第28話 卒業(後編)
数千のスケルトンの大群が、ただの物言わぬ骨となって崩れ落ちていく。二度目の死、ではなく、《聖女》による癒しにより、浄化されていく。
その様はまるで一枚の宗教絵のようであり、レナの美しい金色の髪は太陽に照らされて輝いており、祝福をつげる天使のようにも感じられた。
死者に安らぎを与えたレナは、そのままその場に崩れ落ちそうになる。
「レナ!」
私は走り、背中から彼女を抱きかかえる。
軽い。
眼前であれほどまでの奇跡を起こしたレナは、上気させた顔を私にむけると、
「ごめんね。リゼル。私、ちょっと疲れちゃった…」
そう言って、すとんと意識を失った。
レナの体重が全て私にかかり、先ほどまで軽かった彼女の身体が一気に重くなったような気がする。私は大切な宝物を扱うように、レナを丁寧に抱きかかえると、そのまま後ろを振り向いた。
「上出来だ」
学園長が笑っている。いつもの余裕のある表情…に見せつつも、その額に一筋の汗が流れ落ちているのが分かった。
「オズ、見えるか?」
「ミラルカ、私を誰だと思っている?」
「性格の悪い学園長、かな」
「性格の悪い吸血鬼に言われるなら、間違いないな」
私の師匠である吸血鬼、ミラルカ・カミラルテの軽口を軽妙に返していく学園長。二人とも、見た目だけは幼い。学園長は幼女に見えるし、ミラルカは15歳ほどの少女にしか見えない。
しかしこの2人は、合わせて700歳を超える、老練した熟練者であるのだった。
2人は目を細め、遥か樹海の先を見据えている。
スケルトン軍団が消滅した後も、蒼白い巨大な悪魔がおどろおどろしく数十体以上空を舞っているのがみえる。
その先に。
一人の…男がいる。
「あれは…ネクロス、だね」
「あぁ。500年前、私と妹を吸血鬼にしてくれた張本人だ」
「恨んでいるのかい?」
「別に。恨みなんてもうないよ」
ただ、殺してやりたい、と思っているだけさ。
師匠のつぶやきがあまりにも冷たく、私は背骨の中が凍るような気がした。普段、修行の中で私に対して「死ね死ね」と言っている口調とはまるで違う。本気で、静かに、ただ淡々と、事実だけを伝えてきていた。
「さて、では状況を説明しよう」
学園長が言う。
私たちは静かに、彼女の言葉に耳を傾けた。
「我が学園の貴重な対抗戦に勝手に割り込んできた迷惑な客は、永劫輪廻教団の幹部、ネクロスだ。こちらの吸血鬼と少しだけ因縁のある相手で、見た目はまぁ、なかなかの美男子だな」
でも、そこの《剣聖》には劣るかもしれないがね、と笑う。
ふいに声をかけられたレオンが、ここぞとばかりに確認する。
「永劫倫理教会の者が、どうして俺たちを襲ってくるのですか?」
「レオン、君は馬鹿か?それともわざと言っているのか?」
学園長が少し軽蔑したような怪訝な顔を浮かべる。もちろん、レオンは後者であり、それを学園長は分かった上でからかってきているのだった。
「そこの《不死》が原因だ」
「…ですよね」
かつて、私が生まれた村も、教団の手によるモンスターの襲撃を受けたことがある。それは私が生まれ故郷から追放された理由であり…そのことが拡大して、今この現実へと繋がっているのだろう。
「そこで、我々がとるべき選択肢は3つ」
学園長は、指を三本あげた。
「一つ、逃げる」
「二つ、ネクロスを殺す」
「三つ、《不死》を教団に手渡して帰ってもらう」
そう言うと、ため息をつく。
「逃げるのは性に合わん。なので選択肢は残り2つなのだが…」
「一つしかありませんね」
レオンが、口をはさむ。
「リゼルを差し出すなんて選択肢はありませんから」
「ほぅ」
学園長が目を細める。嬉しそうな顔だ。そのまま品定めでもするかのように、レオンを見つめる。レオンは微動だにしない。その横に、そっと一人の侍少女が立っていた。ヨシノ、だ。
「拙者も同じ意見でござる。友を差し出すくらいなら、死んだ方がマシでござる」
「死、なんて言葉を軽々しくつかうな」
言葉が浅くなるぞ?と、学園長が言う。ヨシノは恥ずかしさに顔を真っ赤にする。人が顔を紅くする原因はたくさんあるな、と、つい先ほど、顔を真っ赤にして照れていた今は私の手の中で寝ているレナのことを想い、心がほっと温かくなった。
「議論がどうなろうとも、私はネクロスを殺しにいくからな。だからそもそも、議論なんてする意味はないだろう?」
いやな沈黙を振り払ったのは、私の師匠であるミラルカの言葉だった。
ミラルカは私の肩にぽんと手を置いて、
「私は、まだこいつを苛め足りない。せっかく拾った弟子だからな。反抗期が来るまでは手放す気持ちにはなれないよ」
大事にされているのか、大事にされていないのか、それは分からないけど、それでも何となく、師匠の言葉の中にほんの少しだけの優しさを感じることが出来たような気がする…気のせいかもしれないけど。
「それにオズよ、弟子を失う辛さと憎しみは、お前が一番知っているはずだろう?」
奴らに蹂躙され殺害された王下四天王。あれはお前のお気に入りだったのだろう?
それに私たち以外の学生を避難させたのは…見どころがあるかもしれない奴らの未来を失わせたくなかったからだろう?
「死ぬなら、ここにいる私たちだけで十分、ということだろう?」
「…まったく、吸血鬼は性格が悪いねぇ」
「あいにく、私は私以外の吸血鬼を知らないからね」
肩をすくめる師匠。少し不満そうな学園長。
「…まぁいい。ではホワイト、今の戦力を分析してくれるか」
ここまで一言も発せず、ただ黙って学園長の後ろに控えていたメイド姿のホワイトが、こめかみに指をあて、とんとんと叩いた。しばらく考えた後、ゆっくりと口を開く。
「永劫輪廻教団の戦力…無力化されたスケルトン軍団は置いておいて、あの蒼白い巨大な悪魔は、グレーターデーモンですね。古の文献で、1体現れただけで1つの都市を壊滅させたと伝えられる悪魔です。それが今分かるだけで12体。しかもまだ召喚される可能性があります」
たんたんと、言葉を続けていく。
「対して我が方の戦力は、学園長、学園長のコピー、私、《剣聖》、《聖女》、《不死》、侍、吸血鬼…これを加味して計算すると…」
落ち着いて、残酷な数字を告げてくる。
「よくて3パーセント、といったところでしょうか」
「それは、なんと!」
嬉しそうに笑う師匠。哄笑をあげ、腰を折り曲げ、肩を痙攣させながら、本当に、本当に嬉しそうに、笑いながらいう。
「なんと高い確率だ。こんなに高いとは思わなかった。0じゃないのだな?0じゃないのなら…」
私を抱き寄せる。小さな師匠の身体が、今はとても、大きいものに感じられる。
吸血鬼特有の冷たい体。血が流れているのかも分からないような、冷え切った肢体。
けど、その中に、私は暖かさを感じることが出来た。
「私はネクロスを殺すまで絶対に死なない…命を賭けてもいい、だから、勝率は…」
(死、なんて言葉を軽々しくつかうな)
先ほど、学園長はそう言った。
師匠は、ミラルカは、その言葉を軽々しく使いながら、はっきりと言い放ったのだった。
「100パーセントだ」
と。
■■■■■
青白い巨大な悪魔。
伝承の存在。
死の形をまとった暴力装置。
グレーターデーモン。
私のかつての65536回の人生の中で、幾度かこの悪魔を屠った経験がある。その際は、悪魔の分厚く硬い外皮を無効化するチート能力を持っていたり、悪魔が常時帯びている魔法障壁を突破する伝説級のチート呪文を利用していた。
(今は…そんなもの…ない…)
チートを剥がれた私の目の前に展開する光景は、まさに「死」そのものだった。
この巨大な悪魔は、ただ単純に、まず力が強い。
繰り出される丸太のような腕の膂力はすさまじく、学園の外壁を一振りで粉々に砕いていく。
呪文。
悪魔は、加えて呪文も唱えてくる。
周囲の温度が下がる…下がる…冷えて、凍っていく。
魔界は、氷に閉ざされた世界だと聞く。
悪魔たちはその魔界と現世をつなぐ呪文を唱え、あたり一面を氷の森へと変えていく。
空を舞い、外皮は硬く、真っ白な目には瞳がない。
大きな音がした。
学園長が、引き裂かれる音。
私が視線を向けると、学園長は見るも無残に空中で解体され、文字通りまき散らされていた。
(…違う)
あれは、コピーだ。
学園長その人ではない。
(私たちの…目標…)
卒業試験として、学園長のコピーを倒す。そのことに注力し、そのために努力し、そのためにありとあらゆる手段を用い、そしてその目標は巨大な悪魔の前に無残に雲散霧消して消えていった。
巨大な灼熱の炎が舞い上がった。
墜ちていく臓器に濡れながら、本物の学園長が魔法を詠唱していたのがみえる。
「すご…」
思わず、感嘆の声をあげてしまう。
かつて、チート能力を持っていた時ですらてこずったグレーターデーモンの魔法障壁を、学園長の生み出した炎の魔法は打ち破り、青い悪魔を赤に染めていた。
(これで…1体…)
そう思った瞬間。
私の頭は吹っ飛んでいた。
すぐに《不死》が発動し、意識が戻る。
(殺された)
本来なら、ここで私は終わっていた。
囲まれている。
3身体のグレーターデーモン。
あの学園長ですら、全力をとしてやっと1体倒すことができたというのに、それが3体。
(死なないけど…勝てない)
爪が迫る。
私は思わず目を閉じ、死を覚悟し、再生を願い、そして死は訪れなかった。
「レオン…」
「《剣聖》ではなく、幼馴染の強さ、見ていてくれよ」
悪魔の爪を受け止めるレオン。そしてそのまま反撃をする。振り払われた一撃で、あのグレーターデーモンの硬質化された皮膚が砕けて氷の破片のように美しく舞って至った。
「綺麗」
と、思った。
私の幼馴染の剣技は、まるで舞いを踊っているかのようで、理論的に無理のない最適解の動きと言うものは、全てが美に繋がるのだと思った。
「レオン、後ろ!」
飛来してきたもう1体の蒼い悪魔が、一瞬で、切り裂かれた。
《一太刀入魂》
ヨシノが、スキルを発動していた。
一日一回しか使えないヨシノのその技は、伝説級の巨大な悪魔をもまるで道端の虫のように切っていた。
「助かった、ヨシノ」
「とんでもないでござる」
けど、これでもう、スキルは使えない。
周りは悪魔に囲まれている。
遠くで光る紅い光は、学園長の魔法だろう。
みんな、息が切れている。
みんな、頑張っている。
みんな、まだ希望に燃えている。
ぼとり。
鈍い音と共に、黒い塊が落ちてきた。
黒い、と思ったのは髪の毛で、それはホワイト、という名前に似つかわしくない色で。
「ホワイトさん…」
学園長に付き従うメイドは、悪魔によって、もう働かなくてもよくなっていた。
墜ちてきたのは頭だけで、残りの身体は…
悪魔に食われているのがみえる。
まだ絶望するには早い。
私たちはまだ生きている。
悪魔の数は…それでも最初よりは減っている。
私たちが力尽きる前に。
私たちが全滅する前に。
「…師匠、お願いします」
閃光が走り、吸血鬼が、私たちの開けた悪魔の穴をかいくぐり、前へ、前へと飛んでいく。
■■■■■
「500年!会いたかったよ!」
黒いゴシックドレスが風に飛ばされ、ところどころ破れている。
その深紅の髪は血のように翻り、まっすぐ、目の前の男を見つめていた。
「…ミラルカ、か」
「ネクロス、久しぶりだね」
「君をここまで招待した覚えはないのだが」
「奇遇だね。私も招待された覚えはないよ」
もしもここが屋内なら、屋敷なら、吸血鬼は呼ばれた家にしか入れない。
「外で良かったよ」
こんにちは、ネクロス。
さようなら、ネクロス。
そういうとミラルカの白皙の指の先から伸びる長い爪が、目の前の男のフードを切り裂いた。
春の日の草原のような新緑の髪の毛がフードから零れ、その中から死んだ魚のように淀んだ瞳がみえる。
「相変わらず…いい男だね」
「そういう君も、500年前と変わらず、美しい」
男の手が、変化した。
黒く、長く、まるで槍のように。
その槍はミラルカを貫き、通した背中から赤い鮮血が飛び散り…そして血が蝙蝠に変わり、ミラルカは笑って空を舞う。
「吸血鬼を殺すには、木の杭じゃないといけないって、お母さんから教えてもらわなかったのかい?」
「母の思い出など…もう無いよ」
あるのは、君と過ごした、あの美しい日々だけさ。
そう言って笑うネクロス。
怒りと憤怒と煽情に顔を真っ赤にするミラルカ。
「どの口が!どの口が!どの口が!」
「ひどいな、恋人に向かって」
「恋人なら、私を裏切らない!」
両親を騙さない。
妹を騙さない。
私を…《不老》になんてしない!
「僕のおかげで…君は500年たっても…老いずに、昔と変わらず」
美しいままじゃないか。
永劫の輪廻の中で。
君だけが。
輪廻の輪から外れることができたんだよ?
「戯言を…」
「真実だよ」
そして我々教団は…今日。
《不死》を、手に入れる。
視線が。
男の視線が。
私に、届いた。
見られている。
私を、見られている。
私を…捕えようと、している。
音が、した。
私の背後から、空間が、割れる音。
振り返ると、そこには…
絶望が、見えた。
空間に長い亀裂が入り、その中から、手が見えた。
青白い肌。長い爪。
グレーターデーモンの、爪。
それが空間を内側から切り裂いて、こちら側に顕現しようとしている。
その爪が増える。
増える。増える。
無数に、増える。
(何体…)
これ以上増えると…もう。
全滅。
その文字が、頭に浮かんだ。
私の大事な人も、学園も、何もかも。
さっき壊されたホワイトのように。
私たちの目の前で蹂躙された、王下四天王のように。
蹂躙され、食べられ、まき散らされ。
そして《不死》の私だけが残される。
(レナ)
私の、光。
失いたくない。
(いいかい)
修行の時、師匠から教えてもらった言葉を思い出す。
(お前は、《不死》の使い方を知らない)
だから、学んだ。
だから、修行した。
《不死》をつかっての超回復。それを使った特訓。
(最後の手段がある)
普通なら、最後の手段。普通の人間なら、最後の方法。
一度しか使えない、命を賭ける魔法。
禁呪。
(でもね、リゼル)
お前なら…
《不死》なら。
(そんな禁断の魔法だって、何回だって、使えるんだよ)
だってお前は…死なないから。
無言で、私は駆けた。
空間に、切り裂かれたその先を。
悪魔が爪で、空間を開いている。
目が見える。
白い目。意志のない目。
悪魔の、無数の目。
(悪魔がこちらに顕現したら、私たちは全滅する)
けど。
こちら側に、来させなければ。
向こう側で、内側で。
「やぁ」
私は躊躇なく、その裂け目に飛び込んだ。
上も下も右も左も分からない。
無数の目に取り囲まれ、爪が迫り、悪魔が嗤う。
「命を、賭ける」
あぁ、なんて。
私にとって。
軽い言葉なのだろう。
私は切り裂かれながら、詠唱を唱える。
重さは、小さい重さでも、そのうちには光の二乗の力を込められていると聞いたことがある。
私の命を燃やして、私の身体を材料にして、私を燃料にして、内側から…私の身体の内側から…
空間の裂けめの内側から。
自爆、しよう。
どうせ…私…
《不死》だから、生き返るから。
私の命なんて、軽いから。
詠唱が、終わる。
身体が…光に包まれて。
「リゼル!」
声が。
私の、大好きな人の声が。
届いた。
手が伸ばされる。
レナが。
裂け目を超えて、空間のこちら側へ…私のいる方へ、
来た。
「いっちゃ、いや!」
私の命なんて軽いのに。
私の命なんて、ただの呪文の材料にしかしないのに。
私、《不死》なのに。
「死んじゃ、いや!」
レナだって、私が《不死》だって知っているのに…
なのに、レナは。
私の命を、大事にしてくれる。
レナが、私を抱きしめてくれた。
《聖女》の加護が、私を包み込み。
(レオン…ヨシノ…師匠…学園長…)
どうか、ご無事で。
私はレナと共に、空間の内側で小さな宇宙の始まりとなって、爆ぜたのだった。




