第21話 不死を切り裂く閃光
「拙者が…貴殿の妹君を…でござるか」
目の前にさげられた吸血鬼の頭を見つめながら、ヨシノは考えこむようにつぶやいていた。ヨシノの茶色い瞳は少し悲しそうで、その様子を見ていて、私ははっと彼女が以前語っていたことを思い出した。
(妹がいるでござる)
(妹は、生まれた時から死のさだめに魅入られておりました。ありとあらゆる苦痛がその身を焦がし、蝕み、命を削っているでござる)
(12歳まで…生きていられるかどうか、分からないでござる)
そうだ…ヨシノは。
妹の為に、頑張って、頑張って、ここまで来ているんだ。
そんなヨシノに…
「拙者、戦いの中で相手の命を奪うことは…仕方がないことだと思っているでござる」
ゆっくりと、しかし淀みなく、ヨシノは言葉を紡いでいく。
「しかし、罪のない相手を…無抵抗な相手を…その命を奪うのは…」
苦悩がみえる。葛藤しているのが分かる。
ヨシノの口から零れる言葉の節々から、彼女の想いが溢れてきている。
(ああ、この子は)
本当に、純粋なんだな、と思った。
たとえ誰が相手だったとしても、揺るがない「自分自身」というものを持っているのだろう。それは見方を変えればただの頑固者と言われる類のものだとは思うけど、私にとっては、そういうヨシノの愚直なところは、とても好ましく思えた。
「…ひとつ、訂正する」
頭を下げたままのミラルカが、静かに口を開いた。
「先ほど、私はあなたに対して、私の妹を殺してほしい、と頼んだ。申し訳ない。この言葉は、厳密にいえば正しくは無かった」
そして、顔をあげる。
名工の作り上げた陶磁器のような白皙の肌に、一筋の涙がこぼれているのが見えた。
吸血鬼は、泣いていた。
吸血鬼は、流れ水に弱いというのに。
「妹は、フランチェスカは、すでに死んでいる。たしかに、スキルのせいで命だけは保っているものの…あれは、生きている、とはいえないだろう」
ヨシノが唾を呑み込む音が聞こえた。室内で風もないのに、その黒髪が揺れているのがわかる。
「正直に言おう…私は…楽になりたいのだ」
ミラルカは、言いにくいことを、隠さず、伝えてくる。
「妹のことを思って…ではない。私は、私自身の為に、妹を楽にしてやってほしいのだ。たしかに、老いて朽ちていく妹を見るのは、辛かった。悲しかった。だが、そんな気持ちが続いたのは最初の100年だけだ…悲しみを維持しながら生きるには…500年は…長すぎる」
顔をあげたミラルカは、そのまま静かに、床に足をついた。豪奢な黒ゴシックのドレスのスカートがふわっとひるがえり、そのまま吸血鬼は床に座る。
「私が殺してほしいのは…妹の…《不死》の概念だ」
そう言いながら、ちらりと、私を見る。
その瞳の中には、まるで地面に落ちて死んでいく虫を見るかのような、よどんだ憐れみが浮かんでいるのが分かる。
「東方から来た侍よ、あなたなら、あなたのスキルなら、その概念を斬ることが出来る」
そして、それは。
もしかしたら。
(私…も)
「私の妹、そしてそなたの仲間」
2人の、《不死》の概念を斬って、
「私たちを…楽にしては、くれないか」
■■■■■
再び、地下室。
私たちは腐臭ただよう、その部屋の中にいた。
(昨夜)
私たちは吸血鬼と戦い、ヨシノの《一太刀入魂》を浴びせた。
(ヨシノのスキルが使えるのは、一日一回)
だから一日経過した今日なら、またもう一度、あのスキルを使うことが出来る。
「…におう、ね」
ぽつりと、私は本音を漏らしてしまった。私の前を歩いていた吸血鬼は、振り返りもせず、平坦な声で答える。
「素直に言ってくれていいのだぞ。私の妹を、臭い、とな」
それは事実だからな。
そう言いながら、ミラルカは腰をかがめ、目の前に醜く横たわる緑色のぶよぶよした妹に手を伸ばした。
まるでアメーバーのように、緑色のそれはにゅるりと伸びてきて、ミラルカの手に触れる。ぷちゅっと音がして、汚らしい緑色の液体が飛び散り、白皙のミラルカの頬を汚した。
「フランチェスカ、私はお前を…愛していたよ」
それが今は、何も感じない。
まるで植物のようなものだ、お前は。
そういうと懐から純白のハンカチを取り出し、頬と手についた汚れをふき取り、眉をひそめたまま、そのハンカチを投げ捨てる。
「《不死》の子よ」
ミラルカは私を見て、つとめて無表情に、淡々と言葉を続けた。
「用意が出来たら、言ってくれ」
そしてヨシノの方を向き、こちらは丁寧に、敬意をもって、頭を下げる。
「侍よ。どうか…宜しくお願いしたい」
「…拙者は」
ヨシノは、何かを決意したかのような瞳を浮かべていた。迷いが見えない。一度決めた道を、信念を、貫いていこうとする意志が見て取れる。
「妹の為に、ここまで来たでござる。その道の先に、貴殿が…貴殿の妹君が、いたのでござる」
腰にかけていた刀の柄に、そっと指を触れる。地下室内を照らす松明の炎がゆらりとその指を照らしている。
「先刻、貴殿は、楽にしてくれ、と拙者に言ったでござるな。もう疲れたと、何も感じないと、吸血鬼は嘘をつけない、と」
その通りよ、と、吸血鬼は答える。
ヨシノはそんなミラルカを、曇りない瞳で見つめる。
「それは嘘でござる。100万回の嘘も、500年の嘘も、あの時貴殿が流した1回の涙にはかなわないでござるよ」
ヨシノの言葉に、ミラルカは答えない。こたえない、が、その頬に、薄紅色の血色が咲いたのが見えた。
「…《不死》の子よ…」
用意、しなさい。
吸血鬼はそう言い、私も動く。
(臭い)
先ほどのミラルカと同じように、前の前にある緑色のぶよぶよした塊に手を伸ばす。まるで条件反射のように、それはまたアメーバーのように触手を伸ばしてきて、私に触れてくる。
ぶちゅっという気泡と共に、飛び散った緑色の臭い液体が私にかかる。
先ほどのミラルカはこの時点で手を離したけれど、私は離さなかった。
逆に、もっと近づき、それを、抱きかかえる。
(肌触りが…気持ち悪い)
皮膚の上を数百匹のナメクジが這いまわっているような気がする。蠢きながら、臭い匂いをまき散らしながら、それは動いていた。
(これが…私の…未来の姿?)
《不死》の結論?
いま、憐れんでみているこれに、私もいずれはたどり着いてしまうというのだろうか。
(もしも、そんなことになったら)
私は、それを抱きかかえたまま、みんなを見る。
レナがいる。レオンがいる。
私の…好きな子と、私の…大切な幼馴染。
(この2人も、私のこと、嫌いになるかな)
あは。
その前に、2人の方が先に死んでいるか。
なら、どうあがいても、私がこんなになる姿を見られることはないか。
(…そんなの、何の慰めにもならないよね)
希望が欲しい。
この絶望の海の中で、先に進むための道しるべが欲しい。
手の中で、うじゅるうじゅると緑色のそれは蠢いている。そこに知性を感じることは出来ない。ただ、反応するだけ。命があるだけの、死体。
…ジャバァ…
緑の腐った液体が、腐りきった生肉のような匂いと共に、私の腕の中で蠢きながら音を出している。
早く、楽にしてあげてほしい。
吸血鬼を見る。
暗闇の海の中で、一筋の希望を見出した吸血鬼を。
そして、ヨシノを見る。
私の憧れ。
東方から来た、黒髪の少女。
「ヨシノ」
ジャバァアアアアア…
手の中で蠢くそれを抑え込みながら、私はヨシノに懇願する。
「お願い」
ウォオオオネェエエジャバアアァアッァアアア
それは、蠢いて。
汚い液をまき散らしながら。
まるで、喋るように。
オネエジャマァ……ゴベンナザイィィィィイイ…
お姉さま。
ごめんなさい。
《一太刀入魂》
ヨシノの指が、手が、刀が。
白く光ったような気がした。
閃光と一閃。
私と…フランチェスカの身体を、一瞬で線が引かれる。
(斬られた)
はず、なのに。
痛くない。
私は…
私には、
変化がなかった。
どろり。
手にしていた緑色の液体が、私の手の中から零れていった。
匂いが…ない。
先ほどまで皮膚の深層にまで染み込んでいたようだったあの臭い匂いが、まるで夢だったかのように消えていた。
(落ちる…落ちていく…)
液体は、薄く、透明になっていく。
どろりとしていたそれは、朝の雫のように、清らかになって。
パシャリ
と音だけを残して、床に広がっていった。
(もう死んでいる)
ミラルカは、そう言っていた。
うん。死んでいたものが、死んだ。
それだけのこと、なのだろう。
《不死》が消えて、解放されて、楽になったのだろう。
(本当に、意志は、残っていなかったのかな)
それはもう、分からない。
確かめるすべもない。
最後、あれが、姉に対する謝罪を語っていたような気がしたけど。
嗚咽が、聞こえてきた。
ミラルカがゆっくりと、…本当にゆっくりと歩きながら、私の傍に来る。
泣いてる。
その涙の意味は、私には分からない。
ミラルカが見ていたのは私ではなく、私の足元に零れ落ちた綺麗な水だった。
ミラルカは跪き、手を伸ばし、床に触れる。
その手を水が濡らすが、もう彼女はそれをぬぐおうとはしない。
「ごめんね、私、楽になりたかったの」
貴女を救いたいのではなく、自分が楽になりたかった。
だから、ごめん、ね。
謝ってばかりだ。
お互い、謝ってばかりだ。
姉も、妹も。
お互いのことだけを。
私には、確信があった。
身体の中を通り過ぎていった、ヨシノの一閃。
吸血鬼の妹の《不死》を切り裂いた、奇跡の閃光。
(でも)
私は懐に差していた、短剣を取り出す。
この姿、レナに見られたくないな、と思いながら、レオンが、私を見ているのを感じながら、レオンは…分かってくれるだろう、と思いながら。
くるりと短剣を回すと、そのまま私の心臓に。
突き刺す。
噴き出した血が、足元の水に触れて。
《不死》
ああ。
やっぱり。
ヨシノの閃光は、私をすり抜けて…私の《不死》に触れることなく、吸血鬼の《不死》だけを切り裂いていたのだった。




