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ボマー松永久秀の投資戦略  作者: 斎藤 恋
松永家拡大編

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第67話:短話①京周りの話

◇永正一八年五月


史実とは大きく異なり、細川同士の争いもなく、畿内には平和が保たれていた。

三好家との争い以降、大きな一揆もなく、管領 細川澄元による安定が築かれていたのだ。


当の澄元本人は、幕府の威光を翳らせた者として貶され、幕府の威信を取り戻そうと必死に足掻いていたが、その意思に従おうとする者もまた、存在しなかった。


澄元の配下へと戻ることとなった三好も、忠実な家臣とは言えず、そもそも、三好家内においても澄元の評価は高くない為に、その指揮に従えないと言った状態だったのだ。


三好元長自身には、澄元に従うべきではないか?という思いがあったものの、数え二〇ほどの若僧だ。

それも、之長を強制隠居させたことで、之長派閥の者からは毛嫌いされているのだ。


家を残す為にも、家の者に対して強くは出られなかったのだ。




「くそっくそっくそっ!!!!何故だ…、何故こうなった!」



それだけに、細川澄元の慟哭は大きい。

自身に従う筈の子飼いさえ言うことを聞かぬ有様なのだ。


当然、内藤や六角も、澄元の指揮には従わず、あれこれ言いながらその影響から逃れていた。

最近では、将軍の義維も幕臣の手によって澄元から引き離され、今も管領のままではあるものの、その影響力そのものは地に落ちていたのだ。


史実の高国や晴元などとは違い、幕府の役職や影響が落ちていること、そして、管領自身に戦力がほぼないことが、管領たる彼を単なる神輿にまで落としていた。


特に、この管領自身に独自の兵がない、ということが何より大きい。


内藤は、昔ながらの子飼いではなく、元々高国側の家であるし、高国と前将軍の流れから言えば内藤自身に弱みはないのだ。

本来なら、"下剋上を為したこと"それだけで弱みとなる筈が、三好がそれ以上である為にそれが弱みとなっていないのだ。


六角に至っては弱みすらない。

むしろ、三好家討伐軍を挙げた際に協力した為に、澄元に借りさえある始末だ。


六角は、管領の影響力が落ちたと同時に、幕臣らを唆し、将軍を澄元から引き離すことに成功。

現在の幕臣と将軍は、六角家の者によって、六角領で政を行っているのだ。



花の御所で行われるはずの政治が、六角領へと移行している理由にも、禁裏の動きが関わっている。


朝廷が、東西のそれぞれに新たな幕府ができていることを危険視している、という話は、幕臣のそれぞれにも危機感を持たせた。

ただし、その危機感は、本来の幕府が持つべき影響力の低下がどうこういうものではない。


朝廷によって、将軍へと直接討伐令の強制が行われないようにと、逃げたものだった。

伊勢としても、他の幕臣としても、当然ながら六角やその他の武家としても、正式な討伐令にまで逆らうことはできない。


彼らは、表向きだけであったとしても、幕府の忠臣なのだ。


そんな彼らが、幕令に直接背くような動きを見せることは、不可能とは言わないまでもすべき行いではなかった。

幕臣の者らすれば討伐令なぞは、室町の幕府を滅ぼすだけの行いであるし、そもそもそのような財貨など存在していない。


それに、どこまでの者が従うのかさえ不明であった為に、なおのこと受け入れられない選択であったのだ。

そんな不確かなものの為に大掛かりな討伐軍を起こそうなど、自殺行為でしかなかった。


だからこそ、彼らは六角家の支援を受け、京の室町第から逃げ出したのだ。



………なにより、今の管領には、そういった討伐令を起こさせようとする意思があると幕臣らが見做していたことも、澄元から離れた理由の一つだ。


何はともあれ、幕府の機能は、将軍と共に少しずつ南近江へと移っていた。

三好は四国本国と摂津・堺を領地とし、京から少しずつ離れていたし、内藤も丹波領内での統制に苦慮していた。


澄元へと鞍替えすると同時に、澄元から丹波守護に任じられた内藤国貞は、同格であった波多野らとの諍いに苦慮していた。

澄元への兵の拠出どころか、自身の立ち位置さえ危ういというのが、彼の現況だったのだ。



細川澄元の足場は、着実に壊れつつあった。

手足である三好も、食料や財貨のみの供出に留まり、その他の者らは近づくことさえなくなりつつあったのだ。

公家においては、言うに及ばず、である。



そして──────



永正一八年七月


細川澄元は、享年三三歳で没することとなった。

史実より一年ほど長い寿命ではあったが、同じく心労が祟ったことが原因であったとされる。



ただ、史実と異なるのは、次の管領が細川氏から六角氏へと移ったことであろう。

細川家の家職あった管領職は、以降、六角家が担うことになってゆく……。


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