3話 思い出す、出会う
自分の意思に反して動く身体のままに進んでそれなりに歩いただろうか。足が突然止まり思わず上半身だけが前につんのめり転びそうになるのを堪える。
「あれ、ここ…?」
到着した場所は獣道を越えて一帯、拓けた場所ではあるがそこには湖どころか水すら無い。不自然に平らにされたのだろうか凸凹の無い地面に所々雑草や花の咲いた唯の広い土地であった。
予想とは違っていたが、心は何処となく騒めく。脳内に色々な声や景色がフラッシュバックするような感覚に伊澄は襲われた。
―― あんた、綺麗だね。この湖によく似合う!
―― また此処に来ても良い?何なら毎日会いにくるよ
そして頭に響く声は夢でよく出会うあの青年の声。そしてぼんやりとしか映し出されないその姿。
何故この場所に来て夢の内容が出て来るのか、そもそも此処まで連れて来た存在であろう蛇の目的は?やはりあの夢には自分自身も関係があるのでは無いか。あまりにも同時進行で考えなければいけない事が多すぎる。
「ち、ちょっと!此処まで勝手に連れて来て何の用?ちゃんと理由を説明してよ。何で私なの、待っていたってどういうこと?」
伊澄がそう声を張り上げると暫く草木で姿が見えなくなっていたあの蛇がまた姿を現した。正しくは姿を変えて現れた。此処に来るまでその体の色は一般人がよく想像する茶色のような色だったのだが、今は違う。その体は汚れなど一切なく真っ白になっている。いつの間にか白蛇へと姿を変えていたのである。
その姿さえも今の伊澄にとっては身体中の汗がさっと引くほどの恐怖だ。何故ならあの夢によく出て来ていた蛇もこの個体と同じく白蛇なのだから。
「貴女もそろそろ勘付き始めているのでは?この場所が何処なのかも、何か思い出す事があるはず」
「…勘付いてるって言われても何も分からないんだけど、まどろっこしい事しないでよ。はっきりしないのは嫌いなんだけど」
口から出て来る言葉は強気だが、声は心臓の動悸に合わせて震えていた。蛇は何もかも知っている口調でまた話し出す。
「この場所は元々広くて、大きな湖があった所。今は一度人間によって埋め立てられてこのような土地になってしまった。私達はこの場所を取り戻したい。貴女が居てくれれば、全て思い出してくれたらそれも可能かもしれないと思った」
「だからって、何で私が?ただの人間だし…」
「ただの人間では無い事に、そろそろ気付き始めているでしょう?」
蛇が伊澄にそう向かって返した瞬間、周りには同じような白蛇が数匹集まって来て囲まれている事に伊澄はやっと気が付いた。そして蛇達はそれぞれが順番に声を挙げ、伊澄に告げる。
「貴女が知っている風景、人物、記憶。それは全て貴女の前世の記憶です。分かり易く言ってしまえば転生や先祖返りなどと言われているもの。貴女は生まれ変わって尚この土地にやって来てくれた。それも同じ姿で」
「人間として生まれてしまった事は我々にとっても非常に残念な事でした。だから私達が幾ら問いかけようと通じなかった。だけど貴女の社であったこの土地であれば、と思いました。そしてそれは成功した!」
蛇達は各々歓喜の声を挙げている。伊澄は震える身体を自分の腕で抱きしめながら言葉を返した。
「や、社って…!そんなまさか、神様みたいな事…」
「そのまさか、貴女はこの湖を社として一帯を守っていた神様だ」
「水神、と言われる事もあれば使いとして置いていた私供に因んで蛇神様と言われている事もありました」
「人間に分かり易い様に言えば先祖返り、と言う言葉が良いのか。人も妖なる者も、受け継いで行く子孫や血統、縁の中で稀に同じ姿、声、そして名前を持って生まれ変わる者が世界には一定数存在する」
伊澄は絶句していた。浅い呼吸だけ自分の発する音として響く。そんなもの、作り話では?今迄何とも無く普通の人間として普通の家庭に生まれて来た筈なのに。という気持ちに反して、現在起こっている事象に対してならば自分自身も知らない記憶がある事への説明がつく。
「単刀直入に言うと、私達は貴女にまた神様になって欲しい」
「はぁ!?」
「我々が仕える神は貴女だけなのです、伊澄様」
「私の、名前…!ていうか、無理だって。ただの人間だし記憶だってそんな」
「大丈夫。『今は』人間であるだけ。記憶も取り戻せば良い」
蛇達の有無を言わせない物言いに恐怖が増し、逃げようとしたものの足がすくんで居るのか或いは此処にやって来た時と同様に動きを操られているのか、最早伊澄には考えられなかった。蛇が伊澄の周りを円となって囲う。何匹居るのか数える事すら恐ろしい。
水なんて無い筈なのに、何故か耳に入る音の中に水がちゃぷ、と打つ音が聞こえ始める。
「やめてよ、やめて。怖い、知らない。神様なんて言われても覚えてない!」
「この場所も私達の姿も覚えているのに?他にも知っている事、覚えている事があるでしょう。例えば…」
「そうそう、貴女が目を掛けていたあの人間の青年など」
目が眩む。今迄夢の中ではぼんやりとしていた青年の外見が少しはっきりして頭に浮かぶ。何処にでも居そうな姿では有るが、一つだけ特徴的なこの国の人間にしては薄い水色の瞳。そうだ、この眼をよく知っている。
何で?何で出てくるの?知らないのに。心と記憶の矛盾が気持ち悪い。思わず涙が溢れる。全てが気持ち悪くて既に蛇達は何を話しているのか聞き取れなくなって来ていた。体の感覚も有るのか無いのか分からない。
―― 神様だって関係無いよ!友達だもん。
―― 大切だから、助けるよ。いつだって!
「…“助けるって、言ったくせに“」
そう呟いた瞬間だった。突然腕を掴まれて、複数の声と音で騒がしかった周りの音がパチンと一度大きく鳴り、それを機に全く聞こえなくなった。そして掴まれた腕を強く引かれ体が大きく一歩後ろに下がる。
「ちょっと、大丈夫?こんなところでどしたの、転校生」
振り向いた先に居るのは知ったばかりのようで、よく知っている水色の眼。
知っているようで知らないあの青年と同じ姿をした男子高校生だった。




