第3話 一人ランボーって、ランボーはもともと一人だよね
さらに続けざまに、今度はかなり近くで、耳を裂くような自動小銃の銃声が鳴り響いた。
映画やテレビドラマの銃声と違い、本物は驚くほど甲高く、そして音が軽い。しかし、仕事でその音を聞き慣れている彼女には、すぐに発砲音だと分かった。
ガイドのソム・チャイや観光客たちの悲鳴が、それに続く。
銃弾が硬いものに当たって跳ねる音、複数の足音、現地の言葉で怒鳴る声。
言葉が分かるはずの恵茉でも、すぐには理解できないほど訛りがきつかった。それでも、
「動くな!!」「手を上げろ!!」
という言葉だけは、すぐに聞き取れた。
さらに、
「おい、あの小屋も撃て!!」
低く乱暴な男の声が聞こえた瞬間、恵茉の顔が引きつった。
直後に、ガンッ!! ガンッ!! という音がして、トイレの壁に小さな円形の穴が開き、木片が彼女の頭に降り注いだ。
やばい、やばい。これはマジでやばい。
まだ若いとはいえ、自衛隊では何度も小銃の射撃訓練をしている。
しかし、自分が撃たれたことは一度もなかった。
反射的に半ズボンを引き上げると、床に開いている穴に足から飛び込んだ。
そして、少しでも姿勢を低くするため、小川の中に伏せて体を丸めた。
土の臭いと水の冷たさ。耳をつんざく銃声。そして、トラウマになりかねない異臭。
それらを感じながら目を閉じ、悲鳴を上げないように必死で耐える。
何!? 何で? 何でこんなことになったの!?
安全な観光ツアーのはずだったのに。
そう思ったとき、頭の中に猪頭曹長の声が蘇った。
『いいか姫野、人間は撃たれたら死ぬ。だが、当たらなければ問題はない』
ああ……。全く役に立たない。
そう考えながら目をぎゅっと閉じ、ひたすら銃撃が止むまで耐え続けた。
銃撃自体は、ほんの数秒で終わった。トイレに撃ち込まれた銃弾も、五、六発程度だった。
しかし、撃たれている側にしてみれば、短い時間で済んでよかったなどとは、とても思えない。
銃声が止み、男たちの声が聞こえなくなるまで、姫野恵茉は小川に半身を沈めたまま、じっと耐えていた。
立てばくるぶしのあたりまでしか浸からない程度の水深だったため、顔を押しつけても口や鼻は水面の上に出ていた。
おかげで息を止める必要はなかったが、恐怖のために体の震えが止まらない。
それに、いくら水が流れているとはいえ、場所を考えると、いろいろと複雑な心境になる。
「どっか行った?」
そう呟くと、そっと頭を上げ、トイレの床に開いた穴から顔を出した。
トイレの壁にはいくつも小さな穴が開き、先ほどよりも明るくなっていた。
音を立てないように穴から這い上がり、耳を澄ませる。
やはり、何も聞こえない。
さらに外の様子を探ろうとドアに顔を寄せると、軽く触れただけで、バタン!!
あっけなくドアが外れ、そのまま外側に倒れた。
唖然としながら顔を外に出し、周囲を見回す。
そこには誰もおらず、マイクロバスもなくなっていた。
さっきトイレを撃ったゲリラが戻ってくるかもしれない。急いで移動しなければならない。
恵茉が立ち上がり、トイレの外に出ようとした瞬間、腰に違和感を覚えた。
直後、ストンと半ズボンが足元まで落ちた。
「ひゃっ!?」
と情けない声を上げ、慌てて両手で半ズボンをつかんで引き上げようとした。
しかし、バランスを崩し、そのまま前のめりに転倒してしまう。
「最悪……」
お尻丸出しでうつ伏せに倒れた彼女は、半泣きになりながらそうぼやいた。
ただ、いつまでもそのままというわけにはいかない。
這うようにして立ち上がると、半ズボンを上げ、ベルトを締め直した。
ツアー客やガイドのソム・チャイが心配だ。何より、自衛官である自分がゲリラの捕虜にでもなったら、いろいろと面倒なことになる。
何とか宿営地に連絡を取らないと。
そのとき、半ズボンのポケットに入れていたスマートフォンのことを思い出した。
ジャングルの奥地にあるこの遺跡では、スマートフォンが使えないことは分かっている。
いや、GPS機能くらいは使えるかもしれないが、圏外なので肝心の通話やメールはできないだろう。
たとえ宿営地に連絡できたとしても、自衛隊がゲリラ相手に救助部隊を派遣するとは考えにくい。
自衛隊が人命救助のためとはいえ、海外でゲリラ相手に戦闘などすれば、あの大国やあの半島の国、さらに国内のマスコミや、平和な日本に自衛隊は不要だと真剣に主張している人たちが大騒ぎするからだ。
ただし、ツアー客やガイド、運転手は皆、日本人ではない。
つまり、恵茉がゲリラに捕まらない限り、自衛隊が救助する義理はないということになる。
それは現地の軍隊、もしくは外国人観光客の母国が対応すべき問題だ。
「どうしよう。このままジャングルに逃げ込む? でも、自分だけ逃げるなんて……」
そう呟きながら、恵茉はゲリラたちがいる遺跡と、宿営地のある首都の方を交互に見た。
まずは情報収集をしよう。
彼女はそう考えた。
それによって、ゲリラの人数や装備、ツアー客たちの状態が分かるはずだ。
自分が捕まるわけにはいかない。だが、だからといって何もせずに自分だけ逃げるのは、自衛官として無責任すぎる。
そう考えたのだ。
トイレから出ると、広場の縁に沿って、ジャングルの茂みの中を移動していった。
広場を見ると、マイクロバスの轍が遺跡の入口に向かって伸びているのが分かった。
どうやら、遺跡の中はかなり広いようだ。
ジャングル沿いに遺跡へ近づくと、石造りの塀の向こうから、複数の男たちの笑い声が聞こえてきた。
見える範囲に人影はない。
見張りがいるはずだけど、どこだろう?
そう思って顔を上げたとき、遺跡の塔の上に人影が見えた。
目を凝らすと、男が持っているライフルが陽射しを反射してキラッと光った。
正規軍のものとは違う迷彩服に、黒光りするロシア製のカラシニコフ自動小銃、AK47。
ゲリラのお手本のような格好をした男が、煙草を吸いながら周囲を警戒していた。
まさに一目瞭然。お約束すぎる。
映画やニュースでしか見たことがない光景に、恵茉は驚いた。
あまりにリアルすぎて、逆に映画のロケか、テレビ局のドッキリ企画のような気がしてきた。
だが、あの自動小銃が本物であることは、先ほど嫌というほど思い知らされた。
恵茉の全身から血の気が引き、その場から動けなくなる。
とりあえず身を隠すためにジャングルの奥へ入ろうと考え、茂みの中を後ずさろうとしたとき、ポキッと枝を踏み折ってしまった。
それは本当に微かな音だったが、ジャングルで長年活動しているゲリラは、何かを察知したようだ。
塔の上のゲリラが、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
ヤバい、これってリアルランボーじゃん!!
慌てて動けば、今度こそ見つかる。
そう考えた恵茉は、ゆっくりとその場にしゃがみ、低い姿勢で茂みの中を移動していった。
自分の心臓の音が耳の奥で鳴り響く。
湿った土と草の臭い。そして、鳥のさえずりや、風に揺れる草葉の音。
羽虫がどこからか飛んできて、彼女の頭の上に止まった。
普段なら悲鳴を上げて大暴れし、払い落としていただろう。
しかし、今は自然の中に溶け込まなければ命がない。
茂みの中を這うように進んでいるため、塔の上のゲリラが今、何をしているのかは分からない。
もしかしたら、今まさにAK47を構え、恵茉の頭に照準を合わせているかもしれないのだ。
しかし、幸いなことに銃弾は飛んでこず、銃声が鳴り響くこともなかった。
ジャングルの中に十メートルほど入ったところで、大木の影に身を潜め、大きく深呼吸をする。
幸い、銃声は聞こえなかったが、遺跡の方から男たちの怒鳴り声が微かに聞こえてきた。
息を整えながら、半ズボンのポケットからスマートフォンを取り出す。
やはり圏外だった。
とりあえず、GPSが使えることを確認しておく。
こちらは問題なかったが、地図がなければ、いくら座標が分かっても意味がない。
普通のGPSでは緯度・経度が表示されるが、自衛隊ではUTM座標を使用しているため、彼女はその設定にしていた。
しかし、どちらにしても現状では役に立たない。
そのとき、ふと猪頭曹長の言葉が頭に浮かんだ。
『いいか、ジャングル・ファイヤーをする時は気をつけるんだぞ。大事なところに延焼するからな』
それを聞いたとき、彼女は何のことかさっぱり分からなかった。
ジャングル・ファイヤー? 山火事の熱帯雨林版のこと?
本当に意味が分からなかったため、後日、班長の村上三曹に質問してみた。
しかし、彼は最初、
「そんなこと、知らなくても訓練に支障は出ないから忘れろ」
と言い、なかなか教えてくれなかった。
「曹長も村上三曹も知っているんですよね。気になるじゃないですか」
それでも彼女は諦めず、何度も質問し続けた。
そのしつこさに、ついに彼が根負けした村上三曹によると、ジャングル・ファイヤーとは、過去の陸上自衛隊、それもレンジャー隊員の間で行われていた、捨て身の宴会芸の一つらしい。
陰毛にライターで火をつけるというものだった。
もちろん、今の恵茉には何の役にも立たない。
よりによって、何で今思い出すかな。
ため息をつきながら、スマートフォンを半ズボンのポケットにしまう。
「本当にあの人は、ろくなこと言わないんだから」
姫野恵茉は大木の根元に腰掛け、周囲を見回した。
日本とは明らかに違う植生。
木々の幹は太く、背も高い。それに蔦が絡みつき、地面は苔や草で覆われている。
すべてが日本のものより大きいような気がした。
植物だけでなく、動物や虫たちも大きい。
恵茉は東南アジアの歴史が好きで、ずっと遺跡巡りをしたいと考えていた。
しかし、虫や爬虫類は、一般的な女性と同じ程度に嫌いだった。
「ここから逃げ出すには、車がいるなぁ~」
首都からこの遺跡まで、マイクロバスで三時間もかかった。
道が悪いため速度は抑えられていたが、平均速度が時速五十キロだとしても、約百五十キロ離れていることになる。
歩いて首都に帰るにしても、道路を使えばゲリラにすぐ見つかるため、ジャングルの中を進まなければならない。
最悪の場合、下手をすれば一週間はかかるだろう。
しかも、彼女は食料も水も持っていない。
数日分くらいは持ってきたが、それらはマイクロバスの中に置いたリュックサックに入っている。
それを取りに行けるのなら、そのままマイクロバスを運転して逃げられるだろう。
そして、自分だけで逃げた場合、状況から判断すれば、それは間違いではないと思う。
しかし、残りの人生ずっと後悔し続けることになる。
そう考えた彼女は、大木の影からそっと遺跡の様子を窺った。
ここからでは、草木の隙間から石垣が微かに見えるだけだ。
ツアー客やソム・チャイ、それに運転手の安否も確認しなければならない。
何とか皆と一緒にマイクロバスに乗って脱出することはできないだろうか。
それが現状では一番困難な方法だと分かっているが、どうしてもそう考えてしまう。
全員で脱出するには、ゲリラを一人残らず倒すか、眠らせなければならないだろう。
もちろん、どちらも不可能だ。
猪頭曹長なら、一人で豪快に笑いながらゲリラを一掃できそうな気がする。
しかし、陸上自衛隊に入隊して二年しかたっていない彼女に、そんなことができるわけがない。
とりあえず、持ち物を確認しておく。
ポケットに入っているのは、使えないスマートフォン、汗で湿ったハンカチ、小川の水に浸かって濡れてしまった財布だけだ。
どう考えても、これでゲリラと戦うことなどできない。
せめてナイフでもあればと思うが、ないものはどうしようもない。
そのとき、遺跡の方からカチャカチャという金属音と、男たちの話し声が聞こえてきた。
草木の間から広場の方に目を向けると、遺跡から二人のゲリラが出てくるのが見えた。
迷彩服姿だが、足元はサンダルで、二人とも手にAK47を持っている。
二人はぺちゃくちゃとおしゃべりをしながら、ドアが外れたトイレに向かって歩いていく。
「どうせ、中で死んでいるだろ」
「そうだな。金目の物は二人で山分けしようぜ」
どうやら、トイレの中に恵茉がいたことを、彼らは知っているようだ。
そうか。私があそこで撃たれて倒れていると思っているんだ。
おそらく、遺跡の中に連れていかれたツアー客やソム・チャイが、「あのトイレには、日本人の客が入っていた」と彼らに伝えたのだろう。
もし銃弾が当たって怪我をしていたら、急いで手当をしなければいけない、どうか助けてほしいと。
それを聞いて、二人が恵茉の死体を確認しに来たのだ。
もちろん、もし生きていたら手当などせずに改めて止めを刺す。
二人のゲリラの様子を探るため、恵茉はゆっくりとジャングルの中を移動していく。
背中を汗が伝い、手のひらが冷たくなっていくのが分かった。
このとき彼女は、何とかあの二人を無力化して武器を奪えないだろうか、と考えていた。
息を潜めたままジャングル沿いに二人に近づき、二人が中を覗き込もうとしているトイレの反対側に張り付く。
「おい、お前が見ろよ」
「ええ~っ、こういうのって夢に見るからなぁ~」
そんな声が、驚くほど近くから聞こえた。
そのとき、恵茉の脳裏に猪頭曹長の声が蘇る。
『いいか姫野、戦う時は敵の行動を予測して、裏をかけ』
『若いお姉ちゃんに正面から近づいても、オッパイは揉めない』
『しかし、背後から不意を突けば簡単だ。もちろん、その後、死ぬほど後悔することになるがな』
ああ~っ、正しいけど、絶対に認めたくない!
いつもそうだが、曹長は至極真面目な顔で良いことを言うのに、最後は下ネタで落とす。
まあ、そのおかげで強く印象に残り、こうやって何かあると思い出せるのだが。
ただ問題は、思い出すのはいいが、おおむね見当違いで役に立たないことだ。
「でも、敵の意表を突く……奇襲か」
いざとなれば、自分だけでも脱出して、ゲリラのことを首都に知らせなければならない。
しかし、それは最後の手段だ。
それまでは、できることをやる!!
恵茉は覚悟を決めた。
周囲を見回し、武器になりそうなものを探す。
そして……。
「こ、これも武器として使えないこともないか……」
何かを見つけた。




