第10話 ホーネット トラップ
恵茉はインド軍の放置されたインド陸軍のトラックに近づくと、周囲を見回した。
そして、一番近くにあった廃屋に駆け寄ると、長さが1.5mほどの角材を見つけて持ち出してきた。
それをインド軍のトラックの影に立てかけ、次に、自分が着ていた日よけ用のジャケットを角材にかける。
ゲリラたちが接近してくる方角から見れば、トラックの影に誰かが隠れているように見えるはずだ。
Tシャツと半ズボン姿になった恵茉は、それを確認してから、少し離れた位置にある半壊した廃屋へと走り、身を潜めた。
村中が背の高い雑草に覆われているため、射界は狭く、遠距離からの狙撃も難しい。
そうこうするうちに、ゲリラの車列が村に入ってきた。
待ち伏せなどされていないと高をくくっているのか、ジープを先頭に、団子状態で近づいてくる。
もし対戦車地雷があれば、一つで数台の車両を同時に破壊できるかもしれない。
もちろん、そのような物はどこにもないのだが。
恵茉は崩れた廃屋の屋根に上り、そこで慎重にAK47を構えた。
そこからは、間に葉の茂った木を挟んで、インド軍のトラックがかろうじて見える。
別に車体全体が見える必要はない。彼女が狙うのは、その一部分だけなのだ。
インド軍のトラックの手前で、ゲリラたちの車列が停車した。
あの熊のようなリーダーが大声で何事か指示を出しているのが聞こえる。しかし、恵茉の位置からは、その姿を確認できなかった。
その後、ゲリラたちが慎重に周囲を警戒しながら、インド軍のトラックに近づいていくのが見えた。
どうやら、恵茉のダミートラップに引っかかったようだ。
数人のゲリラが二組に分かれる。
一組はトラックの影からわずかに見える恵茉のジャケットを調べ、もう一組は少し離れた位置から射撃支援を行うつもりらしい。
そして、二人のゲリラがトラックの影から、前と後ろに分かれて近づき、同時に銃を構えて飛び出した。
もし恵茉が本当にあそこに隠れていたら、どちらか一方にしか対応できず、もう一方に射殺されていただろう。
しかし、そこに彼女はいない。
二人のゲリラは、そこに標的がおらず、代わりに棒に上着が引っかけられているのを見て、初めは驚き、すぐに周囲を警戒し始めた。
今だ!
恵茉はAK47の引き金にかけた指に、ゆっくりと力を込めた。
銃声は一発だけ。
放たれた銃弾は、インド軍のトラックの燃料タンクに命中した。
ガンッ!
思ったよりも小さな金属音が響き、タンクの側面に小さな穴が開いた。
驚いたゲリラたちは、慌てて姿勢を低くし、穴の開いた燃料タンクに目を向けた。
「よし!!」
そう叫びながら、恵茉は屋根の陰に身を隠した。
彼女の予想では、大爆発が発生し、インド軍のトラックのそばにいたゲリラたちは火だるまになり、周囲が炎に包まれ、ゲリラの車列は先に進めなくなるはずだった。
しかし、現実にはゲリラたちが、
「撃ってきた!!」
「どこからだ?!」
と叫びながら、その場で小銃を構えたまま、キョロキョロと周囲を見回している。
「あれ? もしかして、残りの燃料が少なかったのかな?」
恵茉はそう考え、もう一度屋根の上から狙いをつけた。今度は燃料タンクの下の方を狙う。
距離にして100mもない。
普段の射撃訓練では300m先の標的を狙っているため、これはかなり近い。
再び引き金を引くと、銃弾は燃料タンクの中央より少し低い位置に命中し、穴を開けた。
今度は、そこから燃料が漏れ出し、地面に染みが広がっていく。
「ええっ! 嘘ッ、何で?」
彼女は知らなかった。
自衛隊もそうだが、軍用車両の多くは、ガソリンではなく軽油を燃料としている。
そして、軽油はガソリンに比べて引火しにくく、銃撃ぐらいでは発火しないのだ。
「いたぞ、あそこだ!!」
今度は見つかってしまった。
ゲリラたちが一斉にライフルを構え、恵茉が隠れている廃屋に向けて射撃を開始した。
廃屋の周囲で次々と土煙が上がり、さらに、それがどんどん彼女の方へと近づいてくる。
「キャアアアアア!!」
たまらず恵茉は屋根から滑り落ち、そのまま草むらに着地した。
あとは、ひたすら走って逃げるしかない。
「逃がすな、回り込め!!」
ゲリラたちも次々と草むらの中に飛び込み、恵茉を追いかけ始めた。
ただし、草の背が高いため、いったん中に入ると、相手の姿を直接見ることはできない。
頼りになるのは、草をかき分けて走る音だけだった。
「やばい、マジでやばすぎる」
恵茉からはゲリラの姿が見えない。そして、それはゲリラたちも同じだった。
しかし、草をかき分ける音も、草を踏みつけて折った跡も、完全には消せない。
「こっちだ、この先にいるぞ!!」
「殺せ!!」
背後に迫るゲリラたちの声が、どんどん増えていく。
「クソッ、どこだ?!」
「そこか!!」
銃声が響いた。
しかし、それは恵茉を狙ったものではない。いや、恵茉を狙ったつもりではあったのだが、見当違いの方向だった。
「うわっ、撃ってきたぞ!!」
「止めろ、味方だ!! 仲間を撃っている!!」
どうやら、バラバラに草むらへ飛び込んだため、仲間がどこにいるのか分からず、同士討ちを始めたらしい。
こういう場合は、きちんと横隊に展開し、その隊形を維持したまま、山狩りの要領で慎重に進んでいかなければならない。
「前に見える空き家を目指せ! 女はあの方向に逃げている!!」
一人のゲリラがそう叫ぶと、何とか同士討ちは収まった。
「空き家? 何それ?」
身長の低い恵茉には、周囲の草が高すぎて、自分がどこを目指して進んでいるのか分からない。
そもそも、まっすぐ逃げているかどうかさえ分からないのだ。
最悪の場合、走り回っているうちにぐるりと回り、元の位置に戻っている可能性すらある。
それでも、かき分ける草の先に、半壊した民家の屋根が見え始めた。
「なるほど、ゲリラにはこの廃屋の屋根が見えているわけね」
それなら、あの家に近づかなければいいはずだ。
そう考えたとき、不気味な複数の羽音が聞こえてきた。
「そう言えば……ソム・チャイが……この村には、大きな蜂の巣がいくつもあるって……」
村に入る前に聞いた情報を思い出し、これを使わない手はないと考えた。
そして、廃屋に近づきすぎないよう注意しながら、回り込むように進んでいった。
「あった!」
それは、すぐに見つかった。
崩れかけた屋根の軒下に、大きな蜂の巣が見える。
それは、日本でも時々ニュースで騒がれているスズメバチの巣だった。
正確にはヒメオオスズメバチという種類で、東南アジアにも生息している。
見た目は日本に生息しているスズメバチとよく似ており、体長は2~2.5cmほど。日本のオオスズメバチよりは少し小柄だ。
しかし、天敵がおらず、好き放題に巨大化した巣の周囲は、飛び回るスズメバチたちによって、まるで靄がかかっているように見えた。
恵茉から巣までの距離は、約50m。
的は小さいが、狙えない距離ではない。
右肩にAK47の銃床を当て、呼吸を整えながら狙いをつける。
ゆっくりと引き金を引き、発砲した。
一発目は巣に当たらず、廃屋の腐った柱に命中した。
驚いたスズメバチたちの動きが活発になる。
続いて二発目を撃つ。
それは巣の下の方に命中したが、柔らかいために貫通しただけで、巣を落とすところまではいかなかった。
銃声に気づいたゲリラたちが騒ぎ出した。
恵茉がどこにいるのかは分からないが、とりあえず目印の廃屋に向かって撃ちまくり始めた。
どうやら彼らは、恵茉が自分たちに向かって反撃してきたと勘違いしたようだ。
そして、そのうちの一発が廃屋の軒下に命中し、すでに腐って弱くなっていた梁にとどめを刺した。
バキバキッ!!
音を立てて梁が折れ、スズメバチの巣が地面に落ちた。
ドサッという音を聞いたゲリラたちは、それを恵茉が倒れた音だと勘違いし、歓声を上げた。
「やった、当たった!!」
しかし、彼らが廃屋に到着したとき、そこに待ち受けていたのは、巣を破壊されて怒り狂ったヒメオオスズメバチの大群だった……。
「うわぁあああああ!!」
「ぎゃああああああ!!」
悲鳴を上げながら逃げ回るゲリラたち。
その悲鳴を背中で聞きながら、恵茉はさらに草むらを走り続けた。
予期せぬヒメオオスズメバチとの戦闘のおかげで、ゲリラたちは混乱し、いったん後退した。
そして、そこで激怒していたリーダーに尻を蹴り上げられる。
「この役立たずどもが!!」
蜂に刺され、ヒィヒィと痛がっている手下たちに向かって、ゲリラのリーダーが怒鳴り散らす。
「あの女に逃げられたら、お前ら全員銃殺だぞ!!」
熊のような外見にふさわしい、人間とは思えない形相と怒声に怯える手下たち。
彼らは慌てて回れ右をすると、先ほどのヒメオオスズメバチの巣を避けるように大きく迂回し、再び草むらへと入っていった。
「くそっ、まずいな」
リーダーは焦っていた。
このまま恵茉に逃げられでもしたら、彼の面子は丸つぶれだ。
「おい、後ろから順番に3台、車を下がらせろ!!」
「ど、どこに行かせるんですか?」
「さっきの分かれ道を左に行かせるんだよ!!」
彼がそう命令すると、その指示はすぐに伝えられていった。
「あと、残っている奴らは車に乗れ!!」
ゲリラのうち、恵茉を追いかけているのは半数ほどで、残りは車列にとどまり、周囲を警戒していた。
「えっ?! 俺たちはどこに行くんですか?」
「村の出口を塞ぐに決まっているだろうが!!」
「は、はい!!」




