第84話 立ち上がれ、桃矢
どれくらいの時が、流れただろう。
広間には、陽翔のすすり泣きだけが途切れ途切れに続いていた。
誰も動かなかった。武田達でさえ呆然としていた。石原と同じように狂気に飲まれていた田崎さえも石原が落ちた穴を見つめたまま動かなかった。
あまりに大きなものを失った。
桃矢は冷たい床に手をついたままうつむいていた。顔を上げる気力さえ湧いてこない。
もう朽名はいない。その事実を、どうしても現実の事として受け入れられなかった
やがて、広間の奥のほうで、鈍い足音が動きだした。
武田たちだった。
武田は顔面蒼白のまま、残った者たちを促していた。
「……行くぞ」。
その声は掠れていて弱々しかった。
目の前で朽名と石原の命が散ったにも関わらず、武田は奥へ進もうとしていた。
冷たい声が無理矢理そうさせているのだと、桃矢は思った。
斉藤たちが、うなだれたまま、武田に従って歩きだす。その足取りは重かった。
広間を出ようとして、武田が立ち止まった。
そして、ゆっくりと桃矢たちのほうを振り返った。
武田はしばらく、陽翔と朽名の亡骸を見つめていた。何か言いたげに、その唇がわずかに動いた。
だが、武田は何も言わなかった。
目を閉じて軽く頭を下げてから振り返り、奥へと続く道へと歩みを進め始めた。
冷たいも声=星の管理者は、静かに武田の背を追っていた。
闇の奥を進む手駒を冷ややかに見つめていた。石原という駒がひとつ、手の中から消えた。
予定にはなかったことだ。だが、それは問題では無い。駒はまだたくさん残っている。
問題は別にある。手駒の心に余計な亀裂が入ったことだ。
あの桃矢とかいう者の言葉が、武田の奥底に、ひとつ、楔を打ち込んでいった。あれをこのまま放ってはおけない。
あの桃矢という異物。この星の生まれでもないくせに、奪わず、争わず、やさしさなどという曖昧なものだけで、ここまで来た。そのやり方が、なぜか、こちらの思うようには事を運ばせない。まるで、誰かがあの者の背を、そっと押しているかのように。
まさか、上の管理者が。
いや、確かめようがない。全てを知られていたとすれば、とうに自分は処分されているはずだ。まだ決定的な証拠を掴んではいないということ。もしそうだとすれば、急がねばならなかった。地の底の、あの者たちを消し去り、すべての痕跡を消す。
上の者に決定的な証拠を掴まれる前に。
「……地上に戻ろう」
最初に口を開いたのは、山田さんだった。
「結菜ちゃんをこんな冷たい地の底に、いつまでも置いておくのは忍びない。日の当たる場所に連れて帰ろう。地上へ。この子が笑ってた場所へ」
山田さんと麗華が、みんなの上着をつなぎ合わせて、朽名を運ぶための、簡単な担架を作った。あの明るい光の下へこの子を帰す。それだけが、いま自分たちにできる、せめてもの手向けだった。
手を動かしながら、麗華の頬から涙がこぼれ続けた。
ポヨンヌの村で屈託なく笑っていた朽名。
人見知りもせず、ポヨンヌたちの輪に飛び込んで、皆を和ませていた、あの明るさ。
その笑顔がもう2度と見られないという事実が、麗華の胸を締めつけていた。
陽翔はその傍らに膝をついたままだった。涙はもう枯れ果てていた。
代わりに、その横顔には、冷たさと怒りを秘めた強い決意の色があった。
石原はもういない。だが、この惨劇を招いた者は、まだこの地の底の奥にいる。
陽翔の中では、暗い炎、静かに燃えていた。
桃矢はその事に気づいていた。気づいたが、いまの陽翔にかけられる言葉を桃矢は持っていなかった。
何を言っても、届かない気がした。
それに、自分自身が、まだ、立てずにいた。
桃矢は、未だにうずくまったまま、動けずにいた。
みんなが朽名を悼んでいる。そのなかで、桃矢だけがその輪に加われずにいた。
合わせる顔が無いと感じていた。
自分がもっとうまくやれていたら。
手を上げてでも、石原を止めていたら。
この結末は、避けられたのではないか。
これらの事が、頭の中をぐるぐると回り続けていた。
やさしさを信じてきた。手を上げないことを貫いてきた。その果てが、これだったのか。
桃矢の胸の奥で、これまで自分を支えてきたものが崩れかけていた。
皆を守るためにここまで来た。
それなのに、いちばん近くにいた仲間を、陽翔の大切な人を守れなかった。
自分は思い上がっていたのだろうか。そんな思いが頭をもたげてくる。
その時だった。
頭の奥に、穏やかな気配が入り込んでたた。
管理機構だった。
桃矢だけでなく、その場の全員に静かに語りかけてきた。
《顔を、上げなさい》
声は、急かすでも、諭すでもなかった。ただ、そばに寄り添うように穏やかに続けた。
《星野桃矢、あなたは今、自らを責めている。手を上げなかったことを悔やんでいる。だが、もし、あなたが力で相手をねじ伏せたとしても、この結末が変わったかどうかは、誰にも分からない。今回の結果は、あなたが背負うべき罪では無い》
桃矢は顔を上げた。
《私は、ずっと見てきた。あなたが、どんなふうにこの星を歩いてきたかを。奪わず、傷つけず、それでも多くの者を守ってきた。その歩みは、無力などではない。あなたが選んできた道を、私は、間違いだとは思わない。今は、答えを出さなくていい。ただ、うずくまったままでは、失われた者が、報われぬだけだ》
声は、それだけ言うと、また静かに退いていった。
みんなは桃矢の方を見ていた。
麗華は桃矢のそばに来ると、そっと肩に手を重ねた。
「桃矢くん」
「桃矢くんのやり方でわたしたちは、ここまで来られたの」と麗華は言った。
「1人も置き去りにしない。争わない。そのやり方だから、みんな、桃矢くんについてきた。朽名さんだって、そうだったよ」
みんなも静かに頷いていた。
「朽名さんは、桃矢くんのせいだなんて思ってないさ。あの子は、陽翔くんを守りたかったんだ。とっさに、自分で選んだんだよ。誰かにやらされたんじゃない」
大沢さんの言葉に、陽翔から嗚咽が漏れた。
桃矢の目にも熱いものがこみあげてきた。
自分のやり方が、正しかったのか、それとも間違っていたのか。答えはまだ出ていない。それでも、この仲間たちが、自分の隣にいてくれる。その事実だけは確かだった。
桃矢は、袖で目元をぬぐった。
山崎は、武田の去っていった闇の奥にもう一度見やった。あいつは、まだあの声に操られている。だが、さっき振り返ったあの目には、確かに迷いがあった。
まだ間に合う。
山崎はそう自分に言い聞かせた。
武田を止める。
そのためにも、ここでうずくまってはいられなかった。
山崎は大きく息を吐き、ゆっくりと顔を上げた。
桃矢は床に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。
膝がまだ震えていた。胸の中の迷いは消えてはいない。
でも、このままうずくまっているわけにはいかなかった。
あの声が言ったとおり、このままでは、失われた者が報われない。
まだ、地の底の者達が滅ぼされようとしている。
武田もあの声操られたままだった。まだ何1つ、終わっていなかった。
「戻りましょう」と桃矢は声をだした。まだ、いつもの強さは戻っていない。それでも、精いっぱいの声だった。
陽翔は朽名をそっと抱き上げ山田さんと大沢さんが拡げた簡易担架にそっと乗せた。
山田さんが前を、陽翔が後ろを持ち、麗華が側に寄り添った。
大切な人を失った。
それでも、残された者たちは、うつむきながらも前を向いた。
ボルンは明るさを取り戻していた。桃矢の肩の上で、寄り添うように、静かに瞬いていた。
悲しみを抱えたまま、上へと向かう道を歩み始めた。




