第31話 町。酒。夜。
街道を歩く。
空は晴れていて、太陽の光が眩しい。
私たちを見送ってくれたおじさんの姿はもう見えなくなっている。ずっと手をふってくれていた。「気を付けるだよ」と優しい言葉をかけてくれていた。
「いい人だったね」
「…そうだね」
レナの言葉に、私は胸がきゅっとしめつけられる想いがした。いい人…そう、いい人だったんだ。別れ際、おじさんは「道中でこれでもお食べ」と言って、硬いパンを袋に包んで渡してくれた。
歩きながら、それを抱きしめる。硬い。おそらく、美味しいものではないだろう。けれど、パンを渡してくれた時のおじさんの手、日々の仕事で傷つき、ひび割れ、頑張っている人の手、それを見た時、私は何も言えなかった。
(永劫倫理教団は、私の敵)
私から全てを奪っていく。だから、憎い。憎いはずなのに。
もう一度、おじさんからもらったパンを抱きしめる。硬い。その硬さを感じならが、どうしてもあのおじさんを憎むことが出来ない自分の心を自覚する。
「どうしたの?リゼル。すごく怖い顔してるよ」
「あ、ごめん、レナ。ううん、何でもないよ」
それより、レナの方こそ、体調大丈夫?
私の言葉に、レナはにっこりと笑って。
「…リゼルがいるから、大丈夫だよ」
と言って、私の腕にそっとしがみついてきた。
暖かい太陽。
暖かいレナ。
私の凝り固まった心も、溶けていくみたいだった。
「ゆっくり、歩こうね」
私たちは、目の前にまっすぐに続いている街道を、一歩一歩、無理せずゆっくりと歩き始めたのだった。
■■■■■
夕刻。
私たちはようやく、小さな町にたどり着いていた。
もう陽は落ち始め、道行く人々の足も速くなっている。
私とレナは周囲を見渡してみる。小さな町なのに、人々の顔は活気づいている。お店に明かりがともり、いい匂いがただよって来ていた。
「どうやら、野宿はしなくてすみそうだね」
「うん…リゼルと2人で、美味しいもの食べたいね」
そう言いながら、レナはきょろきょろと周りをみて、一軒の酒場を目にとめた。私の腕を、ぐいっと引っ張る。
「あのお店なんてどうかな?」
「…レナ、昨夜まで死にそうな顔していたのに、お酒なんて飲んでも大丈夫なの?」
「酒は万病のもとだって、神様もおっしゃってくれているわ」
そんなことわざ聞いたこともないけど、《聖女》様のおっしゃる言葉に間違いがあるはずもない。
レナと初めて会った日のことを思い出す。
あの時も、酒場だった。私とレオンが訪れた酒場で、荒くれ者と賭け事をしていたのがレナだったんだ。
レナは《聖女》であるのだけど、たしなむ程度にはお酒が好きで、歯止めがきかない程度には賭け事が好きな子だった。
「ねぇ、リゼル、早くいこっ」
私の手をぐいぐいと引っ張る金髪の美少女の生き生きとした顔を見ていると、もう、なんでも許してあげたくなってくる。たいがい、私も甘いな、と思うけど…惚れた弱みだから、仕方ないよね。
酒場の中は人で一杯だった。
この町にいるすべての働き盛りの男連中が全員集まっているんじゃないか、と思えるくらいには、どのテーブルを見ても人、人、人で溢れていて、その合間を縫うように両手に料理の一杯に入った皿をもった給仕が駆け回っている。
「思ったより、すごいなぁ」
そう言いながら、私はそれでも空いているテーブルを探した。お店の端っこの方になんとか見つけることが出来たので、レナを促してそこに座る。
木製の硬い椅子に座ると、ようやく落ち着くことが出来た。
よく考えたら朝からずっと歩いていたのだから、身体が悲鳴を上げるのも当然といえば当然だった。
「レナは…」
「エール2杯、お願い!」
私が尋ねるよりも早く、レナは手をあげると給仕さんに向かって注文をしていた。どうやら、私に拒否権というものは無いらしい…あったとしても、レナ相手に使う事なんて、それこそ生まれ変わったとしても無いだろうけど。
「あいよっ」
よく太った給仕のおばさんは威勢のいい返事をすると、縫うように客の間をすり抜けていく。その横に広い身体でよくぶつからないな、と思う。慣れているんだろうな。
「…楽しいね」
そう言って笑うレナの顔。楽しいのは本当なんだろうけど…その奥に、不安が混じりこんでいるのを私は見逃さなかった。
(そりゃぁ、そうだよね)
学園がどうなったのか、みんながどうなったのか、分からない状況なのだから。分からないと言えば私たちのこれからもそうなんだけど、今は焦っても仕方がない。
休めるうちに休んでおくというのも、私たちに出来る最善の仕事、であるだろう。
「エール2杯、お待ちっ。あとつまみはつけておいたよっ」
そんな事を考えていた私の思考を中断させたのは、威勢のいい給仕のおばさんの声だった。「たくさん飲んで、サービスのつまみ以上にたくさんの食事を注文してちょうだよっ」そう言いながら、おばさんはまた別のテーブルへと向かっていった。
「…とりあえず、飲もうか、レナ」
「うん、リゼルっ」
私とレナはグラスになみなみと注がれたエールを一気に胃袋の中へと押し流していく。熱い。疲れた身体の隅々にまで、アルコールが充満していくような感覚だった。
「ぷはぁっ」
女の子らしくない声をあげてしまう。
レナを見て見ると、可愛いお口の周りにエールの白い泡がついていて、それがまるでお髭のようにみえて、なんか愛おしくなって笑ってしまった。
「…なに、リゼル?私の顔に、何かついてるの?」
「ううん。レナ、可愛いな、って思って」
「…もう、馬鹿」
大好き。
そんなやりとりをしながら、お酒と食事を楽しんでいく。
けっこう追加で注文をして、おばさんはニコニコ笑顔でこたえてくれた。お酒も食事も思った以上に美味しくて、ついつい場が進んでいってしまう。
「…それにしても」
アルコールに浸されて惚気てしまった脳細胞を働かせる。相変わらずお店の中は活気づいていて、みんな楽しそうに飲んでいる。
…飲んでいるのだが、その際、乾杯の声が気になった。
「教団に、乾杯!」
「教会に、乾杯!」
同じようで、それでいて違う乾杯の掛け声があちこちから聞こえてくるのだ。
「…レナ、気付いてる?」
「もちろん」
そう言うと、レナは目の前に置いてあったソーセージを直接手でつかむと、その形のいいお口にくわえて、そのままぷちっと嚙み切った。
「このソーセージ、豚さんだけじゃなくって、他の肉も隠し味に混ぜてあるね」
うん。
気づいていないようだった。
口元からソーセージの肉汁を少し垂らしながら、幸せそうに頬張っているレナの顔を見ていると、可愛すぎてもういいかな、と思えてきてしまう。
(教団と、教会)
観察してみると、教団に乾杯、と言っている人たちはどうやら農民が多いみたいで、教会に乾杯、といっている人たちは商人っぽい人が多いようだった。
永劫倫理教団の教義がどのようなものなのかは知らないけど、教会は飲酒を大っぴらに推奨はしていなかったはずだ…はずだけど、教会の最先端であるはずの《聖女》様が大いに酔っぱらっているみたいだから、とくだん厳しいものではないみたいだけど。
(教団と教会は、それぞれ別の組織なはずなんだけど)
今、目の前で繰り広げられている光景は、その二つの集団の垣根を超えているようにみえる。
農民も、商人も、別々の乾杯の音頭をあげながら、肩を組んで一緒に楽しそうに飲んでいる。
(教団は…悪の組織)
私の未来をすべて奪った…敵。
そのはずなのに。
「身体に気をつけるだぁよ」
朝、優しい言葉を投げかけてくれたおじさんの顔が頭に浮かぶ。
今、目の前で繰り広げられている、身分差も関係なく、和気あいあいと楽しんでいる人々の顔が目に入ってくる。
「敵、敵、敵」
私は小さくそう呟きながら、その想いを押し流すように、エールを一気に飲み干したのだった。
夜。
酒場を出て、ふらふらになりながら、私とレナは開いていた宿屋をみつけ、中に入った。
受付の人は少し太ったおばさんで、先ほどまで飲んでいた酒場の中を忙しそうに駆け回っていた給仕の人に少し似てるな、と酔った頭で考える。
「一番安い部屋でいいから、ひとつ、お願い」
酔ってふにゃふにゃになったレナを抱きかかえたまま、私はおばさんにそう頼んだ。おばさんは朗らかに笑うと、「うちは全部安いよ」と言いながら、一番端の部屋を紹介してくれた。
「お連れさん、ずいぶん酔ってるみたいだね」
「はい…少し、楽しすぎたみたいで」
「あらあらまぁまぁ」
おばさんは鍵を渡しながら、またにこっと笑って、言葉を続けた。
「あんまり酔いすぎて、次の人生に支障がこなければいいわね」
…。
この人も、教団の人、なのか。
私は鍵を受け取りながら、人の好さそうなおばさんに向かって、「有難うございます」と、たんたんと答えた。
一番安い部屋のわりには、案内された部屋はきちんとしていた。
高価なものではないが、綺麗に整理整頓されていて、お店の人の気遣いが感じられる。
部屋の窓から、月明かりが漏れこんできている。
その外に、町の光景がみえる。
夜の町。
人々が幸せそうに行きかっている…教団と教会が共存している町。
「はぁ…」
私はため息をつきながら、酔ってぐでんぐでんになっているレナを、優しくベッドの上に横たえる。
レナの豊満な胸が、少し揺れたように見えて、私は思わず目を逸らしてしまった。
と、その時。
「リゼルぅ…」
そう言いながら、レナが手を伸ばしてきた。
ふいをつかれた私は、そのまま手を掴まれ、レナに覆いかぶさるように倒れこんでしまう。
「ふぎゃっ」
色気のない声がレナから漏れる。
「あ、ご、ごめんっ」
レナに引っ張られたのが原因なんだけど、謝ったのは私のほうだった。
レナは文句を言うでもなく、私をぎゅっと抱きしめてきた。
(キス…される)
そう思った。
思わず、私は目を閉じた。
…しばらく待っても、私の唇は暖かくならなかった。
代わりに暖かくなったのは私の頬であり、レナは私の頬に自らの頬を寄せていた。
レナの柔らかさが頬越しに私に伝わってくる。
そのまま、レナは私をぎゅっと抱きしめて、しがみついてきて、身体の柔らかさを伝えてきて、お酒の匂いにまじって、レナの芳醇な匂いも一緒に漂ってきて、私はなんか、頭の中がぐわんぐわんと回ったような気になって、そして。
「…リゼル…どこにも…行かないでね…」
涙の混じったレナのつぶやきを聞いて、我に戻った。
《不死》の私。死なない私。命を粗末に使う私。
そんな私を…レナは…大事にしてくれている。
求めてくれている。
「…うん」
私は、私の方から、更に強く、」ぎゅっとレナを抱きしめ返す。
月明りの差し込む宿屋の部屋の中で。
これから先、どうなるか分からない未来の中で。
私は、私の手の中に、確かなものを手に入れているんだと、思った。




