第86話 帰還
長い上り道を抜けて、大遺跡の外へ出た。2つの太陽の光がまぶしい。
目の前には草原がなだらかに地平線まで続いている。頬に当たる風が気持ちいい。遺跡のあの重く淀んだ空気とはまるで違う。生きている、と桃矢は思った。ここには、生きているものの匂いがある。
「……あれ」と山田さんが遠くを指さした。
はるか彼方。地平線のあたりに、小さな丸いものが見えた。目を凝らさなければ見落としてしまいそうなほど遠い。だが、確かに動いている。
「気球だ」と山田が言った。「エボンヌの……トアさんたちだ。迎えに来てくれたんだ」
「行きましょう」と桃矢は言った。「トアさんたちの所へ」
草原をどれほど歩いただろう。
遠かった影は、少しずつ近づいてきた。
やがて、その姿がはっきりと見えてくる。トアとフウだった。
桃矢たちの姿を認めると、トアは大きく手を振った。だがその手は、桃矢たちが運ぶものに気づくと、途中で止まった。
合流した桃矢たちをトアは静かに迎えた。朽名の亡骸に、深く頭を垂れた。
桃矢は黙って頷いた。言葉はいらなかった。
トアは、朽名を気球の籠へ運ぶのを手伝ってくれた。
「ありがとう」麗華が掠れた声で言うと、トアのハラシロが淡く光った。
桃矢はトアにエボンヌの街では無く、ポヨンヌの村へ向かうようお願いした。
2つの気球はゆっくりと浮かび上がった。草原が小さくなっていく。
桃矢は籠の縁に手をかけて大遺跡を見ていた。心の中では様々なことが渦巻いていた。あそこで失ったもの。知ったこと。そして、まだ片づいていない、いくつものこと。
武田を止める。もうこれ以上の犠牲者を出してはいけない。地の底の者たちも。
そして、合流した3人の体に潜むウイルスを無害化しなければならない。放っておけば、3人の体を蝕んでしまう。時間は限られている。
だが、どれも、あまりに難しかった。武田は声に縛られている。ウイルスそのものを消すことは、あの心強い声にもできないという。なんとかするのは、桃矢たち自身だ。
その考えを読んだように、頭の中にあの穏やかな気配入ってきた。
《よく、考えているね》
管理機構の声だった。今度もみんなにも届いた。
《焦らずともいい。そのウイルスも、地の底の者たちも、武田を縛るものも。全てこの星の理の内にある。この星の理を知る者たちを頼りなさい》
「この星の理を知る者たち?」
《あなたたちは、独りではない。この星には、あなたたちと心を共にする者たちがいる。その者たちを頼りなさい。道はあなたたち自身が見つけるものだ。だが、独りで背負う必要はない》
声はそれだけ言うと、また静かに退いていった。
声が言ったこの星の理を知る者、あなたたちと心を共にする者たち、何となく誰の事か分かる気がした。
桃矢はトアを見た。自分たちの為に何の見返りも求めず手助けしてくれているエボンヌ。桃矢は確信した。
桃矢は新たに合流した3人が抱える問題のことをトアに包み隠さず話した。
トアは全てを聞くと『私たちエボンヌは、この星の生き物のことなら、何でも分かる。街には、薬や毒に詳しい者もいる。力になれることがあるかもしれない』
トアの声が届いたみんなは顔を見合わせた。その顔には微かな希望の光が見えた。
籠の隅では、斉藤たち3人が身を寄せ合って座っていた。
自分の体に目に見えぬウイルスが巣くっている。その事実が3人を苦しめていた。
3人とも膝を抱えたままじっと下を向いていた。
桃矢はその様子を見て胸が痛んだ。
あの子たちも被害者なのだ。武田を信頼し、ただ付いていっただけだ。
守らなければと思った。この子たちも、必ず。
やがて、見慣れた景色が眼下に広がった。
なだらかな丘。蔓と枝で編まれたまるい住まいが点在するあの村。
ポヨンヌの村だった。
気球が近づくと、村のあちこちから、小さな影が集まってきた。こちらを見上げている。歓迎するかのように沢山のハラシロが輝いていた。
だが、気球が降り、桃矢たちが朽名を運び出すと、その空気が変わった。
集まったポヨンヌたちの動きがピタリと止まった。
誰も声を出さない。朽名の動かない姿をじっと見つめていた。
かつてこの村で、誰よりも明るく笑い、人見知りもせず彼らの輪に飛び込んでいった、朽名。ポヨンヌたちは、言葉を交わさずとも、何が起きたのかを悟ったようだった。
ルウが仲間たちのあいだを分けるようにして、前へ出てきた。
ルウは朽名のそばに来ると、体をかがめて、その顔をのぞきこんだ。それから、桃矢を見上げて、小さく首をかしげた。まるで、どうして、と聞くように。
桃矢は、言葉を返せなかった。ただ、静かに首を横に振ることしかできなかった。
1体のポヨンヌがそっと歩み出て、朽名のかたわらに寄り添った。そして、ハラシロが光りはじめた。とても柔らかな光だった。次々と村中のポヨンヌのハラシロが光っていく。いくつもの暖かな光が、朽名を包み込んだ。
桃矢は、ふと顔を上げた。ここから拠点までは、そう遠くない。歩いて行ける距離だ。川原さんたちに朽名のことを知らせなければ。みんな、帰りを案じているはずだ。
川嶋さんにその事を話すと、山田さん山崎がすぐに拠点へ向かうことになった。
アカが傾きかけた頃、川原さんを先頭に、拠点に残っていたみんなが村へやってきた。
川原さん、高橋、小林、大葉さん、長田さん、三浦さん、一橋さん。長いあいだ離れていた仲間が、久しぶりに集まった。
だが、再会を喜ぶ声は無かった。桃矢たちの暗い顔と、横たえられた小さな姿を見て言葉を失っていた。
「朽名さんがなぜ…」川原さんが絞り出すように言いながら泣き崩れた。報せはあまりに重かった。長田さんが「私が代われたら…」と涙ながらにつぶやいた。みんなの目からは涙が溢れて止まらなかった。
桃矢たちは、村を見下ろす小高い丘の上に、朽名を眠らせることにした。
ここは2つの太陽の光がよく届く場所だった。
陽翔と桃矢は、黙々と土を掘った。
朽名を横たえ、土をかけた。その上に、陽翔が選んできた石を置いた。
ポヨンヌ式のお墓だった。朽名が大好きだったポヨンヌの。
みんなは手を合わせ、静かに頭を垂れた。
「結菜」
陽翔が掠れた声で呼んだ。言葉は続かなかった。
麗華がその背にそっと手を置いた。陽翔の肩が震えていた。
桃矢は同じ痛みを分かち合うように、隣に立っていた。
ポヨンヌたちのハラシロの光が、丘の上をやわらかく照らしていた。
ボルンたちも、お墓のまわりを静かに舞っていた。
天真爛漫だった朽名結菜は、いま、この星の光の下でみんなに見守られて眠りについた。
「みんな」
麗華は途中で言葉を詰まらせた。
「ごめんなさい。みんなで帰ると約束したのに…」
「話さなきゃいけないことがたくさんあります。でも、それは、少し落ち着いてからにさせてください。今日は… 朽名さんを忍びたい」
みんなは静かに頷いた。
麗華たちの憔悴しきった顔が、簡単には語れない何かがあることを告げていた。
朽名を見送った長い一日が、静かに終わろうとしていた。
みんなはポヨンヌ達の好意で寝床を借り、一夜を明かすことになった。
桃矢は眠れない一夜を過ごしていた。これからのこと、答えを探す果てしない道のりのこと。
まだ最初の一夜が、始まったばかりだった。




