第2話 Go To ジャングル!!
202X年4月1日 0830
姫野恵茉は陸上自衛隊の宿営地を出ると、首都まで歩いて移動し、市場のそばにあるバスターミナルに到着した。
この国の主な移動手段はバスであるため、そこには何十台ものバスが集まっていた。
内戦前には鉄道も走っていたのだが、反政府軍やゲリラが破壊しまくったため、いまだに復旧していない。
おかげで、都市部は自動車やバイク、自転車であふれ返っていた。
「えっと、遺跡ツアーのバスは……」
広場を埋め尽くすバスは、大きさも形もバラバラだった。
昔懐かしいボンネットバスもあれば、業務用のバンから座席をすべて取り外し、人間や荷物を詰め込めるだけ詰め込むという、日本であれば間違いなくアウトな代物まである。
バスは時刻表に従って出発するのではなく、乗客が満員になると出発する仕組みになっていた。
屋根の上にまで人間や荷物を満載したバスが、黒煙を吐きながらゆっくりと走り出す。
排気ガスを吸わないように口元を押さえていた恵茉の視線が、目的のバスを捉えた。
それは日本製のマイクロバスで、車体の側面には『確固たる自信、西進ハイスクール』という文字が書かれていた。
ちなみに、この国を走っている車の半分は、日本から輸入された中古車だった。
そのバスのドアの前には、『遺跡ツアーバス』と英語で書かれた紙を持った男が立っていた。
「コニチハ、アナタ、ミスヒメノデスネ?」
恵茉が近づいていくと、男はたどたどしい日本語で挨拶してきた。
年齢は彼女より上だが、二十代だろう。小柄で、よく日に焼けていた。
「はい、姫野恵茉です」
彼女が日本語ではなく現地の言葉で挨拶を返すと、男は驚いた。
「驚きました。どうも、私はガイドのソム・チャイです」
白い歯を見せて笑いながら、そう自己紹介をする。
「本日の観光客は、あなたを含めて14人です。席は空いているところに座ってください」
「ありがとうございます」
礼を言ってマイクロバスに乗り込むと、半分ほどの座席がすでに埋まっていた。
乗客のほとんどが外国人で、その中でも西洋人が多い。
皆、恵茉と同じような遺跡マニアなのだろう。
東南アジアの観光名所といえば、タイのアユタヤ遺跡やカンボジアのアンコール・ワットが有名だが、それ以外にも、ジャングルに埋もれた貴重な遺跡がまだまだ残されている。
これから彼女たちが向かうのも、その一つだった。
恵茉は、一番近くで空いていた座席に腰を下ろした。
バスが首都を出発すると、しばらくは舗装道路を走っていたが、すぐに未舗装道路へと変わった。
ガタガタと揺れ、派手に砂ぼこりを巻き上げながら、バスはジャングルの中を走っていく。
バスのエンジン音と、悪路を走るタイヤがゴトゴトと揺れる振動を感じながら、恵茉は窓の外の景色を眺めていた。
子供の頃から東南アジアの歴史に興味を持ち、インターネットでいろいろと調べていたが、まさか本当にこの国に来られる日が来るとは思わなかった。
特にこの国は、旅行代理店がツアーを組んでいないどころか、日本からの直行便すらない。
来ようと思ったら、まず近隣の国まで飛行機で移動し、そこから鉄道やバスを乗り継いで国境を越えなければならないのだ。
当然、手続きがややこしいうえに、何かトラブルに巻き込まれても自分で対処しなければならない。
間違いなく、両親は許してくれなかっただろう。
別にこの国に来たいから自衛隊に入隊したわけではないが、本当に幸運だった。
姫野恵茉は、もともと自衛隊に入隊するつもりなどなく、それどころか興味すらまったく持っていなかった。
高校生の時付き合っていた彼氏が、
「俺、高校を卒業したら自衛隊に入ろうと思う」
と言い出したので、それなら自分も試しに受けてみようかな、という程度の軽いノリだったのだ。
確かに彼氏のことは好きだったし、別れたくないと思っていた。
それでも、我ながら軽すぎる志望動機だったとは思う。
高校3年生の9月頃に入隊試験を受けたところ、彼女は見事に合格した。
しかし、言い出しっぺの彼氏は不採用になってしまった。
その時点で、だったら自分も辞めると言おうかと思ったのだが、彼氏から、
「お前だけでも入隊しろよ」
と言われた。
さらに、自衛隊の広報官からいろいろな説明を聞き、陸上自衛隊の駐屯地を見学するうちに、少しずつ興味を持ち始めてしまった。
そして、そのまま自分だけ入隊してしまったのだ。
女性自衛官の新隊員教育隊がある朝霞駐屯地で訓練を受け始めた当初は、あまりにも生活環境が激変したため戸惑った。
しかし、すぐに慣れ始め、隊列を組んで移動したり、射撃訓練を受けたりと、自衛隊でしかできない経験を積むうちに、
「意外と、自分に合っているかも」
と感じ始めた。
そして、教育を修了した後に配属されたのは、女性隊員が少ない普通科の連隊だった。
力仕事が多く、泥まみれになる訓練も多かったが、それほど苦には感じなかった。
何しろ、自衛隊では女だからといって遠慮や気遣いをしてもらえるわけではない。
男性隊員と同じものを持たされ、同じことをやらされる。
それが、彼女にとってはとても新鮮だったのだ。
そして1年後。
「来年、俺は再チャレンジするから待っていてくれ」
と言っていた彼氏は、またしても採用試験で不採用となり、自衛官になることを断念した。
それと同時に、二人の関係も終わった。
彼氏から、
「お前と一緒にいたいから、自衛隊なんか辞めて、地元に帰ってこいよ」
と言われたのだが、それに対して恵茉は、
「えっ、普通に嫌だけど」
と答えてしまったのだ。
実はその頃、恵茉が憧れていた東南アジアの国にPKO部隊が派遣されることが決まり、彼女の所属部隊がその派遣部隊に選ばれていた。
現地の言葉を話せる貴重な人材である恵茉は、真っ先に派遣メンバーの候補に挙がった。
もちろん、本人も派遣を熱望していた。
「エマサン、私、日本大好キ。サクラキレイ、アナタモキレイ」
隣に座っていたガイドのソム・チャイが、笑いながら話しかけてきた。
恵茉もこの国の言葉が話せるのだから、わざわざ日本語で話しかけてこなくてもいいと思うのだが、どうやら自分が親日家であることをアピールしたいようだ。
「ソム・チャイは、どこで日本語を覚えたの?」
無視するのも失礼なので、恵茉はそう尋ねた。
「僕ノ村デハ、爺チャン婆チャンガ日本語シャベレル。僕、ソレ教ワッタ」
太平洋戦争当時、この国は日本に占領されていた時期があった。
そのときに日本語を教わった人たちが、村にはまだいるらしい。
「アト、日本ノ、アニメタクサン観タ」
「そうなんだ」
「ドラエモン、ドラゴンボール、クリームレモン、とても大好き」
前の二つは恵茉もよく知っているが、最後の作品は聞いたことがなかった。
まあ、日本では毎年数え切れないほどのアニメが制作されているため、その作品の一つだろうと納得しておく。
そうこうするうちに、バスは小さな村に入っていった。
運転手が振り返り、大きな声で言った。
「ここで燃料を入れる」
道路脇に無造作に置かれたドラム缶の横にマイクロバスを停めると、運転手は降りていき、店主と何やら話し始めた。
どうやら、ガソリン1リットル当たりの価格を交渉しているようだ。
交渉がまとまると、運転手は先に代金を支払い、給油口にホースを差し込んだ。
店主はドラム缶に突き刺したポンプのハンドルを回し、燃料を送り出す。
それを見て、恵茉はガソリンスタンドというより、陸上自衛隊が演習場などで行う野外給油のようだと感じた。
そして周囲に視線を向けると、村の中が慌ただしいことに気づいた。
幌のないトラックに家財道具を山ほど積んでいる家族。
荷車に荷物を積み、牛に曳かせている人もいる。
「引っ越し……かな?」
それにしても、村人たちの表情は険しかった。
最初は祭りの準備かと思ったが、そのような雰囲気ではない。
「どうかしたのかしら?」
隣に座るガイドのソム・チャイに尋ねたが、彼は特に気にした様子もなく、
「イツモノ事ダネ」
と答えた。
彼によると、この国では内戦が始まる前から、新たな開拓地を求めて大勢が移動したり、親族同士が集まったりすることがあり、こうした光景は珍しくないらしい。
それを聞いて、現地のガイドが言うのなら、そういうものなのかと恵茉は納得した。
ただ、彼女には、何かの災厄から避難しているようにしか見えなかったが。
「私、水買ッテ来ル。姫野サンハ?」
そう言うと、ソム・チャイは立ち上がった。
「私はいいです」
この国では、ペットボトル入りのミネラルウォーターですら信用できない。
一度、蓋を開けて中身を飲んだ後、地元の井戸水や川の水を入れ直して平気で売ったりするからだ。
もちろん、新品を購入したはずなのに封が解かれていれば、すぐに分かる。
しかし、一番怖いのは、飲みかけの水を回し飲みするときだ。
失礼な言い方ではあるが、地元の人が口をつけたものをもらうことだけは、絶対に避けなければならなかった。
「私は、持ってきているから」
恵茉はそう言うと、宿営地から持ってきた私物のリュックサックを指さした。
その中には着替えやタオル、そして水や、手軽に食べられるパンやお菓子を入れている。
特にお菓子は、地元の人たちと交流するときに役立つのだ。
202X年4月1日 1200
バスに揺られること約3時間。
マイクロバスは、目的地である寺院跡の遺跡に到着した。
「やっと着いた」
未舗装道路を揺られ続けたせいで痛む腰とお尻をポンポンと叩きながら、姫野恵茉はそう言った。
彼女以外の観光客も、ガイドのソム・チャイも、バスを降りるなり背伸びをしたり、腰を回したりしている。
遺跡の入口前にある広場には、彼女たちが乗ってきたマイクロバス以外の車両は停まっていなかった。
観光ツアーが組まれているとはいえ、遺跡自体はほとんど手つかずの状態だ。そのため、土産物屋や観光案内所などもない。
恵茉は、ジャングルに半ば埋もれるようにして建っている遺跡に目を向けた。
その瞳が輝いている。
石を積み上げた壁に、苔むした石像。
特に仏像は、日本に仏教が伝わるよりも前の時代のものらしく、かなり異形な姿をしていた。
「うわぁ~」
彼女が今にも遺跡に向かって走り出しそうになった、そのとき。
ガイドのソム・チャイの声が聞こえてきた。
「それでは皆さん、遺跡の中にはトイレがありませんから、今のうちに済ませておいてください。そのあと、遺跡の中に移動します」
彼は、恵茉以外の観光客にも分かるように英語でそう説明した。
こうして考えると、英語だけでなく日本語も、かなり怪しいとはいえ使えるのだから、彼は優秀なのかもしれない。
「そうか、じゃあ今のうちに」
恵茉はそう考えると、周囲を見回した。
すると、広場の端に小川が流れており、その上に小さな小屋が建てられているのが見えた。
壁には、英語と現地語で「トイレ」と書かれていた。
「天然の水洗トイレね」
まあ、このような場所で、ウォシュレット付きの公衆トイレなど期待するだけ無駄だということは分かっている。
近づいてみると、小川の幅は小柄な女性でも助走なしで跳び越えられるほどしかなかった。
小屋の壁はベニヤ板、屋根はトタンで、照明はないようだ。しかし、隙間だらけなので、明かりには困らないだろう。
ドアを開けると、中は畳半畳ほどの広さだった。
床にも板が張られているが、その中央に穴が開いている。
そこから下をのぞくと、小川の水面が見えた。
「まあ、しょうがないわね」
陸上自衛隊の演習場には、そもそもトイレすらない場所もある。
そのため、ショベルとトイレットペーパーを持って森の中に入り、穴を掘って用を足すこともあるのだ。
のぞきをするような不届き者はそうそういないが、同じようにトイレをする場所を探しに来た隊員と、森の中で不意に鉢合わせすることはよくあった。
そのような事態を避けるため、女性隊員同士で交代しながら見張りをしたりしていた。
それに比べれば、壁と屋根があるだけ上等だろう。
とりあえずドアを閉め、外から開けられないように、備え付けの角材でつっかえ棒をした。
そして、半ズボンを膝までずらし、さらに下着に手をかけた、そのときだった。
パンッ!
乾いた音が、遠くで鳴った。
「えっ!!銃声?!」




