第14話
湯上がりの果実水で乾杯した夜から、数日が経過している。
迷宮五十階に構えた俺の宿は、これまでにないほどの賑わいを見せている。
最初の客である四天王の男が魔界へ戻った後、彼の口コミによって魔族の重鎮たちが休息を求めてやってくるようになった。
一方で、迷宮攻略を目指す現役勇者アリスやSランク冒険者たちも、五十階の異常な安全地帯を発見して転がり込んでくる。
客層が混沌を極める中、ポルクが俺に頭を下げてきた。
「僕も、ここで働かせてください……!」
タダで飯を食うのが申し訳なく感じるらしい。俺は彼を清掃員として雇うことにした。
「足手まといにだけはなるなよ」
ジンが冷たく言い放つが、ポルクは手先が器用だった。
床や窓の掃除を任せると、見違えるように綺麗になる。
「お前、なかなかやるじゃないか」
俺が褒めると、ポルクは緑色の肌を赤くして調子に乗り、さらに饒舌に働き始めた。
ジンとポルク、裏方の奇妙なコンビが誕生したわけだ。
◆ーーーー◆
ある日の夕刻。
食堂の扉が開き、勇者アリスの一行が疲労困憊で入ってくる。
だが、奥のテーブルには魔族の重鎮たちが陣取り、エールを飲んでいる最中だった。
アリスが剣の柄に手をかける。
「魔族……! なぜこんな深層に!」
魔族側も立ち上がり、魔力を練り上げる。
「人間の小娘が。ここで死ぬか」
一触即発の空気が流れる。
俺は厨房からゆっくりと歩み出た。
手には木製のしゃもじ。だが、全身から放つ剣気で、食堂の空気を完全に凍結させる。
「……武器をしまえ」
低く声を落とす。
「うちのルールを知らぬとは言わせない。店内で暴れたら、即座に叩き斬る」
勇者も魔族も、底知れない圧力に息を呑み、硬直する。
俺は威圧を解き、しゃもじを肩に担いだ。
「腹が減っているなら席に着け。飯にするぞ」
強制的に鎮圧された両者は、離れた席で食事を始める。
ジンが手際よく配膳し、ポルクが空いた皿を下げる。
出された熱々のシチューと焼きたてのパン。一口食べたアリスの顔がほころぶ。
魔族側も無言でがっついている。
食後、俺は彼らを露天風呂へと促す。
「湯が沸いている。汗を流してこい」
男湯では魔族の重鎮と冒険者たちが、最初は距離を取っている。
しかし、湯の心地よさに次第に肩の力が抜けていくのが見えた。
「……人間の作る飯も、悪くはないな」
「そっちこそ、意外と大人しいじゃないか」
同じ釜の飯を食い、同じ湯に浸かる。
敵対勢力同士の間に、奇妙な連帯感が生まれていく。
◆ーーーー◆
翌日。
行商人のガストンが、大きな背負子を揺らして定期納品にやってくる。
食堂に入ったガストンは、目を丸くした。
テーブルでは、勇者アリスと魔族の重鎮が、昨日の険悪さが嘘のように和やかに談笑している。
厨房では元暗殺者のジンが真剣な顔で野菜を刻み、脱走兵のポルクが鼻歌交じりに床を磨いている。
「……おいおい、レオン。こりゃあ一体何の冗談だ?」
ガストンが呆れたように笑う。
「ただの客と、うちの従業員だ」
「勇者と魔族が相席して、暗殺者と魔物が裏方か。ハッ、ここまでのカオスなら逆に安全だな。俺も肝が据わってきたぜ」
ガストンは背負子を下ろし、風呂用の追加備品を気前よく取り出す。
「お前さんの宿は、とんでもない場所になりつつある。商人として、ここには投資しがいがあるってもんだ」
ガストンはニヤリと笑い、俺に顔を寄せる。
「だがな、レオン。気をつけておけよ」
ガストンの声のトーンが一段下がる。
「地上では、あんたの宿を快く思わぬ連中が嗅ぎ回ってるぜ。……不自然な魔力の滞りだの、迷宮の異常だのってな」
俺は布巾で配膳台を拭きながら、静かに手を止めた。
「……そうか」
「いつまでも、この平和な箱庭に引きこもっていられるとは思わぬことだ」
地上の不穏な動き。それがいつ、この深層に到達するのか。
だが、俺は拭き終えた配膳台を見つめ、小さく息を吐いた。
「誰が来ようと、ここは俺の宿だ。それだけは変わらぬ」




