13話 お茶会 ①
「ほな、行きましょか」
時雨は騒動など一切無かったかのように手招きする。周囲にいた冒険者達は互いに顔を見合い、警戒したままだ。
「コレはどうする?」
アルガナスは気絶したままのキースを指差した。
頭部からの出血が、石畳の隙間に沿って流れ続けている。
まるで迷路を進むような血の道筋が足元まで迫ってきて、アルガナスは片足を持ち上げそれを避けた。
頭部からの出血は激しく見えるが意外と傷は浅い。割れた皮膚さえ接合すれば元通り治るだろう。
アルガナスは心の内で自画自賛した。
制限のかかった肉体のまま、敵を殺すことなく制圧するというある意味で難易度の高い問題をクリアしたのだ。
アルエルも今回の戦闘を糧に鍛錬に励むだろう。単純な腕力増強はこちらにも被害が出そうなので控えてほしいが、思考の変化は彼女のみならず魔族全てにとって必要なはずだ。
この都市との貿易を諦めざるを得なかったとしても、アルエルの成長という一点のみで、成功と言っても過言ではあるまい。図らずも嬉しい誤算となった。
「そうやねぇ、ほら君らボーッと突っ立ってないで運んでやりぃ」
その一言でようやく冒険者達が動き始めた。
こちらと距離を図るように大きく迂回しつつ、まずは縛り上げた冒険者を。そして剣を構えながらキースを回収していった。
アルエルは冒険者達の態度に憤然とした様子だったが、この場で手を出すことはしない。
頬の傷を持っていたハンカチで拭っている。純粋な魔族ならあの程度の傷など瞬時に修復してしまうが、彼女の治癒能力は人間とそう変わらない。
アルガナスは、ふと一番怖がっている様子の冒険者に向かって吠えてみようかと悪戯心が刺激されたが、さすがに思いとどまった。
「美味しい茶菓子があるんよ、ボクの国のもんやさかいに魔王さんもきっと気に入りますよって」
時雨は踵を返し進んでいく。
こちらの返答を待つことを────いやそもそも聞く気もないようだ。
有無を言わせず己の意を通す。
最初に相対した冒険者もそうだった。
彼らは暴力的な手段を用いることでそれを果たそうとしたが、結局は失敗に終わった。
時雨はそれとは別の手段で意を通すつもりらしい。
申し出を拒否されるとも思ってもない不遜な態度。
この場にキース以上の冒険者がいないのは明白であり、彼らにとってどんな不都合があろうとも享受するほかない。
しかしそんな劣位をものともしないような飄々としたその態度にアルガナスの尾が跳ねた。
力を示すのは魔族の領分、であれば人間の領分は────
「それは楽しみだ」
これは魔王に対する挑戦とアルガナスは受け取った。
先程のキースもそうだが、単純な能力では測れない魅力というものがある。
時雨からはなんの魔力も感じない。見た目もただの細身の優男だ。そんな男が乱暴な男共も束ねる長であるからには、相応の能力があるのだろう。
しかしこれはアルガナスの希望的観測に過ぎず、一介の長でしかない可能性も勿論ある。
冒険者の無能ぶりを見れば不安も過ぎるが、面白そうなものにありつけると野生的な勘が言っている。
向かった先で待ち受ける何か。それを空想するだけで腹の底で燻る火が燃え上がる。決してお茶菓子に惹かれたわけではない。
アルガナスは羽根を広げると同時に軽く跳躍する。冒険者達がどよめき武器を握る手を強く絞ったが、時雨の前に立つ者はいなかった。
先行く時雨の横に立てば彼の満足そうな微笑が見えた。
アルガナスの数歩後ろを追従するアルエルの更に後ろに介助に回れなかった哀れな冒険者が歩く。
冒険者達は口々に恐怖と愚痴を混じった呪詛を唱えている。
その顔は葬列のように沈んでおり、明るいのは前を行くアルガナスと時雨だけだ。
「茶の誘いはわかったが、『しばく』とはどういう意味だ?」
「あぁ、わかりにくくてすいませんねぇ。ボクの国の言葉やってお茶でも飲みましょーって意味なんよ」
「聞いたこともないな」
「せやろ?皆わからん〜て言いはる」
時雨が言うには、『お国言葉』という局所的な地域言語のひとつだそうだ。
「珍しいやろ?特にボクのはかなりの混ざりもんやけんねぇ」
交易の盛んな都市なら様々な人種との関わりがあるだろう。ギルド長の仕事がどのようなものが知る由もないが、他人と関わるのであれば影響を受けても不思議では無い。
時雨に感じた苦手意識もこれが関わっているのではないだろうか。
アルガナスは会話は得意ではないが、経験に裏打ちされた独自の観察眼がある。アルエルや四天王を見出したことから絶対の自信を持っていた。
だがその観察眼をもってしても、度胸があるぐらいしかわからない。
魔王を前にして平然とできる人間はそうはいない。キースは怒りを顕にし、冒険者達は恐れおののいている。ガイアスだって攻撃的になった。
時雨の態度はというと、まるで友人を相手にするような親しみのある振る無いだ。愛想笑いでもなく心からこの状況を楽しんでいる節がある。
キースという例外はあったようだが、冒険者達は忠実に従っている。指揮能力と胆力は確かにある。
だがそれ以外の、会話や仕草はどこかツギハギのようで違和感がある。
たった一言発しただけでも複数のお国言葉とやらを感じる。それがどの国のどの地方かまではもちろん判断はできないが、口調も一貫しない。
手振りを多用したかと思えば、人が変わったように身動きひとつせず淡々と話している。
『混ざりもん』という言葉通りにあらゆる人間の振る舞いと口調が混ざっているのだ、とアルガナスは結論付けた。
それらが紺屋時雨という個人を覆い尽くし隠してしまうほどに、完成された或いは消えてしまったかのようだ。
「まあ何とかニュアンスで感じ取ってください」
「えらく他人任せだな」
「アハハ、よう言われます」
逃げられれば追いかけ、隠されれば暴きたくなる。目に見える罠だとわかっていても飛び込みたくなるのが魔王の性だ。
いままで出会ったことの無い珍しいタイプの人種。そんな男とのやり取りをアルガナスは心の底から楽しんでいた。
そしてその好奇心が擽られるままに、旅の成功を悟った。
時雨の案内の元、ハーフバーグ冒険者ギルドに到着した。
四階建ての木造建築。中央の扉は大きく開いたままだ。
壁板に付いた傷は大きさや深さが様々だが、特に酷いのは入口部分だ。
似たような箇所────────人間の肩と腰の位置────に角度の違う引っ掻き傷や凹みが目立つ。大きい傷には補修されてはいるが、その上から傷が着いている。
それらの傷の上には塵や埃が溜まっている。新しく着いたものではないようだ。
街道と垂直になるように『冒険者ギルド』と書かれた小さな看板が外柱にかけられ、正面入口には緩やかな弧を描いた同様の看板が掲げられている。
それぞれの看板には盾と剣を模したロゴも描かれている。
人気が無いのは相変わらずだが、埃っぽく歴史を感じさせる雰囲気が感じ取れた。
アルガナスは人知れず高揚していた。
冒険者を狩ることはあっても、その本拠地であるギルドに出向いたことは一度もなかった。
それもそのはず。冒険者にとって魔族とは討伐対象でしかなく、その逆も然りである。
そんな血を血で洗う関係故に、足を踏み入れることは無いと思っていたその場所に──────────今、魔王がいる。
まるで言いつけを破り禁足地に行くような、少しの後ろめたさと、それを覆ってあまりある程の高揚感がアルガナスの童心を刺激していた。
「さぁどうぞどうぞ」
時雨は入口を通り奥へ進んでいく。
続くようにアルガナスが進めば床が軋み、不快な音を立てた。
外観とは違い内装は整えられていた。
正面には受付があり、茶褐色のロングテーブルに仕切りがされてある。
三ヶ所の窓口があるが、そのうち二つは閉められており社員も一人しかいない。
窓口の横には上へと続く階段とスロープに観葉植物が置いてある。
入口から窓口までは絨毯が敷かれており、部屋の端には椅子の無い丸いハイテーブルが三つ置かれてある。
何よりもアルガナスの目を引いたのは入口から右手の壁掛けのボードだ。
ボードには『討伐』『護衛』『採集』と大まかな項目に分けられている。
「これがかの依頼板というやつか!」
いつか読んだ冒険譚に書かれていた。それは村を魔族に焼き払われた少年が復讐に燃えるストーリーで、そこに冒険者ギルドについて小さく書かれてあった。
「書いてあった通りだな」
物語というものは、どうしても過剰な描写が含まれることがあり、アルガナス自身も描かれた全てを鵜呑みにしたわけではない。
読み進めながら批判や否定を幾度も吐いて、鼻で笑い小馬鹿にもした。
否定的な一読者であったにも関わらず、その少ない文字列はどこか強烈で脳内に焼き付いて離れなかった。
物語全体から見れば取るに足らない日常の一枠。たったそれだけの文章────────それなのに何故か心に残る不思議な力がある。
想像の領域だった世界が、実際に存在することが証明されれば誰だって心躍る。それは魔族も人間も大して差は無いのだろう。
家具の細かい配置は違うが、大まかな造りは変わらない。
そう、少年が依頼板に張り出された依頼書を窓口に提出し、冒険に出ていく────まさにここだ、この場所なのだ。
まるでその世界に自分が入り込んだような没入感と湧き上がる多幸感。
アルガナスの尾が一層跳ね、垂直に伸びた尾の先が揚々と左右に揺れる。
唯一残念なのは張り出された依頼書が少ないことだろう。
依頼板は緑色の下地が大きく露出し、貼り付けたピンに残った依頼書の角だけが寂しく揺れている。
板にはピンで開けた無数の穴が散らばっている。
それが埋まるほどの依頼数があったのだろうが、今は閑散としている。
唯一残った依頼書は隅にある茶色く変色した一枚だけだ。
アルガナスはその前まで移動し──────────
「アルエル!見よ!ワシの肖像画も掲げられておるぞ!!」
────────歓声を上げた。
「全然似ていないのですが、本当に魔王様ですか」
アルエルが隣に来て言った。
確かにお世辞にも似てるとは言えない。
かなり簡略化された色使いで鱗部分の黒と喉元の白の二色しか使われていない。
言いたいことはあるが、これは仕方ないことでもある。
アルガナスにとって人間の見分けがつきにくいように人間も竜の細かい違いがわからないのではないだろうか。
そう思えば「鱗と角があるから竜だよね」と言い張るような拙い作画も許す気になれる。
「いやぁワシも有名になったものよ」
アルエルの瞳が依頼版に書かれた『討伐』へと動き、そこから依頼書の内容『魔王アルガナス|DEAD OR ALIVE《生死問わず》』へと移った。
「…………そのようで」
アルエルは顔を背け真っ直ぐに時雨の元へ向かう。
表情こそ変わらないが、激しく軋む床の音が彼女の感情を如実に表している。
静止の声を上げる冒険者を一瞥すらせず、時雨の首を片手で鷲掴みにし持ち上げた。
「これは一体どういうつもりなのか、答えなさい」
「……そう言われましてもやねえ」
軽々と持ち上げられた時雨は自分の体重とアルエルの握力によって負荷がかかり苦悶の声を上げている。
開いた口の端から唾液が漏れ、顔色は見る間に変色していく。ささやかな抵抗はアルエルの手の上を滑るだけで何の意味も成さない。
飛び出そうとした冒険者達はアルエルの鋭い眼光に晒され、その場に縫い付けられた。
時雨は手をクチバシのように開閉し、空いたもう片方の手を左右に振る。
意図を察したアルエルは重力に任せるまま時雨を解放した。
尻から落下した時雨は赤くなった喉を抑えながら、激しい咳払いを打ち濡れた瞳でアルエルを見る。
「かんにんなぁ、それはボクではどうしようもできんのよ」
「私が聞きたいのは貴方の虚しい言い訳ではありません。何故このようなことがまかり通っているのか、そして適切かつ迅速な対応を求めています」
「………美人さんは怒っても美人やね。そや、今度デートせぇへん?」
その一言は、限界のところで耐えていたアルエルの逆鱗を踏み抜いた。
握りしめられた拳から肉が引き締まる音が聞こえたと思うとそこから放たれた拳が一直線に時雨へと向かう。
しかし、その拳が目的を達成することを、この場にいる最上位者は許さなかった。
肉を打ち付ける音が周囲に響くのと同時に発生した突風が辺りに散った。
「アルエル、落ち着かんか」
アルエルからの返事は無い。アルガナスの手の中に収まる小さい拳は怒りで震えており、熱を持っている。
「何故お怒りになられないのですか?この暴挙に、寛大さを示す必要はないでしょう」
アルエルの気持ちは、その拳から痛いほど伝わってくる。
ガイアスによる暗殺未遂と冒険者ギルドから交付される依頼書。そのどちらもアルガナスの生命を脅かす可能性があり、秘書として看過できない問題ではある。
彼女が感情を露わにするのは珍しい。
鉄面皮と評されたのは、どんな時でも冷静沈着に物事を進めていたからだ。
アルガナスのクシャミが原因による出火騒ぎが起こったときでさえ、その顔に皺一つ刻まれることはなかった。
それでもハーフバーグに来てから彼女はどこかおかしい。疲労が溜まっているようには見えない。肉体的要因より精神的な、人間との接触がストレスに変わっているように思える。
自分のことのように感情を乱すアルエルには申し訳ないが、アルガナスの胸中は喜びで満たされていた。
「ボクらは受注、もしくは発行された依頼書を掲示する義務がありますよって。勝手に剥がしたりはしたらあきまへんのや」
時雨は埃を払いながら立ち上がった。「お上さんには逆らえんのよ」と呟き猫のように笑う。
「魔王様、直接的な制裁を望まれないのであれば正式に抗議文を送る許可を求めます」
「そこは好きにしたら良いと思うが、そんなことより────」
アルガナスは向き直り時雨を見る。
「────────ワシの懸賞額を教えろ」
「そんな場合ですか!?」
アルエルから怒りと疑問が混ざった声が漏れた。
「だって書かれてないんだぞ!!」
「額などどうでもいいです!!こんなことがまかり通っているのが問題で────」
「どうでもよくない!」
アルガナスは言い切り、アルエルの反論を止めた。
そして両手を使い時雨の発言を急かす。
「そうやねぇ年々上がっとるから今年分はまだ決まっとらんけど────────」
アルガナスの瞳が期待で輝き口角が上がる。
「一番大きい国の国家予算ぐらい」
「よっしゃぁぁぁあ!!!」
「だから喜ぶな!!」
敬語を忘れアルエルが唸る。
「あっはっはっ!魔王さんはオモロいわぁ」
時雨が言うには魔王アルガナス討伐報酬は世界連合からの多額の献金によって支えられているらしい。
毎年、報酬金の見直しと加算が繰り返される。国家予算に匹敵するほどの金額が設定されているのは、それがもはや個人へ向けた依頼ではなく国家規模での戦闘でなければ討伐不可能と考えられているからだ。
アルガナスの目尻はだらしなく下がり、対照的に口角は最大限に吊り上がる。
最強の自負は勿論あった。人間だろうと、魔族であろうと、歴代魔王が束になって襲いかかってきても勝つ自信はある。
それでもやはり他人からの評価は別格で、身震いするような満足感が全身を走っている。
もはや『世界で最も偉大な王』として名を刻むのも時間の問題だろう。
「もういいです、勝手にしてください」
アルエルはこめかみを押さえ労りながら呟いた。
「さあ、そろそろ行かんと茶が冷めてまうで」
アルガナスは階段を上がる時雨の背を追いかける。
床板と同様に軋む階段の音は魔王譚の始まりを告げる鐘の音のように軽やかに思えた。
秘書の嘆きなど何処ゆく風のアルガナスは知る由もない。
これが魔界全土を巻き込む災禍になろうとは────────




