異国の雀士東方の策士
領地の広間は、普段の宴席では到底見られぬ熱気に包まれていた。
壁際までぎっしりと観客が詰めかけ、村人や旅人に混じって、隣領の役人までもが目を光らせる。
「これが“麻雀王国”の実力を示す舞台か……」と囁かれるほどに、今日の対局は国を挙げたお披露目大会の目玉であった。
特別に設えられた卓の前へ、絹衣に身を包んだ一人の男が静かに進み出る。
その所作は流麗で、まるで舞うように優雅。彼の名は――李嵐。
中央の貴族であり、名家に連なる血筋の雀士。
李嵐は観客へ軽やかに一礼し、正座のように背筋を伸ばして卓へ腰を下ろした。
「国を築くに相応しい才覚か――確かめさせてもらおう」
その一言に、広間は水を打ったように静まり返る。
凛とした声音に、誰もが気圧された。
だが――対面に座ったクラリッサは、肩を揺らして笑う。
悪魔的な自信を湛えたその眼差しが、卓の向こうで李嵐の冷徹な光と交錯する。
「望むところや」
その声は、雷鳴のように観客の胸を震わせた。
ついに始まる――麻雀王国と中央貴族の、威信を賭けた一戦が。
最初の配牌が配られた瞬間から、広間の空気が変わった。
李嵐の指は、ほとんど動かぬように見えて――だが確実に、卓の流れを支配していた。
クラリッサが牌を引き、わずかに息を吸った。
その瞬間、李嵐の目が細められる。
「……ふむ、そちらは一気に加速してきますか」
小さく呟くと同時に、彼は迷いなく安全牌を切り落とす。
そして次巡、クラリッサが「リーチ!」と宣言した直後――李嵐は躊躇なく“完全オリ”。
だが、それで終わりではなかった。
流れを察したように、別の対局者へ絶妙に危うい牌を押し付ける。
結果――クラリッサはアガリを潰され、代わりに他家が和了する。
「なんやて……!?」
クラリッサの眉が僅かに吊り上がる。
観客がざわついた。
「嬢様が押し切れないだと!?」
「いや、あの男……見えてるのか? 全員の手が!」
ジェロードは目を細め、低く呟く。
「……恐るべき読み。嬢様だけでなく、全員の打ち筋を俯瞰している……まるで盤上の支配者ですな」
その言葉にミーナが顔を青ざめさせる。
「で、でも……そんなの勝ち目ないんじゃ……?」
広間に走る緊張。
序盤にして、李嵐の“貴族流麻雀”の恐怖が、誰の目にも刻まれた。場が進むにつれ、李嵐の麻雀はさらに陰影を帯びていった。
彼は優雅に牌を鳴き、誰の目にも奇妙に映る形で手を進める。
「チー」
「ポン」
その連打が場を乱し、クラリッサのテンパイは次々と崩されていく。
リズムを掴もうとした瞬間にはもう、李嵐の仕掛けが先回りしていた。
「国を治める者は……ただ勝つだけでは不十分だ」
李嵐は冷ややかに微笑む。
「必要なのは、“相手を負けさせる”術を知ること」
次局も、またその次の局も――彼の支配は続いた。
和了はしない。ただ流局を繰り返し、卓の熱を冷まし、クラリッサの闘志をすり減らしていく。
「くっ……!」
クラリッサの指が一瞬だけ止まる。
焦燥が胸を掠めるのを、彼女自身も悟った。
観客も気づき始める。
「嬢様が……攻めきれない……!」
「点差が……開いてきてるぞ!」
ジェロードが低く唸る。
「……まるで戦場における“消耗戦”ですな。嬢様の呼吸を、意図的に乱している……」
点差はじわじわと広がり、広間の空気は李嵐の思惑通り、静かに嬢様を追い詰めていた。李嵐の扇子が静かに揺れる。
彼が捨て牌を覆うたび、わずかに生まれる「間」。
それは呼吸ほどの一瞬――だがクラリッサの目は見逃さなかった。
「……なるほどな」
クラリッサは口元を吊り上げる。
「扇子で隠す時の間合い、それが“狙い牌”のサインやな」
再び牌を握る手が、落ち着きを取り戻す。
あえて高打点を追わず、目立たぬ安手で局を進める。
一つ、また一つ。小さな和了を積み重ね、点差を着実に削っていった。
「リーチ……ドラなし。せやけど、これで十分や」
クラリッサが淡々と積もを重ねるたび、観客のざわめきは大きくなっていく。
「嬢様が……流れを取り返した!」
「小さな一撃でも、続けば大河になる……!」
李嵐は目を細める。
彼の罠を逆手にとり、逆に“読み”を操るクラリッサの姿。
そのしたたかさに、策士の唇がわずかに綻んだ。
クラリッサは涼しい顔で告げる。
「ウチの国は派手さだけやあらへん。したたかに、何度でも這い上がるんや」
場の空気が再びクラリッサへと傾き始めていた。卓上に、緊張が張りつめていた。
オーラス――最終局。
李嵐の手牌は、恐ろしく整っていた。
一色に染められた竹牌が揃い、完成まであとわずか。
「……清一色・倍満」
観客の誰もが、勝利を確信していた。
「嬢様が……押し切られる……!」
「策士の構築力は、やはり次元が違う!」
クラリッサは沈黙していた。
その指先は、あたかも守りを選ぶかのように慎重に牌を捨てていく。
李嵐の目に映るのは、ただの耐えに見える。
――だが。
最後のツモ牌を引き上げた瞬間、クラリッサの口元が鋭く吊り上がった。
「……リーチ。混一色・ドラ2。これで跳満や!」
牌が卓上に叩きつけられる。
その瞬間、李嵐もまた扇子を広げ、静かに宣言した。
「清一色、倍満」
二人の和了が同時に炸裂する。
会場が悲鳴のようなどよめきに包まれる。
「ダブル和了!?」
「こんなこと……あり得るのか!」
点棒が計算される――そして。
「勝者、クラリッサ嬢!」
わずか数百点。
その僅差で、悪魔令嬢が策士を上回った。
クラリッサは椅子の背に身を預け、肩を揺らして笑う。
「せやから言うたやろ。道を作るんは、ウチやって」
李嵐は静かに目を閉じ、深く息を吐いた。
敗北――だがその目は、満足した策士の光を宿していた。静寂。
決着の瞬間、広間全体が息を呑んで凍りついていた。
李嵐はゆっくりと扇子を閉じ、卓上に置く。
その動作は敗北を受け入れる者の潔さに満ちていた。
「……なるほど。麻雀で国を治める――笑止かと思っていたが……確かに“器量”は見せてもらった」
彼は立ち上がり、優雅に一礼する。
その姿は、敗者でありながら誰よりも誇り高かった。
クラリッサは卓に肘をつき、悪魔的な笑みを浮かべる。
「フフ……ウチの国づくりは、まだ始まったばかりやで?」
観客は一瞬の沈黙ののち、堰を切ったように歓声を爆発させた。
「嬢様が勝ったぁぁ!」
「悪魔令嬢、また新たな強者を屈服させたぞ!」
「これで本当に……麻雀の王国が始まるんや!」
大広間は、嵐のような熱気に包まれた。
そして――その中心に座る少女の眼差しは、すでに次の強敵を見据えていた。夜更け。
お披露目大会の熱狂が去り、広間は静けさを取り戻していた。
李嵐は帰国の支度を整え、馬車へと向かう前に、ふとジェロードを呼び止める。
扇子を片手にしたその眼差しは、冷たくもどこか愉悦を含んでいた。
「……ジェロード殿。ひとつ忠告しておこう」
「忠告……ですと?」
李嵐は静かに笑みを浮かべ、囁くように言う。
「次は――“西方の狂戦士雀士”が来るやもしれぬ。勝敗に理も礼もなく、ただ暴威で卓を蹂躙する獣だ」
ジェロードの目がわずかに揺れる。
李嵐は扇子を閉じ、背を向けた。
「……異世界の麻雀戦国時代は、すでに幕を開けている。悪魔令嬢の国は――嵐のただ中に立つことになるだろう」
馬車が走り去り、月明かりだけが残る。
ジェロードは深い吐息をもらし、広間を見やった。
そこにはまだ卓を離れぬクラリッサの背中――揺るがぬ悪魔的な笑み。
「嬢様……嵐すら楽しむおつもりか」
そう呟いた声は、夜風に溶けて消えていった。




