第4話 通報そしてパニック
202X年4月1日 1200
東南アジア某国の首都にある陸上自衛隊の宿営地を、村上譲治3等陸曹が血相を変えて走っていた。
そして、警備中隊の事務所が入っているプレハブ隊舎に駆け込んでいく。
「あれ、村上3曹、どうしたんですか?」
廊下にいた同僚の男性隊員が、驚いてそう尋ねた。
村上3曹は普段、優しくてクールなため、このように慌てている姿を見るのは初めてだったのだろう。
しかし、当の本人はそれに気づかず、事務所のドアを開けると、転がり込むように中へ入っていった。
「どうした、村上?」
事務所で仕事をしていた先輩隊員が、そんな彼を見て驚く。
だが、村上3曹はそれも無視して室内を見回し、奥の机でノートパソコンのマウスをクルクルと動かしている猪頭曹長を見つけた。
あまり広くない部屋には事務机や書棚が並んでいた。村上3曹はそれらの間を縫うように進み、尊敬する上官のそばに近づいた。
「おぅ、村上。やっと機関銃の射撃訓練計画ができたぞ。まったく、こいつは融通が利かなくて困る」
プリントアウトされたA4サイズの紙を十枚ほどヒラヒラとさせながら、猪頭曹長がそう言った。
しかし、普段はあまり表情を変えないイケメンの3曹が、真っ青な顔をしているのに気づき、眉を寄せた。
「何かあったのか?」
「ジャングル内でゲリラの部隊が確認されました」
「何だって?!」
そう言って驚いたのは、事務所にいたほかの同僚たちだった。
猪頭曹長は微かに右眉を動かしただけで、事務机の上に置かれていた飲みかけのコーヒーカップを手に取り、口に運んだ。
「危険を察知したジャングル内の村の住民たちが、続々と首都に避難してきています」
「ほほぅ」
こういうときの猪頭曹長の心の中は読めない。
本当は驚いているのに平静を装っているのか。それとも、ジャングル内の遺跡に観光に行った姫野士長のことなど、どうでもいいのか。
事務所にいた同僚たちは、彼の普段とまったく変わらない様子に、逆に戸惑い始めた。
しかし、彼と付き合いの長い村上3曹には分かっていた。
彼は、部下や同僚たちがピンチに陥っても、何もしないような男ではない。
そのとき、事務所の内線電話から、けたたましい着信音が鳴った。
一番近くにいた隊員が受話器を取る。
「はい、警備中隊事務所、山口3曹です……はい……はい……えっ?……分かりました。伝えます」
事務所にいる全員の視線が、彼に集中した。
相手が誰で、何の用件なのかは容易に想像がついた。
山口3曹が受話器を置くと、猪頭曹長に顔を向けた。
「曹長、中隊長がお呼びです」
警備中隊の中隊長室は、事務所と同じプレハブ隊舎にあった。
猪頭曹長は事務所を出ると、廊下を歩いて中隊長室へと向かった。
村上3曹も、その後ろについてきている。
中隊長室のドアをノックし、
「猪頭曹長、他一名、入ります」
と告げると、室内から、
「入れ」
と、少し引きつった声が聞こえてきた。
「失礼します」
そう言ってドアを開け、室内に入ると、そこには3等陸佐の警備中隊長と、1等陸尉の運用訓練幹部、そして猪頭曹長たちの直属の上司である若い小隊長が、神妙な面持ちで立っていた。
ちなみに、小隊長の階級は3等陸尉である。
「何か分かったのですか?」
猪頭曹長が単刀直入に尋ねた。
すると、運用訓練幹部は中隊長の顔をチラッと見てから、彼に向き直った。
運用訓練幹部の仕事は、中隊長の命令や指示を受け、中隊の訓練を計画したり、他部隊との調整を実施したりすることにある。
はっきり言って、中隊長が多少残念な人であっても、運用訓練幹部がしっかりしていれば部隊が動くというほど、重要な役職だ。
「つい先ほど、ジャングル内でインド陸軍のPKO部隊が、小規模なゲリラと交戦した」
「なるほど。住民の勘違いではなかったわけですね」
「ああ。場所はここだ」
そう言って、中隊長室の壁に貼られている地図の一点を指さした。
猪頭曹長と村上3曹がその指の先を見つめると、そこは姫野恵茉が観光に行った遺跡の近くにある廃村だった。
「ここは内戦のときに無人になったのだが、PKO部隊が派遣されてきてからは、主にインド軍が定期的に巡回していた」
「損害は?」
「幸いなことに、死傷者は出ていない。インド軍からの情報によると、待ち伏せを受けたわけではなく、偶然鉢合わせしたようだ。お互いに慌てて射撃を行い、ゲリラにも損害は与えていない。ただ、インド軍のトラックが一台、走行不能になり、現地に放置されているらしい」
「インド軍に人的損害が出なかったことは幸いでしたね」
猪頭曹長がホッとした表情になる。
「そうでもない……」
しかし、本題はここからのようだ。
「遺跡に行ったツアーバスと連絡が取れんのだ!!」
大声でそう言ったのは、中隊長だった。
彼は決して無能ではない。
そもそも、海外に派遣される部隊の指揮官に、そのような者を任命するはずがないのだ。
しかし、彼は野戦指揮官というよりも、官僚タイプの人間だった。
血の気の多い指揮官を海外に派遣し、些細なきっかけで戦闘など起こされたらたまったものではない。そのため、日本国内の世論や政情まで含めて冷静な判断ができる人間が、指揮官に任命されていたのだ。
中隊長は国内法はもちろん、国際法にも詳しく、派遣前には東南アジアの情勢や宗教、国民感情に至るまで、徹底した教育を受けていた。
「ジャングルの奥では、携帯電話が使えないのではありませんか?」
村上3曹がそう言うと、再び運用訓練幹部が口を開いた。
「マイクロバスには衛星電話が積まれていたらしい。さすがにゲリラの襲撃を見越していたわけではないが、車両トラブルや事故、それに急病人の発生もあり得るからな」
「なるほど。それが通じないというわけですな」
「その通りだ」
そのとき、中隊長が、
「最悪だ……」
と、ポツリと言った。
そして、自分の執務机に両手をつき、ガクッと首を垂れた。
「自衛隊の創隊以来、初めての海外における殉職者を出してしまう……。日本に帰ったらマスコミに取り囲まれ、まるで私が姫野士長を殺害したかのように叩かれ、責任を追及されてしまう。何より、親御さんに何と言って謝罪すればよいものか……」
一気に室内の空気が重くなった。
しかし、猪頭曹長だけは相変わらず平然としている。
「何を言っているんですか。あいつは現地の言葉が話せるし、俺がみっちりと鍛えましたから、そう簡単にやられたりしませんよ」
「しかし、彼女はまだ入隊して二年しかたっていない陸士長ですし……」
それまで黙っていた小隊長がそう言った。
階級は3等陸尉で、猪頭曹長より上だ。しかし、幹部になったばかりで若いため、どうしても気後れしてしまい、普段から丁寧な言葉遣いになっていた。
「それでは、迎えに行ってきます」
「そんなの駄目に決まっているだろう!!」
中隊長が堪りかねて大声を上げた。
「今、ジャングルに入ったら、本当に戦闘になるかもしれんのだぞ」
「で、では、姫野は見捨てるのですか?」
村上3曹がそう言いながら前に出ようとするのを、猪頭曹長が手で押しとどめた。
「分かっていますよ、中隊長」
「そ、曹長?!」
「我儘を言うな、村上。相手から攻撃されないかぎり、俺たちは何もできないんだ」
「そんな……」
ガクッと肩を落とす村上3曹。
「そういうことだ、村上3曹。我々自衛官は、ハリウッド映画のように仲間のためとか正義のためとかいう理由で、戦闘をすることはできないのだ」
運用訓練幹部が、お前の気持ちはよく分かるという表情で、辛そうにそう言った。
「インド軍が放置したトラックの回収と偵察のため、すぐに部隊を出すと言っている。彼らに姫野士長の情報を伝え、保護してもらえるよう依頼することになっている」
さらに、そう付け加えた。
ただし、あくまでもついでだ。
姫野恵茉がゲリラに捕まっていたとしても、救出作戦まではしてくれない。
「そうですか」
猪頭曹長はそう答えると、村上3曹の肩に手を置いた。
「了解しました。では、我々はパトロールの時間ですので、これで失礼します」
「ん? ああ、そうか。午後の巡察か」
警備中隊は午前と午後に、宿営地周辺と首都を車両でパトロールしていた。
これは、異常事態の兆候を早期に発見するためと、日の丸をつけた軍用車両が走り回ることで、自衛隊もきちんと活動しているとアピールするためだった。
「村上、行くぞ」
そう言うと、まだ納得できていない彼を引きずるようにして、中隊長室を出ていった。




