第93話 エボンヌの街での奮闘記
朝の光が、街を黄金色に染めていた。
高橋は借りた家の窓辺に立って、しばらくその眺めに見入っていた。
エボンヌの街。
ポヨンヌの村や拠点のまわりの草原とも、まるで違う風景だった。
なだらかな丘に、沢山の家がひしめき合っている。石やレンガで作られた家、木で組まれた家など様々だ。
エボンヌの街で一番驚いたのは、これらの家の壁だった。
太陽が出ている間は石やレンガの壁は地球のものと同じような見た目をしている。
しかし2つの太陽が沈み始め、当たりが暗くなり始めると、壁が外側と内側、両面からほのかに発光しはじめるのだ。壁が昼の間に複合光をためこみ、夜になるとそれを少しずつ放出していく。
高橋は昨日の夕方、このことを知って、目を丸くしたのだった。
2つの太陽が西の丘に沈むと、街は一変した。
灰色だった壁が、一斉に輝きだしたのだ。その色合いは家ごとに違った。橙がかった壁もあれば、青みを帯びた壁もある。柔らかな光に包まれた夜のエボンヌの街は幻想的だった。
エボンヌたちは、家の前に出した小さな椅子に座り、飲み物が入った器を手に、静かに談笑している。1日の疲れを癒すように。あんなにも穏やかな夜を、高橋は知らなかった。
石畳の街路をエボンヌたちがゆっくりと行き交っていた。
ポヨンヌよりずっと背が高く、すらりとした体つき。お腹のあたりには、ポヨンヌよりも小さなハラシロがついている。
誰もが穏やかだった。ぶつかりそうになれば、互いに横にずれて、ハラシロをふわりと光らせて挨拶を交わす。声を荒げる者も、急ぐ者もいない。
エボンヌもポヨンヌと同じく、争うという概念を持たないのだと、高橋は感じた。
街の中ほどに広場があった。
色とりどりの布を張った天幕が並び、朝市が開かれている。積み上げられた木の実。乾いた薬草の束。様々な石の道具。なかには見たこともない果実も幾つかあった。
行商のネイが遠い街から運んできたと言っていた交易品も並んでいた。
何かを焼いたような香りと草の匂いがただよっている。
どこかで、木を削るような乾いた音が、コンコンと響いていた。
美しい街だ、と高橋は思った。こんな時でなければ、どんなにか心が躍っただろう。
だが、高橋たちはこの街に遊びに来たのではなかった。
「葵ちゃん。おはよう」
振り返ると、芽依が起きてきていた。
「おはよう、芽依」
高橋は明るい笑顔をつくった。
「よく眠れた?」
「うん。葵ちゃんが、隣にいてくれたから」
鈴木は笑いながら答えた。
その笑顔を見て、高橋ホッとしながらも、心の底では不安だった。
この笑顔を守りたい。何があっても。
芽依と再会し、事情を聞いたとき、そう堅く心に決めていた。
同じ部屋には、斉藤と太田もいた。斉藤はもう起きていて、膝を抱えてつらそうな顔をしている。この数日、彼女はこんな感じだった。武田を信じ、言うがままに従っていた自分を責め続けているのだ。
太田はまだ布にくるまったまま寝ていた。
この数日で、3人の体には、少しずつ変化が現れはじめていた。
微かな熱。時おり走る悪寒。すぐに疲れる。
そして、腕や首すじに、うっすらと影のような黒ずみが滲みはじめていた。
触れても、痛くはないという。だが、昨日より今日、今日より明日と、その影は、わずかずつ色を濃くしているように見えた。
ウイルスが静かに活動しはじめている。その兆しだった。
このままだと自分たちはいずれ死ぬ。その事実を、日ごとに濃くなる影として突きつけられながら生きるのが、どれほど辛いことか。
高橋の心は重たかった。
今の自分に出来ること。それは、芽依の側にいることだった。
自分は側にいてあげることしか出来ない。でもそれで芽依の心が少しでも和らぐなら、ずっと側にいてあげる。
「さぁ、朝ごはんにしよう」と高橋は明るくは言った。
「食べて、体力つけよう。川原さんと大沢さんも呼んでくる」
その日も、川原さんと大沢さんの奮闘は続いていた。
街のはずれに、年老いたエボンヌの薬師、ヤナの工房があった。トアの紹介で、川原さんと大沢さんはそこへ通いつめていた。
薄暗い工房には、無数の乾いた草や木の実が吊るされ、複合光をためた石が、机の上をぼんやりと照らしている。すり鉢の並ぶ棚。淡く光る液体の入ったいくつもの小瓶も並んでいた。
高橋は芽依たちの世話の合間に、この工房に通った。医学の知識があるわけではない。でも、高橋には農家で培った知識があった。
「この草、あっちの束より少し湿ってる。乾かし方を変えたほうがいいのかな」
ヤナに言われるまま薬草を扱いながら、乾き具合や繊維の張り、潰したときの匂いの違いを少しずつ自分のものにしていった。農家で祖母を手伝った日々と同じだった。
どの草が何に効くのかは、まるで分からない。それでも、植物を扱うことについては、誰より慣れていた。
ヤナは高橋の薬草を扱う手つきを見て、感心したようにハラシロをゆっくり光らせた。
『よい手だ。草の状態をよく分かっている』
それ以来、薬草の下ごしらえを任されるようになった。乾燥させ、選り分ける。それらを根気よくすり潰す。実家の農家の手伝いと同じだ。高橋は直ぐに慣れた。
一方、ウイルスの治療は、壁にぶち当たっていた。
『このウイルスの症状は、これまで見てきた病気や毒による症状とは違う』
ヤナの言葉に川原さんと大沢さんは頭を抱えていた。
ヤナは、この星の病気や毒のことなら何でも知っていた。どの薬草が熱を下げ、どの実が痛みを取り、虫の毒がどんな症状を引き起こすか。膨大な知識を持っていた。
それでも、3人の今の症状は、そのどれにも当てはまらなかった。
当然だ、と川原さんは思った。これは自然の毒ではない。あの冷たい声が、この星の生き物を材料に、地底の者たちを殺すためだけに作り出したものなのだ。自然のものではない、人工のウイルス。
エボンヌの何千年もの知識と経験をもってしても、見たことのない代物だった。
自分はただの看護師だ。医者でも研究者でもない。川原さんは無力感に打ちひしがれていた。こんな得体の知れないウイルスを前に、私に何ができる。
だが、そのたびに川原さんは自分に活を入れた。弱音を吐くな。諦めるな。この3人の命は、大沢くんと私の手に託されているのだ。桃矢くんたちが、命がけで時間を稼いでくれている。ならば私も、諦めるわけにはいかない。
「大沢くん。もう一度、最初から、症状の出方を整理しましょう」
「はい」
大沢さんは疲れた顔で、それでもしっかりと頷いた。
「あの、川原さん。1つ、思いついたことがあるんです。このウイルスが、変異して暴れ出すには、たぶん、体の中で、何らかのきっかけとなるような、いわゆる合図のようものが必要なはずです。もし、その合図の発生を遅らせることができれば、変異する時期を先延ばしにできるかもしれません」
医者の卵らしい発想だった。
それだ。今直ぐには治すことができなくても、時間が稼げれば何とかなるかもしれない。
そこからの数日は、無我夢中だった。
大沢さんが期待する効能を伝え、ヤナが蔵の中から材料を選ぶ。
出来上がった薬を3人に与え、体の変化を診る。
高橋は1日中、ヤナに指示されたとおりに薬草の下ごしらえに奔走した。芽依たちのためだ。指先が草の汁で緑に染まっても、少しも苦ではなかった。
試しては、記録し、また試す。
何日もかけて幾つかの処方を試したが効果は診られなかった。
次第に3人の顔には焦りと疲労が蓄積していった。
だが、ある夜。
寝る前の診察をしていた川原さんが、3人の状態が少し良くなっていることに気がついた。
3人の体に浮かび上がっていた、あの影のような黒ずみが、朝と比べて大きくなってはいなかった。昨日までは、1日で数ミリほど広がり続けていた。
川原さんは、3人の額に触れ、脈をとり、そして、ホッと息をついた。
熱も引いている。今朝の薬が効いている。そんな手応えがあった。
「まだ治せたわけじゃない。でも、進行が抑えられている。黒ずみも拡がっていない。今朝の薬が効いてるのよ」
川原さんの言葉に、3人から安堵の息が漏れた。鈴木が高橋の手をぎゅっと握った。「……葵ちゃん」
その目には涙が滲んでいた。
高橋は、鈴木の手を握り返した。緑に染まった指が、少しだけ誇らしかった。
しかし、トアはそんな4人を、辛そうな顔をして見ていた。
そして『私たちにできるのは、ここまでだ。この見たことも無いウイルスを完全に除去する術は我々エボンヌに無い。治療法は、私たちの知らぬ場所にあるのかもしれぬ』
エボンヌの医術をもってしても、ここまでが限界。でも、稼いだ時間のあいだに、きっと誰かが、その答えを見つけてくれる。高橋にはそう信じることしかできなかった。
その報せが届いたのは、街の壁が灯りはじめた頃だった。
丘の上の方からざわつきが聞こえてきた。
高橋が工房を出て見に行くと、3つの人影が、疲れ果てた足どりで、下へとを歩いてくるところだった。陽翔と山崎、そして山田さんだった。
「陽翔くん! 山崎さん!」高橋は駆け寄った。
「よかった、無事で。……あれ。桃矢くんと川嶋さんは?」
3人は強ばった顔でうつむいた。高橋の胸に、嫌な予感が広がった。
川原さんと大沢さんも工房から出てきた。続いて小林たち3人も。
灯りはじめた街の壁のやわらかな光の中で、みんながは陽翔たちたちの前に集まった。
陽翔が絞り出すように口を開いた。桃矢と川嶋さんは、武田を止めようとして地の底にあった光のリングに飲み込まれてしまった。2人がどこに行ったのか、今も生きているのか、2人の安否は分からないことをポツリポツリと口にした。
高橋の目から涙が溢れてきた。桃矢さん。川嶋さん。あの2人がいなくなった。私たちのために、地の底の人たちのために。
誰も言葉が出なかった。呆然としていた。ただ、時間だけが静かに過ぎていった。
しばらくして高橋は、顔をあげた。ここで、泣いててもだめだ。そんな気がした。
あの2人が命がけで守ろうとしたものが、まだこの街と拠点に残っているのだから。
「きっと… 戻ってくるよ」
高橋は、最初声が震えていたが、はっきりと言った。
みんなが高橋を見た。
「桃矢さんと川嶋さんは、きっと、戻ってくる。だって、あんなにやさしい2人が、私たちを置いていなくなるわけないもの。……だから」
高橋は、隣の芽依の手をぎゅっと握った。
「だから、私たちは、今できることをして待つの。あの2人が帰ってきたとき、みんな、笑って迎えられるように。それが、今の私たちに、できることだよ」
山崎が口元を緩めた。
「確かにな。その通りだ。地上のことは、俺たちで、なんとか守り抜く。あいつらが帰って来たときに、みんなが笑顔で迎えられるように」
みんなも、頷いた。それぞれの涙を拭い、顔を挙げた。
まだ、希望はある。
ウイルスに冒された3人の体にも少しの猶予が出来た。
桃矢と麗華が死んだとは限らない。きっと、帰ってくる。そう信じて。
誰もが希望を捨ててはいなかった。




