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黒き瞳の英雄譚  作者: 堺久遠


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4/10

ログハウスでの籠城

異世界の太陽が完全に昇り、ログハウスの周囲を照らし出しても、スマートフォンの画面が息を吹き返すことはなかった。液晶は暗黒のままで完全な圏外。室内の電灯のスイッチを何度ひねっても、明かりが灯る気配すらなく、静まり返ったログハウス内には停電状態が続いている。

 ただならぬ静寂が、部屋の隅々にまで満ちていた。あるのは、風が不気味に葉を擦り合わせる音と、時折響く、クラスメイトたちの浅く震える呼吸の音だけだった。

「……よし、これで全員だな。怪我人はいないか?」

 ログハウスの中央で、ジャージ姿の担任・佐伯が手元の出席簿代わりのしおりを閉じ、目をしばたたかせた。

 クラスメイトたちの顔は一様に青ざめ、誰もが現実を受け入れられずに、そわそわと周囲を見回している。最前列の席から状況をずっと見守っていた学級委員長の美咲は、震える手で生徒たちの名前が書かれたリストをまとめながらも、気丈に振る舞って佐伯をサポートしていた。

「先生、やっぱりどこにも繋がらないよ……。警察も、救急車も、学校も……」

 派手な女子グループのリーダーである莉奈が、完全に沈黙したスマートフォンを両手で握りしめたまま、今にも泣き出しそうな声で訴える。普段は明るく社交的で目立つ彼女のそんな弱音は、教室全体に漂うパニックの引き金を今にも引きそうだった。美優や彩花も、スマートフォンの画面を見つめたまま、言葉を失って立ち尽くしている。

「落ち着け、みんな。何らかの大規模な災害に巻き込まれたのは間違いない。だが、国や救助隊がこれほどの事態を見逃して、動いていないはずがないんだ」

 佐伯先生は穏やかな、しかし芯のある教師としての声で、怯える生徒たちをまっすぐに見つめた。

「まずは救助が来るまで、この頑丈な木造のログハウスを一時拠点として使う。幸いにも建物ごとここに移動してきたんだ、雨風はしのげる。『明日には帰れる』、そう信じて、今できることをやろう」

 その力強い言葉に、生徒たちは小さく息を吐き、張り詰めていた肩の力をわずかに抜いた。明日には帰れる。その希望だけが、彼らの心をかろうじて繋ぎ止める細い糸だった。

 

 佐伯の言葉に背中を押され、生徒たちは生き残るため「物資の確認」を開始した。それぞれが、ログハウスの中に運び込まれたリュックや荷物をひっくり返し、何がどれだけあるのかを洗い出していく。

「おい、真田のリュック、めちゃくちゃ重いと思ったら……これ、全部プロテインと巨大な救急キットかよ!」

 高橋が、真田の大きな荷物を開け、その中身に驚きながらも、少しだけ声を弾ませた。

 「備えあれば憂いなし、だからな。万が一、誰かが怪我をしたときのために持ってきておいたんだ」

 身長190センチの巨体を誇る真田は、ポリポリと頭を掻きながら大きな体を縮めて照れくさそうに笑った。オリンピック代表候補の実力を持つ彼の温厚な笑顔と、その圧倒的な備えは、この極限状態において非常に頼もしいものだった。

 さらに、炊事場の方からも少しだけ明るい報告が上がる。仕切っているのは、おっとりとした癒やし系でありながら家事全般のプロである一ノ瀬奈々だった。

「炊事場の方も確認したよ。昨日私が作ったカレーの残りと、蓮くんが釣ってくれた魚がまだ少しある。あと、ログハウスの備え付けの棚に缶詰が少々……」

 美咲が奈々の報告を受けて食料の在庫を読み上げると、「数日は食いつなげるか」と小さく胸をなでおろした。

 そんな賑やかさを取り戻しつつある室内から離れ、窓際の席に座っていた神代悠真は、トランクから回収した自分のリュックサックを開けていた。

 周囲の生徒たちが「数日凌げば救助が来る」と楽観視し始めている中、悠真の冷静な観察眼は、窓の外の狂った植生と、狂った物理法則だけを捉えていた。

(……ここが地球じゃないなら、救助なんて来るわけがない)

 冷酷な現実を、悠真は一人で噛み締めていた。だからこそ、彼は生き残るための『備え』を始める。

 リュックの底から取り出したのは、父親に幼い頃からソロキャンプを叩き込まれてきた彼が、長年愛用し、自身でメンテナンスを施してきた【サバイバルナイフ】だった。頑丈な鋼の刃は、太陽の光を鈍く反射している。悠真はそれを鞘に戻し静かに腰のベルトへと装着した。

 ふと視線をやると、オタクグループの結城智也もまた、実験好きの性分から私物でこっそり持ち込んでいたサバイバルナイフや十徳ナイフ、工具の類を、緊張した面持ちで木製の机の上に並べていた。『異世界生産チート系』の知識を愛する智也にとっても、これらの刃物は現実の重みを持つ唯一の道具だった。

 

「おい、神代、神崎。ちょっと来てくれ」

 物資の確認が一通り終わり、クラスに束の間の安堵が広がった頃、佐伯先生が悠真と神崎蓮の二人を、ログハウスの外にあるテラスへと呼び寄せた。

 佐伯の手には、昨日管理棟から借りてきたという、ずっしりと重い【薪割り用の鉈(ナタ)】と、さらに巨大な【大型の斧(オノ)】が握られていた。いつもは穏やかで生徒第一の佐伯だが、その表情には、教師として生徒全員を守らねばならないという、悲壮なまでの責任感が滲んでいる。

「神代、昨日もお前にこれを預けたが……お前なら、これを正しく使えるはずだ。この鉈を一本、正式にお前に託す。万が一の時の武器として、気を付けて使ってくれ」

 佐伯は、鋭い刃を持つ鉈を悠真に向けて差し出した。

 しかし、悠真は静かに首を横に振った。そして、自分の腰のベルトに装着されたサバイバルナイフの柄を、佐伯と蓮に見せるように叩いてみせた。

「先生、俺には使い慣れた自分のナイフがあるから、それは必要ない。……それより、蓮に渡してやってくれ」

 悠真が顎で指し示したのは、制服を着崩し、ピアスを光らせて不機嫌そうに壁に背を預けている親友、神崎蓮だった。

「神崎に……?」

「ああ。俺は面倒事が苦手だし、みんなを守れるほど腕っぷしも強くない。でも、蓮なら……こいつなら、もし何かあった時、誰よりも前線で戦える。丸太を振り回すよりは、その鉈を持っていた方がマシだろ」

 悠真の冷静な、しかし深い信頼がこもった言葉に、蓮は一瞬だけ驚いたように目を見開いた。幼稚園からの幼馴染であり、高校に入ってからは距離を置いていたはずの悠真が、自分の身体能力と「仲間を守るための覚悟」を誰よりも正確に見抜いていることに、蓮は胸の奥が熱くなるのを感じていた。

「……ちっ。相変わらず、人を都合のいい盾みたいに言いやがって」

 蓮はぶっきらぼうに悪態を吐きながらも、佐伯の手から差し出された鉈を、その大きな手でひったくるように受け取った。ずっしりとした金属の重みが、蓮の掌に伝わる。

「神崎、お前は問題児だが……根は悪くないし、誰よりも強い。万が一の時は、私と一緒に、みんなの盾になってくれ。頼んだぞ」

「先生に言われなくても、戦えない奴らは俺が体を張って守るさ。……おい悠真、お前は後ろで、その無駄にいい頭を回して全員を助けろ」

 蓮は鉈の刃を眺めながら、鋭い目つきでニヤリと笑った。悠真は無言でそれに応え、腰のナイフの感触を確かめながら、再び佐伯に話しかける。

「先生、鉈は後2本ありましたよね。じゃあ先生は鉈を使って残りは真田と高橋に渡したらどうでしょう」

 悠真の思考は最適解を導くためフル回転し巨漢の真田に斧を、ずば抜けた運動神経を持つ高橋に鉈を持たせる事で予期せぬ不測の事態からの生存率を上げることができると導き出した。しかし、生徒全員の命を守ることは困難だと言うことも同時に導き出していた。

 佐伯先生と高橋、蓮に託された薪割り用の鉈、真田の斧、そして悠真と智也が持つサバイバルナイフ。

 これら現代の鋭利な刃物だけが、今この部屋にある唯一の「本物の武器」だった。


 昼が過ぎ、夕刻が近づくにつれ、ログハウス内の空気は目に見えて再び張り詰めていった。

 暖炉で薪が爆ぜる小さな音だけが異様に大きく聞こえる。

 窓の外の原生林が、薄青い月の光に照らされ禍々しい影を室内に落とし始め、生ぬるい風が木々の隙間を吹き抜ける。

 生徒たちは「明日になれば」「夜が明ければ、きっと救助隊が助けに来てくれる」と、お互いにすがるように言い聞かせ、必死に胸の奥の恐怖を押し殺していた。

 だが、そのあまりにも脆く淡い希望は、唐突に、そして圧倒的な暴力によって打ち砕かれることになる。

 「オオォォォォォォォォンッ!」

 ドォン、とログハウス全体が激しく波打つような、凄まじい地鳴りと衝撃が襲った。

 昨夜、霧の奥から聞こえたものと同じ、いや、それよりも遥かに狂暴な、未知の獣の咆哮がすぐ近くから響き渡ったのだ。

「ひっ……!」

「嫌だ、またあの化け物の声……!? 救助隊じゃないの!?」

 せっかく落ち着きを取り戻しかけていた生徒たちが、一瞬でパニックに陥り、ログハウスの奥へと折り重なるように逃げ惑う。美咲が「みんな、落ち着いて! 窓から離れて!」と叫ぶが、その声は恐怖の絶叫にかき消されていく。

 強靭な肉体が巨大な木々をなぎ倒していく不穏な音が、地面に転がる枯れ木を踏み抜く音が、確実に、まっすぐにこのログハウスへと近づいてくる。

「全員、部屋の奥へ! 壁際に固まれ!」

 佐伯先生がジャージの袖をまくり上げ、壁に立てかけてあった大型の斧を両手で引き抜いた。『教師として、最後まで生徒を守る』その狂おしいほどの覚悟を瞳に宿し、佐伯は頑丈な木の扉の前に立ちはだかった。

 その隣へ、蓮が音もなく並び立つ。悠真から託された鉈を逆手に握りしめ、野生動物のような鋭い目つきで扉を睨みつける蓮の身体からは、すでに高校生のそれではない、圧倒的な戦闘の覇気が立ち上っていた。

 高橋と真田は怯える生徒たちの前に立ちそれぞれ斧と鉈を握りしめる。

 4人は誰1人死なせないと言う決死の覚悟をもって未知なる敵に対峙する。

 悠真は腰のサバイバルナイフの柄に手をかけ、引き抜くタイミングを計りながら、加速していく思考の中で冷酷な現実を完全に悟っていた。

(明日になれば帰れる、なんて甘い日常はもう終わったんだ。あいつらは、俺たちを『餌』だと認識して殺しに来ている――)

 直後、ログハウスの正面扉が、凄まじい衝撃と共に激しく歪んだ。

 2年A組の少年少女の運命を木端微塵に破壊する「惨劇の夜」が、ついにその最悪な幕を開けようとしていた。

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