国を知りたければ、まず卓につけ
クラリッサは二人の必死の訴えを受けても、眉ひとつ動かさず余裕の笑みを浮かべていた。
そして手にした扇子を――ぱんっ、と乾いた音で打ち鳴らす。
「ええやないか」
その一言が、広い謁見の間を支配する。
ミーナもジェロードも言葉を失い、彼女の次の言葉を待つしかなかった。
「経済なんざ後からでも立て直せる。税も商売も、いくらでも仕組みは作り直せるやろ」
クラリッサの紅い瞳が妖しく輝く。
「せやけど――心が貧しいままの国は、立ち直ることすらできんのや」
その声音には悪魔的な艶がありながら、不思議と揺るぎない確信が宿っていた。
彼女の信念は単純かつ苛烈。
――まず国民に夢を与えること。
――そして熱狂を共有させること。
役満免税制度。
それは狂気と呼ぶにふさわしい政策でありながら、同時に民衆の心をひとつにまとめ上げる、恐ろしく精密な仕掛けでもあった。
ジェロードは愕然とし、ミーナは唇を噛みしめる。
だがクラリッサはただ、満足げに悪魔的な笑みを深めるばかりだった。
――“マージャン王国”の精神統一は、すでに始まっていた。
国際的反応
――役満免税制度が告げられてからというもの、マージャン王国の熱狂は留まるところを知らなかった。
村人も、商人も、役人も。誰もが役満を夢見て卓に齧りつく姿は、もはや日常風景。
その異様な様子は、瞬く間に周辺諸国へと伝わる。
「畑も家畜も放り出し、民が麻雀漬けになっている国がある」
「しかも、役満を上がれば税が免除になるらしい」
「いや、むしろ国是そのものが麻雀だと……?」
――各国の王侯貴族たちは最初、鼻で笑った。
だが、ただの冗談や戯言では済まされぬと知るのに時間はかからない。
街道を行く商人たちは「マージャン王国では点棒が通貨だ」と真顔で語り、
行き交う旅人は「子供たちがリーチ!と叫びながら走り回っていた」と証言する。
奇妙な噂の数々は、やがて周辺諸国の宮廷をざわめかせ、ついには決定が下された。
「実態を確かめよ。視察団を派遣せよ」
かくして、隣国の騎士団長や、遠方の商業都市の使者、さらには聖職者たちまでもが次々とマージャン王国へ足を踏み入れることとなった。
彼らの胸中にあったのは、不安と侮蔑、そしてほんのわずかな好奇心。
――だが、この旅が自らの価値観を根底から覆すことになろうとは、まだ知る由もなかった。
――マージャン王国を訪れた視察団。
隣国ガルドリア帝国の使節、商業都市アルメリアの議員、そして教会の高司祭までもが、緊張と好奇の入り混じった面持ちで城門をくぐった。
「これが……噂に聞く“麻雀の王国”か」
「民の顔がやけに生き生きしているように見えるのは……錯覚か?」
そんな議論を交わしていた彼らを待っていたのは、公式会談ではなかった。
――用意されたのは、煌びやかに磨かれた四面の雀卓。
クラリッサは扇子を軽く打ち鳴らし、悪魔的な笑みを浮かべて言い放つ。
「百聞は一見にしかずや。国を知りたければ、まず卓につけ――打ってみい」
外交儀礼を重んじる使者たちは最初こそ躊躇した。
だが、配られた牌を手にした瞬間、その目の色が変わる。
「……な、なんだこの妙な高揚感は……!」
「あと一枚……あと一枚で清老頭が……!」
「リーチ! ……くっ、ダメだ、もう一戦!」
一度でも役満の光景を夢見たが最後、視察団は麻雀の魔力に呑み込まれていった。
昼夜を問わず卓を囲み、帰国の船を延泊させ、ついには地元の農民や商人と徹夜戦を繰り広げる始末。
数週間後、ようやく帰国した彼らが持ち帰った報告書には――
外交情報や軍事的分析はほとんどなく、記されたのは熱に浮かされた言葉ばかり。
「国士無双こそ国家理念の結晶である」
「役満免税は、民に夢と誇りを与える革命的制度だ」
「麻雀はもはや遊戯ではない。これは一種の信仰である」
読み上げられたその報告に、各国の宮廷は戦慄した。
――マージャン王国の狂気は、すでに国境を越えて伝播し始めていたのだ。――ガルドリア帝国、皇城の玉座の間。
視察団の報告を聞き終えた皇帝レオンハルト三世は、血潮をたぎらせながら立ち上がった。
「なんと痛快な国策だ! 役満を上がれば税を免除だと!?
……面白い! 我が帝国でも導入せよ!!」
声が石造りの大広間に響き渡り、廷臣たちがざわめく。
蒼白になった宰相オルドレフが慌てて前へ進み出た。
「陛下、なりませぬ! もしそのような制度を導入すれば……!
農民は畑を捨て、兵士は剣ではなく牌を握ることになりますぞ!」
「む……確かに……」
皇帝は一瞬考え込み、髭を撫でながら唸る。
「だが、役満の輝きを知ってしまった者を止められるか?
……わしは知ってしまった。あのロマンを!」
宰相の胃が音を立てて縮むような沈黙。
結局、正式な制度導入は宰相と元老院によって阻止された。
だが――それで終わりではなかった。
皇帝は以後、政務の合間にしばしば雀卓を城に持ち込み、
「今日の軍議は半荘で決めるぞ!」
「清一色を決めた者に褒美を与えよ!」
と、すっかり麻雀に溺れてしまったのだ。
兵士や廷臣たちは、剣よりも牌を握る皇帝の姿を「雀卓を囲む皇帝」とひそかに呼び、頭痛の種として嘆息することになる。
――ガルドリア帝国、最強の軍事国家に走ったこの小さな綻びが、後に予想外の波乱を呼び込むことを、誰もまだ知らなかった。――神聖教会、大聖堂。
高くそびえるステンドグラスの下、荘厳な声が響いた。
大教会の高僧、マルセリウス枢機卿が聖壇に立ち、集う信徒たちへ告げる。
「聞け、子らよ。
麻雀とは――心を鍛え、精神を磨く修練である。
四風の流れを読み、牌の定めを掴むことは、すなわち神の摂理を理解する道なり。
そして役満……それは神より与えられし啓示に他ならぬ!」
堂内がざわめく。信徒たちは互いに目を見交わしながらも、真剣に耳を傾けていた。
やがて枢機卿は厳かに両腕を広げる。
「よって、教会は新たな修行を定める。名付けて――『役満修行プログラム』である!」
修道士たちが一斉に冊子を掲げる。そこには「国士無双への道」「大三元の心得」「四暗刻瞑想法」といった謎めいた修行課題が列挙されていた。
「信仰を試す試練として、役満を和了せよ」
「神の祝福を受ける者は必ず天和を引き当てるであろう」
――そんな奇怪な宗教儀式の導入まで検討され、信徒たちは熱狂と困惑の入り混じった表情を浮かべる。
街の片隅では信徒たちが祈りながら牌を握り、寺院の中庭には石造りの雀卓が並ぶ。
祈祷とともに「ツモ!」の声が響く光景は、やがて各地で見慣れたものとなっていった。
こうしてマージャン王国の狂気は、ついに宗教界にまで波及していくのであった。――それは酒場の片隅、旅人たちの口から広まった。
「聞いたか? マージャン王国から帰った使者ども、全員が麻雀中毒になって戻ったらしいぞ」
「外交官が真顔で『リーチ棒を資産として申告したい』とか言い出したって話だ」
笑い話のように語られた噂は、瞬く間に周辺諸国を駆け巡る。
◆
とある港町では、港湾警備隊が荷を改め、真剣な顔で囁いた。
「……これは麻薬じゃない。リーチ棒の密輸だ」
「一本五千点分の価値があるらしいぞ。闇市で取引されているとか」
◆
大国の議会では議員たちが頭を抱える。
「役満を国是とする国? なんという狂気だ」
「だが……笑って済ませていいのか? あの熱狂、もし軍事に転用されたら……」
「兵士たちが一糸乱れぬ“打ち筋”で動いたら、我が国は抗しきれるのか?」
◆
巷では「雀卓を囲めば人生が変わる国」「和了すれば税が消える楽園」などと語られ、
一方で外交筋では「狂気に包まれた新興国家」として、慎重な観察対象となっていく。
笑いと戦慄。
マージャン王国は、国際社会においても唯一無二の存在として刻まれ始めていた。




