4話 決意表明
ガイアスは強さだけを望むただの求道者だった。
現状に不安があったわけではない。
貧しくはあるが、優しい両親に恵まれた友人関係。魔王軍の侵略に怯えることもなく平和で静かな暮らしを営むことができた。
誰かに求められたのでも、必要に迫られたわけでもない。
────────であるなら、それは生まれ持った性なのだろう。
己の身体を鍛えることしか頭に無く、人生の全てをそれに捧げてきた。
平和な村では争いに関する一切が存在しなかったため、武芸書を読むことも、師事を受けることなく独学のみで己を高めた。
遠回りではあったが、ただの『暴力』であったそれは長い時間のなかで研鑽され、いつしか『武』と呼べるほどに変わっていった。
武の極地へと駆け上がることを許された天性の才能に甘えることなく鍛錬を続けた。
そうして十五になる頃───────闘いの場を己から他へと移した。
厚い肉を避けて内臓を損傷させる角度、意識のみを飛ばせる部位。呼吸を奪う打ち方。
我流の武は魔物との死線の中で、なお一層輝きを増し、最適化されていった。
いつしか拳で大岩を砕けるほどになった頃、たまたま魔物に襲われていた女を助けた。
女は泣きながら感謝を述べ、ガイアスを褒め讃えた。
その時が初めてだった。
他人のために拳を振るったのは。
そして、えもいえぬ快感が身体を走り抜けたのは。
故郷では受けるはずもなかった賛辞。
平和のみを享受する村では金にならないことに時間を費やすことは無駄なのだと、冷やかな目で指を差され続けてきた。
それが普通で、自分がおかしいのだと思い込んでいた。
ところがどうだ。まるで神を見たかのように縋り付き銀子を渡す女の行動が、今までの全てを肯定してくれた。
腹の底が揺れる感覚がした。
あの時の快楽を味わうため、積極的に拳を振るうようにした。
酒では味わえぬ多幸感。
湧き上がる欲求が血とともに巡り、脳を満たした。
人助けをする度に名声は上がり懐に入る金も増えていく。
そうした生活を続け、いつしか国王の耳にまで武勇が轟くことになった。
気が付けば肌触りの良い服で身を包み国王の横に立っていた。
昨日まで自分を見下していた奴らが、嫉妬のこもった目で睨みつけてくる様が心地良かった。
平民上がりと馬鹿にする貴族は居たが、すでにそのような細事は気にならなくなっていた。
自分で採らなくても運ばれてくる高級な食材。煌びやかな内装に賞賛の声。言い寄ってくる女の数は両の手では足りず、毎晩違う女を眺めた。
ガイアスは現状に陶酔し溺れていった。
ある時、戦争が起こった。
魔族ではなく、人が支配する隣国とだ。
前線に立つものだと思っていたガイアスに国王は出兵を命じなかった。
自分の身を案じて、最も強い者を傍に置きたかったらしい。
階級が上がれば上がるほど、遠ざく戦場。民や国のためだと直談判したが、命令が覆ることは一度としてなく丸々と肥えた王の隣で、ただ立つ日々が続いた。
そうして数年続いた隣国との戦争が手打ちとなった直後、魔王との決闘が行われることになった。
大国が協議して決めたらしいが、国王は我先にとガイアスを売り込んだ。
多額の金を詰んだ理由は幾つかあるが、主な理由は国威発揚のためだ。
戦争によって傾いた国力を悟らせまいとの気持ちはわかるが、本音はガイアスを前線へと送らなかったことに対する民意への言い訳だ。
『自己保身のために最大戦力を物惜しみしていた』という事実を知られるより『魔王討伐のために備えていた』と言う方が聞こえはいいだろう。
国王の思惑はともかく、ガイアスにとっては願ってもいない好機だった。
ようやく誰かのために拳を振るえる──と。
ガイアスは求道者であった頃の自分を完全に忘れ去っていた。
本人の内心はどうあれ、それは自己犠牲的で、非の打ち所が無い、人々に望まれるままの英雄像に作り変えられていることにも気付かずに。
そうして長らく身に着ていなかった軽鎧は錆が浮かんでいた。あらゆるところにできた隙間が無為徒食の日々を突きつけてくる。
棒に振るった数年を取り戻すように鍛錬に励むガイアスを打ちのめしたのは、またしても国の決定だった。
明らかに実力の伴わないメンバーがいた。
なんの効果も無い軽装に身を包んだ男はパーティメンバーとの対話よりも自分の見栄えにしか興味は無いようだった。
メンバーの中でもっとも人格者であり実力も申し分の無い人物の代わりとして選ばれたのはエルフ族。
人種差別する気は無いが、能力ではなく別の意図で選ばれていたのは明白だった。
これも本人の意思ではなく、各国が協議しての決定だそうだ。
そして最後のメンバーが揃ったのは決戦の日まで残り二日に差し掛かった頃だった。
卓上で空論を並べる者達が考えた絵空事に巻き込まれながらもガイアスは全力を尽くした。
誰一人として死なないように。できれば勝てるようにと。
戦況は常に悪化し続け、あからさまな手加減をされながら勝敗は決した。
帰国したガイアスを待っていたのは労いの言葉ではなく罵声だった。
国王は敗戦の責任をガイアスへと押し付け、隣国との戦争に参加しなかった非国民として扱った。
貴族達はここぞとばかりに国民をまくし立て、嘘を吹聴し続けた。
────もう限界だった。
痛む身体を押さえ、魔界へと向かった。
武闘家らしく、最後に闘って散りたかった。
出立する前に国から与えられた文書には外交官としての役職を証明する書類と友好関係を求める王の捺印がされた書類だ。
もはや祖国がどんなシナリオを描いていようとどうでも良かった。全て終わるのだと、そう思えば身体は少し軽くなった。
ただその決意も1体の魔族によって容易く打ち砕かれることになったが、今思えば、それで良かったのかもしれない。
利権と虚言に満ちた世界で生きてきたガイアスにはアルガナスの言う『最も偉大な王になりたいから』という子供じみた理由がよく理解できた。
『誰よりも武を極めたい』と願った。ただそれだけを求めていたあの頃の自分に重なったからだ。
他人には馬鹿げた、大人になれない者の夢物語だと言われ続けた記憶が蘇っていた。
「俺にも…その気持ちがあったはずなんだがな…」
擽ったくもあり、温かくもあり、そして──見失った悲しさが胸中で溢れる。
「……いつかお前が心変わりしたらどうする」
「ならんというとるだろうが。それしかワシの名声を高めるものはないからな」
そう答えるアルガナスにガイアスはつい笑みを零す。
どこまでも私利私欲のため。
それは簡潔で強欲で、ある意味で魔族らしいとも言える。
『世界平和』という夢物語を、魔族が、それも魔王であるアルガナスが唱えることを、完全には信じきれない部分はある。
だが瞳を輝かせ、自信満々に鼻の穴を膨らませるこの竜に謀略を企てるほどの悪意は無いとガイアスは結論付けた。
恐る恐る手を伸ばせば、アルガナスが満面の笑みで手を握りしめてきた。
爬虫類を彷彿とさせる硬さの中にどこか弾力のある生ぬるい手は、こちらを傷付けぬように配慮された優しい力加減だった。
「どうだ!アルエル!ワシの外交力は!」
「それで四天王の方々は納得するでしょうか?」
「アヤツらはワシの言うことには反発せんし、話せばわかってもらえる。それよりも、だ」
アルガナスは空いているほうの手を回し、アルエルを呼ぶ。
「ガイアスに適切な治療と休息を取らせよ。そして城内の魔族にこう伝えよ。ガイアスはワシの客人だとな」
「かしこまりました」
「いや俺は別に─────────」
未遂とは言え、魔王暗殺を企てた者を無罪放免どころか治療を申し出る度量にガイアスは驚きを隠せなかった。
命拾いしただけでも十二分の施しだ。これ以上はさすがに良心が痛む。
「アルエルの蹴りの威力はワシも身をもって知っておる。だから無理するな。アレは芯にくる打撃だからな、翌日に響くぞ」
「………そうか、では甘えるとしよう」
自分のこの行動が全人類にとって裏切りになるかもしれない。
ただ誰もが忘れてしまった夢の、その先に生きようとする男の。この魔王の行く末を見たいと思ってしまった。
「ではアルエル、頼んだぞ」
そう言ってアルガナスが発動した転移の魔法が空間に亀裂を作りだした。
それが猛獣の口のように開いた瞬間、アルエルはガイアスの肩と膝裏へ腕を滑り込ませ 容易く持ち上げた。
ガイアスが驚きと羞恥の混ざった声をあげるよりも早く、二人の姿は亀裂の中に消えてしまった。
二人が出ていくのを見送ったあと、アルガナスはザックームの隣へと移動する。
日差しが心地よく、凝り固まった筋肉が解されるようだ。
そういえば日光浴なんて久しくしていない。
決闘から一ヶ月。あまりにも早い時の経過に休息を取ることも忘れていた。
「ヨヨヨヨカッタノデ?」
ザックームの頭部が一斉にこちらに向く。
人間との戦闘に興味無くとも、魔王軍に人間を迎え入れることには少なからず思うところはあるらしい。
「ん?まあ何が起ころうと問題は無い」
アルガナスは、どんな障壁が立ち塞がろうとそれを粉砕するだけの圧倒的な個人的武力と傲慢さを兼ね備えている。
なるべく平和的に行きたいのも事実だが、そうならない場面もあるだろう。
例え同族だろうが、人間だろうが、それ以外だろうが、邪魔をするのなら何者であろうと排除する。
目指す恒久的な平和へ。その思考は何の曇りも無く、ただ真っ直ぐに目的を見据えている。
これは魔王という頂きに立った者にしか理解出来ない──独善的な思考回路から生み出される決定事項だ。
「さぁ覇道の始まりだ。忙しくなるぞ」
アルガナスは空高く輝く太陽を掴み取るように手を伸ばした。




