7話 接触
教室で黒蝶を見掛けてからはや数日。やはり蝶は突然現れてはふわふわと空中を漂い、伊澄の後ろの席の女子生徒に留まる、という行動を繰り返していた。
ここ数日間で分かったのは彼女の名前が通 亜梨沙という名前であること、彼女は第一印象の通り控えめな子なのか他の生徒と目立って仲良くしている様子も見当たらず1人で過ごしている事が多い、という事だ。
彼女とも席の近い壮に聞いてみても「うーん、全然知らない!」とあっさり言われるだけで何も彼女の情報は得られなかった。そもそも、壮は自分の興味のある事にしか関心を示さないタイプの人間かもしれない。
ーー あの黒蝶と女生徒がやはり気になりますか
昼食を1人で食べ終え、次の授業の準備をしている伊澄に向かって、一番がそう声を掛けた。勿論声に出して返事は出来ないので彼が化けているマスコットを鞄ごと机に乗せて手元が見えるようにし、伊澄は筆談で返答を返す事にする。
『関わらない方が良いって事は勿論わかるんだけど』
『あの子もそれは同じなのかなって気になってる』
ーー そうですね。確かにあの女子は今、取り憑かれている状態に近いと思います
伊澄にだけ届いた一番の声に内心、やっぱりそうなのかと納得する。
見ている限りだとあの黒蝶が留まるのは決まって彼女だけ。そして何よりその本人の顔色がここ数日あまり良くない事も伊澄は気になっていた。出会って数日しか経っていないにしても、知っている人が弱っていく様を眺めているだけなのは気持ちの良いものではない。
『話だけでも出来たら良いんだけど』
―― 伊澄様コミュ障ですもんね
『うるさい』
一番がまた余計な事を言い出したので伊澄は苛立ち鞄ごと机の横に引っ掛けて下げた。それでも彼は気にせず続きの言葉を話し出した。
―― そういう根はお人好しな所、昔からお変わりなくて嬉しいですが…。それでもやはり気を付けてくださいね。今の貴女は人間なのですから
「……ご忠告どーも」
誰にも聞こえないくらいの声で伊澄は呟いた。
今日の最後の授業は体育なので、普通の授業よりは会話できる機会も多いはず。伊澄はそこに狙いを掛けることを決め残りの昼休みを休憩時間として全うする事にした。
―――
「じゃあ今から最初の試合やるんで、該当チームはコートに入ってください」
そしてやってきた体育の時間。今日の授業内容はチームに分かれてのバスケの試合だ。
運よく伊澄は見学のチームなので、早速話を聞けるタイミングは無いかと通亜梨沙の姿を探す。
周りを見渡して見つけた彼女はやはり顔色が悪く、誰とも話したりせずに壁に背を預けるようにして膝を抱えて座っていた。尚、今も蝶は変わらずその肩に居る。
自分から他人に好意的に話しかける事が苦手な伊澄は、意気込んでから彼女の隣にそっと腰掛けた。
「…顔色悪いけど、大丈夫?」
そう伊澄が声を掛けると亜梨沙は顔を上げ、驚いた顔で伊澄を見つめて固まっていた。やはり突然最近来たばかりの転校生に声を掛けられるのは嫌だっただろうか、と伊澄は伊澄で思わず怯みそうになる。
「えっ?え?!わ、私のこと?」
暫く間を空けてから話し出した彼女は予想以上に焦っているようだ。そう言えば転校して来てから伊澄は初めて彼女の声を聞いた気がしていた。
「急に話しかけてごめんね。…何となく調子悪そうだなって」
「ぜ、全然!巳城さんが話しかけてくれてすっごい嬉しい!ありがと!」
不安になりながら話す伊澄に対し、亜梨沙はどこか興奮した様子で話す。控えめで大人しそうな第一印象とは裏腹に、その声や話している様子は伊澄の想像と少し違っていた。
顔色が悪いのは相変わらずだが、想像以上にハキハキと喋り、身振り手振りもよくするし、意外と社交的な子なのかもしれない、と硬くなっていた伊澄の緊張が少し解れる。
「というか私やっぱり顔色周りから見ても悪いんだね、ちゃんと休んだりするようにはしてるんだけど…。実はこの体育も見学にさせて貰ってるんだよね」
「風邪でも引いたの?ここ数日体調悪そうだけど」
「いや、具合が悪いわけじゃ無いんだけど…。確かにここ数日の事なんだけど、身体が重くて、だからか頭も痛いし何か一日中眠い?あとは疲れやすい、みたいな感じで…」
そう言って溜息を漏らす亜梨沙の様子から見るに本当に参っている事が見てとれた。理由の分からない体調不良が続くのは本人も怖いだろう。
そしてその根源であろう黒蝶は彼女の肩に留まったまま、その羽を開いたり閉じたりしている。伊澄が彼女の話を聞きながらその様子をじっと眺めていると、ふと蝶が肩を離れて飛んだ。
「うわっ!?」
飛んだ蝶は勢いこそ無いものの、伊澄の方に飛んだのである。伊澄は思わず驚いて声を上げると同時に、顔を庇った手でその蝶に触れてしまった。そして伊澄がその蝶に触れた瞬間の事だった。
まさか、蝶は触れた瞬間にパチンという音と共にその姿が弾けて消えたのである。
「えっ、どうしたの?何?」
急に声を発した伊澄に驚いた亜梨沙は頭に疑問符を浮かべていそうだ。
触れた感触が普通に蝶のあの独特なかさつきを含んだ感触で少し気持ち悪かったのと、弾けて消えた事に対しての驚きで伊澄は暫く声も発せないまま固まってしまう。
そんな伊澄を見て心配の声を亜梨沙がかける。
「巳城さん?大丈夫?」
掛けられた声にはっとして伊澄は意識を会話へと戻す。何も視えていない彼女には不可解な行動のオンパレードだろう。
ちなみに蝶は再び現れる事も今の所はなさそうだ。
「えっと、ごめん。試合の方見ててすごかったからつい…」
「そっか!私も見てたら良かったな〜!私、綺麗だから巳城さんの事見ちゃってた」
「は!?…急に何変な事言ってんの」
「巳城さん、照れたりするんだ。意外で可愛いなあ」
「急に調子狂う事言わないでよ」
慣れない事が続いたせいか、伊澄は焦り始めていた。
消えた蝶に関してもそうだが、同性の子には遠くから噂話では聞くことがあってもここまで面と向かって好意的に褒められる事は今まで意外と無かったのである。友人が少ない伊澄には普通の同世代の褒め合いも慣れない事で有り、何故かむず痒くすら感じた。
「いやぁ、本当の事だからさ。…あ、ていうか何かちょっと元気出て来たかも」
会話の流れで笑いながらそう言った亜梨沙の言葉を聞いて伊澄はまた驚く。
元気が出て来たと言うのは、あの蝶が消えてからじゃ無いだろうか。勿論会話の内容もあっての事だと思うが、笑う彼女の顔色や表情は今までに比べて明るく見える。
「急に元気出てきたの?」
「うーん、巳城さんと話してたから元気出て来たのかなあ。やっぱり人とコミュニケーション取らなすぎなのが悪かったのかな?」
「身体とかはどう?」
「…ん〜、身体も今は全然重くない。不思議だけど」
そして本当に元気が出て来たのだろう。亜梨沙はたわいも無い会話をし始めた。それなりに相槌を打ちつつも、伊澄は色々と頭がいっぱいになりそうだった。
何故自分が触れると消えたのか、消えて元気が出るという事はやはりあの蝶が彼女に悪影響を及ぼしていた、だとしたら消してしまった自分にも何か起こるのでは無いか。というか通亜梨沙は余りにも第一印象と話し始めた時の様子にギャップがありすぎやしないだろうか。
これは教室に戻ったらキーホルダーとして帰りを待ってくれている一番に事の次第の説明をしなくては、と考えながら伊澄は隣で楽しそうに会話を続ける亜梨沙にまた耳を傾けるのであった。
蝶が消えた瞬間、遠くで何かが動き出した気配に気付いている者は誰もいなかった。




