⑮ 成婚
「……え?」
海を眺めていたアリアンロッドは、彼の突然の言葉を聞き取れずにいたが、このただならぬ雰囲気に彼女は訝しんだ。
「ヴァル、どうしたの?」
彼女の戸惑いをよそに、遠い日を思い返すように、空を見上げるアンヴァルが告げる。
「俺は、聖女を守るために生まれた兵士だった」
「え…?」
「王宮の騎士兵士はみんなそうだったんだけどさ。聖女に命を捧げるのは宿命だって。ただ俺は身近にいさせてもらえたから、子どもだてらに特段の自負があったんだよな」
「…………」
ここで彼はアリアンロッドに、力強いまなざしを向けた。
「でもこれからは、ただの人としてのお前を、誰に命じられたからでもなく守り抜く。そうして生きていく」
その言葉尻に彼女を片腕で寄せ、
「あっ…」
もう片方の腕で胸に抱き込んだ。
急なことで、アリアンロッドは抵抗できずに、彼の胸で固まっていたら──
「だからもう、そろそろ、俺の妻になってください」
捕らわれた形で申し込まれてしまった。
少しの時が流れた。胸の中のアリアンロッドは何も言葉にしないので、彼にはとてもとても長い時間に感じられた。
気まずいアンヴァルは頭も目線もうろうろさせ始める。その挙句、どうにもいたたまれなくなり、彼女の顔をのぞきこんだ。
「アリア?」
すると、彼女はまったく音もたてず、目にためこんだ大粒の涙をこぼしている。
「あぁ、悪い!」
彼女の腕を掴んだ手を、ぱっと離すアンヴァル。
「やっぱりだめだよな、俺じゃ……」
わりと強気に告白していても、受け入れてもらえる自信なんてなかったのだ。他の想い人がいる事実を、隣でずっと眺めてきたのだから。それこそほぼ初めから。
そして主君を失った今、自分が……と結果的になってしまう呵責や羞恥心とも、ここまでずっと向き合ってきた。
それをようやく振り切ったことで、申し込んだはいいが、アリアンロッドにも亡くした想い人に操を立てて生涯を過ごす自由がある。
なかったことにしようと、アンヴァルは慌てて彼女を宥めようとするのだが。
それを遮るように
「違う!」
と、彼女は叫んだ。急に声を張り上げられアンヴァルは思わず息を飲んだ。
アリアンロッドは潤んだ瞳でまっすぐに彼を見た。
「私にだって、ヴァルだけよ! 今までもこれからも……終わりの日まで一緒に生きたいのは、あなたしかいない」
彼にはそれがまったく思いがけない言葉で、口を小さく開けたまま固まってしまった。
「あなたと本当の家族になれたら、私のゆく先は絶え間なく幸せだって、未来なんて視えなくても分かる。命の終わる時までずっと、私はあなたと出会えた運命に感謝する」
そんな、彼にとっては信じられない、夢のような答えを口にするのに、流れる涙のわけを知りたくて、彼はただ次の言葉を待つ。
「でも私はディオ様と、いつか生まれ変わったら、また巡り合い、共に生きようと約束をした。それはただの、ディオ様の最後の優しさだったのかもしれない。でも、たとえもうこの世のどこにもいなくても、彼も私の、何よりも大切な人……約束をたがえるようなことはしない」
「……俺も絶対お前にディオ様との約束を守ってほしい。俺は妻でなくともお前を守ることに変わりないから、やっぱり、なかったことに…むぐっ」
アリアンロッドがアンヴァルの口をガバッと押さえた。
「そうじゃなくて。ディオ様は今生の幸せを託して私を生き永らえさせた。私はこの人生の幸せを諦めるつもりはない。あなたの隣で私は限りなく幸せを貪って生きていく。ただ、最後だけは……。いつかあなたとの別れの時が来ても、次の世もまた逢いましょうと、私は口にすることができない……」
他に想い人を胸を抱いたままの自分を、あなたの隣においてほしいと願う浅はかさをアリアンロッドは恥じて、申し訳なくて、どうしたらいいのか分からなくて、顔を伏せてしまった。
が、アリアンロッドの不安をさらっと吹き飛ばすかのように、
「そんなの構わねえよ」
そこまで静かに言葉を聞いていたアンヴァルは言い切った。そして地に着く彼女の手を覆うように握った。
それを受け、アリアンロッドはゆっくり顔を上げると──。
「だって俺、お前と連れ添った後に生まれ変わるつもりねえもん」
「え?」
「お前を娶れる未来なんて、ここに来るまで存在し得なかったんだ。そんなことが叶うなら、俺は次の生なんていらない。来世なんかいらないから、今生で、最後まで離れることなく共にいてくれ」
アリアンロッドはそんな彼の目をじっと見た。ただただ、じっと見つめた。そして。
「……はい」
まっすぐに目を見つめた後で、一言だけ答えた。
その時、この上ないほど幸せな様相で微笑んだアリアンロッドがどうにも可愛くて愛しくて、アンヴァルは立ち上がり彼女を引っ張り上げ、夜空に向かって思いきり高く抱き上げ振り回した。
「きゃあ!」
急なことで目が回ってしまったアリアンロッドだった。
その場で3、4度回ったらアンヴァルは、至近距離にあるアリアンロッドの瞳を窺うようにのぞき込んだ。
「………もぅ」
頭がぼんやりしたままアリアンロッドは目を閉じた。
ふたりは満天の星空の下でくちづけて、少し離れてもまた、寸暇を惜しんで唇を重ねていた。
この世にまるで、存在するのは互いだけのような、そんな心地で、そのひと時を過ごした。
その初冬の果てない星空は、この世でいちばん美しい舞台だった。
少し冷たい風が吹いて、アンヴァルは夢心地の中にいつつも充足感ゆえに、それなりに冷静になり、アリアンロッドを腕からおろした。
「さ、明日は自邸へ引っ越しだ。明日昼頃には出ようと思っていたが、お前の支度が必要になったから夕方でもいいか。まぁ荷物は後日運び出すのでも」
「マダムの方々にお借りした物が結構あるんだけど、返さなくていいって言われたりもしてるの。でもそんなに時間はかからないと思う」
「そうか。じゃあ今日はゆっくり休んで。いろいろ挨拶とかも必要だろ」
「うん……」
アンヴァルはアリアンロッドの腰に手を回し、帰路へと促した。
「……ん?」
腰に回した手に反発する力を感じた。
「??」
アリアンロッドがその場から動こうとしない。彼女の頭がうつむき加減になっている。
「どうした、疲れたか? おぶっていこうか」
「…………りたくない」
アリアンロッドの呟きがやたら小さくて、うすらかすめる波の音にかき消されてアンヴァルには届かなかった。
「ん? なんだよ。明日は引っ越しだっていってるだろ、早く休まないと……」
ここで顔を上げたアリアンロッドの表情は、鬼気迫る感じもあった。
「離れたくない」
「? これから同じ家で暮らすんだし…」
「今! たった今、もう一分一秒でも離れたくないの!!」
「……へ?」
ここまで言っても気付かないアンヴァルに、アリアンロッドは少し苛立っている。仕方ないので彼の胸に振り子のように飛び込んで、両腕を背中に回した。
「もう待てない。明日が来なくてもいいくらい、今わたしっ……」
うまく言葉にできなくてアリアンロッドはもどかしく、もごもご口ごもったが、ようやくアンヴァルは気付いた。
「えっと、今、ここで…?」
気付いたからには頭部に血が駆け上ってきたが、いろいろ考えは追いつかず、彼女の唇に唇で触れて、その我が儘を受け入れるしかなかった。
「分かった……」




