決戦の日
あの日から数日が経った。
あの日、目が覚めた日のことは鮮明に覚えている。
厳密には目を覚ます前、肉体の記憶や記録などで朦朧とする意識の中、この体の持ち主、「ナカシマテツヤ」と会った所からである。
テツヤの記憶曰く、「神に近づく薬」を服用したことで、彼の中の衝動が元々、テツヤの人格を上書きした姿なのだそうだ。
つまり自分はテツヤでありそうではない存在である。
なら、自分は何者なのか。
そんなことを考えながらこの数日街を彷徨っていた。
人を四人殺したのだ、ある程度は話題になっているだろうと踏んでいたが何一つとして世には出ていなかった。
何かしらの権力が情報を止めているのか、はたまた無かったことにされたのかは定かでは無いが、このまま街にいても何も得られなさそうだった。
路頭に暮れたこの足は、無意識にある一軒の家へ向かっていた。
そのことに気がついたのはその家の前に着いた頃。
ローマ字でナカシマと書かれた表札。
テツヤの家であった。
おもむろに門を開く。
玄関での道を歩いていると記憶が甦る。
数日前のものではなく、ナカシマテツヤとしての記憶。
夕方、走る子供とそれを追いかける女性。
自分はそれを門の前で微笑ましそうに眺めている。
この時の感情が流れてくる。
安堵と親愛、それと焦燥。
場面は変わり夜。玄関までの道は明るく暖かいが、それに相対するようにテツヤの心は冷え切っていた。
「何があったんだ、テツヤに」
ぼそりとつぶやく。
答えなど当然なく、ため息をついて玄関を開く。
むせかえる様な死臭、は無く、玄関に置かれたフレグランスの香りが鼻を通り抜ける。
予想外の状況に少し体が強張るが少し考える。
おそらくあの二人の仲間がこの数日のうちに片付けたのだろう。
あの惨状を世間にばらすことなく片付けられる様な組織なら知られていないのも納得である。
リビングには行かずそのまま二階へと上がる。
2階には書斎、寝室が3部屋トイレと物置がある。
他の部屋には目もくれず書斎へ向かう。
扉を開けると書斎らしく本棚があり、様々な分野の専門書や教科書の様なもの、その中に混じって子供の絵本が混じっている。
本の背をなぞる。
一つ一つが読み込まれているのだろう、ある程度綻びがあるのを感じる。
目線を本棚から机へ移す。
幾つもの書類が重ねられた机に、一つだけ本が混じっていた。
それを持ち上げ表紙を見る。
『日記』とだけ書かれたそれはかなりの分厚さがあり、少なくとも最近書き始めたわけでは無いとわかる。
最初のページを開く。
『優斗が生まれたことだから、今日から日記をつけようと思う。毎日書くわけでは無いが何かあった日には書こう』
その日は優斗、息子の事だろう、が書かれていた。
優しい子に育ってほしいだの、これからより一層頑張らなければならないだのが書かれていた。
しばらくページをめくってみると書かれている内容は普通なもので息子がハイハイしただったり、妻の顔が母親のそれになっていたなどであった。
数年分はこの調子であったが、ここ一年から様子が変わっていった。
『今日仕事で今どき珍しい飛び込み営業が来たのだが、商品の説明がよくわからない、よくわからないと言うよりも理解ができなかった。神に近づけるなどと言っていたが頭がおかしかったのだろうか。それにしては話しかたや格好がしっかりしていた。それにもらった名刺の会社名「ササハラ製薬」の名前は広く知られている。最近の製薬企業の営業はどこもこんな感じなのだろうか。取り敢えず断っておいたが半ば強引に試供品と称して一つ薬を置いていった。出て行く前に彼が言った、「いつか使う時が来ますから」と言うセリフが少し気にはなるが取り敢えず持ち帰ってきた。同封されていた説明書を読んでみたがやはり神がどうのこうの書かれていた。机の奥にしまっておくことにする。これを読んだ時にふと思い出すぐらいの記憶としてはちょうどいい内容だろう』
次のページを見る。
この日記には日にちが書かれていないため日記としてどうかと思うが、おそらくそれなりに後に書かれたものであろう文を見る。
『最近全ての不運が身に降り注いでいる様な気がする。僕は車に轢かれかけるし、玲子には癌が見つかった。早期発見だったため治すことができたがそれでもだ。優斗には何も無いのが幸いだ。それに仕事の調子も悪い。だがそうこう言っていられない。今度の大口の契約をまかされている。準備はもう終わっている。後はやるだけだ」
先ほどと比べ文字が雑になっている様に感じる。
テツヤはどこか焦りを感じていた様だ。
次のページを見る。
書き殴られている。
見た目からしてどこかおかしいのがわかる。
『あいつらやりやがったはめやがったクソがあいつら全員敵だ殺す殺してやる絶対に』
1ページ全部を使って大きく書かれたその文を見て何かしらが起きたのだろうと思う。
次のページをめくる。
このページが最後の様だ。
書き殴られた文章ではなく、最初の様にきちんとした字体で書かれている。
『玲子と優斗には少しの間旅行に行ってもらうことにした。1人でしばらく考える時間が欲しかったからだ。あいつらに報復をするにはどうすればいいか。そんなことを考えながら日記を書こうとこれを開いた。その時だ。いつかに書いたものを見つけた。説明書を読むと信じられない様な内容ではあるがこれが本当なら報復なんて簡単だろう。取り敢えず飲んでみることにする。注意書きに記憶の月村が出る可能性があると書かれているが復讐さえできれば問題はない。必ず殺す』
おそらくこの後薬を飲んだのだろう。
「残念ながら我は何も覚えていないのだがな」
テツヤには悪いが覚えていないのだから仕方がない。
敵意がある相手には意思に関係なく勝手に体が動くが、見ず知らずの相手には危害を加える気はない。
頭痛とともに『敵を殺せ』と言う声は聞こえてくるが敵ではない者を殺す理由を持ってはいない。
「すまないなテツヤ」
自身の体にそう言い聞かせ下のリビングへ向かう。
リビングの扉を開けると血の海と死体が見えなかった。
壁のへこみはそのままだがそれ以外の痕跡は完璧に消えていた。
数日前のことを思い出す。
そこまで意識ははっきりとしていなかったが、おそらく旅行から帰ってきた2人が変わり果てたテツヤである我を不審者だと思い敵意を持ってしまったのだろう。
「悪いことをしたな」
2人のことを思いながら天を仰ぐ。
「せめて玲子と優斗に安寧を」
背中に軽く衝撃を感じた。
胸から刃が生えていた。
「は?」
後ろを向くと紙袋を頭に被り全身を黒いコートで覆った人間が身の丈ほどある大型の剣を背中に突き立てていた。




