⑯ 金色のカーテンの中で
アリアンロッドは目を閉じた。彼の頬ずりをソワソワして受け入れていると、瞼に焼きついていた星々の瞬きは、徐々に彼方へ流れていった。崖の下から響いていた心地よい波の音も、心臓の鼓動にかき消されて、もはや聞こえない。
アンヴァルはアリアンロッドの首筋に口づけながら、左手で自身のマントを外して芝生に投げた。
マントはひらりと広がって芝生を覆い、即席のベッドシーツになった。
しかしまだ彼女を押し倒すのは気恥ずかしく、踏ん切りの付かない彼は、ごまかすようなキスをしていた。
それに勘付かないアリアンロッドではなく、ムッとして彼を押し出した。
「へっ??」
すっかり油断していたアンヴァルはよろめいて、アリアンロッドを抱えたまま、マントの上に尻もちをついた。こうなったらまたバツが悪く、目の前の唇に噛み付いて呟いた。
「お前、飛ばしすぎ」
「だって……」
「ん?」
アリアンロッドが泣きそうになっている。彼女はここまでしばらく、ふたりで過ごした洞窟の、ギリギリの日々が脳裏に蘇って切なくなっていたのだが、アンヴァルは、命令を聞かなくて女王様はご立腹なのだと、慌てて気を立て直した。
ふたりはしばらく転がりながら口をついばんで、甘い感触に酔いしれていたのだが、アンヴァルはそろそろ彼女の柔肌に、直に触れたくてたまらない。しかし最後の砦は、こんな初冬の外気に彼女の肌をさらすのは気が咎める、という理性で、彼女の少しはだけた胸元から覗く不死鳥の頭を、細目で見つめていた。
「ねぇ、ヴァル……」
「ん?」
「なんだか、暖かくない?」
頭に血が上っていたアンヴァルはふと我に返り、そういえば彼女に触れていない背中側が、熱いというより心地よい温かさに包まれていることに気付く。
「私たち、ずっと見守られてた……でもこれがきっと、本当に最後よ」
そう呟いたアリアンロッドの瞳が、金粉をまぶしたように輝いた。
アンヴァルはふっと顔を上げてみた。すると、自分たちの周りを金色のカーテンが揺らめいているように見える。
彼は両腕が空いてさえいれば、目をこすりたいような思いだった。
しかし彼の瞳には確かに映っている。アリアンロッドの道を示してきた神の化身、不死鳥の、大きな翼が。それは彼女の門出を祝福する餞のようで──
「本当に最後、か。大丈夫だ。これからは俺が、俺のすべてを懸けてお前を守り抜くから」
「ヴァル、今までだってずっと私を守ってくれてたよ……」
ふいと横向く彼女の鎖骨をアンヴァルは遠慮なく吸った。ここまでは触れるのを避けていた彼女の不死鳥に、躊躇うことなく手を伸ばし、その尾までをあらわにした。その全体像は夜の闇の中で有り難いほど、アンヴァルの目に鮮明に映り、彼は許されているのだと実感した。
それからはもう、止まることはなかった。
◇
満月が真上にのぼる頃、月光に照らされるアリアンロッドの頬はすっかり桃色に変わっていた。
その素肌に口づけるたびに、彼女の吐息が甘くアンヴァルの耳をくすぐる。
「つらくないか……?」
彼女の瞳から一筋の涙が細く零れたので、アンヴァルは心配になった。しかしそれは、身体の痛みからではない。
うまく言葉にならず、アリアンロッドは大きく首を横に振った。
アンヴァルの腕の中で彼女はまた、数か月前の生活が頭の片隅を過っていたのだった。
彼女は明日をも知れない不安な日々の中で、彼への気持ちと真剣に、かつ自然に向き合っていた。
ここで命の灯が消えるなら、彼と交わって新たな命を生み出したいと、本能が叫んでいたのだった。
しかし同時に、彼といるこの時を最後の瞬間まで諦めたくなかった。そのどちらの願いも愛なのだとようやく自覚した彼女は、いざこの命が尽きるとなれば、ふたりがまるで端からひとつであったかのように土に還り、一体の骨となって、悠久の時を共に過ごすと決めた。
それは彼女の、秘めた片思いだった。
そして、それを思えばかくもふしぎなことに、今はふたりの間で行き来する熱を感じながら、肉体が混ざり合う幸せを噛みしめている。
愛しい人と愛し合う幸せとは、世界に生まれてきた奇跡と、命を存在させてくれるこの土壌に感謝することに等しいと、アリアンロッドは知るのだった。
愛しい思いがあふれ返って、身体は繋がっているのにまだ伝える術が足りないと感じる。彼の背中に両腕を回し、もう離さないと伝えたくて強くしがみついた。
そうして目を見開いて、彼の肩越しに星くず散らばる紺碧の空を望んだら────
果てない世界から星の雨がきらきら瞬いて降ってくる。
(私、こんな綺麗な世界に生きている……)
流星群の内側でアリアンロッドは、彼と同じリズムで揺れるたび、快感の波に押し上げられて、宙に浮遊しているような感覚にすべてを委ねるのだった。
この瞬間、こんな境地にいた。
────私たち、この世界を構成する小さなかけらになって、いつまでも漂い続けるんだ。
もう永遠に消滅することはなくて────
「んー……」
さざ波を遠く耳に感じながらアリアンロッドがぱちっと目を開けると、空はすっかり明けていて、薄い雲がゆっくり海原のほうへ流れていく。
隣でアンヴァルが小さな寝息を立てている。
「ヴァル……」
指をその頬に差し伸べると、彼の黒の髪が日光を弾いて白くきらめく。その寝顔は見慣れたものだが、こんな真横から、そしてこんな近くで見たのは初めてだ。愛しくて仕方ない。
今は、眠る直前にかき集めたふたりの衣服を、ふたりでぞんざいにかぶっていて、足の指先がひんやりしている。しかし身体のくっついているところはしっかり温かく、そのくすぐったさに浮かれていると、昨夜の出来事がどんどん蘇ってきて胸が高鳴っていく。身体は疲れていても、奥の奥はどうにも激しく騒いでしまうものらしい。
すぐにも口づけたくて頭を起こした。
(私からしてもいいよね…?)
“お前がそんな謙虚なものか”とアンヴァルは起きていたら言いそうだが、今のアリアンロッドはなんだか無性に照れくさい。まるでプリンセスを起こすような気取ったキスを、上から落としてみた。
すると、アンヴァルがぱちっと目を開けた。
「きゃっ……」
目覚めた彼は早速彼女を押し倒して、胸を確認した。
「ない……」
胸の不死鳥がいなくなっている。おそらく彼は夢の中でもずっと気にしていたのだろう。
股間だけ隠して起き上がったら背中を向けてしまった。
「ねぇ、ヴァル?」
彼女も追って起き上がって、
「ただの人になった私でも、いい……?」
背中に頬を寄せてたずねた。
目線を外し気味でアンヴァルは振り返り、
「やっと地上に降りたお前を、捕まえられるようになったってことだ」
言いながら優しく触れる。
まもなく目がバチッと合い、ぎゅっと抱きしめられてアリアンロッドは、にっこり無邪気に笑った。
「ていうか早く服着ろ。風邪ひく」
「向こう向いてて」
アンヴァルは“夫になったのに……”としょげたが、ぐだぐだやっているわけにはいかないので、大人しく顔を背けた。
早く部屋に帰って、引っ越しの支度をしなくてはならない。アリアンロッドに関しては念入りに挨拶をしなくては。
慌てて服を着て、ヨレヨレの形のふたりは、きっと誰が見ても明らかな状況だが、王家の使用人たちは見慣れているようなものだろう。
「さ、行くぞ」
アンヴァルはアリアンロッドの手を引っ張って駆け出した。
「あ、待ってよ」
いつもとなんら変わらない挙動なのに、今はなんとなくアンヴァルの照れが伝わってきて、手を引っ張られながらふにゃっと笑ってしまうアリアンロッドだった。
お読みくださいましてありがとうございました。
次回で最終回です。あとはカンタンなエピローグですが、もう少し、お待ちください。




