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第17話

地上の王都。薄暗い執務室で、強硬派のバルテルは忌々しげに報告書を叩きつけた。


「あの宿のせいで、迷宮攻略が完全に停滞しているだと……!」


そこに、影の中から声が響く。


「同感だな、人間。我ら魔王軍にとっても、あの腑抜けた空間は目障りだ」


現れたのは、魔王軍過激派のザイードの使者だった。

人間と魔族。本来なら殺し合うはずの過激派同士が、宿という共通の標的を前に結託しようとしている。


「貴様ら魔族と手を組むなど反吐が出るが……あの目障りな男を排除できるなら話は別だ」


バルテルは傲慢な口調で言い放ち、恰幅の良い体を椅子に沈めた。


「物資の補給路は私が絶つ。貴様らは迷宮内で確実に息の根を止めろ」


密約が成立し、両陣営の悪意が迷宮五十階へ向けて静かに動き出していた。


◆ーーーー◆


迷宮五十階。俺の宿は、最近かつてないほどの賑わいを見せていた。


最初の客となった魔王軍四天王の口コミにより、魔界の重鎮や強力な魔物たちが次々と休息を求めて訪れるようになっていた。

一方で、迷宮攻略を目指す人間側の現役勇者アリスやSランク冒険者たちも、この安全地帯の存在を嗅ぎつけて入り浸るようになっている。


今日も今日とて、ラウンジでは一触即発の事態が起きていた。

新顔のSランク冒険者パーティーと、魔王軍の幹部クラスが鉢合わせしたのだ。


「なぜこんな所に魔族が!」


「人間風情が、我らの憩いの場を荒らす気か」


双方が武器に手をかけ、殺気が膨れ上がる。

俺はため息をつき、厨房から歩み出た。


「そこまでにしておけ」


静かに告げると同時に、わずかに剣気を放つ。

空気が凍りつき、冒険者も魔族も顔面を蒼白にして硬直した。


「ここでは絶対に争ってはならない。店内で暴れたら、即座に叩き斬る。休みたいなら武器を置け」。新顔が訪れるたびに繰り返されるこの警告は、今やすっかり宿の日常風景となっていた。すでにルールを理解している常連客たちが静観する中、俺は新参者たちへ容赦なく言葉を叩きつける。


圧倒的な力の差を前に、彼らは渋々武器を手放した。


強制的な中立ルールの下、彼らは同じ空間で過ごすことになる。

最初は互いを睨み合っていたが、俺の作った熱々のシチューを口にした途端、その表情が緩んだ。


「……美味い」


「ああ、悪くない」


食後は露天風呂だ。湯船に浸かれば、種族も立場も関係ない。


「あんた、いい傷を持ってるな」


「貴様こそ、なかなかやるようだな」


気がつけば、敵対勢力同士が同じ釜の飯を食い、裸の付き合いを通して奇妙な連帯感を育んでいる。

疲れた強者たちにとって、この宿はかけがえのない憩いの場として機能し始めていた。


だが、俺の胸の奥には微かな違和感が居座っていた。


「……遅いな」


壁掛け時計を見上げる。

今日は、取引相手である行商人ガストンが定期納品に来る日だった。

彼は金にがめついが、約束の時間はきっちり守る男だ。

迷宮の浅い階層で手に入れた新鮮な食材や、地上の日用品。それらを運んでくるガストンは、この宿にとって重要な生命線だった。


「親父さん」


皿洗いを終えたジンが、静かに声をかけてきた。


「ガストンのおっさん、まだ来ないのか?」


「ああ。何かトラブルに巻き込まれたのかもしれん」


ジンは裏社会で生きてきた勘を働かせたのか、わずかに眉をひそめた。


「嫌な空気がする。ただの魔物との遭遇なら、あの人はうまく逃げるはずだ。だが……」


意図的な妨害。その可能性が脳裏をよぎる。

俺は首を振って、嫌な想像を振り払った。


「待つしかない。あいつは図太い男だ。きっとひょっこり顔を出すさ」


夜が更け、客たちがそれぞれの部屋で眠りについた後も、俺はカウンターで一人、入り口の扉を見つめていた。

静寂に包まれた深層。

自己修復機能が停止した五十階層には、魔物の足音すら響かない。

ただ、不気味なほどの静けさが広がっているだけだ。


ドンッ!


突如、重い音が扉を叩いた。

俺は弾かれたように立ち上がり、入り口へ向かう。

扉を開けると、そこには血まみれの男が倒れ込んでいた。


「ガストン……!」


大きな背負子は無残に引き裂かれ、中身は空っぽだ。

日焼けした肌は土気色に変わり、無精髭の生えた顔は苦痛に歪んでいる。


「あんた……すまねぇ……」


掠れた声で、ガストンは俺の腕を掴んだ。


「地上からの……搬入ルートが……完全に封鎖された……」


「誰にやられた」


「バルテルだ……あいつの私兵が、迷宮の入り口を……俺の仲間も、やられちまった……」


ガストンは激しく咳き込み、口から血の泡を吹いた。


「宿を……潰す気だ……気をつけろ……」


その言葉を最後に、ガストンの腕から力が抜け、だらりと床に落ちた。


「おい、ガストン! しっかりしろ!」


呼びかけても、返事はない。

ジンが駆けつけてきて、ガストンの首筋に指を当てた。


「……息はある。だが、かなり危険な状態だ」


俺はガストンを抱き上げ、空き部屋へと運んだ。

応急処置を施しながら、胃の奥が冷たく重くなっていくのを感じていた。


ガストンが倒れたことで、地上からの物資は完全に絶たれた。

食料の備蓄は数日分しかない。

バルテルと魔族の過激派が結託し、この宿を確実に孤立させようとしている。

静かな寝息を立てる客たち。

彼らの安らぎの場所が、今、致命的な危機に瀕している。

俺は血に染まった自分の手を見つめた。

圧倒的な力があっても、守れないものがある。

孤立無援となった迷宮の底で、俺たちはどうやって生き延びればいいのか。

重苦しい不安だけが、冷たい夜の空気とともに宿を包み込んでいた。


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