6話 黒蝶
「あの子誰?見た事ない」
「転校生だよ、美人って聞いてたけど本当だったんだな」
「でも性格キツそうじゃん」
伊澄は朝から気持ちが沈んでいた。クラスでもその会話は既に初日に聞くつもりはなかったが聞いている。気が強いと言う自覚は自身でも多少はあるがだからと言って自分に聞えないつもりで話される噂話に気持ちを落とされる程だ。せめて『そんなの関係ないし好きに言わせておけば』くらいのメンタルを保てるくらい肝っ玉が座っていれば…と伊澄自身も昔から何度も頭を悩ませている事だった。
まず学校に入るまでの通学路、そして学校内他の学年やクラスの人が行き交う場所でもコソコソと話す声が何度も伊澄の耳に入っていた。
勿論、美人などと噂される事は悪い気はしない。伊澄自身も普段から特に気を遣って手入れも勉強も努力もしているのだしそれくらいの賛辞があっても良いとすら思っていた。
だが見た目のそれだけで性格や言動まであれこれと口を挟まれるのは実に腹正しいと怒りすら覚える事だ。
―― 伊澄様、人間界でその存在感はやはり浮いてしまうのですね…美人は罪ですね
自身の教室に向かい歩いているとそう声を掛けてくるのはあの白蛇だ。勿論今はマスコットキーホルダーとして伊澄の通学バッグに結ばれている。
そして先日伊澄が彼と話をしていく中で、彼には前世で伊澄が名付けた『一番』と言う名前があるという事が分かった。何とも安直な名前に伊澄自身も前世でのセンスを少し疑ったが、当人、否、当蛇曰く『初めて契約を結んでくれた使いの蛇だった』ということから一番と名付けられたようだった。
声は掛けてくるが勿論この一番の声は伊澄以外には聞こえていない為こんな所で返事を返す訳にもいかず、ふん、と鼻を小さく鳴らして『うるさい』の意思表示とした。
「あ、巳城おはよ〜」
「…おはよ」
誰も面と向かって声を掛けてこない中、教室で朝の挨拶をして来たのは壮だ。伊澄も突然挨拶が飛んで来たので驚いたが、クラスの周りの者達も同様に驚いていたようだ。今話題の、とっつき難い転校生に突然声を掛けて、また返答を返してもらっているのだから周りにしてみれば疑問しかないだろう。周りがざわざわどよめいているのが伊澄にも分かった。
「昨日、あの後何も変な事とかなかった?」
「え?あー…、うん。まぁ、何も無かったよ」
色々あったがそれは彼に説明しても何もならないだろうし、此処は人目も多い教室でもあるし言ってしまったらややこしい事になりかねないな、と瞬時に判断した。自宅にあの白蛇がいて話をし、更にその名を一番と言い、何なら今も近くに居ます等とは言わずにおく事にした。
「俺、小さい頃からあの辺りでよく遊んでたしまた何か用事とかあれば言って!案内とかできると思う」
「へぇ、この辺が地元なんだね。用があればお願いするね」
えっへん!と聞こえそうな仕草で言う壮に対して伊澄は内心『もうあそこには近付きたくないけど』と思っていたが、あまりにも自信満々な壮を見てその言葉は口に出せなかった。一番と約束もしたのでもうあの様な事は起こらないと理解してはいるものの、中々あの時の恐怖感は消えないだろうなとため息を吐く。
そして壮の隣である座席に腰掛け、荷物を整理し始めた時、伊澄はふと自分の視界に入り込んで来た違和感に気付く。
―― なんで教室の中に黒い蝶が…?
教卓の前くらいであろうか、真っ黒な蝶だ。大きさはアゲハ蝶などと同等くらいの蝶がふよふよと飛んでいる。あまりにも真っ黒なので、クラスメイトの数人くらいは気にしそうだが、誰も気に留めていなそうだ。
というか、目の前を至近距離で飛んでいても誰も気にしていなかった。そこまで考えて、伊澄は一つ嫌な予想を立てる。またあの蛇達のように自分にしか視えていない何かなのでは、と。
そう考えたのも束の間、担任の教師が朝のホームルームを始めようと教室に入ってきた。生徒達もそれを見て各々自分の席へ戻っていく。
「おはようございます、朝のホームルーム始めますよ」
担任の一声でざわざわとした声は残りつつも、連絡事項等、担任の話が始まった。やはりそれでも誰1人としてあの蝶を気にする者は居ない。
と言うことは、伊澄の立てた仮説は恐らく間違っていないのであろう。いつの間にかこのクラスに入ってきた黒い蝶はどこに行くでも無く、教室内を飛び回っている。伊澄が蝶を目で追いかけていると隣から壮が小声で話し掛けて来た。
「…巳城、もしかしてあの蝶々のこと視える?」
「うん、視えてるけど…。もしかして、あんたにも視えるの?」
壮の発言に驚きつつも、昨日一番に言われた彼についての言葉も思い出す。
―― そう言った力は本人も意識して居ない内に今世でも備えているのでしょう。
確かに、今の彼の言葉と本人の目線の先が伊澄と同じ方向である事も踏まえて一番が言っていた事は恐らく間違いないのだろう事が今分かった。そして伊澄にも自分と同じ物が視えている事を確認すると、そのまま小声で会話を続けた。
「今あんまり詳しい事とか話できないけど、この前もあの蝶々学校に居てさ。他の奴に聞いても誰もそんなの居ないって言うし。それに俺、ちっちゃい頃から何かああいうの視える体質らしいから」
「…へぇ、昔からなんだ」
「だからこう言うのは意外と慣れっこだけどさ。自分から関わらない方が良いって事もちゃんと学んでるし」
話している様子からして特にその体質について嫌悪感や悲壮感は抱いていない様だった。やはりこの男ポジティブというか何というか、楽天的である。
それでも、今の会話から周りに視えない存在に対して何か学ぶ程の事を経験はして来ただろうという事は伊澄にも伝わった。そして、それについて聞こうと口を開き掛けた瞬間朝一、最初の授業に向けての予鈴が鳴った。
「少し長くなりましたが朝のホームルーム終わります。今日は一限目から体育なので、皆遅れないように着替えて体育館に向かってください」
間が悪いのか何なのか、肝心な時に質問する時間は無いようだ。
「この話出来る人、巳城くらいだしその内色々話すよ!今はとりあえず男子更衣室遠い所まで行かないとだから、また今度!」
「えっ、あぁ、わかった」
またニコニコと笑ってそう言った彼は小走りで荷物を持ってあっという間に教室を出て行ってしまった。夢で見る昔の壮であろう人物も、目の前で接している本人も、どちらもやはり表情がよくコロコロと変わる人である。
壮の話も踏まえて、やはりあの蝶が異質な存在である事もわかってしまったので、伊澄は昨日に引き続き変な出来事が続くなあ、と追加で溜息を吐いてしまった。此処に引っ越して来るまでそんな事無かったのに、と悩まずには居られなかった。そして、自身のバッグに着けられマスコットとなっている一番が伊澄に声を掛けてきた。
―― 伊澄様、返事はされなくて結構ですのでそのままお聞きください。
伊澄も無言のまま次の授業の用意をしつつ、一番の声に耳を傾ける。その様子を把握して、一番は言葉を続けた。
―― 押切壮の言う通り、あの黒蝶はこの自然に生きる生物としての蝶では有りません。あれからは妖気、と言う妖が纏う力が感じられます。
その言葉を気にしながら、伊澄はまだ教室内を飛んでいる蝶の行方を目で追い掛ける。こちらに近付いて来ているのが分かる。一番の『妖』という単語を聞いて思わず身を硬くした。
―― 勿論、進んで関わらないに越した事は無いのですが…。何せあの黒蝶から感じる妖気も結構強い上に妖の中には人間に害を為す者も居ますから。何もして来ないなら無視してしまうのが良いです、離れましょう。
一番の言葉に従い、無言のまま席を立つ。次の授業が移動教室になるもので良かったとこんなに思った事は無いかもしれない。
しかし行く先が気になって目線だけをあの蝶に向けて動かす。
蝶はふらふらと伊澄の近くを飛び交ったかと思えば、後ろの席のあの大人しそうな女子生徒の肩に留まったのだった。




