9話 旧友
「ちと別件で使いを向かわせておったんじゃよ。別にお主の監視が本来の目的じゃ無かったんじゃが、見知った顔が女子高生しとるもんでのう。儂も楽しくなってのう。近しい女子を定点として見物してしまった訳じゃ」
楽しそうにけらけらと笑う憂子はまるでこの家の主人のようにソファに広く腰掛けている。言動から感じる太々しさに伊澄は更に機嫌が悪くなる。
「面白半分ってこと?…何か感じ悪いんだけど」
「すまんのう。使いの蝶も1匹消えてしまったし、色々不審にも思っておるじゃろうからと、こうして直々に会いにきたわけじゃ」
友人と世間話をするかのように、楽しく話す彼女に悪意や敵意は無さそうだ。出会ってまだ僅かな時間ではあるが、隣にいる一番の様子を見ても警戒心は感じられない。「鬼」という名称に怯えて恐れてはいたが、この親しみやすさすら感じる雰囲気は、前世の自分が彼女に対して抱いて染み付いていた物なのか。
「伊澄様、憂子様については何も覚えていらっしゃらないのですか?」
「覚えてたらこんなにビビってないし!ていうか私、この人と仲良かったりしたの?」
問い掛けてきた一番に対し、伊澄は食い気味で言葉を返す。伊澄が今わかる前世の記憶はかなり断片的で限られている。人物で言えば、押切が知り合いだった、というくらいのことしか分かっていない。
「方や土地を守る神、方や鬼という種族を率いる族長じゃからな。他の種族や妖怪達より付き合いは濃かったし儂は旧い友人と思っておるよ。しかし、綺麗さっぱり忘れられているのも寂しいのう…」
憂子はそう言ってくすん、くすんと泣き真似をしている。一番もそうだったが、妖怪達は自分が予想している以上に意外と茶目っ気があるのだろうか、と伊澄は思う。
「でもあんたは無理矢理思い出させようとしたりして来ないんだね」
「伊澄様、こっちを見るのはやめて下さいませんか…反省してますので…」
「ふふ、まさかそのような事は儂はせんよ。友人との想い出も大切じゃが、それは他でもない儂自身が覚えておるしな」
憂子はそう言うと、何処か寂しそうに目を細めて微笑んだ。
伊澄が水神だった頃からもしくはそれより昔から生きていて、鬼の族長までやっているという事を踏まえると若々しい外見からは想像も付かないくらい長く生きているのだろう。そしてその中でどれだけ周りの者を見送ってきたのだろうか、彼女だけが知る寂しさや悲しさを考えると伊澄は胸の奥がきゅう、と締まる様な心地がした。
妖怪側の想いを考えた事は無かったが、彼女の表情を見ているとどうしてもそんな事を考えずにはいられなかった。
「憂子様…」
「今のお主は神様でも妖怪でも無く1人の人間じゃからな。産んでくれた両親が居て友人が居て、そして皆同じ速度で同じ時間を生きていく。それが出来ぬ儂にその邪魔をする権利は無かろうと思っておるよ」
鬼は妖怪としても位の高い種族なのだと一番は言っていた。その種族の中でもトップに立つ故に同じ種族の中でも飛び抜けて強く聡明、故に長命。だからこそ孤独な部分もきっとある。
「それに今世でもあの人間の小僧と時を同じく生まれたのじゃろう?縁とは凄いものじゃと儂も感動すら覚えたものよ。良かったのう!」
「人間…あぁ、押切の事?でも私もあいつの事、まだ関わりがあったってくらいしか思い出せてないし、良い事なのかも分かんないからなぁ」
一番に引き続き鬼である憂子も壮の事を覚えているようだ。それくらい関係が深かったのだろうか。伊澄の中でまた壮に対しての疑問が増えていく。
「お互い覚えておらん様じゃが、それでも同じ時代に生まれて出会うとは中々無い事じゃ。お主に至ってはその内色々と思い出しそうじゃし…。他に覚えている事とかは無いのか?」
「うーん…、いやあんたのことも覚えてないくらいだから…」
「…そうか。まぁ儂よりも、お主によくちょっかい掛けておったのは儂の「身内」の方なんじゃが…」
「しかし憂子様との今日の接触でまた何か思い出されるきっかけになるかもしれません。それ程貴女様はその存在自体にお力がありますから」
一番が嬉しそうに、何処か期待を孕んだような声でそう言う。強硬手段は辞めたとは言えやはり、伊澄には昔の記憶を取り戻して欲しいようだ。
そしてその一番の言葉を聞いて、一つ頷いた憂子はソファからゆっくりと立ち上がる。座っている間に少し崩れた着物の端を丁寧に直していく。
「さて。今日は挨拶程度のつもりじゃったしそろそろお暇しようかの。色々混乱させてすまんかった」
「いや本当帰ってきた時の恐怖は返して欲しいくらいだけど」
「ふふふ、家に押しかける事はもうそうそう無いじゃろうて。ただ、儂も話相手が出来るのは嬉しいからな、またお主には世話になるつもりじゃ」
彼女は少し前までの寂しそうな笑い方とは違い、今度は声を上げて笑った。
「学校とか人目が多い所はやめてよね?変な目で見られたくないし」
「学校か…。今日も少し話したが、お主が触れたあの蝶は別件で学校に飛ばしておったからのう。学校で何かしら接触する事はあるじゃろうな」
確かに憂子は伊澄の監視が目的では無く、あくまでついでのつもりだったと言っていた。伊澄の他に校内に監視を置きたい目的があるのだろうか。その理由を聞いて良いものか迷っていると、伊澄より先に一番が口を開いた。
「憂子様、同じ妖怪として何かお手伝いできる事があれば私も何かお力になりましょう。主人である伊澄様のご友人ですし…」
「いや、これは儂のただのお節介というかつい心配で…というか…。まぁ、そう言った一方的で個人的な理由じゃから大丈夫じゃよ、申し出てくれた気持ちに感謝しよう。有難うな」
お節介、心配。それが何に対してなのかは今この場にいる伊澄と一番には分からないが、あれだけ人間と妖怪にある程度区切りを置いてくれた憂子の事だ。何か表立って自分が動けない事があるのだろう。
伊澄が黙ったまま考えていると、憂子は伊澄や壮が学校で見かけた黒蝶をどこからともなく呼び寄せ、その指に乗せた。今度こそ本当に帰るつもりのようだ。
「今日は本当に旧友と話しているようで楽しかった。やっぱり命は違えどお主はあの水神なんじゃなと実感したよ」
「私に言われてもそれは全然ピンと来ないんだけど?」
「そういう、つっけんどんな態度がお変わりないのですよ伊澄様」
「その通りじゃな。だからこそ気をつけねばならんぞ」
楽しそうに話していた憂子の表情が一瞬、きり、と真剣になる。
「人間にも妖怪にも、寿命は違えど限りはある。…自分の事を大切にして考えてくれる者達をちゃんと大切にするんじゃよ。後悔だけはせんようにな?」
最後にそう言って憂子は伊澄の前からふわりと姿を一瞬で消した。見慣れた自宅の風景だけが残ったその場所は、強い存在感を失って寂しそうにすら見えた。
「…儂みたいにならん様にな」
憂子が姿を消す直前だったか同時だったか、小さな声でそう呟いたのは誰の耳にも届かなかった。




