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16話 大立ち回り


 

 ハーフバーグの観光名所は数あれど、最も人気があるスポットは、ここ『メディナの噴水』と言えるだろう。それはこの地で商いを始めた最初の商人の名を冠する広場である。


 広場中央にある噴水には吊り下げ式の天秤と算盤アバカスを掲げた女性が鎮座し、花のように開いた足場から水が流れている。

 

 噴水を囲う灰色の石畳は、それぞれが不規則な大きさであるにも関わらず規律をもった配置がされている。一定の感覚ごとに四角く削った石畳がそれを囲い、同じように不規則なものと四角の石畳が交互に並ぶ。

 

 蚤の市としては世界最大規模を誇り、個人や団体を含めると800もの店が客を奪い合う熱気に溢れる場所だ。個人所有の掘り出し物や価格の手頃さが人気の理由でもある。日毎変わる様相と運命的な逸品との出会いを求め、人々は足繁く通っていた。

 

 

 だが、やはりここも、20件ほどの店がまばらに散っているのみで客足も少ない。

 

 「囲め!絶対にここから出すな!!」

 「たった1匹だろ!さっさと叩き落とせ!」

 

 殺気だった雄々しい声が周囲に響く。それは客引きの声でも値切り交渉を行う舌戦でもなく、あらゆる武器防具で武装した男たちの苦悶の声だ。

 

 

 その声の中心では、木製の屋台は半壊し、白いシーツが無惨にも地面に投げ出されていた。陳列されていたであろう食料品はほとんどが潰れ、脂と果汁が混じった液体を滴らせている。

 

 被害の少ない商人たちは、それぞれの商品を投げ入れた絨毯を乱暴に丸めると、身を低くしながら広場を後にした。

 ときおり戦闘の余波を受け、尻もちをついた商人が拳を振り上げ悪態をついている。

  

 

 被害が大きいのは食料品を扱う店だ。ほとんどの屋台が全壊してしまっている。商品はことごとく荒らされ、木製の支柱は根元から折れ曲がり、帆布屋根は引き裂かれていた。

 

 自力で逃げ出せた商人のほとんどは日用品を扱う商人のようだ。たいした被害はないように思える。

 

 

 

 どこからか転がった瓶が冒険者たちの足の間を縫い、そして踏み潰された。

 

 怒号と悲鳴。そして魔物の威嚇音。市中でありながら見慣れたその光景にデリクは人知れず胃が締め付けられた。

 

 商業ギルド長として今この場でできることは何も無い。そんな現状に憂いてはいるものの、どこか冷静な頭で、被害総額と保険金の計算を始めている自分自身にも腹が立つ。

 

 目をこらせば、倒れた柱に潰された店主を二人の冒険者が引っ張り出していた。店主は店の惨状を嘆く暇もなく広場から連れ出された。

 

 

 冒険者の奮闘あってか、今回も死人を出さずに済みそうだ。

 そう胸を撫で下ろしていると

 「当てろ下手くそ!!」

 「うるせぇ!!文句あるならテメエがやれ!!」

 

 と、屋根の上で奮闘する仲間へ、地上から罵声を含んだ野次が飛ぶ。


 対空手段を持つ冒険者が攻撃を行ってはいるものの、ワイバーンを撃ち落とすには決定打に欠ける。

 攻撃手段を持たない者は避難誘導や人命救助にあたっているが、客足が途絶えたこの都市ではどうしても手透きの者が出てしまう。

 


 冒険者としての矜持故か、ただ見ることしかできない無力感と苛立ちが彼らの口調に表れ、あろうことか奮闘している味方へとぶつけられている。

 

 

 後方に控えている時雨が指示を飛ばしているが、我々が望む結果は当分訪れそうもない。

 それもそうだ。ほとんどの冒険者は引退や移籍を選び、ここには有能な者はほとんど残っていないのだから。

 

 大半の冒険者パーティは瓦解しており、今の布陣は時雨が急遽作り出した編成に過ぎない。

 

 そんな急ごしらえのパーティで、かつ頭に血が昇った状態では空を舞うワイバーンを討伐することは困難極まりない。

 

 キースがいればもう少し楽に闘えるのだろうが、彼は今アルガナスとの戦闘で気を失っている。

 

 

 「アッハッハッ。見よアルエル、ワイバーン如きに慌てふためいておるわ」

 

 デリクはその不愉快な笑い声に誘導されるように視線を動かした。

 

 全身を預けて余りあるほどのデッキチェア。その背は大きく傾き、主の体重で緩やかな弧を描いている。

 両側の肘掛は先が丸く変形し、中央に穴が空いている。その右側にはガラス製のコップが置かれ、中の液体から気泡が弾けている。

 

 「アルガナス殿、何をされているのですか?」

 

 「何を、とはおかしなことを聞く。この通り、眺めているだけだ」

 

 「いえ、私が言いたいのは───────」

 デリクはアルガナスの持つ紙袋を注視し口ごもった。

 紙袋の口から綿の花ような白い菓子が顔を覗かせている。香ばしい香りが鼻孔まで届くが、胃を痛めそうな油を含んだ香りだ。


 何を勘違いしたのか、アルガナスはしばらく逡巡した後、紙袋の口を向けながら「仕方ない。一口くれてやろうか?」と言ってきた。

 

 「いいえ結構」

 問いの意味をこの男が察するわけがない。

 

 「そうかそれは残念だ」

 

 言葉とは真逆の表情を浮かべたアルガナスは袋の中身を鷲掴みにし、嬉々として口へと運んでいる。バリバリとした咀嚼音の後、コップから伸びたやけに長いストローから透明な液体を啜っている。

 

 デリクは後ろ手に結んだ拳を一際強く握りしめた。

 

 

 冒険者たちは必死で闘っている。彼らの本来の実力であればワイバーンの討伐は難しくはない。

 市中という行動を制限される地形と積み重なった疲労、そして急増パーティでの不慣れな戦闘。

 こうした負の要素が重ならなければ、ここまで醜態を晒すことにはならなかったろう。

 

 

 デリクは、アルガナスがこの場に来ることを許可したことを激しく後悔した。

 アルガナスの性格上、許可せずとも勝手について来ただろうが、この横暴を間近で見ることはなかったはずだ。

 

 

 この男が魔王でなければ、飛びかかって目にもの見せてやりたいとさえ思う。

 

 そう思わせるのは、アルガナスが当初の報告にあった老人の姿に変貌しているせいもあるだろう。唯一違うのは老眼鏡をかけていることだけだ。

 

 触れれば折れそうな手足は、優男と称されるデリクにも「勝てるかもしれない」と錯覚させるには充分すぎる。

 

 

 デリクは左右に首を振り邪念を払った。

 

 アルガナスは事前に交わした取り決め『手を出さない』『変装をする』という条件を守っている。

 それならばこちらが約束を反故する道理はなく。もとよりそうする力も無いのだが。

 

 侮辱的な態度は誤算ではあったが、これも比較的穏便に魔界へ帰ってもらうためだ。この男の嘲笑など一時の恥に過ぎない。そう思えばいい。ただ黙するのみで良い方へ事が進むのだ。

 

 

 だが、やはり腹の虫は収まらない。

 

 

 アルエルも隣に並べたデッキチェアに腰掛け、アルガナスの持つ紙袋へと手を伸ばしている。

 

 アルガナスはアルエルが取りやすいように紙袋を傾け、ときおり冒険者を指差して笑っている。女は表情を崩すことはないが、腹の底は同じように笑っているに違いない。

 

 「しかし妙だな」

 アルガナスは袋の中身を豪快に流し込むと、そう呟いた。

 

 「妙とはどういうことです?」

 怒りを悟られぬよう、デリクは慎重に問いかける。

 アルガナスはストローを啜りながら、ワイバーンを指差した。

 

 

 「あのワイバーン、歳の割にかなり小さいだろう?ろくなものを食べておらんな。そして妊娠もしてないのにやけに腹が出ている」

 

 高速旋回するワイバーンから年齢や妊娠の有無を視認で判断できる人間など、この場にいるのだろうか。

 

 鑑定魔法さえ使えれば詳細もわかるだろうが、鑑定魔法はその物体を正しく読み取るだけの時間が必要となる。

 魔法や矢が飛び交う戦場で、かつ飛行するワイバーンに魔法を当て続ける能力はデリクにはない。

 

 適当な相槌を打ち、しばらく観察してみるが骨ばった筋が浮かんでいることしかわからなかった。

 

 「よく見てみろ雌特有の骨格をしているだろうが」

 

 「と、言われましてもこの距離ではなかなか……」

 

 「人間には判別が難しいのか?まあそれよりも気になるのは、逃亡しない理由だが」

 

 デリクはその言葉に誘導されるようにワイバーンを注視する。

 

 言われてみれば、ワイバーンは広場上空を旋回し、冒険者の攻撃を避けている。それだけだった。

 

 逃げようとも隠れようとせず、崩れた屋台を中心に旋回を続けている。

 

 「ワイバーンの襲撃は幾度もあったと聞いているが」

 

 「えぇ。そのとおりです」

 

 アルガナスは続きを促すようにデリクを睨みつけた。

 実際は睨みつけてはいないのだが、人間を模した瞳の奥─────竜の眼光はなおも鋭く、有無を言わせぬ仕方で返答を求めていた。

 

「今までは巣の付近でのみ出没していましたが、ここ最近は街中にも出るようになってます」

 

「酒場のマスターは同業者が襲われたと言っておったが、被害者に共通する点はあるのか?」


  

 デリクは生唾を飲み込む。

 

 日時、場所、件数、負傷者の有無、被害規模と総額に至るまで、デリクはその全てを網羅している。

 

 それもそのはず、被害者達は総じてデリクが管轄するギルドに登録している者たちなのだから。

 

 

 「───────あるようだな」

 

 口を小さく開けただけのデリクだったが、アルガナスは既に興味を無くしたようだ。未だ奮闘する冒険者へと向き直りつつ、コップの中身を喉の奥へと流し込んだ。

 

 

 商業ギルド長、そしてハーフバーグの市政を担う一人として、部外者に情報を漏らしてしまったことを悔いながら、デリクは問いの先を考えていた。

 

 

 魔物が人を襲うことは珍しくはない。

 人肉主義、快楽殺人、物品の奪取。大抵はこの3パターンに別れる。

 

 縄張りに入った場合に襲われることもあるが、ワイバーンはわざわざ市中に来てまで人を襲っていることから、これには当てはまらないだろう。

 

 では目的はなんなのか。

 

 ワイバーンは肉食主義だが、一般的には狼や狐、兎といった野生動物やそれらに近しい生体の魔物を食す。

 人肉を好むケースが無いとは言えないが、襲われた商人たちはどれも軽傷である。

 そのため快楽的犯行でもないと言える。

 

 狙われたのは商人だけだ。

 一見、闘う術のない者を狙ったのだと思っていたが、それならば住民にも被害が及ぶはずだ。何故そうはならないのか。

 


 デリクは深く呼吸し、思考を全力で回す。

 

 

 ワイバーンが市中に出現し始めた時期は?

 商人ばかりを襲う理由は?

 逃走せず、この場に留まる理由は?

 

 「まさか─────────」

 

 デリクは全ての疑問に相応しい答えを繋ぎ合わせた。

 

 ワイバーンが市中に現れ始めたのは魔王と代表者が決闘を行ってからだ。

 

 決闘後に起きたのは食糧難と避難民の大移動だ。

 もし大量の避難民がワイバーンの生活圏に侵入していたとしたら。

 

 普段彼らが食料としている兎や狐は、食料難に喘ぐ人々の標的となったことだろう。過剰に増えた需要を満たすために生態系は酷く荒らされたはずだ。

 

 そして大量の人間が一度に移動したことにより、魔物たちの住処が追われたのだとしたら。

 

 

 高い岩壁を巣とする彼らは人の移動、それ自体が直接的な問題にはならなかったことから、生活圏を変える判断が遅れたのではないか。

 

 

 そうして、ある日突然食べるものが消えた。そんな彼らが生きるために次に狙う獲物────それが商人だったのではないだろうか。

 


 

 「よくやく決着がついたようだな」

 アルガナスが長い首を持ち上げた。

 

 

 ワイバーンが炎に包まれると同時に冒険者たちの歓声が上がる。

 ワイバーンは身体をくねらせ、再度飛行を試みるも即座に追撃の魔法が叩き込まれた。体勢を崩しながら噴水へと墜落し、メディナ像をなぎ倒した。

 

 地上で控えていた冒険者たちは一気にワイバーンへと飛びかかり、何度も剣を突き立てる。

 ワイバーンは力無く蹲ると、冒険者たちは勝鬨を上げた。

 

 

 デリクは冷水を浴びせられたような面持ちのまま、無理やり口角だけを上げて拍手を送る。

 

 

 

 ただの推理。そう、これはただの推理だ。

 証拠も裏付けもなく、状況証拠かもあやしいレベルの。

 よしんば事実だったとしても、相手は魔物だ。人に仇なす生物が一匹や二匹死んだところでどうだというのか。

 

 

 

 「さあ!これで気が済んだでしょう。宿までお送りします」

 

 

 デリクは痛々しいそれを見ずに済むように背を向けた。

 この場から離れたい一心で、アルガナスへ声をかけるが、本人は動く様子はない。

 その視線はただ一点を注視している。そして表情は先程までの娯楽を楽しんでいたソレではなく、重々しい空気を纏ったものに変わっている。

 

 

 「アルガナス殿?」

 

 デリクは広場全体が静寂に包まれていることに遅れて気が付いた。

 

 勝鬨を上げていた冒険者は口を閉ざし、アルガナス同様、一点を見つめている。

 

 デリクは思わず視線を追った。

 

 横たわっていたワイバーンが起き上がり、小さく鳴いた。それはか細く、今にも事切れてしまいそうな声だ。

 

 身体中から血が溢れ石畳が赤く染まっていく。

 片翼は千切れ、切断面から骨が飛び出している。数歩進んだところでバランスを崩し、地に伏せた。

 

 

 冒険者はその姿を見て後退した。

 反撃を警戒したわけではない。ただその行動の邪魔にならないように配慮した無意識の後退だ。

 

 

 荒々しい呼吸音と身体を引きずる音だけが、やけに大きく聞こえる。

 

 一歩、さらにもう一歩と。牛歩の如く緩やかな歩みは明確な意志をもって行われている。

 

 逃げるでもなく、闘うでもない。その不可解な行動の答えに、この場にいる誰もが目を離せないでいた。

 

 

 「何故逃げないのですか…」

 

 デリクの口から小さく疑問が漏れた。

 ワイバーンはもう直ぐ死ぬだろう。羽、胴体、頭はズタズタに切り刻まれ、背中から胸にかけて貫通した傷もある。

 

 今更逃げたところで意味はない。

 

 誰がどう見てもあのワイバーンは死ぬ。ここで死ぬか別の場所で死ぬ、それだけの違いだ。

 

 ただの魔物の死。それだけだ。それだけなのに。

 

 それでも──────────その一歩から目を離せるほどデリク・ローレンという男は冷淡な性格ではなかった。


 

 

 ワイバーンは地面に散乱した、潰れてしまっていて判別できない何かを口で咥えた。そして空を仰ぎ無い羽根を羽ばたかせ──────────

 

 そして動かなくなった。

 

 

 

 誰もがその光景から目を離せずにその場に留まっていた。

 ただ1人、アルガナスを除いては。

 

 

 アルガナスは竜の姿に戻っていた。

 血で汚れることを一切厭わずに歩を進め、ワイバーンの元へと向かっていく。

 

 

 うつ伏せで倒れたワイバーンを乱暴に返したところで、デリクはようやく我に返った。

 

 「アルガナス殿、何をしているのですか!?」

 

 慌てて駆けよると、遅れて冒険者たちが武器を構えた。

 

 「アルガナスはん、それは戦利品や。ボクらが管理するんで触らんとってくれんかなぁ?」

 

 時雨は目でデリクを制する。

 

 その視線はアルガナスから離れるように訴えかけるもので、最大限の警戒を含んでいる。

 

 

 「このワイバーン、どうするつもりだ?」

 

「そやね、とりあえずはバラして加工品コースにしましょか」

 

 ワイバーンの皮や爪は加工すれば武器や防具になるのだが、ここまで痩せてしまっていては、家畜用飼料が精々だろう。

 

 ほぼ無価値な代物だが、権利はギルド長の時雨のものだ。

 

 一般的に多人数が参加するクエストでは、ギルドが一括して魔物を管理し、得た収益を分配する仕様だ。

 

 基本的には貢献度による歩合制になるが、対象が一匹だとそれも難しい。なので今回のような場合、適切な固定給がギルドから支払われる。

 

 高額取引される魔物ではない場合は戦利品はギルドへと寄贈され、冒険者への福利厚生へと還元される。

 

 

 「ふむ。ならばワシが買い取ることは可能かね?」

 

 問題なく可能だ。

 

 「ええですよ。ただこの場でってわけにはいきませんけど」

 

 適切な手続きを踏まず、売買してしまうと不正取引になってしまう。

 まずは何より討伐報告だ。そしてそれが済めば即座にワイバーンを解体し 部位毎に適切な値付けを行う。それと並行して販売許可の申請をする。

 解体だけではなく加工をするのであれば、販売許可の前に加工申請と加工証明書の提出が必要になる。

 

 それらの工程を経てようやく販売が可能となるのだ。

 

 「ワイバーンの死体はいらん。ただ腹を割くだけで良いのだが……それが無理なら丸ごと買おう」

 

 一見不可解な主張だが、珍しいことではない。

 

 魔物や魔族に身内を殺された者が恨みを晴らすために死体の買取を申し出ることはあるからだ。

 冒険者ギルド、商業ギルド双方は私怨による死体の売買を固く禁止している。

 それは売買の公平さと、死者への尊厳を守るために制定された国際法である。

 

 だがギルドの管理ミスにより遺体が損壊することが多発しており、形骸化してしまってはいるが。

 

 

 「理由を聞いても?」

 

 時雨の目が大きく開き、冒険者たちも視線を交わしている。

 

 

 アルガナスはこのワイバーンに思い入れはない。それなのに何故、この痩せこけた魔物の遺体を割くことにこだわるのか。

 

 被虐趣味は十二分に有り得そうだが、真意を確かめねば返事はできない。

 

 時雨はそう考えているに違いない。

 

 

 だがデリクただ1人のみが、アルガナスの行動とその真意を察していた。

 

 

 「責任は私が取りましょう」

 

 デリクのその言葉に時雨は目を伏せ、手を振った。それと同時に冒険者たちは背を向け、これからアルガナスがする行動を認識できないようにした。

 

 冒険者たちは未だ納得がいっていない様子だが、時雨の命令に反する理由もない。

 

 疑問はあれど、成り行きに従うようだ。

 

 

 「アルガナス殿、どうぞ」

 

 デリクは全幅の信頼を置いてくれる友人に心の中で感謝を述べながらアルガナスの隣に立つ。

 

 「貴様はそのままで良いのか?」

 

 「ええ、問題ありません」

 

 自分に言い聞かせるようにデリクは頷く。

 

 

 本当は事が済むまで目を伏せていたい。

 そうすれば法令違反への罪悪感だけで済ますことができる。仕事に忙殺され、いずれ今回の出来事も忘れてしまうに違いなかった。

 

 

 仕方がなかった。他にどうしようもなかった。事前に知ったところで、できることなど何もなかった。

 そう、自分の正当性は揺るがなく、釈明の必要もない。

 

 

 それでも確認しなければならない、とデリクは思う。

 

 そうすべきだと。そうしなければならない。

 

 

 人であるが故に感じる──────────人を人たらしめる、名のない何かがそう訴えている。

 

 

 

 アルガナスはワイバーンの横まで行くと膝をつき、正中線に沿って真っ直ぐに切り裂いた。

 

 

 血は思ったより吹き飛ばなかった。

 

 だが溜まったガスのようなものが吹き出し、鼻が曲がりそうな異臭が漂う。

 ガスが周囲に四散するかたちで消えた頃、ようやく内部が見え始める。

 

 

 それは一言で表すなら『異様』だった。

 

 たった一つの臓器が他の全ての臓器を押しやり圧迫している。

 おそらく胃と思われるそれは黒緑に変色しており、下方にいくほど伸び、そして膨張している。

 

 

 アルガナスは爪の先で小さい穴を開け、先にガスを逃がす。

 

 身体の時とはまた違った、青草を踏み潰したような匂いと独特な腐敗臭が混じった匂いがする。

 

 デリクが口元をハンカチで抑えている間に、アルガナスは最後の一刀を入れた。

 

 

 「あぁ、やはり………」

 

 

 胃に一杯に詰め込まれた、大量の植物や果物。胃液と混じっただけのそれは酷い悪臭を放ちつつ、その姿を保っている。

 

 

 肉食であるワイバーンの腹から出るはずのない異物を見て、デリクは自分の推理が正しかったことを──────────ただ呆然と悟った。

 


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