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5話 魔王城散策

 

 アルガナスとの対話から二日後。魔王城 居住区。

 適切な治療を受け、完治したガイアスはアルガナスに連れられ城内を探索していた。



 医務室に押し入ってきたアルガナスに「ワシの素晴らしい城を案内してやる」と半ば強制的に連れ出され─────────現在、午前4時26分。



 空はまだ暗く、重そうな雲が一画を覆っている。時おり白んだ空が顔を覗かせるが、それも直ぐに隠れてしまった。



 反対の空には消え入りそうな半月が浮かんでいる。普段なら素晴らしい一日の始まりを喜ぶのだが、今はそういう気分にはなれない。



 辺りに充満する重苦しい雰囲気は、気温と天気のせいではない。



 肌を刺すような悪寒と先程から感じる不快感は、はるか後方で鎮座する魔王城のせいに違いない。




 人生の全てを鍛錬にのみ費やしていたガイアスにとって、芸術とは難解な分野のひとつである。



 そんな男にも自然の雄大さや意匠による建築美術の素晴らしさに心打たれることもある。




 それは薄っぺらな、表面のみを眺めただけの感想ではあるが素晴らしい作品は見る者の心に響くもの。




 臣下として国宝級の芸術作品に触れた身として言えるのは、件の魔王城は美しさをかなぐり捨て、他者を圧倒する豪壮さのみで建てられたということだ。



 煌びやかな装飾や石像などの美術品などは一切無く、造りはひどく単純だ。まるで素人が積み上げた石の城という印象を受ける。



 一応、城らしい外観にはなっているが今まで見てきたものと比べるとあまりに見劣りする。





 だが、それはあまりにも巨大だった。 




 城というものは防衛基地や政務を行う場、権力者の居住や権威の象徴を表して造られるそうだ。


 絶大な権威を示すという点では納得の大きさかもしれない。



 だがそれなら金や大理石、美しい装飾で豪華絢爛たる造りにしたほうが良いはずだ。



 魔族に美的感覚が無いのならそれまでだが、アルガナスの秘書を見る魔族たちの視線はそうでないことを告げていた。





 では巨竜であるアルガナスを基準に造ったのだろうか。


 それが一番説得力があるように感じるが、それにしても巨大すぎる。


 まるで何か別の目的があって造られたかのような気がする。





 ただひとつ言えるのは



 芸術的観点、防衛基準を度外視し、ただ聳え立つ。

 客人を歓迎するようで捕らえて離さぬような。

 その無機質ゆえの物言わぬ圧力がこの身を震わせていた。




 そんなガイアスの感情などつゆ知らず、アルガナスは鼻歌まじりに歩を進めている。



 どこかご機嫌な城主の説明によると、目の前にある建物は魔王城の西側に位置する三階建ての居館(パレス)で地下は二階まであり、魔王軍に属する者達の大半はここで暮らしていたらしい。



 入口には扉がなくやけに開放的だ。



 人骨を彷彿とさせる禍々しい照明が左右に掲げられており、奥には血のような赤い絨毯が続いている。



 一目見ただけだが、国で見た迎賓館を思わせる豪勢な造りであることは間違いない。



 王が住むことを考えれば納得の造りなのだが、失礼を承知で言わせてもらえば、先の城の件も相まって、もっと野性的な生活を営んでいるものだと思っていた。



 聞けば、なんらかのトラブルによりアルガナス以外の居住者は転居したらしい。現在この区画で暮らしているのは城主だけのようだ。



「そういえば体調はどうだ?」


 アルガナスのたった今思い出したかのような発言にガイアスはつい笑みを零す。



 先程から数度言葉を交わしているが、会話に脈絡は無い。魔王城やその設備に対しての説明から、何故かその全てを自分に結びつけ自慢が入って帰結する。



 その都度思い付いたことを口にしてしまう性格であり、会話に意味はない。


 そのため会話が弾む訳でもなく、味気が無く感じることもある。だが王や貴族の二枚舌に振り回されてきた過去を思えば、心底居心地が良い。



 ただ相手の体調を気遣うなら、早朝観光と徒歩での移動は避けるべきなのだが。そういった考えには至らないらしい。



 彼の秘書から『魔王様の行動は突発的かつ独善的ですのでご注意を』と聞いていたとおりだ。


 彼女曰く、その場合の対処法などは皆無であり『慣れる』ただそれだけらしい。




 無遠慮らしい彼の行動はこの場ではとてもありがたい。


 相手が生物ではない故、魔王城から発せられる圧力を防ぐ手立ては無い。慣れるには当分時間がかかるだろうし、それなら気を紛らわすのが一番だ。




 ガイアスは返答代わりに袖をまくり上げ、大きく実った力こぶを作る。



「おかげさまでこの通りだ」


 客人として扱われたこの2日間。まず治療から始まり装備品の改造と食事の提供が連日行われた。


 装備品のほとんどは融解していたため、残った基礎をそのままに改造する運びとなった。




 触れると弾力があるのに、強い衝撃を受けると固くなる不思議な素材でできている。


 秘書を介した説明によると強度は従来の6倍、重量は3分の1にまで抑えることができたとのことだ。


 魔界では一般的に取れる物質らしいのだが、こちらの世界では見たことも聞いたこともない。




 そのため値段の付けようがなく、心ばかりの謝礼金を申し出たのだがそれも拒否された。


「既に頂いておりますので」と返されたのだが、身に覚えも思い当たる節も無い。

 アルガナスが手を回してくれたのかと思ったが、そうでもないらしい。


 追求し過ぎるのは逆に失礼かと思い、それ以上のことは聞かなかったが、借りを作ってしまった。





 提供された食事はというと手探りでのもてなしだったためか、食事は日に5回。それも多様な食材をこれでもかと運び込まれた。



 奇抜な色合いと形のものばかりだったが、出された食事に手をつけないのはどの種族でも無作法だと思われる。


 おそるおそる口にしたものの、その見た目とは裏腹に味は堅実だった。




「………吐き気とか手の震えは無いか?あと幻覚見たりとかイライラしたり、動悸が止まらなかったり」



「大丈夫だ、もう体は回復したし、食べ物でアレルギーが出たことは無いんだ」


「……あれるぎー?」



「ん?そういう話では?」



「いや!いやいや!飯か!飯の話だな!そうだ!口にあったようでなによりだ!うんうん!」



 アルガナスの背からは「これ以上聞いてくれるな」という圧力が吹き出し、尾が小刻みに揺れている。

 まるでイタズラがバレた犬のようだ。


 てっきりこちらの体を気遣った質問なのかと思ったがそうではないらしい。


 矢継ぎ早に会話を変え続ける様を見ると、少しばかりの好奇心が擽られる。


 もう一歩踏み込んでみれば質問の意図が顕になるという確信はある。そう思えるほどに彼は隠し事が苦手なようだ。


 だが彼は命の恩人だ。本人が話す気も無いのに詮索するのは憚られる。



 ガイアスは握り拳を作っては開いた。



 彼が聞くような不調は無いが地下牢から出た直後の記憶は消えている。


 アルガナスに攻撃をしかけ、返り討ちにあった以降のことは覚えている。


 その時の頭部外傷における逆行性健忘ではないかとの見方らしいが、人間用の医者が居ないため確かなことはわからないようだ。



 それよりも気になるのは体質の変化だ。



 1ヶ月もの拘束期間、肉体はひどく衰弱した。普通なら長期の療養とリハビリが必要だったろう。


 だがこの生気溢れる肉体はどうだ。 



 驚異的な治癒力の上昇と無尽蔵を思わせる持久力。腹の底から湧き上がるエネルギーが全身を包んでいるのを感じる。


 どれだけ身体を動かそうとも疲労を感じず、痛みすら消えてしまったかのようだ。



 これはいわゆる死線を越えたことによる肉体の活性化、つまり覚醒なのではないだろうか。



 筋肉はトレーニングなどによる損傷を修復する過程で以前よりも強く大きくなるらしい。



 であるならば魔王との死闘、魔界での戦闘に、地下牢での拷問。


 その全てを耐え抜き、適切な治療を受け生き抜いたことによる肉体の覚醒せいちょう



 今、全身を包む全能感。これを言い表すに相応しい言葉は他に存在しないだろう。


 酒の席での噂話、冒険譚を盛り上げるためのご都合主義に過ぎないと嘲笑していた自分を殴りつけてやりたい。



「おほん、とりあえずここにいる間は好きな部屋に住むといい。アルエルに言えば鍵を持ってくるはずだ」


「何から何まで…感謝する」



 ガイアスは深く頭を下げた。





 アルガナスの野望を聞いたあの日、その一助になろうと決めた。



 断交し、閉鎖的な平和を得るのも1つの手だとも思ったが、彼の目指す『世界平和』は違うらしい。


 それぞれの生き方を尊重し、共に歩む。対立していた存在がただ普通に隣に立てるように。それが唯一絶対の彼の夢だ。



 そのためには人の力が必要だと彼は言った。



 互いの文化、思考、歴史、それら全てが未知である故、そのための橋渡し役としての人間が。


 決闘を行った者同士が手を取り合う。彼はそこまで考えてはいないだろうが、宣伝効果としては絶大だ。



 それがいつ崩れるかわからない砂上の楼閣だとしても、アルガナスが道を反れない限り力になると心に決めた。



 それに装備品の謝礼代わりにもなるだろう。恩には恩で報いなければ良心が咎める。



 まず始めるのは異文化交流だ。そのためには魔界での生活は必要不可欠。



 野宿する覚悟もあったのだが、他ならぬ城主の計らいにより分不相応な高待遇を受けることになりそうだ。



「構わん、地下牢の一件を思えば足りんぐらいだ。そうそうここが一番のお気に入りでな」



 アルガナスはそう言って居館横にある一画を指差す。


 縦横無尽に伸びた芝生を抑え込むように草垣で囲われている。



 巨大な何かが這ったような痕があり、内側から外側に向かって倒れた芝生から青臭さが立ち上っている。



「ワシが一番好きなのは藁なんだが、芝生もなかなかでな────────」



「あ、ああ。確かに気持ち良いよな」



 ガイアスは故郷で飼っていた犬を思い出しながら相槌を打った。

 刈った後の干し草の山に飛びつくのが好きで、随分と難儀させられたものだ。


 散らばった干し草に背中を擦り付ける姿を思い出し、芝生が妙な倒れ方をした訳がわかった。



 住まいは人と似通っているが、やはりどこか獣らしい一面もあるものだ。




 アルガナスによる『藁と芝生どちらが寝具として有能か』という詳説を聴きながら、ふと気になっていた質問を口にした。



「そういえば秘書以外に部下はいるのか?」



「ん?いるに決まっておるだろうが。気安く話してはいるが、貴様の前にいるのは魔界の王、魔王アルガナスであるぞ」



「だからというか……使用人すら見えないんだが」


 アルガナスによる魔王城観光が始まって、体感では1時間は優に過ぎただろうか。



 まだ城の一区画の、その中でも更に限定的な部分しか見ていないが広さで言えば大の大人が1時間も歩き続けて先が見えないほどだ。



 これが一般的な城なら、今頃召使い達はかまどに火を入れ、朝食の準備に取り掛かっていることだろう。


 歩哨の任にあたっていた兵士が交代を始め、雄鶏がけたたましい叫びを上げる時間帯だ。



 魔族は人よりも時間の流れが緩やかだとかそういうことではない。



 この一帯からは生物特有の気配が全く感じられない。




 治療を受けた病室では様々な魔物が秘書の指示の元、忙しく行き来していた。



 この居住区にアルガナスしか住んでいないとしても、召使いや家令の姿が見えてもいいはずだ。


 いや、それよりもまず城を守る兵士の姿すら見えないのはおかしい。



「なんだそんなことか」


 アルガナスは鼻を鳴らす。



「住民は引っ越したと言っただろう?警備していた奴らも急に配置換えを希望してな、今はワシのきままな一人暮らしよ」


「警備もいないのか!?1人も!?」 



「そうだが?」


 そう言って首を傾げるアルガナスの表情は、心の底から理解できていない顔だった。



「何が問題なのだ?」



「何がって……君は王だろ?そんな男が供を連れず、いや、それどころか警備が1人もいないのは危険だと言ってるんだ」



 不法入国者であり暗殺を試みた男が言うセリフではないとはわかっているがこれだけは言わなければならない。 


 ガイアスは一呼吸置き、続ける。



「信用してくれているのはありがたいが、こういったことは控えた方がいい。せめて普段から護衛はつけた方が良い」 



「信用?アハハハッ、さすがに昨日今日知り合ったばかりの貴様には無いわ。貴様が何をしようともワシを害することはできんだろう。……まあどこの誰だろうがそれは変わらんがな」 



 アルガナスはそう言い切り、芝生と藁の違いについて語り続ける。だが、その言葉は深く思考するガイアスの耳をすり抜けた。 


 魔王城をただ案内するだけなら、誰でも良かったはずだ。あの秘書でも、別の魔族でも。



 その役を王自らが買って出る。


 ガイアスはそれを信頼の証として受け取っていたのだが、そうでは無かった。





 なんと言えばいいのか────この竜には警戒心が全く無いのだ。



 ただそれは何も知らぬ赤子の無垢からくるものではなく、圧倒的捕食者のみ至れる境地のソレだ。



 アルガナスにとって他の生物が起こす行動、その全てはただの事象に過ぎないのだろう。



 雨が降ったことに気分を害することはあっても、本気で腹を立てることがないように。 


 雨が降るなら傘を差せばいい。

 止むまで屋根に入ればいい。



 そんな単純なことのように、他人の行動や自分の決定、その全てから生じた事象に対して好きに『選択』することができる。



 ただ選択肢にそって行動する。



 この文字だけをなぞれば、それは当たり前のことだと誰しもが思う。

 だが、『選択』というのは優位に立つものだけの特権だ。 



 王族が満杯の食料庫から使う食材を要望するのと、貧民がたったひとつしかない食材を取る。それはたとえ同じ食材を選んだのだとしても、その二つには絶対的な隔たりがある。



 強者は無数の選択肢の中から選び、弱者は自ら選択しているようで、その実、選択肢などないのだ。



 彼の思考は性格の悪さから発生したものでは無く、竜特有の驕りのようなものに思える。



 産まれてから一度も驚異を味わったことがなく、絶対王者として君臨し続けた生物がいたとしたら、自然とこうなるのではないか。



 何が起ころうとも『好きな行動を選択できる』という絶対王者だからこそ至れる境地。



 協調性が無かったとはいえ、選りすぐりの代表者達を完封してみせたのだ。



 そう思えば納得の思考、行動原理ではある。



「まあワシより弱い奴がワシをどう守るんだという話だがな」


 そもそもとして生物としての格が違いすぎる。我々はこんな生き物と闘っていたのか。 


「何故負けたか、よくわかった」


 心の底から出た賛辞だったが、アルガナスの耳には届かない。




「……そろそろとっておきの場所を見せてやろう」 


 アルガナスが指を弾くと足元に亀裂が入った。 




  この転移の魔法とやらには慣れそうにない。亀裂の隙間に入ると内臓が持ち上がるような不快感と一瞬の浮遊感が襲ってくる。


 その間、並行感覚は無くなるため落ちているのか、はたまた上がっているのかが全くわからない。


 硬い何かに尻を打ち付け、目的地の到着を悟る。


 反射的に交差させていた腕の力を抜き、恐る恐る目を開く。


 すると先程よりも空が近付いてるのがわかった。 



「良い眺めだろう。なにせ魔界を一望できる」


 その言葉に誘われるように立ち上がり、屋根の無い

 望楼の胸壁の隙間から外を見やる。 



 登り始めた太陽が曖昧だった天地の境界線を露わにしていく。  



 1つは一面の緑地が支配する大草原。


 1つは地から突出した結晶からなる岩石地帯。


 1つは極彩色を散りばめた花園。


 1つは巨大な背骨が地を走る骨塚。



 そこに壁は無いが、✕印を描いたような自然的な境界線が存在している。



 領地を争うかのように侵食した歪さはあるもののそれぞれの地は完全に独立しており、全く違った生態系を確立しているのが見て取れる。



 その四方に広がる地の中央にあるのが魔王城だ。先程と違って人工的な建造物によって境界を定めている。 



 魔王城を囲う城壁は胸壁が無く、一重の防壁のみで形成されている。そこに城塔は無く、ただの壁だ。



 正面より少し右下方に見える正門は跳ね橋が降りた状態のまま、誰の監視を受けることなく放置されている。



 やはり防衛観念は皆無らしい。 



 視界を正門から右後方へと滑らすと魔王城と城壁との間に木造の建物が並んでいるのが見える。


 『他の住民たちは引っ越した』とアルガナスは言っていた。真新しいが質素な佇まいは急遽建築を行ったためだろう。



 美しい、と素直に思った。


 補修のされていない薄汚れた城壁と黒色だけで建てられた無愛想な魔王城。そして四方に広がる多彩な自然。それらは一見して調和の無い景観に見るのだが、どこか不思議な魅力を感じさせる。



 草原に佇む一軒家のような、異質ではあるが美しさがある。



 吟遊詩人や作家であれば、この胸に広がる感動をもっと的確に言語化するのだろうが、今はこれが精一杯だ。



「そうだろうそうだろう」

 アルガナスは満足気に頷いている。



「では!魔王城観光はこれぐらいにして次はワシの忠実なる下僕達を紹介しよう」



 『雲は竜に従い風は虎に従う』という言葉があるように、これほどの権威と能力を持つ王であるならば、それに傅く者も相当な実力者であり人格者なのだろう。 



「特に四天王はワシに絶対的な忠誠心を持っていてな、生意気だが可愛いヤツらよ」



「してん…のう…」


 その瞬間、ガイアスの思考は止まる。



 秘書からアルガナスの取り扱いについての注意点を聞いた後、絶対に一人では接触しないようにと告げられた四体の魔族がいる。



 そのうちの一人、四天王ルフタル。



 魔界に上陸したガイアスを出迎えた一体の魔族。



 耳まで伸びた黒い髪から覗く端正な顔立ちがやけに目を引いた。


 黒のフロックコートに灰色のベスト、白いシャツにはネクタイは無く、どこからどう見ても貴族出の好青年にしか見えなかった。


 だが赤い瞳に入った底知れぬ闇のような瞳孔と捕食者から発せられる静かな威圧感がソレが魔族だと知らしめていた。




 あの闘い──────いや闘いというにはあまりにも一方的過ぎたソレは思い出す度、身が震える。



  全てに絶望し抱いた破滅願望。それすら忘れ去り生の執着を呼び起こすほどの恐怖をその時初めて知った。



「ルフタル……は四天王の一人なんだよな?」


「おぉ!知っているのか」



「上陸した時に捕まったのが彼だ」



「あー、確かにそうだったな。あいつはスライムだからな貴様とは相性が悪い」



「スライム……道理で」



 アルガナスが人の機敏に疎くて良かった。意気揚々と語る前でこんな顔は見せられない。



 ガイアスは震える拳を慰めるようにそっと撫で、鮮烈に残る痛ましい記憶を探る。


 全力で打ち込んだ拳を包む生ぬるい粘液。服が波打ち更に拳が沈んでいく。押そうが引こうがビクともしない。



 次に感じたのは皮の先から焼かれていくような激痛だった。



 情けない叫び声も涙の訴えもルフタルの表情を変えることは無く、ただ次第に飲み込まれていく恐怖だけが全身を支配していた。




 いつの間にか気を失っていたようで、次に目覚めたときは牢の中だった。



 鍛え上げた肉体も、技も、経験も。その全てを一笑に付すかのような無力感はもう二度と味わいたくはない。





 できれば会いたくもない。




 会ってしまえば自分の身体が焼けるあの臭いと絶望を思い出しそうだ。


 途端に腹が痛み、口の中に酸味が広がる。目の奥が熱く波打ち、動悸がする。



 アルガナスの協力者という立場上、いつかは会わなければならないのだが、なにも今日でなくても良いだろう。



 会うためには入念な準備と心構えが必要だ。


 適当な嘘で、いや気分が悪いのは本当なのだから不義理ではないだろう。話せば彼もわかってくれるはず。



「すまないが、少し気分が悪いようで今日は一旦部屋に戻りたいのだが」



「ん?だがまだ部屋は無いだろう?アルエルのところに行かなければ鍵は無いぞ」



「あっ、なら適当なベンチでも探して休むよ」



「いやそれは良くない。休むならちゃんと休まねば回復せぬぞ」



 嫌な予感がする。このままだと良くない方向に話が進みそうだ。


「なら彼女のいる場所さえ教えてくれれば自分で向かうから───」



「アルエルよ、今どこにいる?おぉ!そうか!では少し待て」


 突然、アルガナスが空中に向かって話始めた。


 おそらく魔法的な手段で会話をしているのだろう。



 話を聞いてくれ、と言いたいのをグッと抑えて沙汰を待つ。


 今はまだ逃げ出すには早い。もしかすると秘書が彼の行動を諌めてくれるかもしれない。



 アルガナスが羽を広げた。その瞬間、何か見えない突風のようなものが全身を貫いた。




 体の中が振動するような衝撃波に当てられ、胃が激しく収縮する。


 ガイアスは慌てて口を押さえた。

 喉の奥が熱く感じる。喉元まで上昇したソレを無理やり嚥下したことで更に気分が悪くなった。




「いたいた。じゃあ楼閣で待ち合わせしよう、では!」



 ガイアスが周囲の安全を確認し、防御姿勢をほどいていると、アルガナスが純粋な笑顔を向けてくる。



「今ちょうど四天王(あやつら)が集合しているみたいでな!そこにアルエルも来るように伝えておいた」



「待ってくれ!……わかった!本当の事を言う!そのルフタルという男と会いたくないんだ!!」


「会いたくない?何故だ?」


「心の傷というか、最初に会った時にトラウマになったんだ」


 情けない話ではあるが事実だ。


 殺されかけ、投獄され、放置されれば誰だって恐ろしくもなる。


 彼からどんな仕打ちを受けたかは、アルガナスだって知っている。

 断り文句としては充分ではないか。



「ふむ、なら会って克服するしかないではないか!」


 無慈悲な返答にガイアスは慟哭した。



「いやだからトラウマだと───────」


「ルフタルは気のいいヤツ?では無いが、話ができん訳ではない。会えは誤解も解けよう」



 ダメだコイツ。

 壊れた物は殴れば直ると思ってやがる。



「心配するな!四天王の中には回復魔法を使える者もおる!そのとらうま?とやらも治るはずだ」



「………ワーイ、ウレシイナ」



 この瞬間、逃げ道なんて最初から無かったことを悟った。



 アルガナスは決定を曲げることは無いし、こちらの話を最後まで聞こうとはしない。



 秘書が言った「慣れてください」という一言がこんなにも重いものだとは思わなかった。



「アルエルは少し用事があるそうだ、ワシらは一足先に向かうとしよう!」



 そう言ってアルガナスは無慈悲に指を弾いた。




 そうして暗転する視界と不愉快な浮遊感に包まれたガイアスは朝食をまだ口にしていなかったことを深く感謝した。



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