第9話 廃村
202X年 4月1日1330
首都近郊にある陸上自衛隊の宿営地に、一本の電話がかかってきた。
「なっ! そ、それは本当か?!」
そこは、陸上自衛隊国際平和維持活動〇〇国派遣隊隊長の部屋だった。
隊長の階級は1等陸佐で、一般的な軍隊で言うところの大佐に相当する。
プレハブの隊舎ではあるが、この部屋には他国の軍隊の指揮官や、この国の要人などがよく訪れるため、室内は広く、調度品も見栄えのよいものが揃えられていた。
ちなみに、姫野士長や猪頭曹長が所属している警備隊も、彼の指揮下にある。
その隊長室には、派遣隊副隊長と警備隊長も来ていた。
そして今、二人の視線は、内線電話の受話器を握っている派遣隊長に向けられていた。
「分かった……うむ……引き続き情報収集を頼む。ああ、どんな些細なことでも構わない。頼むぞ」
そう言うと、隊長は受話器を戻した。
「どうされたのですか?」
副隊長が恐る恐る尋ねる。
隊長の表情から判断するに、あまりよい報告ではなかったようだ。
「ジャングルの遺跡に向かっていたマイクロバスから、連絡が入ったようだ」
「ええっ?!」
それを聞いて、副隊長と警備隊長が驚いた。
普通なら、ゲリラに襲われていたのではなく、車のトラブルでジャングルで立ち往生していただけと考えるところだが、派遣隊長の反応を見る限り、そうではないらしい。
やはりゲリラに襲われていたのか? はたまた、今もマイクロバスはやはりゲリラに捕まっていて、相手から身代金の請求でもあったのか?
いずれにせよ、派遣隊長の表情を見る限り、朗報ではなさそうだ。
「それで、内容は?」
「やはり、ジャングルにゲリラがいることは間違いないようだ。マイクロバスのツアー客は、一時、捕まっていたらしい」
「一時?」
「ああ。今は無事に脱出して、こちらに向かっている」
それを聞いて、副隊長と警備隊長の表情が明るくなった。
しかし、すぐに二人とも眉を寄せる。
本当に朗報なら、なぜ派遣隊長は難しそうな表情をしたままなのか?
「それで、姫野士長の安否は?」
もしかしたら、若い女性である彼女は、ゲリラたちによって慰み者にされてしまったのかもしれない。いや、もっと悪いことに、彼女だけ脱出に失敗し、まだゲリラに捕まったままなのかもしれない。
「彼女は、ツアー客たちを逃がすために、ゲリラたちのもとに残ったそうだ」
「……それは……何と申しましょうか」
もしそれが本当なら、自衛官として恥じることのない立派な行為である。
マスコミに公表すれば、大喜びで美談として報道してくれるだろう。
しかし、どちらにせよ、隊員を失ったことに変わりはない。
姫野士長は英雄として称賛されるだろうが、若い女性隊員を守ることができなかった派遣隊、特にその上層部は、徹底的に叩かれることになる。
「副長、意見をくれ」
「はい。まず、現状について国に報告するべきでしょう。報告が遅れれば、それだけで後々問題になりますから」
「そうだな。現段階では、隊員が一名、ゲリラの活動している地域で行方不明になったと伝えておこう」
「はい。それ以降の対応は、国からの指示次第になります。姫野士長がゲリラに捕らわれていた場合、解放のための交渉は我々の仕事ではありません。もちろん、救出を命じられれば話は別ですが、そのような指示が出されることはないでしょう。もし生存が確認され、救出することになった場合は、地元の正規軍に頼ることになります」
「何とも歯がゆいな」
「お気持ちは分かりますが、我々は救出任務の訓練を積んでいません。最悪の場合、ゲリラとジャングルの中で正面から戦闘をすることになります。相手の人数や装備にもよりますが、どれほどの損害が出ることか……」
日本国内から特殊作戦群でも呼べればよいのだが、そのためには、まず外交ルートを通じて、この国の政府に特殊部隊を国内に入れてよいか伺いを立てるところから始めなければならない。
さらに、ゲリラがいると思われる遺跡の情報収集、そこにいるゲリラの人数や配置の把握、それを基にした救出作戦の立案と検証、訓練、装備の準備、輸送手段の確保……。
それらをすべて整えるには、何か月もかかる。
その頃には、姫野士長は殺害されているか、別の場所に移送されているだろう。
「ハリウッド映画なら、ヒーローが一人で解決してくれるのだがな」
「現実はそれほど甘くはありません」
そう言うと、派遣隊長と副隊長は警備隊長の方に顔を向けた。
「隊員たちは、このことをもう知っているのか?」
「はい。第一報は中隊にかかってきましたので」
「そうか。しかし、これ以降の情報は統制するように。今は、どこから情報が漏れるか分からないからな。憶測でもマスコミの耳に入れば、大騒ぎになるぞ」
「了解しました」
その頃、猪頭曹長と村上3曹は、呑気にジャングルの中の道を軽装甲機動車でドライブしていた。
「いいねぇ~。こんな場所をコンパスと地図だけ持って歩いたら、楽しいだろうな」
トップハッチから上半身を出して、ジャングルを眺めつつ猪頭曹長がそう言った。
「そのようなことを考えるのは、曹長だけですよ」
車両の重量は4.5トンほどあるが、一般車両に比べてタイヤが大きいため、多少の悪路ではびくともせず、乗り心地も悪くなかった。
さらに、エアコンも標準装備されているため、赤道近くの熱帯雨林気候でも快適だった。
「今さらですけど、本当に良かったんですか?」
「何だよ、村上」
「姫野がゲリラに捕まっていた場合、どうするんですか?」
この人なら、本当に救出のために、一人で殴り込んで行きそうだ。
しかし、相手は最低でも数十人以上いるだろう。
さすがのスーパーレンジャー隊員でも、一人でどうにかできる人数ではない。
そもそも、弾薬もそれほど持ち出せていないのだ。
「まあ、姫野が本当にゲリラに捕まっていたら、さすがの俺でも手も足も出せない。そのときは情報だけ集めて報告する。特に欲しい情報は、あいつの生死についてだ」
「そうですね」
「ただ、姫野は妙に勘がいいんだよ。もしかしたら、一人で逃げ出して、ジャングルの中に隠れているかもしれない」
「それなら、さっさと逃げているでしょう」
「いや、あいつの性格から判断して、ほかのツアー客がゲリラに捕まっていたら、自分だけ逃げ出したりはしない。何もできないまでも、ゲリラの拠点の近くでウロウロしているはずだ」
「じゃあ、ほとんどのツアー客が逃げ出せていたら? その人たちを安全な場所まで避難させるのではありませんか?」
「その可能性もある。しかし、それでも残された人間がいれば、何とか逃がそうとするんじゃないか?」
「相手は女の子で、陸士長ですよ」
「これは性別や階級の問題じゃない。性格の問題だ」
「そう言われると、何となく、そのような気がしますね」
「何にせよ、情報が欲しい。どうするかは、その後で考えればいい」
202X年 4月1日1330
これまでアクセル全開でピックアップトラックを走らせてきた恵茉が、突然、速度を緩めた。
「ど、どうしました? 故障ですか? 燃料切れですか?」
それに気づいたソム・チャイが、恵茉の方に顔を向けながら尋ねる。
もしそうなら、絶体絶命の大ピンチだ。
「ちょっと後ろを見て」
「後ろ?」
「もし、あいつらがついてきていなかったら、Uターンするから」
「な、なぜですか?! いいことじゃないですか。無事に逃げ切れる可能性が高くなるわけですから」
「もしそうなら、ゲリラどもはマイクロバスを追いかけていったことになるでしょ」
「そ、それは……」
そう言いつつ、ソム・チャイが窓から顔を出して後ろを見ると、ジャングル越しにモクモクと土煙が上がっているのが見えた。
「来てます、来てますよ、あいつら!!」
「そう。じゃあ、また本気で逃げるわよ」
それを聞いて、恵茉は再びアクセルを踏み込んだ。
「ところで、その廃村って今はどうなってるの?」
「えっと、確か枯れ井戸があって、空き家があって……そうそう、蜂の巣がたくさんあるから危ないって聞いたことがあります」
まあ、無人の村なのだから、空き家だらけなのは当然として、蜂の巣か……。
ジャングルは何でもかんでもスケールが大きいから、殺人蜂みたいなのが飛び回っているのかもしれない。
確か、世界最大の蜂はウォレスオオハキリバチという名前で、4cmほどの大きさらしい。インドネシアに生息しているようなので、一応、東南アジアの範囲内ではある。
ただし、スズメバチのように攻撃的ではないため、刺激しなければ刺されることはないらしいが。
ジャングルを抜けると、突然、視界が開けた。
あちらこちらにボロボロになった廃屋があり、それらが背の高い草に覆い隠されている。
道はまだかろうじて残っているが、両側から雑草に攻め込まれ、車一台分の幅がかろうじて残っているだけだった。
骨組みと屋根だけになった廃屋の間を、ピックアップトラックが走り抜けていく。
「ここで、何とか時間を稼ぎたいけど……」
さすがに、ここではアクセル全開というわけにはいかない。
そのため、恵茉は速度を緩め、その分、落ち着いて周囲の状況を確認していた。
ただ、どう考えてもゲリラと戦うことは不可能だ。
人数が違いすぎるし、そもそもゲリラたちに比べれば、彼女は素人に毛が生えた程度の戦闘技術しか身につけていない。
「ん? あれ?」
そんな中、村の中央付近にある少し開けた場所に、一台の真新しいトラックが停まっているのを見つけた。
自衛隊のものではないが、その車体には「UN」という文字と、国連のマークが描かれている。
「もしかして、どこかの国のパトロール隊?!」
だとすれば、助けてもらえるかもしれない。
ただし、ゲリラの方が圧倒的に人数が多いため、戦うのは無理だろう。それでも、一緒に逃げてくれるだけでもありがたい。
そもそも、PKO部隊なら必ず無線機を持っているはずだ。
救援を要請してもらえれば、装甲車やヘリコプターが駆けつけてくる。
そんなことを考えながら近づいていくと……。
「あれ?」
「誰もいませんね」
そう、そのトラックには誰も乗っておらず、周囲にも兵士の姿は見えない。
さらに言うなら、ボンネットには弾痕がいくつも開いていた。
「このトラックもゲリラに襲われたんだ」
彼女は知らなかったが、これはインド陸軍のトラックだった。
パトロール中にここでゲリラと遭遇し、銃撃戦になったのである。
幸いなことに戦死者はおらず、同行していた味方の車両に乗って後退していた。
そして、そのインド軍と戦闘したゲリラが使っていたのが、今、恵茉たちが乗っているピックアップトラックだった。
「ゲリラにやられたんだ。もう駄目だ、私たちもおしまいだ!!」
希望の光が見えたと思ったら、ぬか喜びだったと知り、ソム・チャイが天を仰いで嘆いた。
それは恵茉も同じだった。
しかし、そのとき、放置されたインド軍のトラックを見ていた恵茉が、何かを思いついた。
「ソムさん、ちょっと。運転、代わって」
「えっ? 何ですか?」
「いいから。それから、このまままっすぐ道なりに進んで、村の出口で隠れていて」
「エマさんは?」
「私は、ここで降りる……。後で合流するから、絶対に待っていてよ」
彼女がそう言うと、ブレーキを踏んで車を停め、素早くドアを開けて飛び降りた。
もちろん、AK47は持っている。
「エマさん?!」
「早く行って。あいつらが見えてからじゃ手遅れになるから」
そう言うと、恵茉はピックアップトラックのボンネットをバンバンと叩いた。
仕方なくソム・チャイが運転席に移動し、車を発進させた。




