第1話 外出許可申請
202X年、東南アジアの某国は、長い内戦によって国土が荒れ果て、ひどい惨状に陥っていた。
きっかけは、民族同士による勢力圏争いだった。しかし、問題は少数派が政府の中枢を握り、多数派を弾圧したことにあった。
当然のようにデモや抗議活動が全土で発生し、やがてそれらは暴徒化する。
警察だけでは対応が困難になったため、政府は治安回復のために軍隊を出動させた。ところが、その一部が暴徒側に味方したことによって、事態は内戦へと発展。まさに坂道を転がり落ちるように、状況は悪化していった。
その後、戦闘は雪だるま式に規模を拡大し、戦場は国土の大半を占めるジャングルへと広がっていった。
結果として内戦は10年近く続き、経済どころか、インフラまでボロボロになってしまう。
最終的には政府軍も反政府軍も疲弊し、戦闘による犠牲者よりも飢餓による死者の方が多くなるに至って、ようやく双方が冷静さを取り戻し、停戦に至ったのだった。
反政府軍の一部はゲリラ化して熱帯雨林の奥地へと逃げ込んでいったが、彼らは停戦に納得していないというより、単に野盗化しているだけだった。
つまり、「いまさら地道に働けるか!!」というわけだ。
ゲリラへの対処と国内のインフラ復旧を同時に進めることは困難だと判断した政府は、国連に国際平和活動(PKO)部隊の派遣を要請した。
そして、国際貢献という言葉が大好きな日本が飛びつき、決して自分自身が危険な場所へ行くことのない政治家たちが、元気よく手を挙げた。
こうして、日本の陸上自衛隊の部隊が久しぶりに海外へ派遣されることになったのだった。
日本の陸上自衛隊は、専守防衛を基本とする組織である。
分かりやすく言い換えれば、日本という国が外敵から攻撃を受けた際に、正当防衛のために戦うことが主な任務だ。
そのため、他国の軍隊に比べて武器を使用する際の制約が厳しく、安全が確保された地域でなければ派遣されない。
安全なら別に自衛隊でなくてもよいのではないかと思うのだが、その辺りにはいろいろな大人の事情があるので、皆、深く考えないようにしていた。
何にせよ、陸上自衛隊はインフラを整備するための施設科(工兵)部隊と、その部隊を警護するための普通科(歩兵)部隊を派遣することになった。
まずは活動拠点となる宿営地を建設し、そこへ次々と部隊を送り込んでいく。
規模としては、施設科が1個大隊、普通科が1個中隊で、合計すると400人程度になる。
そして、任務が終わるまで何年かかるか分からないため、派遣期間は半年とし、順次、部隊を交代させることになっていた。
202X年4月1日 0800
姫野恵茉は、自衛隊に入隊して2年がたったばかりの20歳。
職種は普通科で、役職は小銃手だった。
階級は陸士長。一般的な軍隊でいうところの兵長に相当する。
自衛隊では、入隊すると2士という階級になり、1年後に1士、さらにその1年後に陸士長へと一斉に昇任する。そのため、別段、彼女が優秀だったわけでも、何か特別な活躍をしたわけでもない。
そして、任期制隊員である彼女は、つい先日、1任期を満了し、継続任用していた。
これも自衛隊のややこしいところで、入隊時に任期ごとに退職するか、継続して勤務するかを選べる任期制隊員と、最初から定年まで働き続けることを前提に入隊する非任期制隊員の二種類があった。
ほかにもいろいろな入隊方法があるのだが、今回の話には関係ないため割愛する。
ちなみに、姫野恵茉の身長は160cmで、おおむね日本人女性の平均的な高さだった。スタイルも年相応で、顔立ちは可愛らしい。
ただし、職業柄、普段はほとんど化粧ができず、セミロングの髪は頭の後ろで束ねていた。
彼女は今、女性隊員用の宿舎で着替えをしている。
宿舎といっても、頑丈なプレハブだったが。
今日は休養日のため、外出が許可されていた。
陸上自衛隊のPKO部隊は、派遣先である某国の首都近郊に宿営地を建設していた。
ゲリラはジャングルの奥地に逃げ込んでいるため、このような場所まで出てくることはない。しかし、念のため、宿営地の周囲には堀が掘られ、さらに背の高いフェンスで囲まれていた。
その内側にはプレハブの隊舎がずらりと並び、彼女は今、その一つにいる。
ここは赤道に近いため、気温も湿度も高い。そのため、すべてのプレハブ隊舎にはエアコンが備え付けられていた。
そのおかげで、隊員たちは休養日になっても、ほとんど外出しない。
この国では、エアコンが設置されている建物といえば、高級ホテルか金持ちの家くらいしかないのだ。
さらに言うと、現地の食べ物や水を口にすると、かなりの確率で下剤を飲んだような大惨事になる。
海外に派遣される隊員たちは、出国前に数え切れないほどの予防接種を受けるが、それでも完璧に防げるわけではない。
休暇になれば、隣国にある安全で清潔な近代都市まで移動して遊ぶこともできる。しかし、とても日帰りで行ける距離ではなかった。
というわけで、結果として、少しでも快適なプレハブ隊舎内のベッドでゴロゴロしながら、スマホをいじって時間を潰すことになる。
だというのに、姫野恵茉はこの日、私服に着替えていた。
Tシャツに半ズボン、さらに日焼け防止のために薄手のジャケットを羽織っている。
「姫野士長、どこに行くの?」
上司でもある同室の女性3曹(3等陸曹)が、ベッドの上でスマホを操作しながらそう尋ねてきた。
「はい、ちょっとジャングルまで」
「虫の大群に襲われるよ」
「でも、この国って、ジャングルの中に大きな遺跡がたくさんあるんですよ」
「私は、綺麗でおしゃれなブティックやカフェに行きたいわ」
この国には広大な熱帯雨林があるものの、おしゃれなお店はほとんどない。
「私、東南アジアの歴史が大好きで、ずっと憧れていたんですよ」
「なんてレアな……」
「ところで」
そこへ、別の女性3曹が入ってきた。
彼女も今日は休みのため、ラフな格好をしており、手には缶コーラを持っている。
「私たちが外出できるのって、首都のあるこの県だけだよね?」
首都とその周辺は治安が安定しているため、休養日の昼間であれば外出が許可されていた。
実は、今回のPKOには自衛隊以外にもインド軍やカナダ軍が派遣されており、武装した兵士たちが巡回しているのだ。
それでも、夜間の外出はよほどの事情がない限り認められなかったが。
「実は、私が行く遺跡は、この県にあるんですよ」
「そうなんだ」
とはいっても、首都のある県はかなり広い。恵茉が行こうとしている遺跡は、熱帯雨林の中をバスで3時間以上揺られなければたどり着けない場所にあった。
「それにしても、自分からわざわざジャングルに行くなんて、本当にもの好きね」
「実家の近くに、この国から逃げてきた人が住んでいたんですよ。家族で内戦から逃げてきたと言っていました。私はよくその家に遊びに行って、いろいろ教えてもらっていたんです。そのときに、言葉も覚えたんですけど」
「そういえば、姫野士長は通訳要員でもあったわね」
通常、このような国で活動するときは、現地で日本語を話せる通訳を探す。
それが難しければ、せめて英語が話せる者を探すことになる。
英語であれば、自衛隊にも話せる隊員がそれなりにいるため、日本語を英語に訳して通訳に伝え、通訳が現地の言葉に翻訳して現地の人々に伝えるわけだ。
そういう意味で、現地の言葉を話せる恵茉は、とても貴重な存在だった。
「その人から聞いていたんです。首都の近くに、とても立派な遺跡があるって」
それは古い石造りの寺院跡で、内戦時には反政府軍が、その後は一時期ゲリラが拠点として使っていたらしい。
ただし、現在は政府軍が奪還し、その周囲からゲリラを追い払っている。
さらに、恵茉にとって幸運なことに、最近になって観光ツアーが組まれ、首都からバスが出ているらしい。
それを聞いた彼女は、休養日を利用してそのツアーに参加することにしたのだった。
警備隊の中隊長は、
「いくらゲリラがいないとはいえ、そんな場所への外出は許可できん」
と言って、彼女が提出した外出許可申請簿に許可印を押さなかったらしい。
しかし、
「大丈夫ですよ、中隊長。あいつは現地の言葉が話せるし、見た目も日に焼けていて、現地の人と見分けがつきませんから」
と、彼女が所属する小隊の小隊陸曹である猪頭曹長(陸曹長)が口添えしてくれたのだった。
「それにしても、あの中隊長がよく許可してくれたね」
女性3曹がそう言うと、恵茉は答えた。
「曹長が中隊長を説得してくれまして」
「ああ、伊之助曹長ね。この宿営地で、あの人に逆らえる人はいないわ」
ちなみに、伊之助とは猪頭曹長のあだ名で、由来はジャンプに掲載されていた超有名漫画のキャラクターだった。そのキャラクターは、頭に猪の被り物をしている。
二人の女性3曹は、「なるほど」と納得した。
「言っていることも、やっていることも無茶苦茶だけど、なんだかんだ言って部下思いだから」
それを聞いて、恵茉は「あはは~」と愛想笑いを浮かべた。
警備中隊は、3個の警備小隊で編成されている。
各小隊が順番にローテーションを組み、インフラ整備に出かける施設科部隊を護衛したり、宿営地の警護をしたり、非番だったりするのだ。
そして、姫野恵茉もその警備小隊に所属しており、普段は無線機を背負って小隊長の後ろをついて回っている。
先ほど話題に出てきた猪頭曹長とは、いわば副小隊長的な役職である。正式な名称は小隊陸曹で、小隊員をまとめたり、装備や弾薬の掌握・管理を行ったりしている。
小隊長が防大卒の20代半ばの3等陸尉であるのに対し、小隊陸曹の猪頭曹長はベテランの陸曹、つまり下士官だった。
経験不足のくせにやたらと張り切りたがる小隊長を、おだてたり、意見具申をしたりして、上手にコントロールしていた。
「あの人の言うことに従っていれば間違いないわ。人を育てるのが上手だから」
「そうだとは思うんですけどねぇ~」
右手の人差し指で顎をポリポリとかきながら、恵茉はそう言った。
確かに、何でもよく知っているし、何でもできる凄い人だとは思う。
しかし、それを打ち消して余りあるほど、無茶苦茶な性格をしているのだ。
そのとき、スマホで時間を確認した恵茉が声を上げた。
「あっ、もうこんな時間。では、行ってまいります」
そう言って、小走りでプレハブ宿舎から駆け出していった。
「お土産お願いねぇ~」
「変な病気にかからないようにねぇ~」
そんな彼女を、二人の女性3曹が見送った。
姫野恵茉は、宿舎として使っているプレハブ隊舎を出ると、隣の勤務隊舎へと移動した。
そこで外出証を受け取るのだ。
自衛官は駐屯地や基地、そして今回は宿営地から外出する際、身分証明書と許可を得ていることを証明する外出証が必要になるのだった。
「うん? ああ、姫野か」
事務所のデスクで仕事をしていた若い3曹が、彼女に気づいて立ち上がった。
彼の名前は村上譲治。階級は3等陸曹で、恵茉が所属する小隊で分隊長を務めている。
その胸には、レンジャー記章と体力記章が縫い付けられていた。
レンジャー記章とは、陸上自衛隊で最も過酷といわれるレンジャー訓練を修了した者だけが着用を許されるものだ。先ほど話題に出ていた猪頭曹長は、その訓練の教官を何度も務めている。
そして、体力記章とは、自衛隊の体力検定で1級を取得した者が着用できる記章だった。
要するに、彼は精神的にも肉体的にも、とても優秀だということだ。
「ちょっと待ってろよ」
村上3曹は棚から簿冊を取り出し、ページをめくった。
その間、恵茉は彼の横顔を眺めていた。
なかなかのハンサムで、実は女性隊員たちから人気がある。
「あった……って、お前、どこに行く気だ、これ?」
外出許可申請簿を見た彼は、思わずそう尋ねた。
この宿営地から外出する者はあまりいない。
そして、数少ない外出者たちも、首都にある店へ買い物に行ったり、酒を飲みに行ったりする程度だった。水道水を飲めば一発でアウトだが、蒸留酒などは比較的安全だからだ。
だというのに、姫野恵茉の外出先には、日本語ではどう発音すればよいのか分からないカタカナの地名が書かれていた。
「そこにあるのは、ジャングルの中の古い遺跡です」
「よく、そんな場所で許可が下りたな」
「一応、首都と同じ県にありますし、それにバスツアーで行きますから大丈夫です」
「まあ、お前はこの国の言葉が話せるから、心配はないだろうけど」
口ではそう言いつつも、彼の表情はとても心配そうだった。
確かに、少し前までゲリラがうろついていた場所へ、自衛官とはいえ、若い娘が一人で遊びに行くのだ。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫ですよ」
恵茉は笑顔でそう答えた。
そのとき、事務室の奥のデスクでパソコンを使い、機関銃の実弾射撃訓練計画を作成していた男が立ち上がった。
この宿営地内ではないが、少し離れたジャングルの中に、PKO部隊用の屋外射場が設けられており、隊員たちは定期的にそこで実弾射撃訓練を行っていたのだ。
「あっ、曹長、お疲れ様です。珍しいですね、パソコン仕事なんて」
彼に気づいた恵茉は、私服姿ながら姿勢を正し、頭を前に10度傾けて敬礼した。
「馬鹿にするなよ。射撃計画は日にちや弾数を変えるだけで使い回しができるから簡単なんだよ。ん? ああ、そうか、今日だったか」
よく鍛えられた引き締まった体に、ゴツい顔立ち。しかし、人懐っこい笑みを浮かべているため、怖い印象はなかった。
彼の迷彩服の左胸にも、レンジャー記章、体力記章、さらに格闘記章と空挺記章まで付けられていた。
「お土産は期待しないでくださいね」
もっとも、仮にお土産があったとしても、食べ物だけは絶対に買わないつもりだったが。
「ハハハハッ、そんな物はいらん。しかし、旨そうな毒蛇がいたら捕まえてこい」
「嫌ですよ」
どこまで本気なのか分からないが、本当に捕まえて帰ってきたら、大喜びしそうだと恵茉は思った。
「いいか、姫野。よく聞けよ」
猪頭曹長はそう言うと、胸を張り、右手の人差し指をピンと立てた。
それを見て、恵茉は「また始まった」と、少しうんざりした表情を浮かべる。
これは彼の癖のようなもので、何かあると格言めいたことを言いたがるのだ。
しかし、そのほとんどは的外れで、本気なのかギャグなのか判断に迷ってしまう。
「**『遠足は家に帰るまでが遠足』**だ」
「小学生の頃、学校の先生によく言われました」
「そうだろう。これは何にでも応用が利くからな」
要するに、彼は気をつけて行ってこいと言いたいのだろう。
「あと、何かあれば迷わず俺を呼べ。必ず助けてやる」
「たぶん、スマホの電波は届かないと思いますけど」
「それでも大丈夫だ。安心しろ」
何をどう安心すればよいのか、さっぱり分からない。
しかし、こういうときの彼には、理屈を超えた妙な説得力があった。
「了解です。では、行ってきます」
恵茉はそう言うと、受け取った外出許可証を、身分証明書を入れているパスケースに差し込み、曹長に敬礼した。




