の胸の中、泡沫のように浮かんで飛んで、巡り廻る。
そして彼女をひと時、遥か彼方の親しい人々のもとへ、連れていってくれるのだった。────
― fin ―
完結まで、アリアンロッドの冒険にお付き合いくださいましてありがとうございました。
ご意見、ご感想を頂けましたら嬉しいです。
短い一話ですが番外編・:*ೄ夫婦の最後の日あれこれ・:*ೄを書く予定です。
大体の登場人物(各章のゲストヒロイン)の結末を書いたと思うのですが、“あの子”だけ、本編で回収していませんでしたのでഒ˖°
引き続きお読みいただけますように。(。>ㅅ<)✩⡱




