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11話 外遊?いいえ視察です ③

 


 知覚範囲内を動く複数の気配にアルガナスの鱗がひりつく。

 対象の魔力量は建物内にいる一般人に毛が生えた程度のものだが、ぴったりと後を付けてくるのが気になる。

 それもあからさまに、だ。


 


 本人達は隠れているつもりなのだろうが、竜の──それも魔王アルガナスの感知能力から逃れる術を持ち合わせてはいないようだ。


 これは四天王の居場所を探った時のような探知とは異なる。


 魔力を使用しての探知は、自分を中心に波のように打ち出した魔力を接触させ、その対象の反応によって個々を見分けるものだ。


 

 この方法の難点は放出する魔力が多いことと、対象が弱者であるほど反応が乏しく探知が難しいという点だ。


 そのため四天王やアルエルの現在位置を探す以外に活用方法が無い。



 

 そんなものを人間の都市で使う理由などなく、今回はただアルガナスの感覚器官による探知に向こうが勝手に引っかかっただけだ。



 竜のまぶたと瞳の間には瞬膜という薄い透明の膜が存在する。その膜は魔力や生命力を視覚することができる器官であり、加齢による視力の低下を補うように発達していった。


 

 魔力での探知と違い、範囲や精度も限られるが疲れることはないので重宝している。


 


 安全面のみを考慮するなら、周囲の気配を問題なく探知できていることを喜ぶべきだろう。


 

 そう。喜ぶべきなのだが、いっそ完全に消えてくれと願ってしまう。



 明確な意志を持ち知覚範囲を行き来するのは、アルガナスからすれば顔の周りを飛ぶ羽虫と変わらない。


 ただ鬱陶しく、煩わしいだけだ。


 それがブンブンと羽音を鳴らしながらまとわりつくのだから煩わしいことこの上ない。



 叩き落としてしまいたいが、相手が人間ではそうもいかない。


 羽虫と例えたのは単なる比喩ではなく、単純な膂力を比較した結果だ。触れようものなら勢い余って殺しかねない。



「消しましょうか?」


「相手がなんであろうと殺しは無しだ」



 先制攻撃は容易いが相手の所属が不明なままでは下手な行動は取れない。


 追い剥ぎであれば灸を据えても問題は無さそうだが、一向に仕掛けてこないのをみると、その可能性は低そうだ。



「奴らが好みそうな場所はあるか?」


 ただこのイライラを鎮めるのに最も効果的なのは暴力であることもアルガナスは理解していた。



「こちらへ」



 アルエルに先導され、更に人気の無い路地へと進む。三度角を曲がれば高い壁に囲まれた袋小路へと出る。


 割れた空き瓶やネズミの死骸。何かわからないゴミの山が散乱して異臭を発している。


 

 案の定、等間隔で散らばっていた気配が一度止まり、速度を緩めて集まってくる。


 対象は六人。周囲の屋根に三人と正面に二人。あとの一人は一つ隣の路地で待機しているようだ。


 


「こんにちは、何かお困りですか?」


 その白々しい声に「お前らのせいでな」と返したくなる。


「問題無い」


「いやいや遠慮なさらず。皆さんそう言われますが、迷われる方が多いんですよ」



「下手な世間話など無用だ。我々を追う理由を聞かせてもらおうか」


 

「……ではまずは自己紹介を。我々はハーフバーグ冒険者ギルドの者です。当ギルドからあなた方へ出頭命令が出されています」

 と言って女は距離を縮める。


 女の手持ちは左右に提げた短剣、隣の鎧の男は細身の長剣でどちらも市街地戦で問題なく振れる武器ではある。


 屋根にいるのはローブを纏った男二人と弓を持った男だ。近接、遠距離、支援職と役割ははっきりしている。



「その証拠は?」


「失礼しました、おい。」

 正面に立つ女と鎧の男は鎖で繋がれた認識票ドックタグを見せてきた。



「なるほどB級冒険者か」



 冒険者の認識票には所属ギルドと名前が彫られており等級に応じて素材が変わる。


 S級でレッドダイヤモンド、A級でプラチナ、B級ならゴールド。C級で銅製だ。


 耐久耐熱性を上げるべく純度は低くかつ混ぜ物入りだが、鉱石の美しさを損なうことなく鋳造している。


「ご存知だったとは驚きました」


「アルエルよ、ワシを見くびるでない。魔王になる前にな……認識票集めが流行った時期があったのだ。だからというか、冒険者には詳しいのだ」




 アルガナスは空を見上げ、物思いにふける。



 幼少期(あのころ)は本当に楽しかった。将来のことなど一切考えずに、気のままに暴れ、好きなだけ食い、存分に寝る日々。



 何よりも楽しかったのは竜族の間で流行った冒険者狩りだ。誰が一番多く認識票を奪えるかを競った遊びで高ランクの認識票ほど得点が高くなる。



 S級冒険者にもなるとこちらも無傷とはいかない。

 中には逆に狩られ、壁に飾られた同族もいて熱狂的な盛り上がりをみせた。



 今思えば、何故あの程度の遊びに熱中していたのか不思議なほど、しょうもない遊びだったのだが、幼き日の良い思い出として残っている。



「あれでBですか…大したことはないですね」


 

 アルエルの冷たい視線が二人を刺す。


 こちらからすればただの事実なのだが、鎧の男は挑発と受け取ったようだ。



 女は仲間を制するように一歩前へ出る。


「我々はここの警備を任されています。同行して頂けないのなら実力行使に移りますが」



 鎧の男の表情は苦虫を噛み潰したかのように歪んでおり、プライドの高さが伺える。


 女のほうは冷静ではあるが、頭髪の一部が白く変色している。なかなかに苦労人のようだ。



「クックックッ。このワシに実力行使とはな」


 アルガナスは顎を撫でる。


 認識票は持ち主から奪えば幾らでも偽証可能だ。

 名の知れた冒険者に扮すれば粗も出ようが、たかがB級程度の実力、かつこの都市に来たばかりのアルガナスでは判別しようもない。

 

 だが奴らの発言が嘘ではないことはわかる。


 野盗であるなら、何も言わず荷物をひったくれば良い。わざわざ顔を見せる必要は無い。


 それを思いつかない阿呆なら話は別だが、冒険者なのは間違いないだろう。



「もういい、やっちまおう」


「おい、よせっ!」


 鎧の男は沸点も低いらしい。仲間の制止を無視し緩やかに抜剣した。


 

 アルガナスは、というと背筋を伝う謎の不快感に襲われていた。



 背中を掻いてみるも不快感は消えない。それどころか男が口を開く度にゾワゾワとした感覚が強くなっている。


 


「わかっていないようですね」

 アルエルが一歩前に踏み出した。


「勘違いしているようですが、貴方達に決定権はありません。地上のどんな権利も法も、この方の前では無力です」



「はぁ?そのじじいがなんだってんだ」


 アルエルの言葉にアルガナスの不快感が薄れたように思え、ふと違和感の正体がわかった気がした。



 これは一種の拒否反応アレルギーだ。



 最強種として生まれ、魔王として君臨してきたアルガナスの半生。その数千年に及ぶ歴史の中で、へりくだることも無ければ格下の者に侮られた経験など一度として無い。



 つまり慣れない環境で身体に影響が出るのと同じように、生涯一度も経験したことがない態度を受け、拒否反応が出てしまっているのだ。


 一時的に良くなったのは、アルエルの言動によるものだろう。彼女は毒舌だが、行動の端々に敬意を感じ取れる。


 だが冒険者達は未だに、アルガナスをただの老人として見ている。魔法を使用してはいるものの、彼我の差もわからぬとは冒険者の質も落ちるところまで落ちたらしい。


 

 この都市の権威者は勿論のこと、人間とは仲良くしていきたい。


 権威者が派遣した人材の性格に難があれど、彼等を足蹴にすれば心象は確実に悪くなるだろう。



 だが魔族的な対応りゅうぎに則るならば相応しい行動は一つ。だたそれは魔王としてのプライドよりも、個人的な愉悦と趣味が多く含まれるのだが。


「手荒なこと…か。貴様らにできるのかな?」


 井中の蛙を引きずり出し、現実を突きつけること以上に心躍るものはない。


「んだとクソジジイ!」


「おい、いい加減にしろ!相手は素人だぞ!」


「うるせぇ!どうせ老い先短いジジイだ、ちょっと痛めつけたとしても問題ねぇよ!」



 鎧の男は叫ぶと、静止する仲間の声を無視し長剣を振りかざし向かってきた。



「ふん、愚か者共が」


 無能は罪だ。


 この男に魔法を見破る力があれば、魔王へ剣を向けるとは無かっただろうに。


 しかし問題があるのは男よりもアルガナスの方だった。


 アルガナスが持つ攻撃魔法は広範囲殲滅型のみだ。

 小規模──それも人間数人を相手に使用するようなものではない。


 使おうものなら区画ごと容易く吹き飛んでしまう。


 四天王のような身体能力や魔力を持つ者ならば耐えるのだろうが、この男共では塵一つ残らず消し飛ぶだろう。


 最も困るのは術者以外の全て──無差別に効果を発するという点だ。敵だろうが味方(アルエル)だろうが、その一切合切を薙ぎ払うため共闘にも不向きだ。


 

 魔法を解き、本来の姿での物理攻撃も却下。

 身体を元の大きさまで戻せるほどのスペースも無く、周囲の壁や家を倒壊させなければ元に戻れない。


 縮んだ姿のまま闘うという選択肢もあるが相手はB級冒険者。誤って殺してしまう、そんな自信すらある。


 啖呵を切った手前、それを口に出すのは小っ恥ずかしく思える。だがこの場を収める最善手であることには間違いないのだ。

 アルガナスは気恥ずかしさに顔を染めながらそれを口にする。


「アルエルよ!奴らを殺さず完封せよ!!」


 女の背に隠れつつ放たれた言葉が響くよりも早くアルエルは動き始めた。



 外套を脱ぐのと同時に距離を詰める。


 あまりの速度に驚いた鎧の男が慌てて長剣を振り下ろした。

 驚くほど緩やかな剣速をアルエルは手首の返しのみで払いのける。


「なっ────」


 長剣を持ち構えるよりも早く、アルエルの右拳が鎧の男のみぞおち目掛けて風切音が鳴った。


 鈍い音と口から勢いよく吹き出した胃液が石畳の上に散らばる。鎧の男は下から打ち上げられた衝撃で身体が完全に浮き上がり、拳を支えにしてその場に留まっている。



 細身の女の腕の先で力無く項垂れる成人男性。背中側の装甲が破裂し花のように咲いている。

 まるで質量が無くなったかのような現象に残った冒険者達はどよめく。



「アルエルよ、それ死んでないか?」


「生きてます…………………たぶん」


「たぶんじゃ駄目!!」


「全員でかかれ!こいつら普通じゃない!」

 遅れて女が向かって来る。


身体能力強化フィジカルブースト吹き飛び無効インヴァリット・ノックバック


弱体化エンフィーブルメント身体能力フィジカル

 屋根に陣取っていた仲間が二人がかりで支援魔法を送る。


 同時にアルエルと女の足元に魔法陣が浮かんだ。


 女の魔法陣は輝きを放つと即座に消えたが、アルエルを対象とした魔法陣はガラスのように砕け散って消えてしまった。


 魔法の効果が適応されなかった場合になる現象だ。


 屋根に残ったもう一人が援護射撃とばかりに弓を射った。



 アルエルの横を通り過ぎ、そのまま地面に突き刺さった弓から光が発した。


 その効果か、向かってくる男を迎撃しようとするアルエルの動きが不自然に止まる。



「これで動けまい!大人しく投降しろ!」

 弓の男が叫ぶと、女も足を止めそれに続く。

「そうだ!今ならこの件は不問にしてやる」


 勝ち誇るのではなく、どこか安心したような表情の冒険者達。立場上、引くに引けないのだろうが声が裏返っている。


 地面に転がった仲間の惨状が、見た目以上の効果を発揮しているようでアルガナスは頬を緩ませた。


 しかしまだ足りない。

 『してやる』という如何にも高圧的な言動が気に入らない。


「残り三人だ、あとの一人は案内役にする」

「かしこまりました」


 糊を無理やり剥がすような音と共にアルエルが動き始める。


 生存本能の一点のみで考えれば、どの種族も大した差は無い。


 アルガナスの経験上、圧倒的脅威に晒された生物がとる行動は専ら二つ。


 『逃げる』か『守る』か、だ。


 反撃を忘れ、後者を選択した女に無慈悲な蹴りが炸裂した。


 同じように胃液を吐き戻しながら言葉にならない呻きを漏らす。



 吹き飛び無効インヴァリット・ノックバックでは衝撃を完全には無効化できず、地面に縫われたままの身体が竹のようにしなった。


「うーむ。これは酷い」


 彼らの選択は正しかった─────────そう選択だけは。


 吹き飛び無効インヴァリット・ノックバックは強力な肉体能力も持つ相手と戦うための支援魔法の一つである。


 主に回避能力の低い盾役や重装備の味方に使用されることが多いその魔法は、攻撃を受けてもその場に留まれるように効果が与えられる。



 魔族と比べ人間の筋力は弱く、体重は軽い。なんの策もなく受ければ盾役はおろか後方の味方を巻き込みながら吹き飛ばされてしまうのだが、それを防ぐための支援魔法だ。



 アルエルの剛腕を瞬時に理解し、適切な魔法を使用した彼らに拍手を送りたい。


 ただ──哀しきかな。

 魔法は万能では無く、使い方によっては支援魔法と言えど毒になる。


 魔法の効果は術者の使用魔力量によって左右され、相手との実力差が離れれば当然効力も落ちる。


 アルエルが本気を出せば、魔法の効力を超えた力で殴り飛ばすことも容易だ。

 ただ彼女は慣れない手加減をしている最中であり、使用された支援魔法についても熟知している。


 適度な力加減で殴られた女はその威力を殺し切ることも吹き飛ぶこともできずに中途半端に場に留まる。


 それに加え身体強化魔法の効果で気絶という名の安息も許されない。

 意識を持ったまま反動で戻ってくる相手にアルエルが取る行動は、当然『追撃』だ。


 激痛で顔が引き攣り、脂汗を流す女へと無慈悲な拳がめり込む。




 ようやく、1分が経過した。魔法の効果時間はまだ終わらないようだ。



 どちらか一方でも効力が無くなれば楽になれるのだが彼女の安寧はまだ来そうにない。



 向かってきては殴られ、反り返っては向かってくる。まるで床置きサンドバッグだ。



 両者が肉薄しているため援護射撃ができないのだろう、弓の男は唇を噛み締めている。


 残った二人はアルエルに弱体化魔法をかけているが、その度に魔法陣が砕かれている。



 追加の三十秒という女にとっては永遠のような殴打が続き、ようやく効果が切れた。


 力無く倒れ伏すのを確認すると、アルエルは壁を蹴り屋根へと軽やかに跳躍した。



 反撃する暇など無い。



 三度の打撃音が響いたかと思えば、気絶した三人を抱えてアルエルが戻ってくる。


 その着地は、4人分の重量を含んでいたためら石畳を砕き、窪みを作った。


 だがその体幹は一切の揺るぎなく堂々たるものだ。


 

 さすがは魔王アルガナスを殴り付けることのできる唯一の女である。


 

「よくやった。さすがはアルエルよ」

 望んだとおりの結果にアルガナスは満面の笑みを浮かべアルエルを迎える。



 だが彼女は「別に普通です」とだけ言い放ち顔を背けてしまった。



 どうやら褒め方を間違えたらしい。


 アルエルは褒め方を間違えたら不機嫌になる。こちらと顔を合わせようともせず、返事もどこかぎこちない。


 確かに人間に勝ったことを喜ぶ魔族はいない。

 混血種であるアルエルにとっても、きっとそうなのだろう。



 その耳は真っ赤に燃えており、経験上これ以上何か言うのは避けておいた方が良いことをアルガナスは知っている。



 視界の端で小さな発煙筒が上がった。後方で控えていた奴の仕業か。


 失敗を知らせ、増援を呼ぶつもりなのだろうが、周囲には人っ子一人いない。


 

「どうします?」


 アルエルは抱えていた冒険者を壁を背にするように下ろし、彼らの衣服を使って後ろ手で拘束している。


 

「案内役にしようと思っていたが、別の人間が来るなら倒しても問題無いな」


 

 この惨状を見れば、冒険者達も冷静に対応してくれるだろう。そしてどちらが上位者なのか判断する助けになる。


 


 そう思っていたアルガナスの視線の先に、一人の男が立ち塞がった。


 

 男は息が荒く、肩を激しく上下させている。その目はアルガナスからアルエルに移り、拘束された冒険者達で固定された。


 


 無精髭と後ろへと雑に撫で付けただけの髪。腰に提げた長剣を見て、酒場で見た男だと思い出した。


 

「………一応聞いておく、投降する気は?」


 

 その形式的な質問よりも気になるのは、この男がアルガナスの知覚に引っかからなかったという点だ。


 目の前にいるというのに知覚探知に反応は無い。生命力も霧のような不確かなもので、まだ昏倒している冒険者のほうが強く感じられる。


 まるで亡霊のようだ。


 

「ある訳なかろう」


 アルガナスがそう言い切った瞬間、男が距離を詰めた。


 アルガナスは瞬時に変身を解き、尾を使いアルエルを後方へと吹き飛ばす。


 アルエルの立っていた場所に剣が振り下ろされたかと思えば、捻じるように首を傾けたすぐ真上を剣先が掠めていった。


 

「チッ、仕損じたっ!」


 

 キースは飛び跳ねるように後退する。


 

 目測して5mほどの距離だ、これが彼の戦闘範囲なのだろう。


 

「アルエル無事か?」


「鼻を打ちました」


「それはスマン!!」


 突然のことで加減する余裕がなかった。壁に打ち付けた鼻が少し赤いが血が出るほどの怪我ではないようだ。


 アルガナスは胸を撫で下ろし、キースへと向きなおる。


「その姿っ!!魔族がここになんのようだ!?」


「旅こ────────視察だ!!」


 アルガナスは台詞を誤魔化すように、大袈裟な仕方で外套を後方へ投げ捨てた。

 しかし隣に立つアルエルの視線が痛い。


 

 アルエルが右半身を前に出すように構えた。


 表情こそ変わらないが、どこか羞恥と怒りを含んでいる気がする。

 人間に遅れを取った怒りが彼女の握り締めた拳から伝わってくる。


 

「アルエル今回は─────────」


 金属音が交差し、アルエルの頬から血が流れる。

 キースは再度後退し、同じ距離を取る。剣先にはアルエルの血が付着していた。




 石畳に足型が付き土埃を上げた。


 アルエルは一瞬でキースの眼前へと迫ると、その顔に向かって直線的な右拳を放った。


 キースは膝を折り腰を落とすことでそれを躱す。頭上を掠めた拳圧が彼の髪を弄び形を変える。


 

 アルエルは拳を戻すと同時に半歩前に出していた右足を軸に回し蹴りを繰り出す──────────が、剣の腹で防がれてしまった。


 

「ぐあっ」


 小さな呻き声と共にキースは横へ飛ぶ。蹴りの威力を殺そうと自ら飛んだのだろう。

 剣の間合いを消すため、アルエルは更に接近する。

 しかし、キースは足元に散らばっていたガラス片を蹴り上げ追撃を阻んだ。


 

「見事!」


 アルガナスは顎を擦り、小さく感心の声を上げた。


 人間の身体能力は魔族よりも劣る。にも関わらずアルエルの攻撃が有効打にならないのは二人の戦闘経験値が違いすぎるからだ。


 


 

 アルエルの構えは右拳による短い突きに特化している。突きとは言っても、その一撃一撃は、人間からすれば致命的な一撃に他ならないが、攻撃自体は直線的だ。


 魔王の秘書という立場故に彼女が戦闘に駆り出されることはなかった。鍛錬する必要の無い恵まれた才能とその立場が経験を積む機会を奪ってしまっていたのだ。


 

 ただ、アルエルの経験不足を差し引いてもキースの手腕は素晴らしい。


 


 先程の回避方法はアルエルの次手を誘導するための攻防一体の一手。


 初手を外したアルエルは驚きながらも次の一手を繰り出すべく思考したはず。


 距離を取る、牽制するといった行動を魔族が取ることはない。

 それも敵の得物は長剣。相手の得意な間合いを与える事に繋がる。 


 となると再度の攻撃に限られるのだが、これも怒りに任せた短絡的な思考から、そのままの体勢で放てる一撃に飛びついた。


 


 右足を軸とした左回し蹴りだ。


 

 拳を戻す力を回転力に繋げ、繰り出せる最短最大の攻撃。

 相手が腰を落としたことにより、角度は中段か下段に限られる。


 

 アルエルが冷静なら緩急をつけた左右のコンビネーションから足技に繋げることができただろうが、頭に血が昇っている今、大振りの一撃に飛びついたのだろう。


 キースの大胆な回避方法はアルエルの次手を誘導するための布石。そして剣の腹での防御は、身の守りと部位破壊を目的とした二段構えだった。


 おそらくだが、キースの長剣の材質は鋼。それを全力で蹴り上げれば、ただでは済まない。


 誤算だったのがアルエルの肉体強度がそれを上回ったことだろう。

 破壊不可能と見るや、自ら飛び反動を殺すことで武器へのダメージを軽減。


 

 飛んだ方向はゴミの散乱地帯。緩衝材と武器の山だ。

 ガラス片といえども全速で向かってくる相手には散弾に等しい。


 装備品だけでなく、場にあるものを駆使し闘う。


 一つ一つの行動が精錬された、工夫を凝らした闘い方だ。




 キースの全身からは滝のような汗が流れている。呼吸は更に激しくなり、伸びた髪が散らばった。


 無理もない。


 アルエルの攻撃は全て致命的な威力を持った拳。一撃でも当たれば、そこで勝負が決する。

 死が容易く行き来する戦いの中、常に最適を選択し続けるのは容易ではない。


 精神をすり減らしながら、勝つために思考し実行する。その疲労が彼に重くのしかかり呼吸を乱している。


 

「アルエル、もうよい下がれ」


「……………かしこまりました」


 従順な台詞とは裏腹に不満そうな雰囲気が全身から吹き出している。

 すれ違いざまに尖った唇と小さく膨れた頬が見えた気がした。


 


 キースは鬱陶しそうに髪を後方へ撫で付け、剣を構えながら呼吸を整え始める。


 


 アルエルの苦々しい心中とは対照的にアルガナスは浮きたっていた。

 尾の先が跳ねるように旋回し、口元が緩む。


 

 上位者に勝つためにキースが編み出した技。

 それは実戦でのみ培える経験と並々ならぬ努力によって磨き上げられた生存戦略なのだろう。


 相手の行動を制限する立ち回りは勿論のこと、最適解を選び続ける洞察力とそれをやってのける実行力。


 キースという男の全霊をもって魔族に肉薄する。これのなんと素晴らしいことか。


 

 惜しむらくは、このまま続けたとしてもアルエルの勝利は揺るがないことだろう。

 キースの体力が人並みしかないなら、どれだけ策を講じようと、身体能力の差でいずれ追い詰められてしまうからだ。


 


  これは決してアルエルの敗北を望んで出た言葉ではない。

 圧倒的な強さを持つ上位者より、工夫と知恵でそれに食らいつく弱者を応援したくなる、そんな気持ちだ。


 


 キースが見せた、小さくも輝くあの光は、それはそれは美しい花火を見たような満足感をこの身に与えていた。


 

「人間にしては素晴らしいな。褒めて遣わす」



「テメェらに褒められても嬉しくねぇよ」


 

 生まれ持った資質で闘う者、足りない力を工夫で補う者。そのどちらも違う美しさを秘めている。



 闘争。


 なんと甘美な響きだろう。


 実力が拮抗した者同士でなければ成立しない命を掛けた遊戯。


 それに興じれることの、なんと羨ましいことか。


 もう久しくそれを味わっていない。


 

 アルガナスは、まるで遊びに混じる子供のように軽やかに歩を進める。


 

 そこには、人間と友好を結ぼうとした姿は無く。魔王然とした、愉悦と暴力性を秘めた静かな威圧感を放っていた。








 


「貴様は魔王アルガナスが直々に相手をしてやる。さぁかかってこい」

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