第91話 星を管理する者
あの男が転送装置に近づいていく。
私はそれを見ている。いや、見ているという言葉は正しくない。私はこの星の全てを同時に把握している。雲の動き、川の流れ、地表の生きものたち、その全てが私のなかにある。
だが今、私の意識のほとんどは、たった1人の男に注がれていた。
武田。
異星から連れて来た、私の手駒だ。
私はこの星を管理する者として、遥か昔からこの星を見守ってきた。
太陽のエネルギーが私の糧だ。太陽の輝きがある限り、数百年も数千年も、私にとっては瞬きほどの違いでしかなかった。
私の務めはただ1つ、この星を正しく静かに保つことだ。地表の生物の進化をそっと見守る。それが私の役目だ。
だから、あれは消さねばならない。
地の底のあの者たち。それは、私が犯したたった1つの過ちの、成れの果てだった。
随分と昔のことだ。この星に生まれた者たちは、かつて、争ってばかりいた。奪い合い、憎み合い、傷つけ合う。
せっかくの美しい星が、あの者たちの流す血で、来る日も来る日も汚されていく。
私はそれを、ただ見せられ続けた。
私は争いが嫌いなわけでは無い。ただ、耐え難かったのだ。私の管理する星が汚され続けられていることが。
だからある時、私は思ってしまった。あの生き物の心から、争いの概念を抜き取ってしまえば、この星は完全になるのではないか。
だが、それは、規則違反だった。自らが管理する星に生まれた生き物に干渉してはならない。生物の進化への不干渉。それは、私に課された何よりも重い大原則だ。
だが当時の私は、その一線を踏み越えた。
全ての生き物から争いの概念を抜き取ることは、管理者にとってさえ、途方もないエネルギーを要する作業だった。
星のすべての生き物から抜き終えたとき、私のエネルギーは、ほとんど涸れ果てていた。
そして、そこで初めて気づいたのだ。抜き取った負のエネルギーを消滅させるだけのエネルギーが、もう残っていないことに。
負のエネルギーを放置すれば、地表のものを蝕んでしまう。
私はやむなく、それを地の底の奥深くへと封じ込め、私は私の代わりに気象等をコントロールする分身を造り、エネルギーを充填するために眠りについた。
私が眠りについている間に、負のエネルギーはやがて自我を持ち、少しずつ進化し始めた。やがて、元の体を参考にした肉体を造り、増殖し、独自の文明を築き上げていった。
私が目覚めたときには、既に手遅れだった。あの者たちは出自の関係か、思考が発達し、思考であらゆるものを作り出していた。私があの者たちと正面からぶつかれば大きなエネルギーの揺らぎが発生する。そうなれば管理機構のものに気づかれてしまう。
もし機構が、あの者たちの存在か存在する理由を知れば、私がかつて大原則を破ったことに気がつくだろう。そうなれば、私は終わりだ。
それだけは、断じてあってはならない。ゆえに、証拠は消さねばならないのだ。
あの者たちが消え失せれば、私の過ちが発覚することはない。
最初は、この星のものを使って始末をつけようとした。
つまり、再び私は、原則を破った。過去の原則破りと比べれば、今回の原則破りは些細な事だった。
この星の現住生物の一部を密かに造り変えたのだ。闘う生物兵器として、地の底のあの者たちを討ち滅ぼさせるために。
だが、それは失敗に終わった。どれほど造り変えてみても、その根にある穏やかさだけは、どうしても変わらなかった。考えてみれば、当然の帰結だった。
いまさら争いの心を入れようとしても、それを受け入れる器ではなくなっていた。
彼らはついに戦士とはならず、ただやさしいまま、私の手を離れていった。
私が築いた戦いのための拠点は、1度も使われることのないまま朽ちて、今では大陸の各地に廃墟として残されている。
この星の生まれた者では、解決する手立てはない。
そう悟ったとき、私は考えを改めた。ならば、別の星から連れてくればよい。
大原則は、この星に生まれた者にしか及ばない。別の星から連れて来た者になら、私はいくらでも手を下すことができる。
そこで、私は遠い星から乗り物ごと、いくつもの生命体をこの星に転移させた。
そのなかに、この男がいた。
武田。
虚栄心を胸に抱え、力に飢えた、実に操り易い男だった。
私はこの男の耳もとで囁いてやった。おまえは特別だ。おまえに力を与えよう。
甘い言葉は、この男の心に、面白いほど容易く染み込んでいく。この男は、私をすっかり信じ切った。
自分が何のために選ばれ、何をさせられようとしているかなど、知ら無いまま。
《よくやった。あと少しだ》
私は男の頭の中へ、労うようにそっと声を送り届ける。
褒美の1つも与えておけば、駒はよく働く。
あとは、この駒を送り込むだけでいい。そのためだけに遺されたリングで。
あの男が、地の底に立つ。ただ、それだけでいいのだ。
あの静かな都は、全ての思考が消えていく。私が犯した過ちの証拠は、跡形もなく消える。そうして私は、何の不安も抱えることなく、管理者としての業務に専念できる。
ときおり、私を不安にさせる意識の流れを感じる。
管理機構の者が、あの異星の者たちと接触しているのを私は感じ取っていた。
あの者は、いったい何を企んでいるのか。なぜ、あの異星の者たちに接触するのか。
だが、私はすぐに不安を打ち消す。もしあの者が、私の過ちにすでに気づいているのなら、とうの昔に、私は消されているはずではないか。処分は、瞬時に終わる。
だが、私は今もこうしてここにいる。この星を管理し続けている。
ならば、導かれる答えはただ一つだ。
あの者は、何も知らない。
あの異星の者たちに、あの者が接触している理由はどうでもいいことだ。私には関係ない。
リングの光が脈打つように明るさを増していく。いよいよだ。
武田がその手前で足を止めた。ためらっているのか。愚かな男だ。
あと1歩だ。あと1歩踏み出せば、長く長く続いた私の過ちの証拠は、全て無くなるのだ。
私は冷たく、手駒に語りかけた。
「進め。そうすれば地球に帰る方法を教えよう」




