経済より先に心を満たすんや
高座の奥、玉座代わりの椅子に腰掛けたクラリッサは、群衆が市場で赤ドラ札を振りかざして喜んでいる光景を見下ろしていた。
その口元には、悪魔的な微笑み。
――ただの通貨制度やない。
「点」を貨幣にすれば、民は日常の一挙手一投足まで麻雀に絡めて語る。
「今朝の卵は三百点やった」
「給金は二万五千点や、親の初期持ち点と同じやな」
「昨日は雨で振り込んでもうたわ」
無意識のうちに、彼らの言葉は“麻雀の文法”に絡め取られていく。
クラリッサの瞳が妖しく光る。
「……せや。打てば打つほど栄える国――それは、勝敗だけやなく、生活そのものを卓に変えることや」
ただの遊戯を国是としただけではない。
通貨を「点」に縛りつけることで、民は麻雀から逃れられなくなる。
知らぬ間に雀士としてのアイデンティティを刻み込まれ、国の一員として形づくられていくのだ。
ジェロードがそっと問う。
「……嬢様。これは国の統治というより、国民全員を“牌”に変える策では?」
クラリッサはニヤリと笑い、扇子を開く。
「フフ……それこそがウチの国づくりや。ええやろ? 国民が無自覚にでも、“麻雀の駒”として団結してくれるんやで」
広場の喧噪が遠く聞こえる中、クラリッサは確信する。
――点数を通貨化した瞬間、この国の未来はすでにツモり込んだのだ、と。
――その日、王国広場はふたたび熱狂に包まれた。
太鼓の合図と共に高座へ上がったクラリッサは、悪魔的な笑みを浮かべる。
扇子をひと振りして群衆の視線を一身に集めると、朗々と宣言した。
「聞け! 本日をもって、役満を上がった者は、その年の税を全額免除とする!」
一瞬の静寂。
誰もが耳を疑い、ざわめきが広がる。
「……え? 役満? 税が免除?」
「そんな夢みたいな話……」
次の瞬間――群衆は爆発した。
「うおおおお!!!」
「国士無双で税がタダやと!? 今年こそ狙ったるわ!」
「ワシも四暗刻を!」
農民も商人も旅人も、誰もが雀卓へ駆け出す。
屋台の台はひっくり返され、通りには即席の卓が並び始める。
祭りのような喧騒の中、クラリッサはゆったりと口角を上げた。
「ええやろ……夢を見させるんが、国づくりの第一歩や」
その声は喧騒にかき消されながらも、確かに群衆の胸に響いていた。――制度が布告されてからわずか数日。
マージャン王国の景色は一変した。
畑では黄金色に実った稲が風に揺れる。
だが、その前で農民たちは鎌を放り出し、土埃にまみれながら卓を囲んでいた。
「米を刈るより、国士無双や!」
「ロン! ……あ、またチートイツやったわ」
稲穂は刈り取られぬまま、雀卓に身を捧げる農民たちの笑い声が響く。
一方、街の商館。
商人たちは帳簿を広げるどころか、帳簿の上に麻雀牌を並べていた。
「この取引、どっちが一発ツモするかで決めようや」
「商売は勝負や。ツモるまで帰れんで!」
通りの角では、旅商人と宿屋の主が互いに真剣な眼差しで牌を切っている。
さらに深刻なのは役所だった。
本来なら山積みの税務書類を処理すべき窓口は――見事に牌山で埋め尽くされている。
「ちょ、ちょっと待て! 役満テンパイや!」
「税の処理? ……流局したらやる」
役人たちは徹夜の卓につき、窓口の前で村人が途方に暮れる。
だが――それでも誰も文句を言わなかった。
なぜなら、すべての民が同じ夢を追っていたからだ。
――役満一発、税ゼロの夢を。
クラリッサは高座からその光景を眺め、満足げに扇子を打ち鳴らした。
「ええやん……これがウチの国の呼吸や」――王国の教育現場もまた、狂気の熱に染め上げられていた。
かつて子どもたちが声を揃えて「九九八十一!」と唱えていた教室。
いま黒板に書かれるのは――「20符2翻=子7700点」「ツモれば1300・2600」など、符計算の公式であった。
教師がチョークを叩きつけ、朗々と声を響かせる。
「ハイ、全員復唱! 二〇符二翻は!」
「こ、子七七〇〇点!」
「そのツモは!?」
「い、いちさんろくに!」
子どもたちの声はまだたどたどしいが、確かに国是へと染まっていた。
体育の時間になれば、校庭には牌山を模した白いブロックが並ぶ。
「よーい、ツモ筋ストレッチ!」
腕を真横に突き出し、ツモ動作を繰り返す子どもたち。
「リーチ棒リレー、位置について!」
赤い棒をバトン代わりに、全力疾走する生徒たち。
休み時間も、鬼ごっこの代わりに「リーチごっこ」が流行していた。
「リーチ!」と叫んで追いかけ、「ポン!」と叫んで仲間を横取りする。
あちこちから「ツモォ!」の叫び声がこだまするたび、教師は苦笑をこぼした。
そして授業の締めくくり。
教師が机を叩き、教室に緊張が走る。
「今日は捨牌読みの小テストや。裏目を引いたら減点やで」
子どもたちの瞳が、真剣に輝いた。
もはや学問の基礎は――麻雀の読みと手筋だった。――やがて、王国の風景そのものが麻雀に塗りつぶされた。
昼夜を問わず、あらゆる場所に雀卓が置かれている。
広場の噴水の脇では農夫たちが泥だらけのまま卓を囲み、酒場では酔客が「リーチ一発ツモ!」と叫んでジョッキを打ち鳴らす。
寺院の静謐な回廊にも、修道僧たちが無言で牌を積み上げる姿。
さらには遠洋航海の船の甲板にまで簡易卓が並び、船乗りたちが波に揺られながら「国士か、それとも大三元か」と騒ぎ合う始末。
――しかし、ただ打つだけでは終わらない。
王国では“役満免税制度”を徹底するため、和了の瞬間の牌姿そのものを「免税証明書」として提出する仕組みが導入された。
そのために各地には“役満記録官”と呼ばれる役人が派遣される。
彼らは筆と羊皮紙を携え、真剣な顔で和了形をスケッチし、日付と場所を記録に残す。
「……確かに四暗刻単騎。これにて本年度の税は免除とする」
「おおっ! ウチの家計は救われた!」
農夫の歓声に、記録官は事務的に頷く。
広場で、酒場で、寺院で、船の上で。
牌が倒れる音と「役満成立!」の声が、まるで鐘の音のように国中を響き渡らせていた。
クラリッサが掲げた狂気の制度は、ついに人々の暮らしそのものを塗り替えていったのである。
王城の一室。
普段は静謐な謁見の間が、いまや緊迫した空気で満ちていた。
ミーナが机を叩き、必死の形相で訴える。
「お嬢様! 国民全員が麻雀漬けです! 畑は荒れ果て、収穫物は干からび……商業は止まり、街道は雀卓で塞がれ……挙句には家畜まで放置されております!」
机の上に積まれた報告書には、干からびた田畑や雀卓に群がる農民たちの絵図まで添えられていた。
ジェロードも深いため息をつき、額に手を当てる。
「……確かに、いまの盛況は狂気の域。民草が笑っておるのは結構なことですが……このままでは国そのものが破綻しかねませんぞ、嬢様」
二人の必死の声が室内に響く。
だが玉座に腰掛けるクラリッサは、まるで舞台の主役のように足を組み、扇子で口元を隠しながら静かに笑っていた。
「――ふふ、心配性やなぁ」
彼女の紅い瞳は、何かを確信した者の光を帯びている。
ミーナとジェロードの不安と焦燥が頂点に達する中、クラリッサは悪魔的な微笑を深めていくのだった。




