第5話 スーパーレンジャー猪頭
「何だ、村上。その顔は? 男前が台無しだぞ」
「…………」
何も言わなくても分かる。村上3曹は猪頭曹長に失望しているのだ。
中隊長室を出た二人は、居住用プレハブ隊舎の自分たちの部屋に戻ると、ロッカーから装具を取り出して身に着けていた。
「そうだ。この後、武器庫で俺の小銃とミニミ(機関銃)を出しておいてくれ。俺は弾薬幹部のところに行って、弾をもらってくるから」
「分かりました」
「それと、銃は俺たちの分だけでいい」
「えっ?」
通常、パトロール任務は車両2両以上、人員は1個分隊8名で行うことになっている。
「車両は1両で、俺とお前だけで行く」
「何故ですか?」
「分からないのか?」
そう言うと、猪頭曹長はロッカーをバタンと閉じた。
日の丸とUNと書かれたワッペンが付いた防弾チョッキを身に着け、青色のカバーをかけたヘルメットを被りながら、ニヤッと凄みのある笑みを浮かべる。
それを見て、村上3曹はすべてを察した。
「そ、曹長、それって?!」
「しょうがないだろう。出発直前に車両が1両、故障するんだから。じゃあ、俺は事務所に寄ってから弾薬陸曹と一緒に弾薬庫で弾をもらってくる。それ以外の準備を頼むぞ」
そう言われると、村上3曹も笑みを浮かべ、了解と答えたのだった。
猪頭曹長が、弾薬の装填された小銃用弾倉と、プラスチックケースに入ったミニミ用弾薬箱を持って駐車場に出てきた。
そこには、日の丸と「UN」の文字がステンシル塗装された軽装甲機動車(LAV)が、暖機運転をしていた。
トップハッチは開けられ、そこには5.56mm機関銃ミニミが設置されている。
「村上、弾だ」
助手席のドアを開けると、運転席に座っている村上3曹に、30発入りの弾倉を6個手渡した。
それを右手で防弾チョッキに付けた弾納に差し込みながら、村上3曹はセンターコンソールの前にある広域多目的無線機の液晶画面を、左手の人差し指で操作した。
その間に、猪頭曹長はトップハッチから上半身を出すと、機関銃の横に弾薬箱を取り付けた。
コマツ製のこの車両は、後部の左右に細いパイプのようなアンテナが立っていて、さらにその前には発煙弾発射筒が並んでいた。
見るからに鉄板に覆われた頑丈そうな装甲車だが、これでも防弾性能は最低限度しかない。
「準備はいいか、村上?」
「大丈夫です」
「よし、じゃあ出発だ」
軽装甲機動車(LAV)がゆっくりと動き出し、宿営地内を移動していく。
正門の内側と外側には、それぞれ鉄骨を組み合わせた障害物が設置されていて、自動車教習所のクランクのようになっていた。
これは車両による自爆テロを防ぐためで、どれだけ猛スピードで接近してきても、徐行しなければ宿営地の正門にたどり着けないようになっている。
そこをクネクネと曲がって通過すると、軽装甲機動車は首都へとまっすぐ伸びる道を進んでいった。
「村上、今日は首都の西側を回るぞ」
「西側ってことは、ジャングルの方ですね」
「その通りだ」
「ジャングルに入ることは禁止されていますよ」
「そんなことは知っている。しかし、誰だって道に迷うことはあるだろう?」
「そうですね。そういうことはあると思います」
そう答えると、村上3曹はハンドルを切って交差点を右折した。
信号はあるものの、まともに機能しているのは首都の中心部だけだ。
この辺りの信号も、ただの飾りでしかなかった。
そのため、慣れない頃は車両パトロールはかなり怖かった。
そもそも、自動車よりも自転車やバイクの方が圧倒的に多い。歩道も車道も、車線も横断歩道も関係ない無法地帯なのだ。
中には、金持ちの日本人から慰謝料をむしり取ろうと考え、交差点などで待ち構えている当たり屋までいる。
「危ないぞ、近づいてくるな!! こいつは鉄の塊だから、ぶつかったら痛いじゃ済まんぞ!!」
トップハッチから上半身を出した猪頭曹長が、大声でそう怒鳴っている。
それを聞きながら、村上3曹は昔のことを思い出していた。
201X年 回想
数年前、まだ村上譲治が陸士長だった頃。
今の姫野恵茉と同じように、まだまだ半人前で、いつも陸曹たちに指導を受けながら日々訓練を行っていた。
ただ、早く一人前として扱ってもらいたくて、今思えば恥ずかしいくらい生意気で、突っ張っていたような気がする。
そんなある日、演習場で対ゲリラ掃討訓練が行われた。
「おい、村上士長!!」
森の中を周囲に警戒しながら前進していたとき、突然、背後から名前を呼ばれた。
驚いて振り返ると、驚くほど近くに猪頭曹長が立っている。
う、嘘だろ。全然気づかなかった。
「こういう視界の利かない場所では、絶えず周囲を警戒しろ。俺が敵だったら、お前は今頃ケツに突っ込まれているぞ」
「は、はい!」
「しかし、お前はなかなか筋がいい。よし、俺についてこい」
そう言うと、今度は猪頭曹長が前に立ち、森の中を進んでいった。
そして、村上士長は徹底的に鼻っ柱をへし折られることになる。
彼など、ベテランの陸曹である猪頭曹長の前では、ハイハイをしている赤ん坊と大差なかった。
音も立てず、まるで障害物などないかのように森の中を進んでいく彼に、村上士長はついていくだけで精一杯だったのだ。
「どうした、村上。もうバテたのか?」
「ゼェ、ゼェ……ま、まだ余裕です」
「ほぉ」
全身汗でびしょ濡れになった村上士長に対し、猪頭曹長はまだまだ余裕だった。
「な、何で曹長はそんなに平気なんですか?」
「当たり前だ。鍛え方が違う」
そう言うと、猪頭曹長は背負っていた背嚢から戦闘用糧食を取り出した。
「ほら、食え」
そして、それを村上士長に投げてよこした。
「い、今は無理です」
「馬鹿野郎。どんなに疲れていても、飯だけはきちんと食え。体力が削られる一方だぞ」
そう言って、自分の分も取り出す。
「おっ、チキン南蛮か。これは旨いんだ」
そして、袋を開けるとガツガツと食べ始めた。
すごい。これがレンジャー隊員か……。
彼が所属する部隊において、猪頭曹長はかなりの有名人だった。
底なしの体力、高い技能、そして豪快な性格。
噂では、過去に他部隊と対抗演習をしたとき、敵陣地の奥深くまで潜入し、相手部隊の連隊長を殺害したことがあるとか。
もちろん、本当に殺したわけではない。指揮所のすぐそばまで接近し、模擬手榴弾を放り込んだのだ。
それによって連隊長以下、その周辺にいた幕僚たちまで死亡判定を受け、相手部隊はパニック状態になった。
「猪頭曹長」
「何だ、村上」
「俺もあなたのようになりたいです。どうすればなれますか?」
「何だ? 物好きな奴だな。俺なんかに憧れるなんて」
「お願いします」
ふざけて受け流していたが、村上士長があまりに真剣だったため、猪頭曹長も真面目に答えることにした。
「そうだな。まずはレンジャー隊員になれ」
「レンジャー……あの、無茶苦茶厳しい訓練で有名な?」
「ああ。そうすれば、俺がお前を徹底的に鍛えてやる」
陸上自衛官なら誰だって、レンジャー養成訓練がどれほど厳しいか知っている。
そして、無事にその訓練を修了すると、左胸にレンジャー記章を着けることを許されるのだ。
猪頭曹長の左胸にも、それが着いていた。
「ただし、半端な気持ちならやめておけよ。死んだ方がマシだと思うぐらい、しごきまくるからな」
「分かりました。俺、レンジャーにチャレンジします!!」
ある意味、彼が猪頭曹長に弟子入りしたのは、このときだった。
レンジャー養成訓練は、各普通科連隊で隔年に行われている。
村上士長は翌年行われる訓練への参加を熱望し、素養試験に見事合格した。
レンジャー養成訓練の期間は約2か月半。
その間は、人間であったことを忘れるほど罵声を浴びせられ続ける。
肉体と精神を限界まで追い詰め、その状態でも任務を達成できる隊員を育てることが目的なのだ。
起床から消灯まで、1秒たりとも気が抜けない。いや、寝ている間ですら油断はできない。
夜中や早朝に突然、非常呼集で叩き起こされ、訓練が始まることがあるからだ。
そして、その地獄のような訓練の指導部には、教官として猪頭曹長もいた。
彼は絶えず学生たちの先頭に立って指導を行い、村上士長たちがフラフラになっても、
「ハハハ、どうした? いつからここは牧場になったんだ? 生まれたての子牛がウジャウジャいるぞ!!」
と笑い、平然と立っていた。
訓練の後半には、実際に敵地への潜入を想定した山地機動訓練が行われる。
敵地の奥深くに入るということは、味方からの補給も支援も受けられないということだ。
つまり、武器・弾薬・爆破薬・地雷などはもちろん、数日分の食料など、自分が消耗する物資はすべて自分で運ばなければならない。
その重量は軽く30kgを超え、時には50kgということも珍しくなかった。
そのような超重装備で、獣すら通らないような険しい山の中を、ほとんど飲まず食わずで歩き続ける。
さらに、訓練を重ねるごとに踏破距離が伸びていき、肉体的・精神的な限界に達した学生が続出する。
涙を流しながら原隊復帰、つまりリタイアを申し出る者が後を絶たなくなるのだ。
そして、まだ若かった村上士長も、ついに心が折れそうになった。
「だ、駄目だ……もう無理だ」
激しい眠気と空腹、何より喉が渇いて意識が朦朧としてくる。
一歩ごとに膝から崩れ落ちそうになり、視界が揺れ、前後を歩く同期の学生の足音が遠くなっていく。
そのとき、すぐ後ろから声がした。
「どうした、レンジャー村上。もうへばったのか?」
振り返ると、そこには普段どおりの猪頭曹長が立っていた。
彼は学生たちよりも重たい装備を背負っている。
しかも、その状態で徒歩行進中も隊列の前に行って指導をしたり、後ろに下がって学生たちの体調を確認したりしていた。
それなのに、彼はニヤニヤと笑っている。
まるで駐屯地で食堂に食事をしに行くときと変わらない。
こ、この人は……人間じゃない。未来の自衛隊が送り込んできたアンドロイドだ。
このとき、村上士長は真剣にそう思った。
「やめろ、やめろ。こんな敵もいない平和な山をピクニックしているだけなのに、そんな情けない顔をしやがって。お前みたいな奴に、これを着ける資格はねえよ」
そう言うと、猪頭曹長は自分の左胸を軽く叩いた。
そこには、空挺・体力・格闘記章とともに、レンジャー記章も縫い付けられている。
ダイヤに月桂冠のエンブレム。それは、決して砕けない固い意志(石)と勝利を示す月桂冠。村上士長が憧れてやまない、最強の隊員の証だった。
彼の中で消えかけていた何かが、再び勢いを増す。
「ま、まだまだ余裕ですよ」
憎たらしい鬼曹長に向けて、ニヤッと笑ってみせる。
すると、猪頭曹長もニカッと笑い返した。
「おっ、いいね。お前は筋がいいから、無事に教育を修了したら、究極の宴会芸ジャングル・ファイヤーを直々に伝授してやるよ」
「何ですか、それ?」
「それは駐屯地に帰ってからのお楽しみだ」
猪頭曹長はそう言うと、軽い足取りで村上士長を追い越し、次の学生にも同じように声をかけていった。




