20話 悪巧み
「このっ役立ず共がぁ!!」
男は怒声を上げながらワインボトルを床へと投げつける。
粉々になったワインボトルからぶどう酒が流れ出た。芳醇な香りを振りまくそれは絨毯の染みへと変貌していく。
ロウソクの明かりだけが照らす部屋に3つの影が揺らめいた。
「我が王よどうか落ち着いて下さい」
「落ち着けだと!?」
場は────ルロン王国。
世界で10本の指に数えられる大国の1つであり、代表者ガイアスの故国でもある。
広大な領土を持つこの国は石炭や鉄鉱石などの採掘量が世界一を誇る軍事独裁国であり、世界連合軍での強力な発言権を持つ。
ただ広大な国土に対して国王は狭量で知られる。
国王 トルアス7世────トルアス・ルメニア・トネリアス。
150cmほどの体躯を小刻みに揺らし、鼻息を荒らげている。ワシ鼻を真っ赤に染め上げ血走った目で座ったままの男を睨みつけた。
ルロン王国宰相───メニアル・クドゥア・トネリアス。
トルアスの異母兄弟である。
たぬきのような丸い顔に伸びた顎髭を細く固めている。薄くなった髪は心労を感じさせ、目尻のシワが深く刻まれている。
前王トルアス6世は盛んな男であった。
王妃以外を寝室に呼ぶことは珍しくなく、宮廷内は成り上がろうとする貴族らで満ちた。
駆り出された女達は知性や品格よりも、美貌や王を喜ばせる床の技術を求められた。
特に苛烈であったのは王妃付きの侍女である。
王宮内の侍女は大小含めた貴族で構成されていたが、王妃付きともなると家柄を求められる。
最も王に近い場所へ送り込むために、賄賂、裏切り、告発などあらゆる手段が講じられた。
限られた椅子を奪い合うため血が流れることは珍しくない。
しかし貴族らの努力も虚しく、誰も王の子を産むことはできなかった。
親族からは男児を求める圧力に加え、宮廷内は疑心暗鬼に満ちている。育児に相応しい環境とは言えないその場所で堕胎の可能性を恐れながら、母体は1人孤独な戦いを強いられる。
メニアルは、その渦中に巻き込まれた1人の侍女から産まれた子である。
その侍女は肥満体型であった。
血の汚れが来なくなったことを誰にも言わず、妊娠が隠せなくなる月日までただ黙って過ごした。
王との逢瀬も徹底的に隠匿した。
艷福の多さを人徳と勘違いしている王を、そして王宮内の全ての人間を相手に隠し通した。
『秘密の愛』と名付けたそれを王はいたく気に入り子を成すに至ったのだ。
彼女の体型も妊娠を隠蔽するには大いに役立った。
周りが気付いたときには、もう下ろすことができないほど成長していた。
ただ難産であったため母体は亡くなり、子は王位簒奪を恐れた王妃により、一時的に教会に預けられることになる。
王妃により『2番目』と名付けられた彼の人生は貴族たちの権力闘争に再度投じられることになる。
その後、王妃から産まれたトルアス7世の即位と同時に王宮へ返り咲き今に至る。
「お前が!余に意見するとは!」
「そのようなつもりは微塵もございません、我が王よ」
トルアス7世はメニアルに対して深い憎しみをもっている。
偽計欺瞞で満ちた王宮で育った彼は、腹違いの兄弟は王座を奪わんとする略奪者としか見えなかった。
それは王妃による教育の賜物であり、先に産まれたメニアルが擁立されるのを恐れてのことである。
前王同様、子に恵まれなかったのも深く関わる。
臣下に見限られる可能性が彼の酒癖を酷くさせていた。
「余はトルアス7世であるぞ!」
トルアス7世は詰め物で厚くなったダブレット、シュールコーは肩幅を大きく見せるため、かなりのオーバーサイズのもので身を包んでいる。
それは野生生物が身体を大きく見せて威嚇するのと同様の精神状態を如実に示している。
「王はうるさいやつしかいないのか」
トルアス7世は正面に座る男を睨みつけた。
黒のフロックコートに灰色のベスト、白いシャツに身を包んだ男はセティに深く腰掛け足を組み、頬杖をついている。胸にはネクタイはなく、わざと着崩した印象を与える。
言葉よりも何よりも、その態度がトルアス7世の逆鱗に触れた。
「先に裏切ったのは貴様だろう!ルフタルとやら!!魔王どころかガイアスすら死んでおらんではないか」
「予定に無いことをしたのはお前だ。そもそも俺はあの男が来ることすら知らなかった」
ルフタルはそう言って胸元から書簡を取り出す。
それはトルアス7世がガイアスに持たせた公的文書でありガイアスを特使として任命したことが綴られている。
トルアス7世は、人間が魔界に行けば生きて帰るのは不可能であることは重々承知している。
ガイアスの事実上の処刑、そして魔王軍との戦端を見込んでのことである。
長年、魔王軍と争ってきた世界連合軍に余力は無く、隣国との戦争を控えているルロン王国も同様である。
それでも自らの発言権と影響力を王宮内に周知させるために行ったそれは、誰の目に触れることもなくルフタルによって阻止された。
「勝手なことはするな」
ルフタルは猫足のラウンドテーブルの上にあるロウソクに書簡を差し出した。
書簡に火が移り、ルフタルの顔を赤々と照らす。
メニアル、トルアス7世の瞳に揺らめく炎が映る。
だがルフタルのその瞳は像を反射することはない。
炎は勢いを増し、手の中へ進むとより一層強く燃え始めた。
生物なら当然あるだろう痛みや反射反応は一切ない。
その光も熱も闇を思わせる瞳孔が全て吸収してしまっているように思える。
「ひいっ」
トルアス7世は小さく悲鳴を上げた。
まるで自分のことのように、痛みから顔を背けその小さい身体を更に縮ませている。
そうして、ようやく白い煙を上げて火が消えるとルフタルは手の中に残った灰を払い落とした。
「俺からもう1つ、代表者は最も強い人間を選べと言ったはずだが」
「ガ、ガイアスは我が国最強だ!嘘では無い!」
ルフタルはトルアス7世に働きかけアルガナスと世界連合軍との決闘を実現させた。
決闘が終結した時点で既にルフタルの目的は達成されたのだが、それ以降のガイアスの派遣────派兵という方が正しい───は想定外のことであった。
ルフタルが関わった痕跡は消し、関わる人間はトルアス7世に限定した。
それだけ慎重を期しても、どこから計画が露見するかはわからない。
アルガナスの持つ魔法の全貌は明らかになっておらず、その可能性は限りなく消す必要があった。
そんな中で馬鹿な王の独断専行は予想もつかない一手となった。
魔界に入島した直後にガイアスを捕縛し書簡を奪うことに成功してなければ────考えるだけでも腹立たしい。
「それで世界連合軍の動きは?」
「どの国も静観しておる、そのうち世界会議でも開くだろう。ところで────」
トルアス7世はセティに座り不気味な笑みを浮かべた。目は忙しなく動き、呼吸も早い。
虚栄を張っているのではなく、許されたと勘違いしての行動だ。
「────鉱石はいつ届く?」
ルロン王国は度重なる悪政による過剰採掘で鉄鉱石を取り尽くしていた。トルアス7世は貿易減退からの軍事予算の縮小を恐れ、ルフタルから鉱石を横流ししてもらっている。
貿易の基盤を握られている状態でもトルアス7世は変わらず高圧的に振る舞い続ける。
「もう届けてある」
「よし、よし!良いぞ、これで勝てる」
ルロン王国は隣国との休戦協定を破棄し軍事的侵略を再開する予定である。
国土と資源に恵まれたこの国が戦争によって得られる利益は少ない。
隣国は世界連合軍にも加盟できない小国であるからだ。
この男らしいと、ルフタルは思う。
この男ほど人間という存在を再認識させる個体はいない。
宰相であるメニアルに弟の暴走を押しとどめさせたが、もうそれも必要ない。
ルフタルは ほくそ笑む。
全て目論見通りに事が進んでいる。
打倒アルガナスを達成するためには、独力では不可能だと気付いていた。
裏切りの可能性もある四天王は論外。そして魔族も同様である。
となれば利用するのは魔族以外の生物に限ってくる。
だが人間は弱く、寿命が短い。
長期的視野で物事を行うルフタルとは相性が悪い。
この点は我慢を強いられるが、最高責任者を抑えれば問題はないことに気付いた。
人間の世界は血脈を重視しており、その能力の程度は重要視されない。
むしろ無能であるほど喜ばれる不可解な性質を持つ。
ルフタルは人間の国について調べあげ、ルロン王国に目をつけた。
ルロン王国を支配するための足がかりとして、まず隣国に鉄鉱石や武器を無償で提供した。
隣国の軍事強化を図り、トルアス7世の虚栄心を刺激。国内の鉄鉱石消費量を爆増させた。
そこでルフタルは資源や軍事技術の提供を条件にトルアス7世との協力関係を構築させ、戦争を誘発した。
更にアルガナスの勝利により発生した戦災による鉄鉱資源の高騰が加わり、ルロン王国の発掘量は異常なほど激増する。
国庫は歴代最高潮に潤ったが、資源はルフタルの目論見通りに枯渇することになる。
そうして豊富な資源を持つルフタルに頼らざるを得ない状態を作り出し、完全な依存状態に陥らせた。
アルガナスと代表者による決闘を実現させる。
たったそれだけのために、20年の歳月を要した。
そうしてようやく────────
「メニアル!寝ている貴族共を叩き起して準備をさせろ!戦争だ!」
──────この男である必要性が無くなった。
メニアルは動かず、返事もしない。
トルアス7世は訝しげな顔をしたものの、もう一度命令を飛ばした。
「メニアル!聞いているのか!」
「ええ、聞こえていますよ我が王」
「なら何故────」
トルアス7世は、そこでようやく口を閉ざした。
肌に刺さる空気が重苦しく一変したことに気付いたからだ。
「この姿はお前達人間が好意的に思える姿を選んだものだが────」
ルフタルは気怠るそうに立ち上がり、トルアス7世との距離を詰める。
革靴は絨毯の上を滑り、乾いた足音を鳴らす。
硬質な接触音を鳴らすそれは見た目通りの靴ではないことを知らしめる。
「────────利点はそれなりにあった。潜入も対話もスムーズに行えたのは初めてのことだったぞ。人間の雌には良い顔付きらしいな、この顔は」
ルフタルの顔が崩れる。
両目が内側に凹み、鼻が縦に捻れるように渦巻いていく。粘度の高い液体を思わせるそれは流動的に動き続け、そして玉虫色の光沢を放ちながら静止した。
そこには何もなかった。
顔があったはずの場所にはただ真っ暗な闇だけが鎮座している。
それは夜空のような神秘的なものではなく、生物の持つ根源的な恐怖に根ざす闇そのものだった。
トルアス7世は恐怖に支配されていた。
声を出すことも目を逸らすこともできずに、ただ黙って目の前の怪物を見つめている。
「………だが利点に勝る欠点がある。それが何よりも悩ましいんだが」
「メ、メ、メ、メニアル!コイツを捕縛しろ!!」
腰が抜け、尻もちをついた拍子にトルアス7世は叫ぶ。
「メニアル!早くしろ!王の命令だぞ!!」
「……ハハハッ!本当に愚かだな。兄が兄でなくなったというのに気付かないとは」
「何を────」
メニアルの首が縦に半回転した。
人間の部位を保ったままのそれはトルアス7世の胃を収縮させ、内容物を吐き出させるのに充分であった。
「誰かっ!誰か助け────」
トルアス7世は腰に力が入らず、這いつくばったまま出口へと急ぐ。
靴は絨毯の上を虚しく滑り、思うように進めない。
肘で身体を支え一歩進むと割れたボトルの破片が突き刺さった。
「うぎゃぁぁぁぁああああっ!」
あまりの痛みに身を捩る。
袖はぶどう酒と血で染まり、涙で顔が汚れていく。
トルアス7世の胸中は恐怖と不条理で満ちていた。
何故、こんな目に遭わなくてはならないのか。
何故、こんな酷いことができるのか。
何故、誰も助けに来ないのか。
何故、何故、何故、何故────と。
「人払いは済んでおります、我が王よ」
メニアルの口から、メニアルではない声が響く。
トルアス7世の口は既に塞がれている。
ルフタルの腕が伸び、身体を包み始めたと思うと引き寄せられ、中空で留められる。
「たふぅけぇでぇ」
口内へと侵入する何かが恐ろしくてたまらない。
涙を流しながら、必死に懇願するがルフタルの顔には何の変化もない。
ただ深い闇だけがそこにあった。
「────────悩ましいのは、お前程度の生物に侮られることだ」
「ゔゔゔーーーーー!!!」
身体を包む粘液に体温が奪われる。熱が移ることもなく、ルフタルの感情を表すような生温い不快感だけがそこにはある。
柔らかいが、硬質でもあるそれに完全に包まれると徐々に圧力が加えられ始めた。
身体中の骨が軋み、生木を割ったような音が鳴り始める。肉と骨、どちらが先に潰れたかもわからぬままトルアス7世は絶叫する。
叫び声は誰にも届かない。鼓膜は既に裂け、自分の声さえも不明瞭になる。
痛覚は限界を超え、痛みを拾わなくなっても肌が溶けていく感覚だけは残っていた。
ルフタルはトルアス7世を消化しきると、腕を戻しセティに腰掛ける。
「本当にこれで良かったのか?」
メニアルがそう問いかけるとルフタルは気怠そうな表情を浮かべた。
「お前はいつも通りやればいい」
無駄な会話だ、とルフタルはいつも思う。
何を話そうともこれは独り言に過ぎない。
例え、身体が2つあろうともだ。
ルフタルは小指の先を千切り、床へ落とす。
それはグネグネと形を変え、人間の身体を作り始める。
「あーー、あーー、あーー」
150センチの体躯に詰め物で厚くなったダブレット、肩幅を大きく見せるためのシュールコーはオーバーサイズであり、虚栄心が伺える顔付きの男は喉を抑えながら発生を繰り返す。
四天王ルフタル
種族 不定形の王
その能力は『完全変態』
取り入れた細胞及び物質を持つ個体に『成る』能力である。
完全な同一個体として、それの持つ肉体能力や魔力、特異能力などがあればその全てを使用できる。
その個体が持つ能力であれば顕在能力だけではなく潜在的能力まで引き出すことができる。
例えば同じ四天王であるファナールの細胞を取り入れば、彼女の特異能力である『魅了』や彼女の持つ全ての魔法を使用することができる。
これを使えば魔法や探知能力を誤認させることも可能だ。
スライムのように身体を分裂することで個数を増やす。 分裂した身体はいずれもルフタルであり統一された精神を持つ。
これにより諜報活動や戦闘、支配地域の管理を同時に行うことができる。
それも他人を頼ることなく、だ。
この能力の特質すべき点は、取得した個体情報に上限がないことだ。
幾千年という歳月を費やし取り入れ続けた個体数は1万を超えた。その中には魔族だけではなく人間、エルフなど多様な種が含まれている。
取り入れた数────イコール強さというほど単純ではないが、戦闘における能力選択の自由度は一線を画す。
四天王最古参ではあるが、誰1人としてこの能力は知られていない。徹底的に隠し、流言で誤認させ、同種族は全て殺したからだ。
それもこれも────アルガナスを殺す。ただそれだけのために行ってきた。
最強とも思われる能力だが、当然欠点もある。
それがメニアルが問いかけた理由であり、最大の弱点でもある。
『同一個体に成る』ということは耐久性もその個体と等しくなる。
不定形の王のままであれば無効であった攻撃も、人間として受ければ死んでしまう。
成った個体の部位が失われれば、ルフタルとしての一部も当然、消滅する。
失われた部位はどのような魔法や能力でも回復することはない、そんな諸刃の力である。
個体数に比例してその危険性は増し、使い所を誤れば世界最弱にもなりかねない能力でもある。
そしてもう1つの欠点は、その個体の精神性や思考能力までは変容できないことだ。
ファナールのような幼稚で下品な性格やトルアス7世のような傲慢かつ軽率な性格は真似し演じるしかない。
これが一番の鬼門だとルフタルは思っている。
どれだけ演じようと所詮猿真似。コイツらが日々起こすような愚行まで演じられる気がしない。
特に人間はそのような些細な変化に機敏だ。
トルアス7世ではなく、メニアルを先に殺したのは個体能力値の差からではない。
単にトルアス7世を演じ切る自信がなかったからだ。
ただそんな感情も無礼討ちという形で終結させてしまったのだがら、ファナールを馬鹿にすることができなくなってしまった。
「では我々は行くぞ」
トルアス7世とメニアルは立ち上がる。
世界連合軍としての立場は重要だが、この国に二体も自分を置く必要性は感じない。
隣国との戦争でどちらかを殺す、いや病死のほうがやりやすいだろうか。
ルフタルは退室した2人を見つめ、『ルフタル』用に出されたワイングラスを床に落とし踏みつけた。
これで使われたグラスの数と人数が揃う。
この場には2人しかいなかった。
宰相は些細なことで王の怒りを買い、短気な王はワインボトルとグラスを叩き割ってしまう。
この王宮に居る者なら、誰も疑うことのないストーリーができあがる。
ルフタルは立ち上がり、ポケットから薄汚れた塊を取り出す。
アルガナスは強い。人間が集まったところでアレを殺せるとは思っていない。
アクスレイ達はただアルガナスの弱体化を狙っていたのだろうがルフタルの本当の目的は違う。
ガイアスが折ったアルガナスの角の一部。
それをルフタルは掌で転がす。
子供の拳ほどの大きさのソレを摘み上げるように持ち上げ口内へと落とす。
嚥下音を鳴らし喉元を過ぎた。
消化と同時にルフタルの全身を歓喜が駆け巡る。
これで最強の個体能力を手に入れ、アルガナスに肉薄することができた。
口惜しいのは能力が強大すぎる故に試運転ができないことだろう。
それでも、今はその気持ちでさえ心地好く感じてしまう。
全能になった多幸感。そして目的に近付いた達成感に全身が包まれる。
フロックコートが波打ち、形を変える。波は全身に広がり始めた。
ルフタルは両手で自らの顔を鷲掴みにした。
そうでもしないと綻んでしまいそうだ。
「ククッ……クハハハハハハハハッ」
指の隙間から高笑いが漏れる。
ルフタルは指先の一部を変化させ、ワイングラスを型どる。当然、中身も自分の一部を変化させたもの。
酒に酔う体質でもなく、形だけの杯だが予祝としては充分だ。
ルフタルはグラスを高々と掲げた。
この感情を能力を、全て捧げると心に決めて。
「ようやく並んだぞ、我が王よ」




