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六月 王太子(1)


「えっ? またエリザちゃんが来るの?」


 本日は某バーガーチェーン店で、花園さんのおごりということで適当な席に腰かけて、ボクは一番安いハンバーガーを単品注文で、リスのようにモグモグと頬張る。


「ええ、どうやらそうらしいですわ。テレビでも連日のように取り上げられていますもの」


 純粋培養のお嬢様である花園さんが、こんな庶民のお店に来るのかは疑問だけど、一般人であるボクが、あまりにも高額料理のお店は絶対にノウ! と断ったので、ジャンクフードの代表格であるバーガーショップを利用することになったのだ。


「今回の新作バーガーは高級路線ですのね。悪くはありませんわ」


 しかし、彼女は意外と順応性が高いようだ。こういった庶民のお店の経験も、ボクと一緒にそれになり回数をこなすこととなり、今ではすっかり慣れたものである。

 というのも、βテスト事件の終わりに、それぞれが一食奢ってもらうという命令は、もうとっくに終わっていた。具体的に言えば、毎日のように皆から奢られたために、実際には一週間も保たずに命令完了となった。


「次は少し高めのカツ丼チェーンにも、綾小路さんと一緒に行きたいですわね」

「いや、そこまで高いのはちょっと。善意の奢りだし悪いよ。それを奢ってもらうぐらいなら、自分でお金出すからね」

「綾小路さんに負担させるわけにはいきませんわ!」


 今回のハンバーガーも花園さんからの善意の奢りである。彼女は違いますわ! と頑なに言い張るけど、少なくともボクはそう捉えている。

 現在も全て彼女が出しているので、ボクに負担させまいと気を使ってくれている。


「花園さんがそれでいいなら構わないんだけど、やっぱり悪い気がするよ」

「そうですの? わたくしは綾小路さんとお食事が出来て嬉しいのですけど、そう…二人っきりで!」

「うん、ボクも花園さんと一緒の食事は楽しいよ」


 何か今、妙に力説された一文があったような気がする。そう、今回のようなボクを奢るのが主な目的である外食には、独特のルールがあるのだ。











 というのも、命令を受けたその日に、皆がさっそく奢ってくれると言うので、どの店に行こうかと相談しているときのこと。


「あっ、お店に行くのは、ボクと奢ってもらう人だけにして欲しいんだけど」


 これにはボク的小市民理論が色々とあるのだけど、詳しい説明は省く。ただ単に人数が多いと会計の計算が面倒だろうとか、奢りの注文に皆の選んだメニューと比較して、気を使いたくないとか、そんな小さな理由だ。

 皆も行きたがっているし、少しは反対されるかと思ったけど、一斉に顔を見合わせて、ボクから少し離れた位置で円陣を組むと、ヒソヒソ話で数分ほど相談し、やがて結論が出たのか、その後は意外とすんなり受け入れてもらった。

 内緒話をしているときに、二人っきり、放課後独占、奢る権利を言い値で! などの不穏な発言が聞こえたけど、多分気のせいだろう。










 そして現在に至る。花園さんが期間限定のカフェシェイクにストローを刺す、そこに艶かしく唇を重ねて、コクコクと吸い込んでいるだけで、周りのお客さんたちからの、うっとりと見惚れる視線を否応なく集めてしまう。


「わたくしの顔に、何かついていますの?」

「いや、やっぱり花園さんはお嬢様なんだなって」

「はぁ…ありがとうございます?」


 今ひとつ意味がわからなかったのか、小首をかしげるけど、その仕草一つ一つも無意識に洗練されており、とてもお嬢様っぽくて様になっている。

 逆にボクはハンバーガーにしても、小さな口には収まりきらずに、毎回パンくずをポロポロと落としてしたり、口元をソースで汚しているので大違いだ。


「それで、さっき言ってたエリザちゃんが来るのっていつなの?」

「今月中を予定しているとのことですわね。あくまで一般報道ですので、実際のところはわかりませんわ」


 確かに少々特殊な例かもしれないけど、お忍びで来ることも考えられる。実はもう秘密裏に入国しており、何らかの会談を行い、しばらくしてから入国しましたと、報道される可能性もあるのだ。


「まあ某国の王女様は雲の上の人だし、一般人のボクがそうそう関わることはないから、別にいいけど。そっかー、今月中に来るんだね」

「ええ、本当にお二人が関わらなければいいですわね」


 自分で言っておいて悲しくなってきた。花園さんも内心予感しているのか、何処か遠い目をしながら、同意してくれた。

 ボクも今回も何かしらがあって、関係者になってしまいそうな気がするのだ。


「それじゃ、花園さん。今日は奢ってくれてありがとう。また学園でね」

「ええ、綾小路さん。それでは、また学園で」


 食べ終わった包装紙を指定のゴミ箱に入れてお店を出る。最後は少し空気が重くなってしまったけど、花園さんに明るくお別れを言う。

 ボクにも何人かのボディガードさんが目立たないように付いているので、夜道でも心配はいらない。まあ好き好んで危険に飛び込む趣味はないのだけれど、今回は近場のバーガーショップなので、徒歩でも家まで一人で帰れるのだ。

 そして花園さんと別れたボクは、夕暮れから夜の闇が広がりつつある空をぼんやりと眺めながら、歩いて自宅へ帰った。


「おかえりなさい! 母様!」

「ただいま。エリザちゃん」


 ああ、今回はそういうパターンなんだね。度重なるエリザちゃんの介入に、慣れたくないのに慣れてしまったボクは、内心の動揺を表に出さずに、玄関の扉を開けた先で待ち受ける小さな王女様に、普通に返事をするのだった。









 エリザちゃんと一緒に、軽く晩御飯を食べて一服する。今日はセンコさんが用意してくれた和食だった。最近では中華もある程度作れるようになったということだ。

 食後のお茶をすすりながら、念のために辺りを見回して、他に誰もいないことを確認してから、ボクはおもむろに切り出した。


「それで、エリザちゃん。今日は何しに来たのかな?」

「はい! 王太子派をぶっ潰しに来ました!」

「ええぇ…何それぇ…」


 生き生きとした笑顔で答えたエリザちゃんとは逆に、ボクは口を半開きにしたまま硬直してしまう。


「実は私の腹違いの兄の王太子なんですけど、これがどうしようもないバカ王子で。このまま王位継承したら国が傾くといいますか、下手をすると沈没してしまうというか。その問題を解決するために、母様の力を借りにきたのです」

「ふむ、なかなか難儀な話じゃのう。しかし国の長い歴史では、そのような愚か者が頂点に立つのを、何度も繰り返してきたことじゃ」


 何故かボクの隣で同じように食後のお茶を片手に、センコさんが話題に入ってきていた。


「そうなんですよね。でもそれを何とかしないと、国の運営自体が立ち行かなくなりそうですし、難しいところです」

「なるほどのう。じゃから、排斥ということか」

「はい、そうなんです。王室の派閥は現在、王太子派と王女派の二つがあるのですけど、あっ、王女派は私ですけどね。王太子派のバックには王妃様が付いてるんですよ。まあ自分の息子ですから、支援するのは当たり前なんですけど」


 いつの間にかエリザちゃんはちゃぶ台の上に何処からが持ってきた紙を広げて、自前のペンで色々と書き込み、派閥の関係などをわかりやすく書き込んでいた。

 センコさんはそれを興味深そうに読み取り、会話に加わる。

 何で見た目が子供の二人が普通に計略を巡らせているのか、一般人のボクには理解出来ないんだけど。


「なるほどのう。それで、王女派の後ろ盾はあるのか?」

「ありませんよ? 第二夫人である母様は小さい頃に亡くなりましたし、現国王は中立を貫いています。なので、実際のところは私の知略と外交手腕で保っているような小さな派閥ですね。まあその分、国の未来を見据えている人や、愛国心が異常に高い人や、バリバリの実務派が集まっているので、少数ですが内戦になれば十割勝てますよ」


 どんどん物騒な話題に変わっていくのを、一般人のボクが同じちゃぶ台に座っていても、湯呑を片手にお茶をすすりながら、黙って眺めることしか出来ない。


「つまり、逆に王太子派は派閥こそ大きいものの、権力や甘い汁に釣られて集まってきた腑抜けばかりというわけかのう」

「その通りです。間違いありません」


 あっ、自分の国の汚点っぽいけど、そこははっきり肯定しちゃうんだ。流石はバリバリの実務派筆頭の王女様である。面構えが違う。


「それで、主に協力を求めに来たのは何故じゃ?」

「はい、そこなのです」


 えっ? 今の会話でボクに協力出来ることあったの? 全然想像つかないんだけど。


「母様は、バカ王子の妾になってもらいます」

「え…? 何だって?」

「主を愚か者に嫁がせるとは、どうやら命がいらぬようじゃな! しかも第二妃じゃと! 冗談も大概にしろよ! 小娘ぇ!!!」


 信じられない発言を聞いたせいで、一瞬耳が遠くなってしまったけど、今はそれどころではなかった。

 隣の席に座っているセンコさんが、明らかに可愛い女の子がしちゃいけない表情をしてしまっている。さらには周囲に青白い火の玉まで彷徨い出したので、ボクは慌てて彼女をなだめる。

 エリザちゃんも考えあってのことだろうし、話は最後まで聞いてあげないと。


「主に免じて、今は許そう。しかし、最後まで聞いた結果、それでも妾が納得出来ぬような計略じゃったら…」

「はい、大丈夫です。決して母様を使い捨てるつもりはありません。王女エリザの誇りにかけて誓います」


 何でこの二人は、色んな意味で覚悟完了しちゃっているのだろうか。そして謎の話し合いが何処へ向かっているのか、ボクには見当もつかない。


「まず、先程の母様の妾…なのですけど、表面的には第一妃として婚約話が進むはずです」

「どういうことじゃ? まさか、その王太子は既に」


 二人の間で視線だけでやり取りが進む。うん、やっぱりセンコさんが入れてくれたお茶は美味しい。


「はい、センコさんの想像通り。王太子には既に関係を持った妃がいるのです。それも何人も…」

「見下げ果てた男じゃのう。とても主を嫁がせるわけにはいかぬわ」


 その王太子は、稀に見るとんでもないプレイボーイであった。しかしそんなモテモテヤリチン男が、今さらボクのような地味女を欲しがるのかな。


「ええ、ですから本当に嫁ぐわけではありません。あくまでも婚約です。さらにはバカ王子との婚約が表に出る前、つまり入国して国に帰る間に、全てを終わらせます」

「ふむ、つまり小娘の本当の計画を隠すため、国内にいる期間中の囮として使うわけか。確かに実際に動くのは主ではない分、危険はほぼないじゃろう。…だがのう」


 ボクは王太子を釣る餌なのだろう。しかし一国の大事にガッツリ関わっていいものだろうか。実際にはよくないのだろう。けれど、ここまで聞いた以上、やっぱり止めますは言い辛い。


「ボクやるよ。どんなことすればいいのかは全くわからないけど、そんなに必死なんだから、エリザちゃんにとって、きっと大切なことなんだよね? なら、友だちであるボクが、少しでも役に立てるなら、協力させて欲しいんだ。まあ実際には何の役に立たないかもしれないし、今もすごく怖いんだけど」


 取りあえず言うべきことは言った。ボクの小さな脳味噌では、二人の会話についていくのは難しく、知りたくもないエリザちゃんの国の裏事情を、小市民のボクに向かって延々と暴露し続けるよりも。言われた役目を引き受けて、さっさと切り上げたほうが、精神衛生上もいいはずだ。


「主が決めたのなら、まあ…構わぬがのう」

「母様なら、そう言ってくれると信じていました。段取りはこちらで整えますので、あとはお任せください。それでは母様、少し席を外します」


 そう言ってエリザちゃんは立ち上がり、居間から廊下に出て、何処かに連絡を取りはじめた。


「主は受けると言ったが、妾は完全には納得しておらぬぞ。核兵器が何発直撃しようとも無傷で耐える程度の加護は授けておるが、やはり心配じゃからな」


 心配そうにボクのほうを見つめるセンコさんだけど、核ミサイルの直撃にも耐えられるとか、それもう人間じゃない気がするんだけど。いや、世紀末系の漫画ではピンピンしてたかな?

 何となく不安になったので、ボクは時間のあるときに加護の耐久実験を行うことを固く決める。まずは壁で跳ね返したボールを、軽くぶつけることから頑張ろう。


「うむ、そうじゃな。妾も付いていくぞ。体は無傷でも、この間のように心が傷つくこともあるからのう」

「それはありがたいけど、付いていくって…どうやって?」

「手段は色々じゃ。まだ小娘の計画もはっきりしておらぬ以上、そのつど対処するしかあるまい」


 なるほど、それもそうかもしれないとボクが一人で納得していると。廊下に出ていたエリザちゃんが戻ってきた。


「お待たせしました。母様には、来週の如月主催の歓迎パーティーに出席してもらい、そこでバカ王子と接触してもらいます」

「接触するのはいいけど、実物の王子様相手に、ボクがまともに喋れるとは思えないんだけど」

「その辺りは大丈夫です。こちらからそれとなく情報を流しておきますから、王妃からバカ王子に、次のパーティー会場で母様を落とすようと、命じられます。あとは適当に相槌を打っていれば、婚約話が勝手に結ばれるはずです。あとは私にお任せください」


 そういうものなのだろうか。話をただ聞いているだけなら、失敗することはなさそうなので、少しだけ安堵する。


「では、妾も準備しておくかのう」


 準備と聞いて一体何をするのか気になったけど、センコさんは、パーティー当日のお楽しみじゃと言って、小さく笑いながら部屋を出ていく。結局のらりくらりと躱されてしまった。

 ボクも、エリザちゃんや麗華さんと相談しなければいけないことを思い出し、携帯片手に急いで連絡を取る。とにかく出来るだけ足を引っ張らないようにしないと…。


















 そして迎える如月家の歓迎パーティーの日、会場は暖かくなってきたので開放的な野外パーティーだ。都会の一等地の緑化地域を貸し切り、ガードマンでガッチリ固めてある。

 そこにやって来たのは如月ファミリーである、当主さんと奥さんと麗華さん、その養子であるボク、王太子様とエリザちゃん、…だけではなく、何と王妃様もいらっしゃっていたのである。

それ以外にも役職がとんでもない方々や、誰でも知っているような著名人が、国内外から多数集まっており、皆それぞれのパーティー衣装で、きらびやかに着飾っていた。

 しかし王妃様が直接出向くぐらい、目の前にぶら下がっているボクが魅力的なのだろうか。もちろん権力的な旨味があるのは間違いないけど。

 それとも、エリザちゃんの試みた宣伝効果が高かったのだろうか。

 しかし今は、自分に与えられた役目を果たすことに集中するべきだと、こっそり気合を入れる。


「このたびは、私たち王室を歓迎するため、このような宴を開いていただいたこと、某国の王妃としてお礼申し上げます」


 王妃様は今年で三十後半らしいけど、まだまだ若く見える。そして王太子様もエリザちゃんも、遠目に見ても三人共金色に輝いている。美しい金色の髪が風にサラリ…サラリと流れて、存在感を際立たせている。


「この私、ジョン王太子も、歓迎パーティーにご招待していただき、ありがとうございます」

「私、エリザ王女も、とても嬉しく思います」


 もちろん如月家とエリザちゃんは、あらかじめ打ち合わせ済みである。

 ただしボクは話題に全くついていけなかったので、近くのメイドさんたちと一緒に、お茶菓子に手を伸ばしながら、楽しく談笑していた。

 王太子様相手に適当に相槌を打って全自動婚約、万が一にも手を出されたら、走って退場という役目さえ果たせばいいとのことだ。


「こちらこそ、我が如月のパーティー会場に、王室の方々をお呼び出来て、光栄の極みです」


 当主さんの一言が終わる瞬間、如月家の皆と一緒に、ボクも深々と頭を下げて、無難な挨拶を行う。これで自分から動く役目はほぼ終了なので楽ちんである。

 あとはもっとも重要な役目である、王太子様専用の適当な相槌と、私傷つけられたの!の役目が残っている。しかし、やることは何もない。ただ壁の花としてじっと佇んでいれば、相手の方から来てくれるのだ。


「おお、あそこに見える美しい女性は…」


 さっそく標的である王太子様が、皆に聞こえるような大声で独り言を呟きながら、壁の隅に佇んでいるボクの元に……来なかった。


「貴女が如月嬢ですね。噂通り何とお美しい。どうかこの私と結婚して欲しい」

「「「「…は?」」」」


あろうことか、王太子様は麗華さんの元へと一直線に突撃し、そのまま彼女の手を取り膝をつくと、手の甲に口づけをしたのである。

 あまりにも突拍子もない行動に、周りで成り行きを見守っていた招待客の皆さんも、思わず唖然としてしまっていた。


「あっ…あの、申し訳ありませんが、娘には既に婚約者が…」

「なんと、既に婚約者がいたのか! しかし、それでも私の愛の炎は消えない! 私は絶対に如月嬢と結婚するぞ!」


 麗華さんに直接断らせると角が立つため、当主さんが遠回しに諦めさせようとしたけど、どうやら逆効果だったようだ。王太子様は行動だけでなく、発言もとんでもなかった。

 歓迎パーティーの会場で堂々の寝取り宣言である。遠くから様子を伺っていた王妃様の顔が、青を通り越して白くなっており、手に持ったワインのグラスを今にも落としそうなぐらい、ガタガタと大きく震えている。


「えっ…ええと、それでも麗華はちょっと。如月の名前だけなら、もう一人の娘が…」


 顔を引きつらせながらも当主さんが、完全に壁際で傍観者となってしまったボクに、ちらりと視線を送り、無理やり表舞台に引っ張り上げようとする。


「ん…? 確か綾小路幸子嬢…だったか? ああ、確かに母上からは、そのような命を受けたがな。如月嬢が妃は確定だ。綾小路嬢は…妾か、側仕えのメイドで十分だろう? 女性は王太子と関係を持てるだけで、涙を流して喜ぶのものだから、何も不満はないだろう?」

「「「「…コイツあかんやつや!」」」」


 王太子様は会場の皆が総ツッコミを入れるぐらい、何というか駄目過ぎた。予想の斜め上を行く行動力に翻弄され、エリザちゃんと立てた当初の計画は、完全に破綻してしまったのだ。

 王妃様に至っては、いつの間にか野外会場に崩れ落ちて完全に気を失っている。

 近くの人たちが必死に介抱しているけど、今は目覚めないほうが幸せかもしれない。ボクはこのまま表舞台に出ないまま、色んな意味で終了するかもしれないなと、ぼんやりと考えていると、ふと声がかかった。


「綾小路嬢、私の妾となる権利をやろう」

「いりません」


 本来のボクの役目としては、王太子様からのお誘いは、まあ嬉しいと承諾しなくてはいけないけど、ここまで来たら計画もクソもないので、思わず本音で返してしまった。

 こんな酷い状況から正規ルートに軌道修正出来る程、ボクは順応性が高くはないのだ。何より会場中の憐れみの視線がボクに集中しており、精神的にもかなり辛い。


「何故だ? 今まで声をかけた女性は皆、二つ返事で引き受けたぞ?」

「それは貴方が大勢の前で、堂々と寝取り宣言する人だって知らなかったからでしょう?ボクは絶対に妾にはなりませんからね」


 ここで王太子様の妾になると言ってしまえば、女として大暴落だろう。誰が自分からスーパーの特売もやしまで女の価値を下げて、目の前の寝取り男に売り込みたいと思うだろうか。


「私は某国の王太子だぞ」

「そうですか。ボクは如月家の養子です」


 この男に自分から嫁ぐのは地獄への片道切符だ。進めば女としての死が待っている。たとえ婚約が途中で破棄されるとしても、これだけ大勢の前で堂々と強制されるとは、当初の計画と違い過ぎる。

 ならば、ここは逃げの一手しかない。


「綾小路嬢を妾として受け入れれば、如月嬢と結婚出来るんだ」

「どういう思考回路してるんですか、貴方は」


 王太子様の発想は、あまりにも飛躍し過ぎていて、ボクには理解出来なかった。


「当主は娘なら如月嬢ではなく、綾小路嬢がいると言ったのだ。つまり綾小路嬢を妾にしたうえで、如月嬢との婚約を申し出れば、もはや如月当主が断る理由はないだろう?」

「うん…うん? いえ、その考えはおかしいですよ」


 麗華さんとの結婚からの、当主さんの話題そらしを、彼女との結婚の必要条件と頭の中で補完してしまったのだろうか。

 しかし、王太子様は話ながらも、こちらとの距離をジリジリと詰めてくる。


「いいから早く受け入れてくれ。綾小路が妾になれば、全てが丸く収まるんだ」

「いえいえ、それをするとボクが幸せになれないのは確実なので、遠慮させてもらいます」


 しかし元々壁の花役として会場の端にいたためか、とうとう逃げ場がなくなり、完全に追い詰められてしまう。これは明らかにマズイ。

 いくら頭がユルユルでも某国の王太子様なので、如月家の人たちも対処出来ずにいる。王妃様が予想外のアクシデントにより退場してしまった今、彼がこの会場で一番地位が高いのである。

 エリザちゃんのほうを見れば、残念そうに首を振られてしまう。どうやらまだ手を出されていないため、どうにも決定打にかけるようだ。


「頼む。綾小路嬢」


 近い近い、息がかかってるから。これ以上は無理。許して。まだなの? まだ耐えるの? それとも逃げていいの? どっちなの?

 もういい加減辛いので、無駄にキラキラしてる王太子様を、グーで殴ってでも、会場外に脱出しようかなと考えはじめたとき、ふと目の前に王太子様とは別の人が現れた。


「お客様、会場内での諍いは困ります」

「メイドごときが男女の会話に口を出す…んじゃ…」


 王太子様は声をかけたメイドさんのほうを向いて、完全に固まっていた。いや、見惚れているのだ。

 今このパーティー会場の主役は、助けに来てくれた銀髪の美しいメイドさんに、完全に奪われたのだと、皆の視線の集まりから、そう感じた。


「ほら、いけませんよ。離れてください」


 言われるがままに素直に離れる王太子様。彼女はスタイルも抜群で、麗華さん以上の、非の打ち所がない美人さんだった。

 というか完成され過ぎていた。人外の美しさと言ってもいい。しかしボクは自宅で見慣れてるのであっさり気づき、ある女性の名前を深く考えずに、ボソリと口に出す。


「もしかして、センコさん?」

「ああ、やはり主にはわかりますか? こんなに早く気づいてくれて嬉しい!」

「えっと…でも…」


 耳も尻尾も見えないし、口調もいつもと違うし、年齢も二十以上になっているのは何故かと、口にするわけにはいかずに悩んでいると、センコさんが耳に口を近づけて、こっそり教えてくれた。


「姿や口調を変えるぐらい簡単ですし、狐耳と尻尾を消しても主が気づいてくれるかなと、試してみたくなったの」

「あっ、そうなんだ。センコさん、さっきは助けてくれてありがとう」

「どういたしまして、お役に立てて嬉しいわ。それでは私が主の代わりに、この駄目男を成敗してあげるわ」


 正体がバレたために、もう耳と尻尾を隠すのは止めたのか。ボクには普通に見える。

 特にセンコさんの尻尾は、嬉しさのあまり、右へ左へ勢いよく揺れているのが丸見えであった。

 しかし成敗すると言われても一体どうするのだろうか。計画のことは知っているから、変なことはしないとは思うけど。


「なっ…なあ、キミ…名前はなんと言うのかな?」

「あら、私の名前はメイドごときで十分ではありませんか?」


 まるで熱病にかかったように顔を真っ赤にしながら、メイド服を着たグラマラスなセンコさんにアタックする王太子様。しかし彼女はクスクスと笑いながらも、つっけんどんな態度で引き離す。


「そっ…そんなこと言わずに頼む! 教えてくれ!」

「仕方ありませんね。そこまで言うなら名乗りましょうか。私はセンコです。しかし、あの二人はいいのですか?」


 必死な形相で王太子様がセンコさんとの距離を詰めようとするけど、彼女はまるで踊りでも踊るように、軽やかに躱している。


「あの二人? 誰のことだ?」

「あらあら、先程まではアレほど熱心に、プロポーズしていたではありませんか」


 王太子様の記憶からは、ボクと麗華さんのことはすっかり抜け落ちてしまったようだ。

 それだけセンコさんに夢中ともいうのか。これが恋なのだろうか。しかし、会場中の男女全てを魅了するとは思わなかった。

 この中で唯一正気を保っていそうなのは、当主さんと奥さん、それと麗華さんとボク、あとはエリザちゃんだけのようだ。


「いいんだ。あの二人のことはもういいんだ! 今はセンコに夢中さ! 何なら、キミを妃にしてもいい!」

「あらあら、でも私はただのメイド、貴方とは身分が違い過ぎるわ。このままでは、結婚は出来ないわね」

「そんな! 一体どうしたら…!」


 興奮してすがりつこうとする王太子様を、センコさんは指先で彼の口元に蓋をしたり、妖艶な仕草でズボン越しに股間を撫でたり、胸元の突起部を軽く擦ったり、耳元で息を吹きかけながら甘く囁いたりを繰り返し、完全に手玉に取っていた。

 ボクがもし男だったら、今のセンコさんのような美人さんにやられたら堪らないだろう。理性なんて一瞬で蕩けてしまう。あとは彼女の従順な操り人形となり、身も心も美味しくしゃぶり尽くされてしまうのだ。

 しかしそこで気づいてしまった。もしかして、女性でも危ないのではなかろうか。もし綾小路家で同じことをされたら、ボクは一体どうなってしまうのだろうか。そこから先は白く綺麗な百合の花が咲き誇る、危険なモノに目覚めてしまいそうなので、ブルルと震えた後に、強引に思考を切り替える。

 今はそれよりも、王太子様とセンコさんに進展があったので、そちらに意識を向ける。


「もし貴方が王太子という身分を捨てれば、私たちは結婚出来るわ」

「わっ…わかった! 私は王太子を捨てる! 平民として生きよう!」

「本当に? 信用出来ないわね。今この場で誓ってくれる?」

「ああ! 誓えるとも! この私、ジョン王太子は、たった今、第一継承権を放棄し、妹であるエリザ王女に譲渡する! ここにいる皆が証人だ! 何なら、証書も書いてやるぞ!」


 うわぁ…アイツやりやがった。パーティー会場中がセンコさんを巡る、恋という熱病に悩まされながらも、残り少ない理性で皆が同じような気持ちを抱いたことだろう。

 いやまあ、アレは嵌っても仕方がないとも思うけど、今回は相手が悪すぎたのだ。

 やがて王太子様が宣言通りに、何故かエリザちゃんがこんなこともあろうかと用意しておいた、専用の証書にサインを書き終わると、センコさんが無慈悲な死刑宣告を言い渡す。


「では、王太子様、私はこれで失礼しますね」

「まっ…待ってくれ! どういうことだ? 私は王太子から退いたんだぞ! これでキミと結婚出来るのではないのか!」


 背を向けて会場外へと歩いて行こうとするセンコさんを追って、王太子様は手を伸ばすものの、寸前でスルリと避けられてしまう。


「ええ、結婚は出来ます。しかし、私が貴方と結婚するとは、一言も言っていませんよ」

「センコ! キミは私を騙したのか! 私はこんなにも深く愛しているというのに!」


 センコさんは歩みを止めて、王太子様の方に視線を向けるが、その目は何処までも冷たかった。


「貴方から見ればそう見えるわね。でも、今まで王太子様が婚約を迫った女性も、一方的な愛という意味では皆同じでは?」

「ちっ…違う! あの女性たちは…皆喜んで…!」

「ええ、喜んでいたでしょうね。皆貴方が心から愛してくれると、思い込んでいたでしょうし」

「そっ…それは…! でも、それも全て母上の命令で…! 私は悪くな…」


 王太子様の言葉にかぶせるように、センコさんは吐き捨てるようにように言い放つ。


「では、その言葉を先ほど求婚した女性に聞かせてあげれば? 母上からの命令を受けているのでしょう? 自分は一切愛していないけれど、婚約しようと。そう言ってみたらどうかしら?」

「それは…そんなこと…出来るわけが!」

「簡単なことでしょう? 貴方が先程まで、主に…んっ…んんっ! ゲフン! ゲフン! あっ…綾小路嬢に散々要求していたのだからね」


 この銀狐っ娘、肝心なところで台詞を噛みおった。恋の熱病に浮かされているため、王太子様が気づかなかったのが救いである。


「出来ない…私は今、はじめて知ったんだ。愛されないことの辛さを、苦しみを…そんな酷いこと、出来るわけない!」

「そう、でも王太子の身分なら、愛のない結婚が当たり前じゃない? それでこの先耐えられるかしら?」


 センコさんは満足そうに笑い、王太子様から視線を外して背を向けると、会場の入口へとゆっくりと歩いて行く。


「とても耐えられそうにないな。本当の恋に目覚めさせられた、今の私ではね。キミに言われた通りに平民になって、…ああ、これが正解だったんだね」

「よかったじゃない。今の貴方は、前よりも少しだけ成長出来たわよ」


もうすぐ入り口のゲートにたどり着くセンコさんに向かって、王太子様が叫ぶように最後の言葉をかける。


「センコ! いや、センコさん! もし私がキミに相応しい男に成長することが出来たら! そのときは、今度こそ結婚を申し込ませてもらう!」

「あっ、それは無理よ。私は心に決めた主…んっ…んんっ! ゲフン! ゲフン! 心に決めた人がいるの。その人を私は、一生かけて愛する覚悟なの。たとえその人が、寿命で死を迎えたとしてもね」


 グラマラス銀狐っ娘がまた台詞を噛んだ。しかも最後に主を一生愛すると言い放った。センコさん! でも、…ボク女の子! 愛が重すぎるんですけど!

 彼女は最後の最後で失敗したことが恥ずかしいのか、喋り終わってからは少し早足になり、やがてパーティー会場から完全に姿を消した。


「…そうか。敵わないな。この私が、そんな覚悟を持った女性を、愛してしまうなんてね」


 姿が見えなくなったセンコさんの方を、爽やかな笑顔を浮かべていつまでも見つめている王太子様。最初は色々と斜め上で酷かったけど、終わってみればそれなりにいい話だったと思わなくもない。


「うわああああん!!! センコさあああああん!!! 行かないでええええ!!!」


 あっ…王太子様が泣き崩れた。やはり王妃様に甘やかされて、今まで何不自由なく育った彼には、失恋のショックは耐えきれなかったようだ。

 そういえば、なし崩し的にとんでもない結末になってしまったけど、エリザちゃんの計画は大丈夫だろうか。

 ふと彼女の方に視線を向けると、親指をグッと立てて、眩しい程の素晴らしい笑顔を送ってくれたので、どうやら問題なかったらしい。


「酷すぎるよおおおおっ!!! あんな美しい人を知っちゃったから、他の女なんて、もう出涸らしの紅茶以下だよおおお!!!」


 酷い言われようであるけど、短時間とはいえグラマラスセンコさんと肉体的にも直接触れ合った王太子様には、刺激が強すぎたのかもしれない。彼が淫らな夢から一刻も早く覚められればいいんだけど、今の様子を見る限り、どうやら望みは薄そうである。

 結果、如月家とボクとエリザちゃん以外は、パーティー会場内は今だに心を蕩けさせる何処までも甘い夢から、戻って来られない人だらけで、まさに死屍累々であった。

 そしてボクは思った。グラマラスセンコさんは今後、滅多なことでは使わないようにと、強くお願いしないと駄目だと。


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