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五月 遊戯(2)

 それからのボクは、順調に吟遊詩人のレベルが上がり、歌スキルの数も増えてきたのだけど、一つ困ったことが起きてしまった。

 パーティーメンバーを引き連れて狩場で歌っていると、他ギルドの冒険者さんたちが興味本位で歌を聞きに来るのだ。しかも狩場にいる全ての人がだ。

 最後にはそのまま、ハッピーチルドレンに加入したいと言い出し、麗華さんの審査を抜けた冒険者が次々と新メンバーとなっているのが現在の状況である。

 その際に花園さんは、歌声で船乗りを惑わす人魚みたいに素敵ですわねと言ってくれたけど、美咲さんはまるで夏場のコンビニで虫を引き寄せる青色光みたいだよと例えた。

 さらにどれだけ冒険者の少ない狩場に行っても、他の冒険者が一人もいないはずがなく、たとえいなかったとしても、歌っているうちに一人増え、二人増えと、その場に留まるだけで、歌声に惹き寄せられる他のギルドメンバーが増え続けるのだ。

 そしてハッピーチルドレンがこのゲームの上位ギルドに駆け上がるのは、本当にあっという間の出来事だった。ちなみに新人冒険者さんたちは、問題を起こすこともなく、他のメンバーとの仲も良好である。


「最近さー。アンタたちのギルドが、他所に引き抜きをかけているらしいけど、その点はどうなのさ? ウチのメンバーも何人かやられてんだけど、一体どういうつもりなわけ?」


 他の上位ギルドの会談の申し込みを受け、盗賊の衣装を身に着けた若くてチャラそうな副団長と、礼儀正しそうな年上の騎士装束をまとった団長の二人が、ハッピーチルドレンの拠点の応接間のソファーに腰を沈めて、あまり友好的ではない視線を、こちらに送ってくる。

 それに対してこちらも団長と副団長の二人で応対するけど、ボクは十割の確率でお飾りで、殆ど座っているだけである。いる意味はあるの? と麗華さんに聞いたら、黙って隣にいてくれるだけでいいと言われたので、多分そういう意味合いなのだろう。

 今回のことからわかる通り、ボクのギルド内での問題は起きていない。しかし、外では問題が起きているのだ。そしてこちらに飛び火してきたのである。まあ、元々こちらの蒔いた種とも言えなくもないけど、新人さんは十割自分の意志で加入したのだから、引き抜きとか言われても困るんだけど。


「そのような事実は一切ありません」

「嘘を言うなよ。何か弱みでも握って脅迫してるんじゃねえか? でなきゃ、こうも短期間でメンバーが急増するわけねえだろ? 怪しすぎんだよアンタらはよぉ」


 麗華さんがすかさず否定するけど、副団長さんが待ったをかける。どうしてもこちらを悪者にしたいらしい。


「しかし引き抜きはしていない。それが事実である以上、認めるわけにはいかないわね」

「はぁ!? しらばっくれるのもいい加減にしたらどうだ! 全部私が引き抜きましたって、吐いちまえよ!」


 認めない麗華さんに、認めさせたい副団長さん、このままでは平行線である。やがてこちらの魔女さんが、仕方ないわねと軽く息を吐き、話題を変える。


「それじゃ、仮にウチが引き抜いたとしましょうか。その際に、貴方たちは当然抜ける団員を止めるわよね」

「当たり前だろう? それが何だって言うんだよ」


 こちらが一歩引いたと思ったのか、副団長がフンっと鼻を鳴らしながら嬉しそうに受け答えを行う。


「それで、引き止めた団員けど、私のギルドに引き抜かれたと、一言でも喋ったの?」

「うぐっ…! そっ…それは…言ってないけど…よ」


 一瞬勝ち誇った副団長だったけど、麗華さんの返しで、再びソファーに体を深く沈めてしまう。相変わらず相手の団長は沈黙を守っている。


「であれば、それが事実よ。引き抜きはなかった。元団員の証言も得られたことだし、これで決まりよ」

「だからよ! それはお前たちが弱みを握って、脅迫してるんだろ!」


 また平行線に戻ってしまった。とは言え、実際に引き抜きしていないのだから、これ以上言うことはないんだけど、まさか歌に惹かれて新人さんが増えましたと言っても、信じてもらえないだろうし。


「弱みは握ってないわ。まあ、心は掴んだけど」

「はぁ? そりゃぁ、どういうことだ?」


 ボクが考え事をしている間に、話題がまた変わったようだ。何だかわからないけど、解決の糸口になってくれれば、幸いである。


「幸子ちゃんの歌を聞いた他の冒険者が、勝手に加入してくるのよ! 私だって困ってるの! 規模が大きくなったおかげで、団長の仕事が増え過ぎて、幸子ちゃんと遊べる時間は減る一方! このゲームだってゴールデンウィーク中だけしか遊べないって言うのに、どうしてくれるのよ! ただでさえ一週間も時間が削られたってのに、こっちの予定は狂いっぱなしよ! それとも貴方たちのギルドが、責任を取ってくれるのかしら!」


 突然ソファーから立ち上がって一方的にまくしたてる麗華さんに、副団長だけでなく、沈黙している団長が二人とも、唖然としてしまった。

 彼女もここ最近、色々とフラストレーションが溜まっていたらしい。しばらくの間双方ともに気まずい沈黙が広がり、やがて相手の二人がゆっくりと口を開いた。


「おっ…おう、何だか知らないけど、アンタも大変だな。その、色々言っちまったけどよ。悪かったよ」

「私もすまない。この通りだ。実は貴女たちのギルドが悪くないことはわかっていた。しかし、こうでもしなければ納得しない者も何人かいてな」

「さっさと除名しなさいよ。そんな奴」


 今日の麗華さんは物事をズバズバと言う。相手の団長はその言葉を受けて、恥ずかしそうに頭をかいている。


「いやはや、耳が痛いな。しかし噂には聞いていたが、吟遊詩人か。私も十人程なら会ったことはあるが…。幸子ちゃん、もしよかったら、この場で歌ってもらえないかね? 彼らとキミの何が違うのか、知りたくなった」

「…ぷえぇっ!?」


 団長に思ってもみないことを言われたせいで、変な声が出て一瞬固まってしまった。麗華さんの方を見ると、こちらを向いて軽く頷いたので、どうやら歌うのはOKらしい。

 でも、知りたいと言われても何を教えればいいのだろうか。取りあえず思いついたことを適当に聞いてみることにする。


「わっ…わかりました。歌うのは初期スキルでいいですか? それと、バフ効果も調べますか?」

「ああ、最初の歌で構わない。そうだな。出来ればバフの効果も調べたいから、臨時のパーティーでも組ませてもらえると助かる。念の為、副団長も申請してくれ」


 わかりましたと、団長と副団長の二人、それと何故か麗華さんからも申請が来たので了承する。今回歌うのはたった数日にもかかわらず、歌詞を見ず、伴奏が流れなくても、最初から最後まで通しで歌えるぐらいには、すっかり歌い慣れた曲になる。

 今回はバフ効果も気になるということで、通常のスキルとして発動させる。


「ふむ、バフ効果は他の吟遊詩人と全く同じだな」

「そうですね。しかし団長…これはやはり」


 他の吟遊詩人と会ったことがないボクには違いがわからないけど、そもそも同じ職で違いなんてあるのだろうか。

 例え差があったとしても、攻撃力とか防御力の加算値とかそういうのだろう。やがて最後まで歌い終わり、バフも効果時間が切れて元に戻る。

 何となく調査の結果が気になるボクは、おずおずと目の前の二人に聞いてみた。


「それで、ボクの歌はどうでしたか? 何かわかりましたか?」

「あっ、ああ、バフの効果は他の吟遊詩人と全く同じだな。しかし、一つだけ大きく違うものがあった」


 バフ効果は同じで、それ以外の違いと言ったら、歌スキルでは一つしかない気がするんだけど。団長は少しだけ言いづらそうに口を開く。


「実は吟遊詩人の歌は、使用者の心の内を歌もしているのだと言われているんだ。その証拠に、今まで聞いた彼ら彼女らの歌には、ただの一つも同じ曲は存在しなかった。バフ効果は同じだったがな」

「なるほど…心の内面。 ええと、つまりどういうことですか?」


 自分の心なんて、そんなよくわからないものが、歌スキルになるのだろうか。


「ああそうだ。詳しくは不明だが、このゲームはプレイヤーの脳波を読み取り、もう一人の分身として動かしている。つまりは表面的ではなく裏面的な読み取りも、恐らくは可能だろうということだ。…っと、話題がそれたな」


 そこでコホンと咳払いをして、団長は続きを話してくれた。


「まあそういうことで、歌とは吟遊詩人本人も気づいていない、深層心理そのものらしい。色々話を聞いた結果、曲の全体像と、本人が隠している心の内、または無自覚に表に出る性格的な何かが、非常に近いということがわかった」

「つまり、この曲はボクの深層心理を元にして作曲されたんですか?」


 団長が力強く頷く。でも、自分でさえ気づかない深層心理なら、これはボクの曲って主張しても、証拠不十分な気がするんだけど。


「確かに確証ではない。しかしあながち的外れな予想とも言い難い。あくまでも、歌スキルとは、そのようなものだと思っておけばいい」

「わかりました。それで話は戻りますけど、ボクの歌と、他の吟遊詩人さんの歌の違いって何ですか?」


 そこまで言ったとき、団長と副団長はあからさまに言葉に詰まり、何故か目線をそらす。


「今までの吟遊詩人の歌は、多少の違いはあっても必ず、情熱系、可愛い系、冷静系の三種類に分類されていた」

「なるほど、つまりボクの歌も、その三種類のどれかに分類されるということですね」


 見た目平凡少女のボクだから、可愛い系は間違いなくないなと考える。となると、情熱系か冷静系のどちらかだろうと、適当に当たりをつける。


「いや、それが、今回は新たに四種類目の歌に分類することになったんだ」

「へえ、新しい種類ですか? どんな種類ですか? 全然想像つきませんね」

「…母性系だ」

「母性系」


 これはない。あまりのありえなさに知能が低下して、オウムのように言われた言葉をそのまま繰り返してしまった。ボクの思考停止が直る前に、麗華さんが口を開く。


「なるほど、納得だわ。確かに幸子ちゃんの歌は、まるで母親の胸に優しく抱かれる赤ん坊のように、皆に安らぎを与えるものね」


 代わりにモンスターには永遠の眠りを与える、呼び水的な歌でもあるのですが。しかし母性と来たか。

 今さらながらエリザちゃんに母上、瑠璃ちゃんにお姉ちゃん呼びされたこと等、前々から予兆はあったんだなと、思い至った。


「まっまあ、母性系はともかくとしてだ。おかげでどうして幸子ちゃんの歌に惹かれて、他のギルドメンバーがハッピーチルドレンに流れて行くのか、原因を特定することが出来た」


 原因がわかったのなら、それを防ぐことも出来るということだ。気持ちを強引に切り替えて、ボクは団長からの次の言葉をじっと待つ。


「幸子ちゃんの歌は、聞くものに母への愛情を、強烈に呼び起こさせる」


 歌で呼び起こすのなら、恋人との愛とか、親友の友情とか。そちらのほうがかっこよかったんだけど、ボクには無理だったようだ。


「ゲームとは、現実で疲れた心を癒やすために遊ぶのが主な目的だ。まあ、中には別の理由もある者もいるが、それは置いておく」


 何だかすごく嫌な予感がしてきた。そしてその予感は大体外れたことがない。これ以上は聞きたくないけれど、聞かなければならないジレンマである。


「現代社会に疲れきって、擦り切れヒビ割れた心に、強烈な母性愛を呼び起こされ、隙間を満たしてしまえばどうなるか。幸子ちゃんが歌の中で目覚めさせる母性とは、例え世界の全てが敵になろうと、最後まで子を守り、慈しみ、愛情込めて育ててくれる。そんな理想郷に近い気持ちを抱くことだろう」

「そうだね。実際に歌声を聞いた俺も大いにそう感じたよ。幸子ちゃんの側にいれば、もう何も心配することはないって。それに、この子のために何かしてあげたいともね」


 団長と副団長が納得したかのようにはっきりと断言する。何だか気分が悪くなってきた。

 これでは洗脳だ。実際には疲れた心を癒やしてあげているので、悪いことはしていないのだけど、規模が明らかに異常だった。既にハッピーチルドレンのメンバーは百人を越えて、なおも増加中なのだ。

 子鹿のように震えているボクの肩に、麗華さんが安心させるようにポンと手を置く。


「心配はいらないわ。実際に遊ぶのはゴールデンウィーク中だけだし、ただ幸子ちゃんは皆の心を癒やしてあげてるだけなのよ。まあ、今のペースでギルドメンバーが増え続けると、引退前には数百人規模になっていそうなのは、ちょっと困るわね」


 ボクを母と慕う冒険者が数百人も…。その瞬間、ボクは決断した。


「ぼっボク、このゲーム引退します! たった今から普通の女の子に戻ります! 本当にごめんなさい! すみませんけど、皆にはよろしく言っておいてください!」


 そして、突然の引退宣言に呆然とする三人に深々と頭を下げて、逃げるようにウインドウを開き、震える指先でログアウトボタンを押す。

 現実に戻ったボクは、ゲームのゴーグルをそっと外して、大きく溜息を吐いた。


「はぁ…知ってる天井だ」


 あのまま残ったていたら、きっと取り返しのつかないことになっただろう。βテスト期間だけではなく、ゲームも引退させてくれなさそうだし、このボクが現実ではないとはいえ、数百人もの大きな子供を持つなんて、絶対にごめんである。

 やがて部屋の扉がコンコンとノックされていることに、気づいた。


「主、戻ったか! 主に何らかの異変を感じ取ったのじゃが、入ってよいか!」


 色々ありすぎて混乱しているせいで、しばらく返事が出来なかったけど、一分程かけて何とか呼吸を落ち着けて、入っていいよとだけ、短く告げる。


「あっ…主! 顔が真っ青じゃぞ! それに泣いて…一体何があったのじゃ!」


 ボクはセンコさんに、出来るだけかいつまんでβテスト開始から引退に至るまでを話した。彼女は時々相槌を打ったり、より詳しい説明を求めたりしながら、静かに最後まで聞いてくれた。


「なるほど気を悪くせんで欲しいが、妾からすれば当然の結果じゃと言わざるをえぬな。例え吟遊詩人という職でなかろうと、主と接すれば、内面の母性愛に惹かれる者は、必ず現れるじゃろう」


 いつの間にかセンコさんは温かなお湯を湯呑に注ぎ、そこにはちみつを少しだけ混ぜて、ボクにそっと差し出してくれた。ありがたく受け取ると、カラカラに乾いた喉を少しずつ潤す。


「何しろ現実よりも互いの心の距離が近い遊戯の場じゃ。たとえ気の許せる学園の仲間だけであろうと、続ける限りは惹かれる者は、毎日のように増え続けたじゃろう。しかし遊びは遊びじゃ。中には本気になる者もおるかもしれぬが、そのような者は稀じゃ。じゃから、主も、もう気にするでない。一晩寝て綺麗さっぱり忘れてしまうことじゃ」


 そんなことでいいのだろうか。ゲームの世界で色々お世話になった人や、同じ学園のメンバーは今、どうしているのだろうか。


「はぁ…と言っても、主は気にするじゃろうな。学園の者は心配せずともよい。その程度では、今まで築いた関係は変わらぬ。むしろ変えられるものなら変えたいところじゃ。ゲーム内で出会った者たちも、数日も過ぎれば皆、夢から覚めるじゃろう。妾がそのように術を施してもよいが、その心配はいらぬじゃろう」


 そう言い、はちみつ湯を飲み干したボクに、今日はもう休むのじゃと、体を横に寝かせて、センコさんがそっと布団をかけてくれた。


「主には妾の加護を授けておる。じゃが肉体的には守れても、精神的には無力じゃった。現代社会で生きるのは難しいのう。やはり肝心な所では、妾が付いておらぬと守れぬようじゃな。今後は、なるべく主の側におるようにしよう」


 言い終わるとセンコさんは大きく深呼吸をして、慈愛に満ちた優しそうな表情を浮かべる。


「どれ、主がよく眠れるように、おまじないをしてやろう」


 それは聞いたことはない歌だったけど、まるで子守唄のように聞こえた。布団に手を置きながら、優しげに歌う彼女は、まるで母親みたいだなぁと、嬉しく感じていた。

 やがて両方のまぶたが重くなり、少しずつ深い眠りに落ちていった。

 その日は、何も夢を見ることもなく、次の日の朝にはスッキリと目を覚ますことが出来た。

 まだゴールデンウィークは数日残っていたものの、ゲームにはログイン出来ない。

 精神的な疲労も完全には回復していなかったため、家からは一歩も出ることはなく、暇を持て余したボクはセンコさんと一緒に、プイキュア鑑賞の続きを行い、楽しく過ごした。

 おかげで学園に通うときには、ゲームを引退した直後と比べて、見違えるように元気になることが出来た。













 休み明けに佐々木食堂に寄ると、美咲さんは先に登校したよと家族から聞き、疑問に思いながらも、そのまま学園に向かった。

 校門前で待ち構えていた生徒会長に、綾小路はこちらに来るようにと捕まり、そのまま引きずられるように生徒会室に強制連行される。


 生徒会室で待っていたのは、麗華さん、美咲さん、花園さん、葉月君、神無月君という予想通りのメンバーだった。ボクはこの間のゲーム内のことを思い出して、無意識に体を強張らせてしまう。


「綾小路、緊張するな…と言っても無理だな。大体の事情は麗華から聞いている。別に今さら、そのことを問い正したりはしない。むしろ俺は、あの場でゲームを止めてよかったとさえ思っている」

「幸子ちゃん、私は…」

「麗華は黙ってろ」


 途中で麗華さんが何かを口に出そうとしたけど、生徒会長がピシャリと止める。

 よく見ると彼の表情は静かな怒りが見える。それとは逆に、他の皆は始終落ち着かずに、何処となく居たたまれない雰囲気を感じる。


「今回に限り、他の皆に発言権はない。全て俺を通して綾小路に伝えるという約束だったはずだ。お前たちが不甲斐なかったせいで、心の傷を負った一人の女の子がいることを忘れるな」


 迷いなくきっぱりと言い切る生徒会長に対して、周囲は完全に沈黙する、そして一息つくと話を続ける。


「βテストなんだが、今回は参加出来なくてすまなかった。もし俺がついていれば、麗華の暴走も止められたのではと考えると、悔しくてならない。まあこれも所詮は、たらればの話なんだがな」


 そこで生徒会長は少し長くなるので、他のメンバーにお茶を入れるように命令した。頼むのではなく、完全な命令である。

 今この場、この時間ににおいては、きっと彼が最上位権限を持っているのだろう。


「綾小路は性格的に、知らない人や、親しい者以外の、その他大勢の人が苦手なのだろう。別にそれはいいんだ。それを麗華は…」


 麗華さんが湯呑に注いだお茶を配っているけど、落ち込み過ぎて、いつもよりもかなり小さく見える。


「麗華も他のメンバーも、最初は少人数のギルドを作り、身内だけで遊ぶつもりだったんだ。しかし、予想外のトラブルが発生してしまってな」

「予想外のトラブルですか?」

「ああ、とあるネット回線の工事が終わるまで、βテスト開始から一週間はログイン出来ないという、予想外のトラブルだ」


 ボクは思わず口に出しかけて、生徒会長はそれ以上言わなくてもいいと、そっと手で制した。


「別に綾小路は気にすることはないぞ。普通なら一週間待つだけで終わる話だからな。しかし、どうやら麗華は我慢出来なかったようでな」


 麗華さんの方を見ると、あからさまに視線をそらして、緊張のあまり下手な口笛まで吹きはじめている。どうやら触れられたくない話題のようだ。


「ならばと、一週間後に綾小路がログインしたとき、あっと驚くような素晴らしいギルドを作ろうと、明後日の方向に暴走してしまってな」

「それはー…そのー…何と言いますか…」


 何もかける言葉がない。他のメンバーは止めたりしなかったのだろうか。


「他の皆も、話題作のゲームを綾小路と遊べると、テンション爆上がり状態だったために、迷うことなくギルドの拡大路線に舵を取ったらしい」

「あー…うん」


 もはや処置なしである。もうこの時点でどうなったのか、大まかだけど察することが出来た。


「そして麗華たちはログイン前の一週間で数十人程の中堅ギルド、ハッピーチルドレンを築き上げたんだ。メンバーの審査に抜かりはないらしいが、はっきり言って、そういう問題ではない」

「はい、…そうですね」


 だんだんと聞いているこちらも気が重くなっていく。


「その時点で止めておけばよかったのだが、一度ギルドの拡大路線に舵を取った以上、簡単には止められなくてな。麗華も団長の仕事が忙しくなり、ゲーム内で綾小路と遊ぶ時間が減っていくのに気づいたときには、まさに時すでに遅しだ」

「なるほど。そこから先は…」


 ああ、綾小路も知っている通りだと、生徒会長はそこで一度話を切り上げて、お茶をすする。


「それで今回のケジメなんだが、綾小路はどうしたい? 今この場にいる皆に土下座しろと命じれば喜んで土下座するし、顔も見たくないと言い放てば、絶望の表情を浮かべながらも、渋々ながら今だけは従うだろうな」

「あっ、今だけなんですね。でも一応聞いてくれるんだ」


 ボクのしたいこと。して欲しいこと。

 ゲーム内では傷ついたし、怖くて皆と顔を合わせづらくなったのも事実だけど、センコさんのおまじないが効いたおかげか、今はそれ程気にならなくなっていた。


「ええと、ボクの言うことを聞いてくれるんですよね?」

「ああ、この場にいる皆に出来ることならな。今回の件で、それぐらい反省しているとも取れるな」


 話しているうちに、少しはは気が紛れたのか。生徒会長の静かな怒りが小さくなっている気がする。やはりずっと怒り続けるのは、疲れるのだろう。


「わかりました。それでは命令させてもらいますね。まず、今回のようなことは二度としないでください」


 ボクの命令に、生徒会室の皆はコクコクと頷く。何というか見ていて必死な頷きである。

 きっと、それぐらい本気で反省しているのだろう。


「それでは次に、皆はそれぞれ一回、ボクに食事を奢ること。これでお互い、今回のことはなかったことにしましょう」

「…は? 綾小路、それだけか? もっと他に色々あるだろう? 今なら皆に何でも命令出来るんだぞ?」

「いや、そんなこと言われてもこれで全部ですよ? ここに入る前から、皆もすごく反省してたみたいですし、余計な謝罪は必要ないですよ。今後過ちを繰り返さなければ別に。それに、何の禍根も残さずに、今まで通りの友だち関係に戻れるなら、それでいいじゃないですか」

「何だこの子…あっ、天使かな?」


 生徒会長が眩しいものを見るように、両手で自分の顔を隠している。失礼な。ボクは天使ではなくて、ごく普通の女の子ですよ。


「あっ、でも食事の一回は、高いものを頼んじゃうかもしれませんよ! 牛丼だけではなくて、何と生卵も追加です! ふふん! まさに悪魔的所業! ボクが天使でなくて残念だったね!」


 ここはサラダと味噌汁もいっておくべきだろうか。いや、それは流石に贅沢すぎるだろう。奢ってもらう相手にも悪いし、どんなメニューを頼めば無理なく承諾してもらえるのかと、真剣に悩んでしまう。


「はぁ…お前たち、綾小路に感謝することだな。他の奴が相手では、こうはいかないからな。それと、たった今許しが出たから、もう自由にしていいぞ」


 生徒会長がまだ何か喋っているようだけど、今のボクはこれからの美味しいタダ飯を考えることに忙しく、周囲の変化に気が付かない。なので、皆の接近を許してしまった。


「なっ何事!? ちょっ…やめ…ぎゃああああああ!!!!」


 ボクはいつの間に近づいたのか、無言で涙を流しながら、必死にすがりついて来る皆に、瞬く間に揉みくちゃにされてしまい、とても女の子がしないような、悲鳴をあげてしまう。

 しかし、皆は一言も言葉を発せずに、こちらに抱きついたまま、何故かただ静かにシクシクと泣くのみである。


「うっ…うーん、何なのこれ…何なの?」


 皆に抱きつかれてはいるものの、別に苦しいわけではない。まるで小さい子供のように、ただただボクにすがりつき、震えて涙を流しているのだ。これはもう、仕方ないと思った。


「本当はこんなことしたくないんだけどね。よし…よし…っと」


 全員高等科の学園生である皆の頭を撫でるなんて、本当にしたくないのだ。

 しかし、今はこうしないといけないじゃないかという、ボクの中の得体の知れない何かに突き動かされるように、しばらくの間、大丈夫だよ、よく頑張ったね、とそれとなく励ましながら、代わる代わるに頭を撫でたり、背中を擦ってあげる。


「…やっぱり天使じゃないか」


 また生徒会長がブツブツと何かを言っているけど、気にしないことにした。今は少しでも早く皆の拘束を解いて自由になりたいのだ。

 やがて周りの泣き声も小さくなっていき、安らかな寝息に変わる。


「えっ? ちょっと待って? 何で寝るの!?」

「あー…実は、綾小路がログアウトしてから、皆は責任を感じて大いに気に病んでしまってな。毎日ろくに眠れなかったらしい。それがたった今、全てが許されて安心したんだろう」

「だからって、普通こんな所で寝る!?」

「それは、…まあアレだろう。母の胸に抱かれる赤子のように、心身ともに安らいだ気持ちになったんだろうな」


 彼も言いにくいのか、あからさまに視線をそらすして小声になる。ボクそこまで胸がないし、ついでに元男なんですけど。これでは、ゲーム内の吟遊詩人と全く同じではないか。


「ともかく、綾小路も含めて皆のことは俺から教師に伝えておく。しばらくそのまま休ませてやってくれ。それと毛布やタオルは隣の部屋にあるから、自由に使ってくれ」


 それじゃ言うべきことは全部伝えたからと、生徒会長が扉を開けて去っていく。ついでに廊下側から、ガチャリと鍵のかかる音が聞こえた。これで中から開けない限り、誰も入ってこれなくなったということだろう。


「はぁ…仕方ないよね。でも、喧嘩にならなくてよかった。っと…そうだ。毛布、それとタオル」


 皆を起こさないように気を使いながら、隣の資材部屋に移動して目的の物を人数分手に入れて戻ってくる。そのまま皆が寝違えないように、テキパキと楽な姿勢を正してあげる。

 母性かどうかはわからないけど、小さい頃から父親の介護を毎日続けてれば、こういうことは自然に身に付いてしまうのかもしれない。

 つまりボクは母性愛が強いのではなく、介護が上手なだけだから! と、意味もなく心の中で繰り返し、最後に深呼吸をして気持ちを落ち着ける。


「大きめのタオルケットをかけて、下にも毛布を敷いたし、皆はこれでいいかな。せっかくだから、ボクも少しだけ休ませてもらおう」


 今日は天気がいいので日が当たる窓際の席に座り、自分もタオルケットに包まると、数分目を閉じただけで、あっという間に深い眠りに落ちていった。

 どうやらボク自身も相当気が参っていたらしい。でもこれからは、また何時も通りの日常を送れるのだと思うと、知らず知らずのうちに寝顔も自然と笑顔になってしまうのだった。


 その後の学園のメンバーの皆は、ボクの引退を引きずることもなく、あのゲーム面白かったねー! と、たまに話題になるものの、特に嫌な感じはしなかった。

 元々ゴールデンウィーク中だけの予定だったのだから、止めるのが数日早まったぐらいでは、今さらお互いの関係が壊れはしないということらしい。


 結局例のβテストは、何の前触れもなく突然引退してしまった伝説の吟遊詩人の話題で、しばらくの間持ちきりだったけど、引退したその日に所属ギルドも解散し、思ったよりも大きな混乱も起きずに、数日後には他のゲーム情報に埋もれて、今では噂にすら上がらなくなったらしい。

 自分から引退宣言をした手前、もう二度とプレイすることはないとはいえ、数日の間苦楽を共にしたハッピーチルドレンのメンバーと会えないことに、ボクは少しだけ寂しく感じるのだった。


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