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14話 お茶会②

 


 部屋の中央にあるテーブルは歪な形をしていた。

 大木の根元が自重に耐えきれず生まれたその姿は、切り出されたままの姿で最小限の加工のみが施された一枚板。木目は墨のように色付いており、森の入口に立ったような香りがする。


「ええでしょ、ボクのお気に入りなんよ」



「うむ、良い香りだ」


 魔王城は全て石造りである。家具においてはその限りではないが、アルガナスが触れる可能性のあるものは耐久性の観点から石で作られている。



 アルガナス自身も気を使う必要の少ない石材を重宝している。

 だがそれは耐久力と己の自制心を考慮しての妥協の産物であり、こういった木製の家具への憧れはあった。


 アルガナスが破壊した物は数しれず────最近ではアルエルの監視が強まったため、四天王アクスレイの支配地域『腐死荒野』に不法投棄という名の証拠隠滅をしているほどだ。



 アルガナスは手前にあった椅子に勝手に腰掛けた。


 交易都市ならではの、他種族が使えるように大きめに造られた椅子はアルガナスでも充分な広さがある。


 だが背板と背抜きが交差する造形は尾を出す隙間が無く、尾を丸めるようにして座るほかない。


 適切な尾の位置は中々に定まらないものだ。

 何度か座り直して、ようやく収まりの良い場所を見つけることができた。



「美人さんは座らんでええの?」


 アルエルは時雨を無視し、アルガナスの後ろで立つ。

 会話する気がないと察してか時雨は「残念やわぁ」と呟きこちらを見た。



「まあまずはお茶からやね」


 数回のノックの後、受付にいた社員が丸盆を持って入ってきた。


 盆の上には、ティーポットと似た形の急須と呼ばれるもの────時雨が楽しそうに教えてくれた────筒を思わせる形をした湯呑みというティーカップ、真っ白の粉を被った菓子を置いた。



 社員の不安そうな視線が時雨に向かう。

 それは時雨の身を案じており、助けを求める仕草一つも見逃さないような鋭い視線だ。

 護衛の一人でもいれば話は変わっただろうが、部屋に入ろうとした冒険者は全て時雨が突き返していた。


 あの程度の冒険者が居たところで蚊ほどの脅威にはならない。それがわかっていても、彼の判断は無能を排斥するかのような冷徹さを感じる。


「ええよ、あとはボクがやりますさかい」


 時雨は立ち上がって、社員の肩を叩いた。

 社員はいくらか逡巡し、そそくさと部屋を出ていった。


「お口に合えばええんやけど」


「この香りは……先程飲んだものと似ているな」


「へぇ!それは嬉しいわぁボクの地元の名産なんよ」


 時雨は湯呑みを横に並べると少量づつ注いでは次の湯呑みへと移った。


「一度に入れてしまわんのか?」


「最初と最後で濃さが変わってまうからなぁ、それもそれで美味しんやけど。あ、苦いほうが好きならそうしまっせ」


 商業ギルドでは既にコップに注がれたものが出された。提供までの早さを思えば、ここまで丁寧にいれたものではなさそうだ。


 必ずしも丁寧さが味に直結するわけではないが、気遣いを感じれるものの方が美味く感じるのは何故だろう。


「いやそのままで結構だ」


 アルガナスは目の前に差し出された湯呑みを掴む。


 波のような造りの湯呑みはティーカップのような持ち手が無いのにもかかわらず手に馴染む。

 茶の熱は分厚く重い陶器質に阻まれ、手に伝わる頃には程よい温かさに変わっている。


 香りは、商業ギルドで出されたものよりも深く感じる。色は透き通る薄緑で底に書かれた渦巻き模様すら見える。


「魔王様、まず毒見を───────」


「え、もう飲んだ」


「バカなんですか」


「そんな心配せんでも毒なんていれへんて」


「黙りなさい、貴方と話す気はありません」


「あははっ、キッツイわぁ」


 アルエルの気が立ってる。


  言うまでもなく互いの印象は最悪だろう。

 彼女が神経を尖らせているのも無理はない。商業ギルドでは魔法で姿を変え、身分についても語ったのは茶を出された後だ。


 あの時とは違って、冒険者と一戦を交え反感を買っている今、毒を盛られる可能性があると判断したようだ。



 しかし、毒殺なんてものは滅多にあるものではない。

 魔族であればそれなりに耐性もあり、毒殺という見込みの薄い方法に頼る者はほとんどいない。

 そのため毒殺とは、おとぎ話で描写される弱者の手段であるとアルガナスは位置づけている。



 その証拠に、産まれてから一度も毒を盛られた経験のない男がここに居るのだから。




 アルガナスは気になっていた菓子を指で掴む。


 力を入れれば潰れてしまいそうな柔らかさにほのかな甘い香りがする。

 その香りは白い粉からだ。一口で飲み込むと潰れた菓子の中から果実を思わせる酸味がした。



 口内に残る甘さを緑茶で流す。


 舌触りの良い甘さが茶の渋みで流され、さっぱりとした後味だけが鼻腔を抜ける。


「うむ、美味い」


 もう一つ摘んで半分だけ齧ってみる。


 白い生地と黒い断面に歯型が浮かぶ。中央にはイチゴが包み込まれている。

 甘い黒は滑らかで粒一つない。どういう食材かわからないが、とにかく美味い。酸味と甘味という一見して合うとは思えないような組み合わせにも関わらず、それらが調和している。

 単独でも美味いが、緑茶と合わせるのが特に気に入った。



 商業ギルドで出された菓子とはまた違った美味さがある。


 ただ一つだけ欠点を挙げるとしたら、量が少ないことだろう。


 一人あたり二粒なんて腹の足しにもならない。



 時雨は木を割いた小さい針のようなもので、半分に切って食べている。

 丸盆の上には追加分の菓子はなく、残っているのは隣にあるアルエルの分だけだ。


「アルエル、食べんのか?」


「…………お好きにどうぞ」



 呆れたようなアルエルの返答が終わるより早くアルガナスは菓子に飛びつく。


 二粒同時に掴み、口内へ放り込んだ。



「ええ食べっぷりやわぁ」 


「うむ、なかなかに美味であったぞ………まだ食い足りんが、追加が無いようなら本題に移ろうか」


 指についた粉を舐めながらアルガナスが言う。



 時雨の人の良さそうな顔付きが、挑戦的な色合いに変わる。



 アルガナスは挑戦的な者を好む傾向がある。

 王とは最上位であり────故にそれ以上が無い、つまらない存在であると常々思っている。


 自身が最上位の存在であると自認するためには他者が必要である。その者達の挑戦によってのみ、飢餓感のようなこの薄暗い欲求が満たされるのだとアルガナスは考えている。



 キースという冒険者の鍛え上げた技と思考。

 そして今は時雨という男にそれが向かう。



「そやねぇ、まあボクが聞きたいことは一つなんやけど────」


 時雨の声音が変わる。

 先程までの飄々とした柔らかい音は消え、眼光が鋭くなる。


「魔王さんがこんな所へ何しに来はったん?」



 室内の空気が一瞬で乾いた。


 時雨からは何の殺気も発せられてないが、その視線は風を思わせる。先程までは心地よくそよぐ春風、そして今は肌を刺す空風のようだ。



 『ここにいる目的は?』

 

 えらく業務的な質問だ。

 形式ばった入国審査のようなそれは、アルガナスの過去の、そしてこれからの行動を諌めることではなく、ただ真偽を測るための質問のように感じられる。


 アルガナスは知覚範囲を狭めることにより精度を高めた。


 やはり魔法を使った痕跡はない。冒険者達は一階で留まっている。忙しなく動いているのは手持ち無沙汰と不安からだろう。


 魔法による精神操作の類や冒険者を用いた武力行使をする気はないようだ。



 アルガナスは不敵に笑う。


 面白い。

 こちらの腹の内を探る気なのはわかってはいたが、正面切って向かってくるとは思わなかった。



 他にもやりようはあるだろうに、簡潔かつ大胆な戦法だ。




「観光ついでに貿易路の開拓、もしくは店でも始めたいと思っておる」



「魔王さんが観光でっか」


「あぁこう見えて人間の世界は疎くてな。知見を広めようとした次第だ」


「今は閑散期やからなぁ、おもろなかったやろ?」



「たしかに。だがこれはこれで楽しませてもらっておる」



「そもそもなんでウチを選びはったん?他にも有名な貿易港は山ほどありますやろ、それこそ魔王さん好みの国の」



「無論、そちらにはもう行っておる。ここは候補の一つにすぎん」


 アルガナスは嘘を付いた。


 魔王好みの国とは迎合の動きがある国か、それともエルフやドワーフの国のことだろうか。


 勿論、記憶力の乏しいアルガナスが友好的な書簡を送ってきた国を覚えている訳が無かった。


 読むことを放棄し、引き出しの奥にしまい込んだまま存在すら忘れていた。


「アルエル、貿易許可を出してくれた国は何ヶ所あったかな?」


 だがアルガナスには有能な秘書がいる。

 アルエルならばこちらの意図を正確に理解し行動してくれる。


「はい、非加盟国ではユーステス帝国、アルンバルト公国、そしてキューエステスです」


 どこの国だソレ。


 アルガナスはそんな感情をおくびにも出さず頷く。


「帝国とはウチもやり取りさせて貰っとるんやけど、そんな話言うとりませんでしたわ」



 時雨の言うやり取りとは貿易を指すのか、それとも冒険者ギルドでの依頼を示しているのか。

 曖昧な表現に抑えているのは、こちらの反応を観察するためだ。


「それはそうだろう。一国の長がたかが商会長ごときに一々報告をすることもあるまい」


 たかがと強調した、鼻で笑うようなアルガナスの発言に時雨の眉が跳ねた。


 嘘を真実らしく飾る方法は様々あるが、最も効果的に見えるのは『自信』だとアルガナスは思っている。


 物を売るときだってそうだ。

 オドオドと不安そうに紹介された商品と自信たっぷりに紹介された商品では買い手の感じ方は変わる。


 例えそれが全く同じ商品だとしても買い手が着くのは後者のほうだ。


 それと同様自信は嘘を覆い隠し、それらしく見せるための仮面となる。

 堂々とついた嘘ほど真実味は増す。



 時雨は湯呑みを手に取り茶を啜る。

 喉を潤すのではなく、思案しているようなそんな動きだ。



「よ~わかりました。魔王さんは観光と取引希望なんやね?」


「あぁ」


「もう一度よーく考えて答えて欲しいんやけど、観光と取引で間違いない?」


「くどいぞ!そうだと言っておる」


 時雨は満足そうに頷く。残った菓子を口に含むと茶を啜った。


「いやぁそれが聞けて良かったわぁ。襲いに来たとか言われたら、どないしょーって思いよった」


「貴様が手配した冒険者のように襲ってきたら話は別だが、理由がない限りこちらからは手を出さないと約束しよう」



「それはホンマすいません。ボクからちゃんと言うときます。それで売り買いって話になるとボクじゃあ話になりませんから────」


 その時、扉を二回ノックする音が響いた。


 時雨は立ち上がり扉まで向かう。

 扉を開きその男を招き入れた。


「紹介させてもらいます、ボクの友達のデリク君です」












「初めまして、商業ギルド長デリク・ローレンです」


 アルガナスは時雨の隣に座る男をまじまじと眺める。


 第一印象は品のある男だ。

 皺一つ無い薄い青のシャツにブラウンのベスト。髭一つさえ見えない顔は清潔感がある。


 女であれば好印象を受けるであろう外見は、捻くれた性格のアルガナスにとっては嫌悪の対象でしかない。



「当方のギルドへ御来訪頂いたと聞き及んでおります、私が対応できずに誠に申し訳ありません」



「構わん。こちらが勝手に出向いただけのことだ。それより────随分タイミングが良いな」


 アルガナスは時雨を見る。時雨はニコニコと笑顔を振りまきながら「ホンマやねぇ」と適当な相槌を打った。


 何か企んでいるらしい。

 だがその企みは全て無駄に終わるだろう。


 彼らには我々を追い出すだけの大義名分も武力も無い。そして魔界で取れるあらゆる物質は、アルガナスが知る限り外界には出ていない。

 希少価値だけで言えば彼らにとって垂涎の的に違いない。


「こちらの方へ所用がありましたのでね。それで出店希望とのことですが────」


 デリクは商業ギルドで記入した書類を並べた。

 既に目は通してあるらしく、一瞥すらせず真っ直ぐにアルガナスを見る。


「どういった商品をお考えでしょう?」



「そうだな、とりあえず魔界産の鉱石、植物、一番は魔道具などかな」


 アルガナスは内心、焦っていた。


 未だ市場調査は始まってすらおらず、人間が欲する商品像が掴めていない。

 その事を知られれば侮られるのではないだろうか。



 だが心配はいらない。具体的な物品を示せない以上、この会話から手探りで見つければいいだけだ。


 とりあえず、冒険者ギルド長である時雨が食い付くのは魔道具や武器の素材になる鉱石だろう。彼のツボさえ抑えておけば負けるはずもない。




「魔界産ですか」


 デリクの表情が曇る。


「申し訳ありませんが、魔界産の製品は当方では扱えません」


「な、何故だ!?」


「前例が無いからです」


 デリクは言い切り、一呼吸開けてから続ける。



「魔界産となると我々にとって未知の物質ということになります」


「それの何が困る。未知とは、未だ出回っていない希少な物品であること、つまり市場価値は高くなる」



「その価値を見定めることが困難なのです」



「貴様らお抱えの職人や鑑定士ぐらいおるだろう。そやつらとワシで適正価格をつければ良いだけのことだ」


「………失礼ですが、アルガナス殿は鑑定士ひいては鑑定魔法についてご存知ですか」


「いや、その手の魔法には明るくなくてな」


 鑑定魔法。その存在は知ってはいたが、人生において必要性を全く感じなかった稀有な魔法の一つだ。

 良いも悪いも高いも安いも、自己判断で押し付け済ましていたアルガナスにとって縁もゆかりも無い魔法である。




「では────」


 デリクは懐から万年筆を取り出し、誰もが見やすいように持ち上げた。


「鑑定魔法を大雑把に説明すると品質と材質を判断する魔法、と言うことができます。例えばこのペンは木製ですが、鑑定魔法を使うと材質────何の木材で造られたのか、そして割れていないか、錆びていないかといったような品質の善し悪しを判断することができます」



「新品か中古か判断もできるっちゅー便利魔法なんよねぇ。見た目綺麗でも中身が悪くなっとることもありますさかい」



「えぇ、ですが欠点もありまして。鑑定魔法とは知識を魔法陣に組み込んだものです。その知識というのが厄介でして先程例えに出したこのペンで言いますと────────素材は花梨という木からできております。では、花梨という木とは一体なんなのか。原産国は?生育速度は?木目の形は?葉や幹の形は?高品質をどう定義するか、など、ありとあらゆる性質を調べ上げ、その情報を魔法陣に組み込むことで、ようやく鑑定魔法で識別できるようになります」



「なんだその面倒くささは…」



「予め書き込まれた情報を元に、それに当てはめて判断するツールと言った方がわかりやすいかもしれませんね。元々鑑定魔法は職人による目利きを素人でもできるように簡略化したものでして、まずは鑑定庁に在籍する鑑定士による下調べを経て、ようやく我々による判断が可能になる代物なんですよ」



「鑑定士は年二回の講習会があるんやってなぁ、その都度新しい魔法陣覚えなアカンって大変らしいね」


「えぇ、常に新しい情報を仕入れる必要がありますからね、新たに発見された素材は勿論、過去の情報が書き換えられることもありますから」


「つ、つまり魔界産の素材は…」 


人類われわれでは全く判別できない代物ということになります」


 前例が無いとは、魔王との取引という意味ではなく鑑定魔法に情報が無いという意味だったのか。


 アルガナスは肩を落とし項垂れた。


 つまりは、魔界でしか取れない特産品という希少価値の高さが一転して欠点に変わるということだ。



 非常に不味い。何か打開策を見つけなければ。


「その鑑定庁とやらに見てもらえば良いのだな?」


「その通りです。安全性と品質を確認できればハーフバーグでの取り扱いが可能になります。それにはまず鑑定庁に提出する素材の準備と届出を書いて貰わねばなりません」



 デリクは準備していた書類をアルガナスへ手渡した。


 アルガナスは薄目でそれを眺める。


 とにかく文字が小さい。

 狭い紙の上を虫のような文字が理路整然と並んでいる。


 一枚目は申請者、もしくは代理人の情報。二枚目から四枚目は素材や加工法などの技術についての細かな記載とそれらを保証する人物の項目。そして五枚目は、鑑定庁の決定に従う旨の同意を求めている。


 聞けばこれは最も基本的な書類であり、申請する物によっては更に増える可能性があるということだ。



「それと経費として鑑定庁への申請費、代理人を雇うのであれば、その費用。それと相応の時間は覚悟して頂きたい」



「ぐ、具体的にどれぐらいかね?」

 

「最短で半年ですが……魔界産ともなると、一年……いやそれ以上かかるでしょうね」



「そんなに待てるかっ!」


「個人的には魔界の製品は興味がそそられますが、特別待遇はできませんので」



「まあまあ魔王さん、落ち着いて。これはあくまでウチではって話なんよ、他所様と取引が決まってるなら問題なんてないやろうし」


「うぐっ」


「まあ難しいことなんも考えんと、とりあえずはゆっくりしはったらええんちゃう?」


 時雨の笑顔が憎たらしい。


 この男、こうなることを予測していたに違いない。


 ここで下手に食い下がれば、先程の発言を嘘だと自ら吐露すると同義。

 いや時雨は最初からわかっていたのだ。そうでなければ暗に『ここでの取引は諦めて観光だけして帰れ』と言うわけがない。




 歓迎されていないのは酒場の時からわかっていた。

 人間にとって魔族は恐怖と嫌悪の対象でしかなく、歩く災害のようなものだ。

 それが魔王ともなれば影響力は計り知れないだろう。どこか遠くへ行って欲しい気持ちもよくわかる。



 だが彼らのやり方も態度もそのような差別的な意図は全く無い。

 書類一つをとっても、たった今作ったような粗さは無く、それが常用されていたものだとはっきりわかる。


 鑑定士の話も真実だ。

 あれだけの話が創作だとは思えない。時雨の相槌も違和感がなく、納得すらさせられる。


 そう。彼らはただ淡々と業務をこなしているだけだ。


 せめて態度にでも出してくれれば反撃できる可能性もあったのだが、護衛になる冒険者や受付嬢を下がらせる慎重っぷりだ。


 この二人がそんな隙を作るはずもない。




 たしかに正攻法だ────────それ故に隙がない。




 キースと冒険者による暴力行為についても「問題無い」と返してしまった。今更話題に上げるのは負けを認めるようで憚られる。




 アルガナスの全身の鱗が微かに揺れる。


 これほど穏便に話を終えられたのは生まれて初めてだ。暴力に頼らない抑止力、それが人間の持つ能力の一つなのだ。


 力の無い人間だと決め付けタカをくくった、その結果がこのザマだ。





 認めよう。


 負けかけていると。窮地に立たされていると理解できた。

 しかしまだ完全敗北ではない。そして何より魔王に敗北は許されない。




「それは物を売る、卸す場合の話で相違ないな?」



「えぇ、確かにそうですが……」


 デリクは訝しげに答え、時雨は驚いて目を開いている。何を言うのか、と身構えている様子にアルガナスの溜飲が少しだけ下がった。


 まだ何も思いついてはいない。それでも担架を切らなければここで敗北が決まる。




 これは武力によらない戦だ。

 支配権を行使し、他国からの圧力をかければハーフバーグでも取引が可能になるだろう。

 しかしそれはアルガナスにとっては卑怯者の行為であり敗北に等しい。



 魔王が取る手段として相応しくないのは勿論のこと、そもそも搦手なんて性に合わない。 

 取る手段はいつだって真っ向勝負で早期決着。どんな弊害もそうやって打ち破ってみせた。


 彼らが正攻法で来るというなら、その流儀で勝ち取ってみせるとアルガナスは決意した。







 完璧に見えた時雨の対応だが、一つだけミスを犯していた。


 それはアルガナスの性格を見誤ったことだ。


 自我の強い魔族が跋扈する魔界において、それらを支配する魔王、アルガナス。


 万物全てをその力で圧倒し征服する性質を持つこの竜は己の力を誇示することに余念がなかった。


 当たり障りなくお帰り頂こうと画策した時雨の行為は、アルガナスの性根に爆薬を投じるが如く激しい化学反応を引き起こす。


 それは勝敗にこだわる子供のように浅ましく、それでいて暴力的とも言える思想を孕んだそれを────



 アルガナスは立ち上がり、そして眼下の人間を見下ろした。


「魔王アルガナスの名において、この地ハーフバーグに世界初となる魔族による新事業を立ち上げることをここに宣言する!!」




 それは人類と魔族の歴史において、最も平和かつ最小規模の宣戦布告となった。




 そしてこの戦いは────魔王アルガナスが世界平和を実現させるまでの、ほんの序章に過ぎないのである。


 

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