第85話 細菌兵器
みんなの足取りは重かった。
地上を目指し、来た道を戻りはじめていた。沈黙が支配していた。ただ足音だけが、暗い通路に低く響いていた。
その時、後ろのほうから、いくつもの足音が近づいてきた。
最後尾の大沢さんが振り返り、灯火具を向けた。
闇の中から息を切らして現れたのは、3人の若い顔だった。
斉藤、太田、鈴木。
みんなに思わず身構えた。だが、来たのは3人だけだった。
顔は青ざめ、目には涙の跡がある。鈴木にいたっては、まだしゃくりあげていた。
「……待って」と斉藤が掠れた声で言った。
「お願い。わたしたちも連れていって。もう、あっちにはいられない」
斉藤はその場に崩れるように膝をついた。
「わたし、ずっと武田くんを信じてた。武田くんの言うことなら間違いないって。でも、さっきの、あれはおかしいよ。結菜ちゃんが死んで、石原さんも落ちて。」
「……なのにあの人、まだ奥へ行こうとするの。わたし、もう怖くて」
太田は、その後ろでうつむいていた。
「わたしは……わたしは、まだ、武田さんが完全に間違ってるとは思ってない。ただ……あの光景を見たら、ついて行く気力が無くなっちゃっただけ。それだけだよ」
強がるような言葉だったが、その膝は震えていた。
鈴木は泣きながら下を向いたまま言葉が出てこなかった。
3人の温度は、それぞれに違っていた。だが、武田のもとを離れてきたことだけは同じだった。
「よく言うぜ」
低い声を出したのは、陽翔だった。
朽名の支えから手を離し、ゆっくりと3人の前へ歩み出る。
その目には怒りの炎が燃えていた。
「お前らがあいつを増長させたんだろ。石原を止めなかったんだろ。今さら、怖くなったから助けてくれって? ……結菜は、もう帰ってこないんだぞ」
陽翔の声は静かだった。静かなだけに、その怒りの深さが伝わってくる。太田がびくりと身を縮めた。
「陽翔くん」と麗華がそっとその肩に手を置いた。
「気持ちは、分かる。でも」
「陽翔」と桃矢も静かに呼んだ。
「その子たちは、声のことなんて何も知らない。ただ、武田に率いられて、流されてきただけだ。肉に心を少しずつ荒らされながら。今、こうして戻ってこようとしてる。追い返せば、この子たち、地の底の奥へ連れていかれるかもしれない」
陽翔はしばらく3人を睨んでいた。
だが、やがて、ふっと力を抜いた。
「好きにしろよ」。そう吐き捨てて、朽名のそばへ戻っていく。まだ、割り切れてはいない。それでも、これ以上3人を責めることはしなかった。
桃矢は麗華を見た。麗華がうなずいたのを見て、桃矢は優しく3人に声をかけた。
「いいよ。一緒に行こう」
斉藤と鈴木が顔を上げた。
「元々、みんなバスに乗ったまま、無理矢理ここに連れてこられた仲間だから」
山崎は複雑な表情でその様子を見ていた。かつて武田と共に行動していた仲間たち。
「ばかだな、もっと早く気づけよ」
山崎が小さな声で呟いた。責めるというより、悲しみのこもった声だった。
3人が一行に加わった、その時だった。
頭の奥に、あの穏やかな気配が入ってきた。
管理機構の声。だが、その声にはこれまでにない緊迫感があった。
《待ちなさい。その3人を精査した。その結果、あれの計画がはっきりと分かった》
桃矢は眉をひそめた。
「どうしたんだ」
《その3人の体の中には病の種がある。人工的に作られたものだ》
大沢さんが反応した。
「人工的な病の種……細菌兵器みたいなものってことか」
《そう呼ぶのが、近いだろう。……あの、君たちが冷たい声と呼んでいるものが、仕込んだものだ。この星の猛獣の肉にそれを混ぜた。肉を口にした者の体に、それは静かに棲みついていく。……武田のもとにいる者たちは、みな肉を食べてきた。つまり、あの者たちは、1人残らず、この病に冒されている。今、ここにいる3人も例外ではない》
一行に、動揺が走った。斉藤が自分の体を思わず抱きしめる。「そんな……わたしたち、病気なの?」
《だが、大沢と山崎。あなたたち2人は、違う》
《あなたたち2人は、早くにあの者たちのもとを離れた。肉にこの種が仕込まれたのは、それより後のことだ。ゆえに、2人の体には種はない》
大沢さんと山崎は、思わず顔を見合わせた。
早い段階で武田のもとを離れる、その選択が、2人を感染から護った。
大沢は複雑な面持ちだった。自分だけが無事で、目の前の年下の仲間たちは病に冒されている。その事実が、医師を志す者の胸をざわつかせた。助けたい。だが、どうすればいいのか。
人工的に作られた病の種。正体もしくみもまるで見当がつかない。それでも、何かできることがあるはずだと、大沢は自分に言い聞かせるように、拳をそっと握りしめた。
《落ち着いて、聞きなさい》
声は努めて穏やかに続けた。
《この病の種は、人から人へは、うつらない。あなたたちが、この3人と共にいても、移ることはない》
その言葉に、みんなは安堵した。
だが、声の話には、続きがあった。
《2つ、大事な事を伝える。この病の種は、体の中に長くとどまると、やがて姿を変える。姿を変えたそれは、宿主の体を内から蝕みはじめる。放っておけば、命に関わる。そうなる前に手を打たねばならない》
桃矢の顔がこわばった。
「……治せるのか。あんたに」
《それが、2つめだ。できない。この病の種は、この星に生まれた生命体だ。私は、この星に生まれたものに、直に手を下すことを許されていない。ゆえに、これを消し去ることは出来ない。対処方法を探すのは、あなたたち自身だ。私にできるのは、知恵を貸すことだけ。それも、そっとな》
重い沈黙が拡がった。変異する悪性ウイルスを、3人が抱えている。しかも、それを直に取り除く方法は、自分たちで探すしか無いという。
「……何か、ヒントは、ないのか」桃矢がすがるように聞いた。
《その道を探すのは、あなたたち自身だ。答えを、そのまま授けることは、私にはできない。だが、これだけは言える。解決する道は確実にある。あなたたちが、あきらめずに進むなら、必ず辿りつける》
その言葉は、答えではなかった。だが、突き放す言葉でもなかった。
桃矢は頷いた。
《それと。これが、いちばん大事なことだ》
声は、ひときわ静かに言った。
《この病の種は、地の底の者たちには、命取りだ。もし、この3人が、地の底に行けば、それを察知した種は瞬時に種は活性化し、あの者たちに感染する。そして、あの者たちの体を造り変えて、殺してしまう。》
桃矢は言葉を失った。
地の底の無害な者たち。その者たちにとって、病の種を抱えた者がそこに行くだけで、命を奪う存在になる。あの冷たい声は、そういう仕掛けを武田たちに仕込んでいた。
武田たちを地の底に送り込むことで、無害な者たちを1人残らず消し去るために。
桃矢の背に、寒気が走った。
もし、真相を知らないまま、武田たちが地の底にたどり着いたら。
ぞっとする光景が、頭をよぎった。
あの声は、このために武田たちを駒にしていたのだ。
斉藤、太田、鈴木の3人は青ざめた顔で立ち尽くしていた。
自分たちが、知らぬ間にそんなものを体に宿し、誰かを殺すためのウイルスを運ばされていた。
芽依の目から、また涙がこぼれた。「わたし、葵ちゃんに、会いたかっただけなのに……」
桃矢は3人を見た。背負うものが、また増えた。武田を止める。地の底の無害な者たちを守る。
さらに、3人の体の病の種をなんとかしなければならない。しかも、その方法は皆目見当もつかない。
「……大丈夫だ」
それでも桃矢は、自分に言い聞かせるかのように断言した。
当てがあるわけではない。それでも、青ざめた3人をみていると、そう言わずにはいられなかった。
「朽名さんのことは、守れなかった。でも、もう、誰もあきらめない。君たちのことも、地の底の人たちのことも、武田のことも。全部、あきらめない。方法はこれから探す。きっとある。」
声もさっき言っていた。諦めずに進めば、きっと道は見つかると。
今はまだ何をすればいいのかさえ分からない。それでも、桃矢の中では、さっきより確信じみたものが生まれていた。
3人その言葉に、小さく頷いた。
ここにいても解決策は見つからない。
先ずは地上に戻ろう。朽名のために。この3人のために。




