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黒き瞳の英雄譚  作者: 堺久遠


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8/10

前衛組のスキル覚醒

恩師・佐伯恒一が残した「お前たちは生きろ!」という魂の絶叫が、今も耳の奥で爆音のように鳴り響いていた。

 神代悠真を先頭に、生き残った生徒たちは、涙の霧で歪む視界を必死に拭いながら、鬱蒼とした原生林の闇を狂ったように疾走していた。背後からは、佐伯先生の最後の戦いの響き――肉を引き裂く音や斧が激突する凄まじい戦闘音が聞こえていたが、それらは進むにつれて確実に小さく、遠ざかっていく。

「……はぁ、はぁ、う、あぁ……っ!」

「誰も、立ち止まるな! 先生が命を懸けて作ってくれた道だ、走るんだ!」

 学級委員長の桜庭美咲の腕を強く引きながら、悠真は割れんばかりの声でクラスメイトたちを鼓舞し続けた。

 だが、悠真の驚異的な観察眼は、どれほど感情が激昂していようとも、冷酷なまでの現実を網膜に映し出していた。

(いや、まだ完全に振り切れてはいない。先生が引き受けてくれたのは、大半の『群れ』だけだ。血の匂いに釣られて、包囲網の端から俺たちを追ってきた執拗な個体が――確実にいる)

 ガササササッ! と、並走する左右の藪から、不気味な葉擦れの音が響く。

 前方を走っていた陸上部の朝比奈葵が、その俊足を活かして一瞬だけ視界を広げ、絶望的な声を上げた。

「悠真くん、駄目、先回りされてる! 前の開けた場所……あそこの岩場に、三匹! 後ろからも二匹来てるッ!」

「チッ、しぶとい化け物どもが……!」

 満身創痍の身体を引きずりながら、神崎蓮が自らの返り血で真っ黒に染まった制服を揺らし、前に出た。その隣には、ボロボロにひしゃげた鉈を握る高橋大輝、武器を失い拳を血に染めた真田剛、そして鋭い目を光らせる風間翔が並ぶ。

 彼ら殿を務めていた四人は、肉体的な限界をとうに超えていた。蓮の膝は激しく震え、その肺は空気を吸い込むたびにガラスの破片で擦られるかのように熱く痛む。だが、彼らの瞳には、先ほど見た佐伯先生のあの狂おしいほどの守護の執念が、そっくりそのまま飛び火して激しく燃え盛っていた。

 「ここで止まったら、先生の命は本当に無駄になる。……おい、お前ら。死んでもここは通さねえぞ」

 蓮がそう吐き捨て、薪割り用の鉈を低く構えた。

 ジリジリと、前後から現れた五匹の角狼が、獲物を確実に仕留めるために包囲網を狭めてくる。その瞬間、彼らの脳内に、この世界の理である【異世界のシステム】が、冷徹な文字となって直接刻み込まれた。


『神崎蓮は極限状態における【守護と自己犠牲の選択】を検知。魂の指向性を肯定します』

 蓮の視界に、現実の光を覆い隠すように青い文字列が明滅した。

 ドクン、と心臓が爆発したかのような衝撃が走り、折れた肋骨の痛みが一瞬で消え去る。それどころか、彼の肉体から立ち上っていた淡い光が、一気に強固な障壁となって周囲の空気を圧壊させた。

『【不屈の盾】を完全自覚。これより身体制御をシステム補正下に移行します』

「……ああ、よく分からねえが。これなら、何万匹来ようが耐えきってやるよ」

 蓮の身体から放たれる圧倒的な覇気に、突進しかけていた正面の角狼が本能的な恐怖を感じて一歩後退した。


 同時に、隣に立つ高橋大輝の脳細胞もまた、未知の領域へと加速していた。

 ひしゃげた鉈を見つめ、「俺たちの武器じゃ、もう皮を切り裂くのが限界だ」と絶望しかけていた彼の視界が、突如として反転する。

 サッカーの試合中、ピッチ全体の敵味方の位置を俯瞰で把握していたあの『鳥の眼』。それが、魔力という異質のエネルギーと融合し、暗闇の原生林すべてを透過し始めた。


『高橋大輝は極限状態における【局所戦況の打開と空間把握の選択】を検知。【心眼】が覚醒しました』

 大輝の瞳が、青がかった月の光を浴びて鏡のように輝く。

 濃霧や暗闇、藪の向こう側に隠れた魔物の骨格、筋肉の収縮運動、次の一歩を踏み出すための重心の移動――そのすべてが、脳内に完璧な3次元マップとしてリアルタイムで投影された。

「……見える。真田、右の奴が跳ぶぞ! 蓮、正面の二匹の突進軌道は、お前の左側で交差する!」

「おうッ!」

 武器を先生に毟り取られ、丸腰のまま前線に立っていた真田剛が、その190センチの巨体を咆哮とともに踏み込ませた。

 先生の左手に宿ったあの驚異的な腕力。「お前の重い責任感、確かに受け取った」というあの言葉が、真田の魂の底にある「仲間を絶対に傷つけさせない」という柔道家としての誇りに火をつけていた。

『真田剛は極限状態における【肉体的絶対守護の選択】を検知。【剛力】を脳内に刻みます』

「先生から返してもらったこの身体……一歩も引くかよぉぉぉッ!」

 ドゴォッ! と、真田が一歩を踏み出しただけで、異世界の強固な地面が陥没した。その肉体に宿ったのは、魔獣の質量を遥かに凌駕する、圧倒的な純粋筋肉の暴力だった。

「風間、撃ち抜けッ!」

「言われなくても……ストライクを入れてやるよ!」

 最後方に控えていた風間翔が、足元に転がっていた、鋭く尖った手のひら大の魔鉱石を無造作に拾い上げた。

 甲子園のマウンドで、極限のプレッシャーの中、数センチの狂いもなくキャッチャーミットに白球を投げ込んできた彼の右腕。その指先に、体内の魔力が磁石のように吸い寄せられ、凄まじい熱量を持って収縮していく。

『風間翔は極限状態における【一撃必殺・長距離狙撃の選択】を検知。【精密投擲】の取得を肯定します』


 「ガルルアッ!」

 大輝の予言通り、右側の草むらから一匹の角狼が牙を剥いて跳躍した。

 だが、その魔速の突進を、高橋大輝は【心眼】の視界によって完全に先読みしていた。大輝はひしゃげて刃の潰れた鉈をあえて逆手に持ち替え、角狼が最も無防備になる着地の瞬間、その視覚の死角から正確にステップを踏み込んだ。

「そこだッ!」

 刃のない鉈の腹が、角狼の最も脆弱な顎の関節へと正確に炸裂する。システム補正によって完璧に導かれたその一撃は、魔獣の首の骨を容赦なくへし折り、一撃でその巨体を地面に転がした。

「グオォォンッ!」

 間髪入れず、正面から二匹の角狼が、鋼の一本角を突き出して蓮へと肉薄する。

 しかし、蓮は逃げるどころか、むしろ自らその突進の軌道へと身体を投げ出した。彼の周囲に展開された【不屈の盾】の青いオーラが、ログハウスの丸太を容易く粉砕した魔獣の角を、真っ正面から受け止める。

 キィィィィィィンッ!

 激しい金属摩擦音が響き、角狼の角が蓮の障壁に激突して火花を散らす。だが、蓮の身体はミリ単位すら後退しない。折れているはずの肋骨も、システムの強固な加護によって完全に固定され、痛みのノイズすら脳に届かなかった。

「止まったな。……真田、潰せ!」

「おおおおおおおッ!」

 蓮が強引に足止めした二匹の角狼の頭上から、真田剛の【剛力】を宿した拳が振り下ろされた。

 武器など必要なかった。真田の丸太のような右腕は、空気を爆裂させながら魔獣の額の強靭な一本角を真っ正面から掴み取る。そして、オリンピック代表候補の技術をそのまま乗せ、首の筋肉ごと力任せに地面へと叩きつけ、ねじ切った。

 ドォン! という地鳴りとともに、二匹の角狼の頭部が、地面の岩盤ごと粉々に粉砕される。

「残りは後ろか……逃がすかよ!」

 生存者たちの最後尾から迫っていた、残りの二匹。

 風間翔は、右腕を大きくしならせ、魔力を帯びた魔鉱石を全力でスローイングした。

 ビュオッ!

 大気を切り裂く爆音。風間の放った【精密投擲】の一撃は、時速150キロを遥かに超える超音速の弾丸となり、走っていた角狼の右目の眼球へと吸い込まれるように直撃した。

 パァンッ! とトマトが潰れるような音がして、石は角狼の脳殻を内部から破壊し、後頭部へと突き抜けた。一瞬の猶予もなく、もう一匹の角狼の眉間にも寸分の狂いなく二発目の石がめり込み、魔獣は慣性のまま激しく地面を転がって物言わぬ肉の塊となった。

「……すげえ。これが、俺たちの力……なのか?」

 自分の拳を見つめ、真田が呆然と呟く。

 わずか数十秒の出来事だった。生存率ゼロとまで思われた絶望的な包囲網を、覚醒した前衛班の四人は、傷1つ負うことなく完璧に粉砕して見せたのだ。

 

「……蓮、高橋、真田、風間。お前ら……」

 腰のサバイバルナイフを握り締めたまま、悠真はその光景を静かに凝視していた。

 悠真の「万を見渡す眼」は、彼らの魂に刻まれた【スキル】の性質を、瞬時に客観分析していた。ゲームのようなステータス画面は見えなくとも、彼らが現実世界で必死に積み重ねてきた努力や誇りが、この世界のシステムとリンクして発現したのだということを、悠真は正確に理解した。

「悠真、驚いてる暇はねえ。先生が作ってくれた時間は、まだ続いてる」

 高橋大輝が【心眼】の瞳を光らせながら、遠くの森の奥を見据えた。「あっちだ。あっちの崖の陰に、魔物の気配が一切しない、深い穴……洞窟がある。そこなら奴らの鼻を撒ける!」

「……よし、高橋、お前が先頭でルートを案内しろ! 朝比奈は高橋のサポート。蓮と真田、風間は俺と一緒に最後尾を固める。美咲、みんなを引っ張ってくれ!」

「うん……っ! みんな、走って!」

 美咲が力強く涙を拭い、生き残った生徒たちを率いて、大輝の示す方向へと再び走り出した。

 背後からは、まだ佐伯先生の戦う気配が、はるか遠くの森の最奥から微かに響いているような気がした。先生は今も、自らの命の全てを燃やして、彼らに生きるための未来を繋ぎ続けてくれているのだ。

(先生、見ていてくれ。あなたの命は、絶対に無駄にはしない)

 悠真はサバイバルナイフを強く握り直し、親友である蓮と視線を交わした。蓮はニヤリと不敵に笑い、鉈の血を払って歩き出す。

 2年A組の生き残りは、悲しみと絶望の底から、手に入れた現代の絆と異世界の力を武器に、新たなる生存への拠点――未知の洞窟を目指して、漆黒の原生林を真っ直ぐに突き進んでいった。

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