8話 四天王登場③
腕相撲─────────
2人が向かい合って肘を固定し、互いの手を握り合い、相手の腕を押し倒すことを競う遊戯。
一見して腕力だけの競技だと勘違いされやすいそれは精神、技術、体力が大きく左右する──────らしい。
アクスレイは魔法を中心に闘うスタイルで肉弾戦は行わない。
過剰なトレーニングによる筋肉の増強、薬物による身体能力の上昇。それら全てを醜悪と見なし嫌悪している。
そんなアクスレイが『腕相撲』という結論に至ったのは、筋肉馬鹿でもわかりやすい単純なルールであることと、大怪我をしやすいと見聞きしたからだ。
腕は肩から肘にかけて伸びる一本の上腕骨、前腕は橈骨と尺骨という二本から成り立っている。
これはミノタウロスであるブロスも同様。
特に上腕骨は捻る力に弱く、骨折に繋がりやすい。
支点になる肘にも多大な強圧が加わり、無傷では済まないだろう。
「しかし腕の長さが足りんではないか」
ただの人間であるガイアスとミノタウロスの中でも巨体なブロスでは身長、体重から腕の長さに至るまで全く違う。
並べばまるで子供と大人。
体格は勝敗に直結し、それが単純な勝負であればあるほど差は顕著になる。
その懸念あってか、アルガナスの最もらしい質問にアクスレイは陽陽と答える。
「ではトクベツコモン殿には台を使ってもらうことにしましょう」
部下に命令を飛ばし、ガイアス側の足元に台座を敷かせ、肘置きを設置。
肘置きという高さが加わったことにより捻りが大きくなる。これで更に怪我をしやすい状況を作り出すことに成功した。
アホのアルガナスが思い付く程度の質問は全て対応可能だ。それも、より危険なやり方で進めれるよう配慮した上で。
ファナールは楽しそうに顔を歪め、ルフタルはただ成り行きを見守っている。
彼らにとってもこの流れを止める理由は無い。自分や支配地域への影響さえなければ過度な干渉はしてこない。
唯一の不安要素であるアルガナスだが──────────
懇親会という建前を守るために部下に食事や飲み物を準備させることも忘れない。
酒が進みそうな味付けはもちろん、好みの塩辛い漬物も各種揃えてある。
アルガナスはソファにどっしりと腰を下ろし、軽食と酒を交互に腹へ流し込んでいる。
何か食わせている間は大人しくしているだろう。
そしてもうひとつ、やらなければならないことがある。
アクスレイはやる気に満ちているブロスの元へ向かう。
「アクスレイか、何ノ用ダ?」
「いや特に用があるわけじゃないんですが────────」
こちらの真意を話したところで、この馬鹿牛が理解するとは思えないし、むしろ余計な邪魔をしそうだ。
妙な正義感を持ち合わせている男だ。プライドがあるのは結構だが、弱者が語る騎士道精神ほど反吐が出るものはない。
「─────別れの挨拶だけはしておこうと思いまして」
だが、馬鹿とハサミは使いよう。
やりようは幾らでもある。
「ド、ドウいうことダ!?」
「もし君が人間なんかに負けるようなことがあれば、恥ずかしくて魔界に居られなくなるでしょう?」
魔族の主従関係は主に武力によって成立する。
力が無い主人に従う理由は無く、それが人間に敗れたとなれば影響力は絶大だ。
力無き主に従う道理は無く、失望した部下は離散してしまうだろう。
「そうなると四天王のまま、という訳にはいきませんよね」
例え当初の目的が果たせなくても、ブロスの戦力を削ることに繋がる。
どう転んでも損は無いということだ。
「そうねぇ、アタシなら人間に負けたご主人様なんて御免だわぁ」
ファナールの捕捉にブロスの表情がようやく曇る。
「オマエら!図ったナ!!」
「人聞き悪いことを言わないで下さいよ。あぁ、安心してください。貴方の土地は残った我々で、ちゃ~~んと管理してあげますから」
ブロスの不安そうな視線がガイアスへと移る。
その背からはスポーツマンシップに則ろうとした清らかな姿は無く、なんとしてでも勝つという気概を感じる。
アルガナスは、というと準備した軽食はすでに食べ終わっていた。
よほど暇だったのか
ガイアスの元へ駆け寄り、頭と拳を左右に振り激励を飛ばしている。
介添人にでもなったつもりか。
いやそもそも腕相撲はボクシングじゃない。
アクスレイは部下にもう一度軽食を持ってくるように指を振り、会場を見る。
既に邪魔な円卓は端へ寄せ、四角の石台を置いてある。ガイアス用の台の準備も万端だ。
肘置きはクッション性の皆無な切り出したただの石。肘の部分だけを高くすることで安全性を取り除いている。
目論見通り、アルガナスは食欲に負けガイアスから離れている。
アクスレイは友人に対するような態度でガイアスの元へ向かう。
「トクベツコモン殿、善戦を期待していますよ」
「お前がどういう性格かはよくわかった。だが……あまり人間を舐めないほうがいい」
ガイアスから瞬間的に発せられた怒気。それは魔族が放つソレに比べるとあまりにも微弱と言わざるを得ない。
だが、何故か、ただの人間が放つ粗末な気配にアクスレイは半歩後退した。
四天王という強者が、自分達を力で縛る男が、人間の気に押された。その事実にアクスレイの部下達は作業を止め、どよめき立つ。
ガイアスが放ったのは、刺し違えてでも討つという玉砕意識を孕んだ怒気である。
魔族は自己こそが全てという意識が根底にあり、死は敗北でありそれ以上の意味を持たない。
だが人間は自己を犠牲にして利他的に動ける稀有な生き物である。
それがどれだけ非合理的な決定──────────血の繋がりや利益が無くとも、それに殉じることができる。
ガイアスは実力差が分からぬ凡夫ではない。
それでも『人間』という種全体が脅かされている今の状況を正しく理解し、反抗することを選んだ。
『例えこの身が朽ちようとも、一矢報いることができるのであれば』
それは短命種故の保存本能か、はたまた生存本能の故障か。
どちらにせよ、魔族には理解し難い感覚である。
つまりガイアスの感情はアクスレイにとっての未知であり、未知とは恐怖に繋がる。
弱者だと侮っていた相手から向けられる感情。未知を恐ろしいと思う防衛本能がアクスレイの身体を動かしていた。
「アハハッ、ダッサ~イ」
ファナールの嘲笑にアクスレイはようやく我に返る。
無意識下で起こした行動を把握できず、止まっていたようだ。
部下は既に何事も無かったように働き始めており、顔を合わせようとしない。
「一杯食わすつもりだったのにやり返されたのねぇ」
「黙れメス豚、殺されたいのですか?」
「アハハハハハッ!!怖い怖い」
アクスレイは深く息を吸い、吐き出した。そうでもしなければ、怒りに任せガイアスを殺してしまいそうだ。
痴態を見た部下は全て処分すればいい。
ルフタルはこの件を公にするような性格ではなく、ブロスはそれを見てすらいない。
他人の機敏に疎いアルガナスは論じるまでもない。
ガイアスが何を言おうと、魔族からすれば人間の戯言など吹聴に等しい。こいつも捨て置いていい。
問題はファナールだ。
この女は性格がねじ曲がっており、他人の足を引っ張ることにかけては優秀だ。
この件のことを口止めしようとすれば、相応以上の要求をしてくるだろう。
序列が決まっていても、支配地域や力関係は等分だ。ファナールだけに物資や人材が流れることは避けたい。
ではどうするか。
小さな痴態を隠すには、更に大きな痴態で覆うしかない。
ブロスかガイアス、そのどちらかがファナールの感情のツボを突き上書きすることを期待して。
「では両者前へ」
いつの間にか審判に転職していたアルガナスが中央に立っている。
どこから取り出したのか、首に巻かれた蝶ネクタイが目障りだ。
「正々堂々勝負するように。危険行為があれば即刻負けとする、よいな?」
「ああ」
「わかっタ」
「では構えて──────────」
握りしめられた手から肉々しい摩擦音が響く。
石台が軋み、そして静寂が訪れた。
「──────────始めッ!!」
瞬間、岩石が衝突し合ったような音が響いた。
実際はガイアス、ブロス両名の口から出る苦悶の呻き声だったが、それを感じさせないような熱量が中央で渦巻いている。
「ブォォォォォォォォ!!」
先に仕掛けたのはブロスだった。
駆け引きが苦手なためか、最短で勝利を目指すわかりやすい闘い方だ。
本人はそこまで考えていないだろうが、体格による差は歴然。力押しでも勝機は十二分にある。
ガイアスの腕が傾き始めた。
ブロスは勝利を目前に更に力を込める。余った手は石台の端を掴み、身体を傾け全体重を掛けた。
「負けてたまるかあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ブロスの勝利目前というところで、腕は固定されそれ以上動かなくなった。
石台と肘が擦れて血の匂いが立ち込める。肉が締まる音は絶えず響き、どちらとも言えない歯軋りが木霊する。
おかしい。
何故ガイアスはブロスの猛攻を耐えれるのか。
ブロスは魔界で1、2を争う剛力を持つ。
それはアルガナスが本来の大きさになったとしても運べるほどの腕力を持っており、人間なんて赤子の手をひねるよりも楽なはずだ。
そんな力を持つ魔族とただの人間が対抗できるなんて思えない。
まるで本人以外の力が働いているような、そんな気がする。
アクスレイは部下を睨む。
睨みつけられた者達は必死の形相で首を振り、第三者の介入を否定する。
アルガナスは楽しそうに審判を興じており、魔法を使う素振りなんてなかった。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉあぁぁぁー!」
ブロスの優位が崩れていく。
勝利目前まで来ていた傾きは既に無く、逆に押され始めた。
「グヌアァァァァァァァァァァァァァ!!」
ブロスの唇が裏返り、歯茎が顔を出した。口の中は所々血に濡れており、一部の歯が欠けている。
ガイアスの逆襲に必死に抵抗しているが、手首が返されており力が入れにくいようだ。
注視しなければ気付かないほど緩やかにブロスの手が傾き下がっていく。
視界の隅でルフタルとファナールが指を折り、賭けを始めているのが見て取れた。
ブロスは返された手はそのままに振り子のような動きで緩急を付ける戦略に変更したようだ。
緩急と言っても、その一振一振は全力を込めた一撃であり、次第に角度が無くなっていく。
ブロスがもう一度、全力の一撃を見舞った瞬間、何かが破裂するような音が響いた。
ガイアスの腕がみるみる紫色に染まっていく。ブロスは小さく悲鳴を挙げ、審判を見つめた。
アルガナスは拮抗した勝負に歓声を挙げている。
既に審判としての職務を放棄しており、どちらともつかない応援をしている。
ガイアスの負傷に気付いていないのか、いや気付いていたとしても続けていただろう。
上腕二頭筋腱の断裂と上腕骨の骨折、常人であれば悶絶し、立っていられないほどの激痛のはずだ。
筋力の異常な上昇、まるで痛覚なんて存在しないかのような立ち回りに、無尽蔵を思わせる体力。
肉体の興奮により痛覚などの感覚が鈍くなることは多々ある。
それは人間だけではなく魔族にも起こり得る現象でもあるが、限度がある。
魔法による介入でなければ、何なのか。
熟考するアクスレイの脳内に一体の魔族の影が走る。
光合成で作り出した栄養素を分け与えれる植物の魔族。その栄養素を過剰摂取することで発生する副作用のことを。
「狂戦士に作り上げてきたのか」
ザックームはアルガナスの支配下にある。命令すれば幾らでも従うことだろう。
わざわざガイアスを紹介しに来たのも、こちらの行動を誘発させるための罠なのではないだろうか。
人間への投与記録は無かったはすだ。適切な投与量を見極めるためには膨大な量と時間をかけた投薬実験を行う必要がある。
栄養素の連続投与と過剰摂取は死に至ると聞く、特別顧問に就けた男で博打的な投与をしたとは考えにくい。
つまりこの顔合わせは、ただの突発的なイベントではなく、魔王アルガナスによってもたらされた巧妙な策略だったのだ。
一体、どれほど前からこの計画を考えていたのか。
─────────アクスレイは怒りと恐れが混じった身震いを抑える。
アルガナスの介入さえなけれは、あの痴態を部下に見られることもなく、今頃ガイアスは無様に這いつくばっていたことだろう。
そう、全てはアルガナスのせいだ。
既にガイアスを貶めることは不可能になった。
ただの人間から四天王と同列に扱われる存在へと栄進してしまっている。
ならばせめてブロスの敗北による失脚を狙うのみだ。
「さぁ!のこった!のこったぁ!」
アルガナスの見当違いの掛け声を他所にブロスの瞳には迷いが生じていた。
ガイアスの腕は真紫に染まっており、それも段々と黒に近付いていく。
そしてブロスが力を抜いた、その一瞬をガイアスは見逃さなかった。
最大の力を入れるために拳を握り込んだ。
獲物を逃がさぬように爪を食い込ませ、動きを封じる。
そして──────────自分の甲を石台へ叩きつけた。
「ん!?オマエ何──────────」
「勝者ぁ!ブローーースーーー!!」
アルガナスはブロスが二の句を継ぐ前に手を取り、高々と持ち上げる。
「い、今のハッ────────」
アルガナスは何かを耳打ちし、ブロスを制する。
何度かやり取りした後、ブロスはただ黙って座り込んだ。その顔はまだ納得がいってないようで鼻息を荒らげている。
なんとも面白くない結末だ。
アクスレイの顔が苦虫をかみ潰した形相に変化する。
勝ちを譲られた四天王と、してやったり顔の人間。
ブロスは面目を保ち、ガイアスは実力を見せつけることができた。
考えうる中でも最低の終わり方だ。
ファナールはルフタルが出した紙にサインをしている。賭けの代償が何かはわからないがあの女が身銭を切るとは思えない。
おそらく、今回の件の口止め料として立て替えを要求してくるに違いない。
だがまあ、立て替え程度で済むなら安いものだ。
アクスレイがそう思っていた矢先──────────
「では第二試合を始めようか!」
アルガナスの愉悦の混じった声が聞こえてきた。
「ま、魔王様、一体何を?」
震える声でそう聞いてみれば「ん?腕相撲だろ?」
と当然の如く言い放つ。
「まさか一試合で終わりとは言うまい?幸い人数は充分おる。さあ皆で楽しもうではないか」
アクスレイはこの瞬間、逃げることは不可能だと悟った。
「そ、そうですか、では私はルフタルとでも──────────」
「ごめんなさいねぇ、ルフタルはアタシとするのよぉ」
クソ女がとアクスレイは胸中で毒づく。
ありったけの語彙力を総動員し、思い付く限りの悪態をつき続ける。
ルフタルは口を出す訳でも無く、ただこちらを見て鼻で笑っている。
今すぐにでも殺してやろうか。
「だ、そうだ。では貴様はワシとやろうか」
「いえいえいえいえ!私などが魔王様となど恐れ多い!!私は他の者とやりますので──────────」
「懇親会なのだろう?何をしても構わんぞ無礼講だ」
「しかし──────────」
全てが裏目に出た。
この恨みは生涯忘れることはないだろう。特に全ての計画を立てたアルガナスへの怒りは末代まで祟ろうと消える気がしない。
いやコイツで末代にしてやる。絶対にだ。
「本気で来い。ワシもそうする」
そこには有無を言わせない圧力が含まれていた。
ガイアス用に用意した土台は、そのままアクスレイにも流用された。
それはまるで断頭台の固定具のように、重くそしてやけに高く感じる。
アルガナスに握りしめられた手は既に悲鳴を上げている。伸ばされたままの爪が刺さり、血が出始めるが誰も気にも止めない。
「いやぁ誰かと競うのは久しぶりだ」
子供のような無邪気な発言とは裏腹に、その瞳は鋭く獲物を前にした肉食獣そのものだ。
爬虫類を思わせる生ぬるい体温がやけに熱く感じるのは自分の全身が冷えきっているためだろう。
せめて死なないように立ち回るしかない。
「数百?いや数千年振りか。アクスレイよ素晴らしい催しだ、褒めて使わす」
「アリガタキシワアセ」
開始という名の死刑執行の合図が聞こえた瞬間。
アクスレイが目にしたのは
満悦の表情を浮かべる魔王
粉砕する骨の音
ほとばしる血流
回転する視界
そして────────瓦解する空中楼閣と重力のまま落下する『同盟のサイン』だった。




